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SEASON1 ACT.22

 パンサーが出かけた時には、やんでいた雨が、また降り出したようだ。その音が、しーんとしたデイビッドの寝室に響きはじめる。窓を見てもブラインドが下げられてあるので、外の景色はわからないけれども、どしゃ降りという音ではなさそうだ。こんな天候の中、WJはどこかを飛んでいる。ちょっと心配になってきたけれど、同じくらいに心配なのは、ジェローム王国のキングが、キャシディ王国のビショップに、チェックされそうになっちゃってることだろう。

 わたしが駒を動かす番になって、ずいぶん経っている。と、デイビッドがあくびをした。それで、わたしはかなりいい方法を思いついた。時間を決めて争っているわけではないので、このままわたしが考え込んでいるふりをすれば、デイビッドが眠る、ような気がしたのだ!

 ベッドの上に置かれたボードをはさみ、わたしもデイビッドもあぐらをかいて前のめりになっている。

「……もうどう見てもきみの負けだと思うけどね」

 腕を組んだわたしは

「どこかに逃げ道があるはずだもの。お城の地下とか、裏口とか。そこから我が国の王様を逃がさなくちゃ」

 デイビッドはくすりと笑った。ボードを指しながら

「きみのお城は包囲されちゃってるよ。王妃はおかしな場所にたたずんでるし、うっかり屋さんなナイトは即死亡。優秀な我が国のビショップが、僧衣の中に剣を隠して、王様を追いつめてるところだって、気づいたほうがいいと思うね」

 またあくびをする。どれほど時間が経ったのかはわからないけれど、わたしもつられてあくびをしてしまった。それにしても昨日と今日、どうしてわたしはデイビッドと一緒に夜を過ごしてるんだろう? 明日は絶対に避けたい。

「……もういいからあきらめろよ」

「い、いいやダメだ、余はまだ生きておる! って、王様がいってる」

 駒を指すと、デイビッドが声を上げて笑った。びっくり、いまみたいに笑うデイビッドははじめて見た。まあ、いままで仲良しというわけではなかったから、学校でもいまみたいに笑ってはいたんだろうけど。

 デイビッドはビショップの駒をつまんで、軽くゆすりながら

「王様、あきらめたほうがいい。もう逃げ道はない」

「あ、あきらめきれぬ……。我が国が滅ぶなどとは……」

 三歳児の遊び方になってきちゃった。わたしもボードを見下ろし、キングをつまんで、苦しげな声で訴えてみた。引き延ばし作戦も限界にきている。もう一刻も早く眠ってほしい。

 駒をボードに置いて、やれやれと顔を上げると、デイビッドと目が合った。奇妙な表情でわたしを見ている。かなしいような、せつないみたいな、息が詰まってるみたいな顔だ。あくびのせいで、ブルーの瞳が濡れていて、宝石みたいにきらきらしている。

 わたしを見つめたまま、デイビッドが

「……おれだってわかってるさ。カルロスのいうとおり、きみは危ない感じだし、マルタンとWJが一緒にいるのは妥当だよ。昼も夜もここにいて、おれと一緒じゃ、ゴシップ記事になるだけだからね」

「え?」

 デイビッドが眉根を寄せる。

「いまみたいなこと、しゃべったりするんだろ? いや、してたってことになるのか」

「なにが?」

「WJとさ」

 いまみたいなばか話は……しているだろう、たぶんわたしが。

「三歳児みたいなトークになっちゃう時はあるかも。で、キャシーとWJはげらげら笑うよ。あとはみんなで想像したり」

「想像って?」

「……まあ。宇宙に住んだらどんなことするかとか。あとは読んだ本の話とか、映画とか、スターのこととか」

 パトリシア・リーのことを、突然思い出してしまった。

「ねえ、パトリシア・リーってビッチなの? わたし、すごいショックだった。ほら、青春ドラマの脇役やってたでしょ? すごくきれいだけど、わざと地味な感じにしてて。あれがすっごく好きだったから、ちょっとファンだったんだ。いつもそういう役柄だし」

