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SEASON1 ACT.24

「……なんだこれは」

 昼休みにひとり図書室へこもり、本に埋もれたわたしの頭上から、聞き覚えのある声がして顔を上げる。アーサーは積まれた本の一冊を手に取り

「……セクシーな女性になる方法?」

「いまはわたしに話しかけないで」

 アーサーは本を置いて、わたしの前に座る。静かな図書室でしゃべるのは厳禁だ。だからアーサーは前のめりになり、

「キャサリン・ワイズは二日後、退院するらしい」

「え、ほんとう?」

「だが警護つきで両親と一緒に、親戚の家に避難する。一週間ほど学校を休むそうだ。兄に聞いた」

 さびしすぎる。でも、一週間経ったらキャシーが学校に来る! それを希望に、一日も早く過ぎるように念じるしかない。

「今回のこと、妙だと思わないか?」

「妙って?」

「学校では、キャサリンのことは盲腸で入院していることになっている。昨夜キンケイド・ファミリーの銃撃戦を通報した、パンサーのことは朝刊にあったが、ワイズ親子のことはニュースにもなっていないし、新聞にも載っていない。ギャングが動き回っているということは、毎日のように新聞に載っているというのに、だ。おれはミスター・カルロスのいっていた、イラつくFBI女からの情報について、兄にも父にもいっていないが、二人ともさすがにおかしいと考えているようすだ」

「フェスラー家が圧力を、というやつ?」

 アーサーが軽くうなずく。

「内部を探るつもりだろう」

「あなたとかわたしなんかがしたことを、警察は知ってるの?」

「パンサーが動きまわっていたことしか知らない。もちろんおれもいっていない。パンサーがワイズ親子を助けて、それを警察に通報して、あとは救急車が来て、警察はワイズ家から撤収だ。ミスター・カルロスたちも、そのころには姿を消している。それにしても、あれからミスター・マエストロを見かけないな。見かけてもこちらは困るが」

「ヴィンセント・ファミリーも静か、みたいじゃない? わからないけど」

 アーサーがうなずいた。

「二日前の出来事だからな。なんともいえないが、不気味ではある。ヴィンセントが静まってるかと思えば、キンケイドの内部抗争が勃発。治安の悪化が気になるところだ」

 息をついたアーサーは、またもやわたしの目の前に積まれた本を手にし、ふいに苦笑する。小声で

「……で? セクシーになってどうするんだ?」

「……う。セ、セクシーになるわけじゃないよ。というか、こんなの全然だめ」

 読んでいた本を閉じてため息をつく。わたしが閉じた本のタイトルは「男性を射止めるための手引き」。あばずれな女の子になるための本なんて全然ない。深いため息をつくと、アーサーは他の本を手に取り、めくりはじめる。

「いまさらだが」

「なに?」

「こういったものを読んでも、無駄だと思うぞ」

「わーかってる!」

 おっと、地声でいってしまった。周囲を気にしながら、わたしも前のめりになって

「……でも、とりあえず読まなくちゃいけないのよ」

 こそこそとしゃべれば、アーサーは指で眼鏡を上げて、ここにはこんな本もあるのかと、呆れながら続ける。

「これときみのゴーストみたいな顔には共通項があるのか? どうでもいいがすごいぞ。目の下の隈が」

 そのとおり。結局昨日は一睡もできなかったのだ。朝起きればマルタンさんは、もう出かけていていないし、なんとか穏和にWJと会話して、朝食を流し込み、一緒にバスに乗ったところまでは、まあ、よかった。いや、よくもないけど。だけど校門についてから、わたしの地獄への道ははじまったのだ。

