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SEASON1 ACT.18

 翌朝目覚めると、あきらかに寝不足なカルロスさんが、ぼうっとゾンビみたいに立って、わたしを見下ろしていた。いかに過酷な任務だったのかは、よれよれのスーツを見れば一目瞭然で、

「おはよう、ミス・ジェローム」

 笑顔にも覇気がなく、デイビッドはどうしたのかとわたしが訊けば

「早朝、自宅に戻らせたよ。あっちでなければ眠れないんでね」

 そういえばそうだった。でも、わたしと一緒の時は、あきらかに眠っていたような? 

「もしかして、デイビッドとけんかでもしたのかい?」

「え?」

 首を傾げると、カルロスさんはあくびをこらえながら

「あんなに不機嫌なデイビッドは、久しぶりに見たからね。むっつり黙り込んでひとこともしゃべらない。かと思えば、ハワイからパイナップルを直接買い付けて朝食に出せとかいいだすんだよ。ずいぶんイライラしているみたいだったから、きみとけんかでもしたのかと思ったんだけど?」

 ……けんかをした覚えはないけれども、デイビッドがなにかイラついていた気はする。けれどもいま、わたしの頭の中には、パンサー項目しかないので、どうにも記憶がおぼろげだ。ぼんやりしたまま目をこすっていると、

「きみのご両親はミスター・エドモンドの部屋に、しばらく居候してもらうよ。だからぜったいに自宅へは帰らないで」

「……じゃあ、わたしもそこに戻ればいいんですか?」

 いいや、とカルロスさんが肩をすくめる。いいや?

「きみも知ってると思うけど、あそこはとっても狭いよね?」

「……ええっとう。まあ……」

 カルロスさんは疲れたようにふうっと息をつくと、ジャケットのポケットからたばこを出し、くわえて火をつけた。すうっと煙を吐いて

「いままでにない危機的状況でね。その状況にきみたち家族が首をつっこんでしまったってことは、わかってるよね? まあ、その責任は、こちらにもかなりあるんだけど。ようするに、まあ、失敗したってわけでね」

 カルロスさんがうつむく、というよりも、がっくりとうなだれた。

「ヴィンセントがどう動くのか予想がつかない状況なんだ。一般市民に手を出さないという神話は、ワイズ親子の一件で崩れてしまったし、危ないことに変わりはない。なによりいま一番危ないのは」

 軽くわたしを指して

「きみかな、と」

「わた、し……?」

 語尾がかすれてしまった。カルロスさんがかなしげにうなずく。

「べつにいますぐどうかされるとか、そういうことはもうないとは思うよ。向こうはすでに目的を果たしているし、パンサーが動き回っていることを察知して、ワイズ親子を生きたまま手放すことにしたみたいだしね。とはいってもね……」

 やっかいすぎる、とカルロスさんが、指で自分の髪をくしゃりとする。

「……単刀直入にいうよ。残念だけれどしばらくは、きみはご両親と離れていたほうが、お互いのためにいいと思うんだ。向こうが邪魔に思っているのは、たぶん、間違いなく、きみだから」

 そのとおり。たぶんではなくて、そうだろう。あれだけうろうろしたんだから。

「それって、そのお……。わたしが一緒にいたら、パパとママも危なくなるっていう?」

 ケチャップまみれ、というミスター・ギャングのことばが過った。それからたしか、こうもいったはずだ。約束を破られるのは気に入らないとかなんとか。もちろんわたしは、約束なんてした覚えはないけれど!

「まあ、そういうことだよ。残念だけれど」

「じ、じゃあ、わたしはいったいどこへ……?」

 すると、カルロスさんは床を指して

「……ここだよ」

 え?