 く、とデイビッドは唇の端を上げて

「すげえビッチだよ。おれの仕事は昼間に限られるから、一度だけランチしたことがあるんだ。仕事のつきあい、みたいな感じでさ。もちろん、ふたりきりじゃないけど。そうしたら、テーブルの下で、おれの足に自分の足をからませてきたんだよ。おれは基本的に、女の子は大好きだけど、あからさまなやつは気分が悪くなるからいやなんだ。学校にそこまでする女の子なんていないしさ。におわせる子はいっぱいいるけど。あとでスーザンに調べさせたら、超ビッチ。ドラマで共演したやつとは、ほとんど寝てる。でもイメージはいいだろ? きみが思ってるみたいに。だからたまに絡む仕事がはいるってわけだよ」

 ……聞かなければよかった。がっかりしてると、デイビッドが足を崩す。膝を折って、組んだ腕をのせる。

「いままで一緒にいて、単純に楽しい女の子なんていなかったんだよ」

 腕に、少しだけ顔を埋めるようにして、うつむいた。それからちらりと、上目遣いにわたしを見て

「キングになりきる女の子もさ」

 いくら恋愛にうといわたしでも、デイビッドが伝えようとしていることは、なんとなくわかる。いや、昨日からうっすらとはわかっていたけれど、自分の片思いで手一杯で、そこまで頭がまわらなかったのだ。それに、デイビッドがわたしを、なんてありえない。自意識過剰になれるほど、わたしは自分に自信がない。だからありえないという自分の思い込みが、事態をややこしくさせてしまったのかも。

「……正直、あなたの気まぐれと思ってたんだけど。もしも、そのお……」

 でも、なんでわたし? 

「そのお……」

 わたしがいいよどんでいると

「面倒くさいこととかあると思うけど。それでもよければおれはきみとつきあいたい」

 きっぱりといわれた。

「え?」

「きみはセクシーじゃないし、美人でもないよ。でも飽きないんだよ。きみと一緒にいることも、きみの顔も。それに、ちょっとかわいく見えてきた。うつむいてるとき、まつげ長いなとか思ったし。耳たぶもふっくらしてていい形だな、とかさ。髪型も似合ってるよ。さすがミス・ルル」

 どうやらほめられているらしい。

「き、きのうはべつにかわいいわけでもないって」

「いろいろ見てると、気づくこともあるだろ」

 うう。デイビッドの視線が痛くなってきたし、さっきまでの和みモードが一転、急に居心地が悪くなってきて、うつむく。

 それなりに、なんなく、気になる男の子はいたけれど、みんなほかの女の子に夢中で、そのうちにあきらめる癖がついたのだ。まあいいか、わたしだしって。そうやっていつか大人になって、もしかしたらいい感じになれる相手があらわれたら、経験できるものと思っていた。わたしにとって恋愛とは、WJが好きなんだと自覚したいまでも、そういうものだ。ずっとずっと先のことで、雲の上の世界のことで、もしかしたら一生ないかもって思うようなことなのだ。 

 なのに?

 未経験すぎる出来事に、知らないうちにぶちあたっていたらしい。いまさら混乱して、てんぱってきた。 

「……そ、それは、そのお。つまり、わたしを」

「いわないとわからないわけ? きみが好きだってことだよ」

 ありえないし、信じられない。

「だって、あなたは毎朝わたしを無視してたよ? 誰だろうこいつは、みたいな感じで」

「視界に入らなかったって、いっただろ」

「……じゃあ、いつ入っちゃったの?」

「知らないよ。入っちゃったんだから。なんだよ、昨日おれがきみにいったり、近づいたりしたことは、なんだったわけ? かっこつけて我慢しまくったのに無駄だったってこと?」

 わたしがデイビッドのファンだったらよかったのに。だったらすっごく嬉しい瞬間だ。だけどわたしはWJが好きだ。叶わないし、無理だし、自分の気持ちを告げるつもりもないけれど、それでも好きになっちゃったのだ。

 デイビッドの気持ちがわかるから、こんがらがってきてしまう。誰かを好きで、でもその気持ちが通じないという思いが。

 というよりもありえない。絶対にありえない。

 わたしはデイビッドをフラなければならないのだ! このわたしが、デイビッドを!