「……わたし、もう人間じゃなくなったのかも」

「なんだそれは」

「世界のすべてが、悪魔だらけの魔界みたく思えてきてるから」

「そうか? 昨日からおれの世界はバラ色だ」

 昨日の病室でのアーサーを思い出した。

「そうだ、キャシーとはどう? もうびっくり。コミックをいつの間に読んだの? それにフリージア」

 当然だ、とアーサーは腕を組んで

「……正直、あのコミックはまるで理解できない。ただ、童話的なほほえましさと、悲恋めいたファンタジー風な仕立てはなかなか興味深いとは思ったが」

「アーサー。わたし、批評を訊いてるわけじゃないんだけど」

 アーサーはにやりとする。

「キャサリン・ワイズがあんなにおしゃべりだとは思わなかったぞ。彼女もかなり楽しんでくれたようだった。もちろん今日も行くが」

 わたしももちろん行く。その前に過剰なストレスと不安で、倒れるかもしれないけれど。

「……ちなみに」

 親指をたてたアーサーが、くい、と自分の背後をしめす。しめされた先は窓際の隅の席。座って本を読んでいるのは、WJだ。

「昨日も思ったが、仲良しがなにをしてるんだ? こんなに離れて」

 わたしはがっくりと肩を落として

「もう仲良くできなくなっちゃったんだよ」

「なんだそれは。同居からくる気まずさか? そんな仲でもないだろう。それに、ジャズウィットがきみを相手に、おかしな行動をとるとも思えないしな」

 そう。おかしな行動をとったのは、別の人物だ。

 今日はデイビッドが学校へ来ないので、WJの「学校では一緒にいないほうがいいよね」宣言は無視するつもりだった。でも、バスを降りて、校門へついたとたん、WJはじゃあといってさっさと先へ行ってしまったのだ。追いかけて、デイビッドは休みだと告げるつもりだったけれど、わたしははたと思いとどまる。

 ……なんだか自分が、夫の留守中にこそこそと浮気してる、大人向けドラマのイケてない妻、みたいに思えちゃったから!

 WJが顔を上げた。遠目だからわからないけれど、目が合った、ような気がする。だけど、先に顔をそらしたのはWJだ。わたしがアーサーといる、と確認してオーケイ、みたいな雰囲気。

「捨てられた犬、のような顔になってるぞ」

「え?」

「そばに行けばいいじゃないか。なにをかたくなになってるんだ」

 行きたくても行けない。それに、今朝からわたしたちの話題といえば「今日は天気がいいね」だの、「マルタンさんは無事に仕事をのりきれるかなあ」だのといった、昨夜の出来事にはまったく触れない、あたりさわりのない世間話。そばに行ってもその続きをしゃべることになるのだ。それでも全然いいけれど。

「う、ううう」

 この圧迫された状況をいいたいのに誰にもいえない……とまで考えて、はっとした。アーサーはパンサーのことを知っている。だからアーサーにはしゃべってもいいのだ! 

 デイビッドに嫌われるうまい方法を、アーサーなら思いつくかも。いっそもう、思いつかなくてもいい。誰かにしゃべってストレスを吐いてしまいたい衝動にかられてきた。そしていま、それが許される相手は、またもやアーサーしかいないことに気づく。なんなんだろう、わたしのこの状況。

「アーサー。あなたにとっては、たぶん、すっごく笑える事態になってると思う」

 げんなりした顔のわたしに向かって、アーサーが片眉を上げた。

 というわけで、WJへのわたしの気持ちはおいておいて、アーサーに大筋を語ってみる。大筋なので、デイビッドにされたことはもちろんかいつまみ、断っても聞き入れてもらえず、あげくの果てに仲良くしなければ、パンサーを辞めるうんぬん、さらに、そのことをWJが知って、じゃあデイビッドがやきもちをやくといけないから……というところまで告げてみた。

 わたしがしゃべり終えると、アーサーはふうっと息をつき、肩をすくめて

「……笑えるな」

 ちっとも笑わずにつぶやく。

「それでそばに寄らず、こういった種類の本の山に埋もれているわけか。なるほど。同情する。……しかし、すごいな」

「すごいって?」

「どこぞのオシャレバカのことだ。きみのなにを気に入ったのか、おれにはさっぱり理解不能だが、そんなに意味不明な思考回路の持ち主だったとは思わなかったな。邪魔くさいとは思っていたが。とはいえ、べつにいいじゃないか」

「なにが?」

「つきあってみれば」

 にやりと笑う。あ、そうですか。そこで笑うわけね。

「そうだよね、あなたにとっては、おかしげなライバルがひとり減ってラッキー、みたいな感じになってきちゃってるものね」

「本気にするな、冗談だ」

 いまのわたしに笑う余裕はないんです!