★ ​★​ ★

 

 いまやわたしが、誰よりもゾンビみたいになっているはず。

 カルロスさんがエドモンドさんの家から、わたしの荷物を持ってきてくれたので、着替えることはできたし、わたしの家のリビングぐらい広い浴室で、シャワーを浴びることもできたけれど、まるっきり気分は良くならない。昨日ぐずぐずと泣いたせいで、目は腫れているし、寝不足だし、パパとママと離れるさびしさもあるし、歴史のレポートは白紙状態なのだ。ああ、歴史担当のミセス・リッチモンドが、風船みたいに頬をふくらませて意義をとなえる姿が目に浮かぶ……って、そうじゃあない。

 わたしがゾンビみたいになっている理由はほかにある。

 スーザンさんの運転する車に乗り、目立たないように校門で降りる。スーザンさんは大きなあくびをしながら

「帰りはマルタンが来るわ。ああもう、寝不足で肌が最悪のコンディションよ。もう、わたしの残業代ってどうなってるのかしら」

 愚痴りながら去って行った。

 校門の前には、いつものようにデイビッド待ちの群れができている。誰もわたしを気にかけない。気にかけられないそんなわたしは、いつも以上に挙動不審だ。目を皿のようにして、うろうろと周囲を見回す。うん、大丈夫だ、ターゲットの姿はどこにもない。ほっと息をついて駐輪場へ向かうと、わたしの自転車がかなしげに放置されてあった。しばらくはこれにも乗れないらしい。

 帰りはエドモンドさんの家へ立ち寄らなければ。それからキャシーのいる病院へ行ってみよう、と振り返ったそこに、いま一番距離を置きたい人物が立っていた。

 あいかわらずの寝癖に分厚い眼鏡。センスの良くない服にぱんぱんの荷物を背負ったWJが、

「おはよう」

 微笑む。……ねえ、昨日のことって、もしかしてわたしの夢なの?

 そうかも。あれは夢かも。

「お、お、お」

 おはようがいえない。顔をそらしてなんとか微笑むものの、ゾンビなカルロスさん以上にイケてないはず。すぐに背を向けて歩き出す。

「平気?」と背後からWJ。

「……う。うううううん。まあ」

 デイビッドは数日間、学校を休むらしい。キャシーもいない。じゃあわたしはいったい、誰としゃべったりすればいいわけ? かなしいことに、どう考えてもWJしかいないのだった……と、顔を上げた校内の廊下の先に、救世主の姿が見える。

 数日前まではこんなこと考えられなかった。最悪なことに、いまやわたしが気軽に話せる相手は、アーサー・フランクルしかいないのだった。人生って不思議、とか達観している場合じゃない。

 アーサーも早足で突進して来る。いつもと違うフレームの眼鏡を、きちんと装着し、あいかわらずの立ち居振る舞いでわたしの目の前にすっくと立った。

「どうやらゴーストじゃないようだな」

 なぜだろう、この口調がものすごく懐かしくて泣きそうだ。まずい、わたしは完璧に情緒不安定におちいっているみたいだ。

「ゴーストじゃなくてゾンビだよ」

 ここでポンッと、わたしのバックパックがたたかれた。振り返るとWJが、

「じゃあ、あとで」

 さらっと笑みを浮かべて、自分のクラスへ入って行った。

 じゃあ、あとで。

 いまはそのことばの意味が、ほんとうに恐怖だ。

「……どうしたんだ、ニコル。顔が青いぞ」

 わたしはアーサーの胸ぐらをつかみ、顔を近づけていった。

「た、助けてアーサー。わたし、WJと一緒に暮らすはめになっちゃったのよ!」

 アーサーは顔色ひとつ変えずに、だからどうしたといわんばかりの眼差しをわたしに向け

「いいじゃないか。友達だろう?」

 ……先週まではね。

★​ ★ ​★

 

 クラスメイト全員の前で、たっぷりとミセス・リッチモンドにお説教をされ、レポートのうえに「どうしてレポートが仕上がらなかったのか」の理由を、用紙五枚添えて後日、提出することになった。それはまあいい。いや、よくないけど。

 数人の女の子が、わたしの髪型がクールだとほめてくれた。ランチを一緒にとることになったものの、キャシーがいなくてすごくさびしい。学食に陣取った女の子たちは、数週間後にひかえている学期末のおそるべきイベント、プロムに、誰と行くかではしゃいでいる。けれどもわたしの悩みはもっと深い。

 ああ、学食に入って来るWJの姿が視界に飛び込む。いままではキャシーと三人で、笑いながらランチをとっていたのに。どうして、なんで? なんでこんなことになっちゃったわけ?