 どうか違ってほしい。

「……き、昨日あなたがわたしにいったこと、なんとなく、からかわれてるのかなって思ったから。それか、ただの気まぐれだって思ったし」

 それに別の項目で、脳内が破裂寸前になっていたし!

 わたしは髪を両手でわしづかむ。デイビッドは右足を伸ばして後ろに手をつき、身体を支えながら、険しげに眉を寄せて目を細めると、わたしをにらむ。膝をたてている左足のつま先で、邪魔くさそうにボードをつつきながら、わたしをものすごくにらんでいる。

「……それって鈍感ってこと? 鈍感も限度を超えると相手をムカつかせるって学んだほうがいいね」

 ボードがちょっとずれて、左足の動きが止った。すると今度は、デイビッドの右足のつま先が、あぐらをかいているわたしの膝にあたって、つんつんと押される。

「ち、違うよ。そうじゃなくて。こんなことをいうのはおかしいかもしれないけど、わたしなのよ? もっとほかにいるじゃない。素敵な女の子はいっぱい。それにキャシーはどうするの?」

 はあ、とデイビッドはため息をついて

「昨日の記憶はどこに飛んじゃったんだよ。キャサリン・ワイズは好きさ、きれいだし、かわいいし。でも意地になってただけだって、いったと思うおれの記憶がおかしいの?」

 ……ああ、そうでした。

 好意をもたれたことは、嬉しいけれど複雑だ。デイビッドとはつきあえない。デイビッドのことをよく知らないし、嫌いではないけれど、好きでもないのだ。いや、わからない。少なくともチェスをしている間は楽しかった。でも、WJと一緒にいるときのような、意識しすぎの苦しさは、いまのわたしにはない。苦しいけれど、楽しい。そういう気持ちはない。ただ、困ってる。困っちゃってるのだ。

 だって、こんなこと。想像もしたことないし、第一、ありえなさすぎなんだもの!

「なるほどね。自分に自信がないから鈍感になるんだ。ありえないって思ってるから」

 するどい。

 デイビッドはわたしをにらんだまま片眉を上げて

「そうか。きみみたいなタイプには、優しい感じで攻めたほうがいいと思ってたんだけど」

 ため息をついて「超ストレス」とつぶやく。

「え?」

「ほら。ものわかりのいい感じで。しゃべりやすいみたいな。でもうっかりそのままだと、友達カテゴリーに入れられる。どうせおれは片足つっこんでたんだろ、きみのお友達ゾーンにさ。だけどそこからおれがはみだすころには、じいさんになっちゃってるよ。ゆっくりいこうと思ったけど、アホくさい。……やめた」

 デイビッドが身体を起こす。思いきりボードを右手ではらいのけたとたん、駒と一緒にベッドから、いっきに絨毯の上に転がり落ちる。

 びっくりしたのもつかの間、腕を引っ張られて、抱きしめられた。ぎゅううと、デイビッドの胸や肩に、自分の頭が押しつけられる。さすがにどきどきしてきた。これはまずい。かなりまずい展開だ!