「まあ、がんばれ」アーサーが席を立つ素振りを見せる。「健闘を祈る」

 待った! と、わたしは上半身を机にのせて腕を伸ばし、アーサーの黒いポロシャツの裾を引っ張る。

「わ、わたし。嫌われなくちゃいけないのよ」

「さっき聞いたぞ。だから健闘を祈るとおれは答えた」

 周囲の人が、じろりとわたしたちをにらんだ。ため息をついたアーサーは、今度はわたしの隣に腰をおろして、腕を組んだ。

「おれにどうしろというんだ? きみらの問題だろう」

「キャシーにいっちゃうから。あなたはべつに、キャロル・スイートのファンじゃないって」

 ふうん、とアーサーがわたしを横目にする。切れ長の瞳を細めて

「……それは困る」

「じゃあ、協力して」

「おれにできることなど、ひとつもないように思えるけどな」

「意見を聞かせてくれればいいの。例えば、あなたが思うビッチな女の子について、とか」

 やれやれといいたげな呆れ顔のアーサーは、眼鏡を指で上げてから

「誰とでも寝るような、もしくはそう見えるやつだろう。少ない布の服を着ていて、尻をふって歩いている感じだろうな。ああ、ジェニファー・パーキンズを観察すればいいじゃないか」

「観察する前に早退しちゃってた」

 アーサーがほおづえをつく。おもむろにわたしに顔を向けると、じいっと眼鏡越しに見つめて

「……まあ、無理だろうな」

 わたしはうなだれた。

「わかってる」

「……きみはたぶん、犬だ。これはあくまでもおれの意見であって、一般の男の意見だと思わないで聞くなら話そう」

 わたしはうなずく。いいか、とアーサーは、まるで数学を教えるかのように、わたしのレポート用紙とペンをひったくり、

「ビッチは最低の言葉だが、女性に対して使う場合、その外見のイメージとしては猫系だ。もちろんただ単に、相手にムカついた場合「このクソ女め」といった使い方もされるが。ともかくまあ、含まれる要素としては、誰とでも寝る、娼婦、あばずれ、そんなイメージだ。しかしセクシーと紙一重でもある。あばずれな行動をとるために、無意識のうちに男を誘うような外見になっていくからな。だから、見た目の彼女たちは犬じゃない。どちらかといえば猫系。男を惑わし手玉に取ってほくそ笑む。飼い主になつきまくる犬じゃない。異性を上から見下ろして、自分の気分で動き回る猫だ。男と寝ても、それで? という余裕がある。実際余裕がない場合でも、そう振る舞う。それが似合う。友人の恋人でも寝取る勢いを持っている。意志の弱い男は、その手のひらで転がりたいと夢に見る。だからこそ、経験不足な男の永遠の妄想相手でもあり、経験しまくりの相手にとっては最高の遊び相手になるんだ」

 猫、犬、ビッチ、セクシー、といった文字を、ぐるりとペンで囲って放る。

「……び。びっくり。あなたの口からそんな言葉がもれるなんて」

「おれにだってそれなりの経験はある」

 はあ。まあ、ハンサムだもんね。でもなにか意外だ。

「飼い主に捨てられて、泣きそうになってるみたいな捨て犬系のわたしには、やっぱり無理ってことだよね」

「しかし妙だな。オシャレバカは経験しまくりだろう? もっとも好む相手なんじゃないのか? 手軽であとくされなし。駆け引きというおまけつき」

「……わたしも全然理解できない。でも嫌だっていってた」

「ああ。飽きたんだな」

 地鳴りがしそうなほどの深いため息をついたわたしは、途方に暮れる。

「……じゃあ、わたしにも飽きるのを待つしかないのかも」

 でも、飽きないっていわれた気がする。そうだった。ううう。両肘をついて頭を抱えると

「まあ、あきらめるんだな。ただし、犬にも少なからず希望は残されているぞ」

 え、と顔を上げる。アーサーは腕を組んだ恰好でにやりとして

「小悪魔だ」

「こ?」

「単純に見た目の問題だが。ビッチにはセクシー要素が望ましいが、小悪魔にはキュートな要素が重要だ。ほら、きみでもなんとかいけなくはないだろう? そういう恰好で、無駄にスキンシップを求めてみたり、セクシャルな雰囲気をにおわすセリフを吐けば、見た目は小悪魔だが、行動はあばずれではすっぱ、の仕上がりになるんじゃないのか? たしかにいまのきみのまんまで、行動だけ変えたところで爆笑をさそうだけだからな。まあ、外見をなんとかしなくとも、ようするにいいよられるのがウザったいということだろう? しつこくつきまとえばいいだけのようにも、おれには思えるが」

「……まあ、そうなんだけど。それでほんとうに嫌ってもらえるかな?」

「さあな。だが、つけ焼き刃な知識を吸収しただけで、なれるものでもないと思うぞ。連綿と経験してきた体験とか性格とか、男に対する価値観なんかが、求められるだろうし」

 すごい。

「なんか。すんごいこと聞いた気がする」

「そうだろう。ちなみに、もしもなりきるのなら、失敗は許されないぞ」

「え、なんで?」

 アーサーは口元に笑みを浮かべて、眼鏡を上げるといった。

「やるからには、堂々となりきることをおすすめする。絶対におどおどした態度はとらないことだな。どうせきみの本性は見抜かれているんだ。性格がよくてときどき滑稽、そのうえさらにお人好し。いまさらあばずれ女を目指したところで、ほほえましく苦笑されるのがオチだろう。それにきみは断っている。断っているのに、いきなりいいよられても妙に思われるだけだ。だから、もしもほんとうにそうなりたいのなら、実はわたしはこういう女なのだ、と納得させなければならない。そうだろう?」

 ぽかんと口を開けていると、アーサーが席を立つ。

「だから納得させるために、しっかりなりきることが必要なんだ。一歩間違えば、相手にさらに火をつけることになる、危険な賭けだからな。あとは、女性向け雑誌にいろいろ載っているだろう。好きにしてくれ」

 いい残して、アーサーはさっさと図書室から出て行った。

 ……アーサーのこの知識はいったいどこから……? いや、考えたくないし想像したくないし、できない。わたしは首を左右に振りながら、隅の席に視線を向ける。WJがこちらを見ていた。目が合ったような気がした直後、WJはすぐに本を見下ろす。ううう、一緒に暮らしているのに、どうして学校ではこんなことになってるんだろ。もう、この微妙な距離をもとへ戻すために、なにがなんでもやらなくては。

「……雑誌ね、雑誌」

 呪文のようにつぶやいて、わたしも席を立った。

★​ ★ ​★

 

 アーサーにいわれたことをぐるぐると考える。たしかに、もしかすれば、デイビッドはキャシーの時みたいに、意地になっちゃってるだけかもしれない。だからしつこくつきまとえば、嫌われる確率は上がるかも。でもその期間が長引けば長引くほど、WJとの距離がさらに広がりそうでおそろしい。もうこんなの耐えられない。誤解されているうえに真実が話せないなんて、ストレスで意識を失いそうになってくる。もうなんとしてでも、一発的中で、超短時間のうちに嫌われなければ。だからこそ、実はわたしはあばずれでしつこい感じのクソ女なのだ、と思わせなくちゃいけないのだ!

 わたしはべつにデイビッドが嫌いなわけじゃない。つきあえないというだけで。それを受け入れてくれるなら、友達としてしゃべったりできるのに、それが無理だから困るのだ。もうこのストレス、どうしてくれよう……。

 歴史のレポートの締め切りが、二日後に迫っているというのに、三行で放置されたままで、午後の授業ももちろん、上の空だ。

 どうかなにもかもが夢であってほしい。誰かがどこかにいる本物のわたしをつねって、起こしてくれたらすっごく嬉しいのに。だけどあきらかに夢じゃない。だってこっそり手の甲をつねってみたけれど、すっごく痛かったから!

 ……ああ、もう……ほんとうに最悪だ。

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