 デイビッドのパーカーを両手で握って、身体を離そうとしても無理だ。

 ……もしかして、核爆弾は凍結されなかったということだろうか。そうかも、いや、そうだろう。これはもう、きっぱりいわなければいけない。どうしてこんなわたしが、デイビッドをふる立場になってしまうの? 人生は難しくて厳しくて、理解不能な図式でなりたっているみたいだ。

「……ご、ご、ごめんなさい。あなたとはつきあえない。わたしは、その……」

「不毛だっていったよね? わかってるんだろ?」

 ええ、わかってます。でも無理なので。

 さらに力が増した気がする。おかしい、どうしてこうなるんだろう。どうやらもっときっぱりと、いわなければいけないみたいだ。

 ぎゅうっとまぶたを閉じて

「つ、つきあえないよ」

「じゃあきみは、おばあちゃんになるまで、ひとりでいるつもりなわけ?」

 いや、それはわからないけど。

 腕の力は弱まらない。うつむくと、デイビッドの肩に額があたってしまった。 

「……ほんとうにごめん」

 雨の音はまだ聞こえている。背後のドアの向こうの廊下で、誰かのしゃべり声が聞こえてきた。書斎から出てきた、カルロスさんとマルタンさんだろう。その声が、リビングの方へ消えていく。それにしても問題は、わたしがまだデイビッドに抱きしめられているということだ。背中あたりにあった腕の感触が、腰あたりになってしまい、もうがっちり抱えられてしまっている。

「あ、あなたとはつきあえない……んですけども」

 よし、勢いをつけて、きちんと、きっぱり、もっといっきにいってしまおう。

「……う、ううう。わたしがあなたをふるなんて、世の中どうかしてると思うけど、あなたのことはべつに嫌いじゃないし、だけどそのお」

 力が強まってしまった。引きはがせない。どうしよう。

「と、とにかく。そういうわけで。ごめんなさい」

「おれのなにがダメなわけ?」

「い、いや。べつになにが悪いとかそういうことは」

「パンサーじゃないから? 偽物だからかっこわるい?」

 びっくり。

「え?」

 デイビッドが、わたしの肩に頬を寄せる。すっぽりとわたしを抱きしめたままで

「嘘をつくのも必死なんだよ。時間を合わせて、つじつまが合うようにして、面倒くさいことは全部おれがやりまくってるんだ。ビッチにも愛想ふりまいて、みんなに気に入られるように振る舞ってるんだよ。学校でもいいように嘘ついてうまく立ち回ってさ」

 それは、かなり疲れそうだ。

「決めたのは自分だし、後悔してるわけじゃない。面白いし、楽しくもあるしね。ただ時々、わけがわからなくなるんだよ。おれはなにをしてるんだ、って」

 ぐ、っと一瞬力がこもった。

「……ほら、こんなことしゃべれるのはきみだけだって、いってるんだよ、おれは」

 だけどわたしにはどうすることもできない。

「ほ、ほかの子にしゃべってみたり、してみたり?」

「おれがいいたいのは、そういう意味じゃない」

 どうしよう。どうすれば!

「……チ、チェスの相手でよければ、大歓迎、なんだけど」

 ばかみたいなことをいってしまった。くす、とデイビッドが笑う。

「ジェローラ国がまた滅びるとしても?」

 そろそろ名前を訂正しておこう。

「わ、わたしの名前はニコル・ジェローム、ジェローラじゃないよ。カルロスさんはジェロームっていってくれるのに、マルタンさんまでジェローラっていってた。全然違うのに」

 そういえばなんでだろ、不思議だ。いや、名前の心配をしている場合じゃないから!

 さすがに怖くなってきた。

「わ、わたし。どうすればいいの?」

「さあ」

 さあ? ……って、なに?

「……なんでだろ」

 デイビッドの心臓の音が、早くなっていくのがわかる。

「きみに悪いことするつもりだったのに」

 ちょっとかすれてるみたいな声が、わたしの耳にかかる。

「できなくなった。したいのに」

 リビングから、カルロスさんの話し声が聞こえてきた。

「……気持ちいい。このまま、眠りたくなってきた」

 柔らかいブロンドの髪が、わたしの頬をくすぐる。ごめんねとまたいうと、聞こえないといわれた。デイビッドの腕が、わたしの背中と腰を、迷ってるみたいに行き来して、ぎゅうっと力が増していく。もう、どうすればいいのかわからない。

「……まずい、かも」とデイビッド。

 硬直したままのわたしは、デイビッドの肩越しに見える、真っ白な壁を見つめることしかできずにいる。暴れるほどの余力もないし、なにしろびっくりしているのと、ちょっと怖いのと、混乱しているのとで、大声もでないのだ。

「どうしてきみに、手を出せないんだろ。すごくしたいのに」

 おっと、やっと気づいた? それはわたしに魅力がないからよ! それはそれでかなしくはあるけれど、いまなら大歓迎な素質だ。

「そ、そ、そうでしょう? だからほら、もういいよね、ね?」 

 なにがいいのと心の中でつっこんでみた。だけどデイビッドは全然わたしを離さない。

「……おれがびびってる。……全然よくない。これって」

 これって、なに?

「……本気ってことだ」

 え。

 そこでドアがノックされた。二度ノックされて、けれどもデイビッドはわたしを抱えたまま、どうぞ、と不機嫌な声を発する。デイビッドの指が、わたしの髪にからんで、頭が肩におさえつけられる。うううう。どうぞっていえる体勢じゃないって、気づいてないわけ? というかわたし、もう、どうすれば……。

 ドアが開く。

「……とりこみ中だよ」

 デイビッドがいった。

 妙な間のあと、静かにドアが閉められる。ドアに背中を向けているわたしには、この気まずくも最悪な場面を見た人物が、誰なのかはわからない。わからないけれど、たぶんカルロスさんだろう。寝かしつける役目がなにをしているのかと、びっくりしているような気がする。そしてゾンビからゴーストへ? わからない。もうなにもかもわからなくなってきた。

 というか、みんなもわたし相手に、こんなことありえないと考えていたはずなのだ。だから寝室でふたりきりでも気にせず、ほうっておいたに決まってる。

 わたしだって、ゲームに負けたらデイビッドと添い寝するだなんて、半分冗談みたいに思っていた部分もある。もしくは昨日みたいに、まあ、ちょっと添う感じなら、相手はわたしなんだしって、安心して思い上がっていたのかも。

 そうか、これって、思い上がってたってことになるのかな。

 そうかも。

「……ごめん」

「なにが?」

「よくわからないけど、わたし、自分で気づかないうちに、思わせぶりなことしてたのかなって」

「全然思わせぶりじゃないけど、隙だらけなのはたしかだね。まあ、それって、鈍感のなせる技だけど」

「カ、カルロスさん?」

 もう、いい加減、離してもらいたい。

 わたしが訊くと、腕をゆるめたデイビッドがわたしを見つめ、にやっと笑みを浮かべて答えた。

「本物のパンサー」

 え。

「……え」

「天候が悪いから早めにきりあげたんだろ。向こうにきみがいないから、こっちに来てみたら、友達がこんなことに」

 なにそれ。まずいまずいまずい! 急げわたし。ぼんやりしている場合じゃない。ゆるんだデビッドの腕からなんとかすり抜け、ベッドから飛び降りてドアに駆け寄る。

「なんていうの? デイビッドに無理矢理抱きしめられちゃいました、とか? そんなのいったって、ああそう、みたいな感じになるだけだよ。それできみはまたしょんぼりして、その繰り返しだね。永遠に」

 ドアノブに手をかけたのに、躊躇する。デイビッドのいうとおりだ。ああそう、っていう顔のWJを見るのが怖いのだ。わかっていても、避けたいと思う。見たくないと思ってしまう。だからといって、このままここにいても仕方ないんだけど。うううう、行くも地獄、残るも地獄だ。ノブを見つめたまま、とはいえなんとか意を決する。

「あ、あなたはもう、眠って。わたしは帰るよ」

 デイビッドがベッドからおりた気配がする。わたしの背後から腕を伸ばして、ドアを手でおさえる。

 もうほんとうに、きちんというべきだ。目を見て、自分の気持ちを伝えなければ、デイビッドのことも傷つけることになる。だから顔を上げて、デイビッドを見つめて、大きく息を吸い込んでから

「わたしはあなたとはつきあえないよ。ごめん。でも、気に入ってくれてありがとう。あなたのこと、前は気に食わないと思ってたけど、しゃべったらそうでもなかったし。だからびっくりしたけど、こういうこといわれたのはじめてだったから、嬉しかったよ、ほんとうに。あなたは女の子にモテるから、わたしなんかよりも、もっとずっと素敵な彼女ができると思うよ、絶対に。というか、あなたに彼女がいないのがおかしいんだけど」

 息とともに、言葉もいっきに吐き出す。

 デイビッドの顔は険しい。呼吸困難におちいってるみたいな、苦しそうな眼差しが、ふっとわたしからそれた。

「……わかったよ」

 やっと、わかってもらえたみたいだ。

 わがままかもしれないけど、きちんと伝えればわかってくれるらしい。きっとちょっとさびしかったり、ストレスフルな毎日を送っているから、そのはけ口がわからなくて、周囲に妙なことをいってしまうだけなのだろう。

 まあ、リビングをアマゾンにしてしまったりとか。

 なんだ、たいして核爆弾でもないじゃない。ほっとして、ドアを開けようとすると、デイビッドの手の強さでドアが押される。

「あれ?」

「あのさ」

 こぶしでドアを押さえて、右腕を上げた恰好で肘をおる。わたしをのぞきこむみたいに見下ろすと、なぜか口角を上げて笑った。

「いいこと思いついたんだ」

「い、いいこと?」

「おれがパンサーやめたらどうなるかな」

 え。

「……なにそれ?」

「じゃあ本物は誰だってことになるよね。地味で目立ちたくないWJの正体が、遅かれ早かれバレるだろ。おれは取材やなにやらで、その場で飛んでくれなんてバカげた提案は、断る契約書にしてあるけど、彼なら断らなくても済む。マスコミに追いかけ回されて、テレビで技を披露するはめにもなるかも。それってさ、どう思う?」

「どう思うって、どういう意味?」

「WJが見せ物みたいになるのは嫌だろ?」

 もちろんだ。

「……で?」

 デイビッドのいっている意味がわからない。

「あ、あなたの。あなたの言語……というか、いってる意味が理解できない、んだけど?」

 デイビッドがわたしの顔に自分の顔を近づけた。だからわたしはのけぞる。ものすごくなにかを企んでるみたいな顔つきになってる。

「おれと仲良くしてくれたら、そういうことはしないっていってるだけ」

 ……ちょっ、ちょっと、ちょっと、待って。

「……え、ええっと? ごめんなさい、わたしにわかるようにいってもらえないかな?」

 わたしがデイビッドと仲良くしている間は、そうならない、という意味だろうか。そうとれる。いや、そうなんだろう。

「……なんで?」

「なんでって」デイビッドは平然とした表情で肩を軽くすくめ「なんででもだよ」

 ……すごい理由だ。もう意味不明。わたしは断ったのに、全然聞き入れてもらえない。これはすごい、スーザンさんやカルロスさんやマルタンさんのストレスが、ようやく理解できた。

 わたしはうなだれた。

 なるほど、これは核爆弾ならぬデイビッド爆弾。着火しちゃったらどこまでも見境なく、飛んでっちゃう爆弾かも。そのことに早く気づきたかった。

「あ、あ、あなたと、仲良しでいれば、そんなことしない?」

 あきらかに凍結からはほど遠いこの状況。完全に手遅れ状態だ。

「友達カテゴリー圏外で」

 デイビッドが勝ち誇ったみたいな企み顔で、いいきった。

 わたしにできることはしたはずだ。だけどどうしよう。いや、わかってる。どうしようって、どうにもできない蟻地獄みたいなディープゾーンに、これはもう、知らずのうちに足を踏み入れちゃってたってことだ!

 ……ああ。……ああ、もう泣きたいかも。

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