 なんとなく、WJがわたしに気づいた感じがする。でも、WJはサラダを取って、パンを取って、ひとりすみっこの席に腰をおろし、本をめくりはじめた。

「あなたはどうするの?」

 ふいに話がふられて

「え?」

「プロムよ。誰と行くの? まさか、さすがにWJじゃないわよね?」

 行けたら最高だよ。でも無理。それにたぶん、WJはそういうイベントに興味がないはずだ。

「……バイトでもするよ。シッターの」

 はあ? と女の子たちが口を開けた。わたしは席を立って、学食を出る。

 ……いかん。いけない。こんなことでは。でもどうすれば? またもやイライラして自分の髪をかきむしる。するとロッカー脇にたたずんでいたアーサーが、まるで潜入捜査でもしているみたいな仕草で、親指をたててわたしをうながす。近づくと、アーサーが歩き出す。わたしはまたもや着いて行く。校内を出て、外へ出る。曇り空が肌寒い。アーサーは駐輪場の近くまで来て立ち止まると、くるりと振り返った。

「……昨日のことを整理したい」

 わたしは片手を上げて

「賛成」

「まず、謝る。すまなかった。まさかオーナーが」

「おっと、ストップ。それ以上はいわないで。あれはさすがに予想外だったし」

 おれもだ、とアーサー。うん、そうだろうね。

「あれからどうなったの?」

 アーサーがいうには、パパとママがフェスラー家に呼ばれた芸人だとは、ばれていないらしかった。わたしがいなくなったので、パパとママが店内を捜しはじめていて、エレベーターに乗っちゃうわたしを唯一見かけたアーサーと合流した時、ローズさんが姿を見せたのだそうだ。

「いけすかないFBI女が、店を出たほうがいいといったから、まずはおれとミセス・ジェロームが、FBI女と一緒に荷物を持って裏口から出た。ミスター・ジェロームは店長に呼ばれて、もう少しステージをつなげてくれと要望されていたから、そのとおりにしていた。きみのことが心配だったはずなのに、最後まできちんと盛り上げていた。いきなりステージからいなくなれば、あやしまれる可能性があったからな。さすがだ」

 ああ、パパ! わたしは両手で顔をおおう。

「FBI女と一緒にいた男は、元FBIだったぞ」

「元FBI?」

「ああ。で、彼がきみを助けるために、エレベーターに乗り込もうとした時、パンサーだという声が外から聞こえて、状況を判断したようだ。しばらく店内にいて、その間にシナトラが到着して、ミスター・ジェロームと一緒に外へ出た。ミスター・カルロスの仲間がすぐに、車に乗せてくれて、合流したおれたちは店から離れた。店長がこっそり、ギャラをさらに上乗せしてくれたらしいぞ。きみに迷惑をかけた、とかの名目で。ちなみにきみは、彼ら夫婦の雇ったバイト、ということになっているから、まあ、ややこしいことはないだろう。ただし時間の問題だが」

 安堵したわたしは、ふうっと大きく、息を吐く。

「で? きみはパンサーに……?」

 わたしはうなずく。するとアーサーが

「身動きもとれなそうなほど、傷だらけだったはずなのに、今日はあっけらかんと登校しているぞ。おれには理解不能だ」

「アーサー、それは」

 ひとさし指を口元にあてると、アーサーは神妙にうなずいて

「わかってる。他言はしない。で? どうしてきみは彼と暮らすはめになったんだ?」

 ……ああ。

「ミスター・ヴィンセントがわたしを邪魔くさく思ってるかもって。たしかにわたしはうろうろしたし、あなたと海に落っこちたじゃない? ミスター・マエストロにやられて」

 たしかに、とアーサー。

「パパとママはしばらくエドモンドさんの部屋に居候するって。自宅に戻るのはおっかないし、だけどエドモンドさんの部屋は狭いってのもあって、わたしとパパとママは別々のほうがいいって、カルロスさんがいったの。ようすを見て、ほかの部屋を手配するってカルロスさんがいったら、そこまではしなくてもいいですってパパが遠慮したみたいで。ギャラの小切手はきちんと受け取ったみたいだから、しばらくは事務所の仕事を手伝うみたい。監視もつけるし、いろいろとそっちは大丈夫ってカルロスさんがいったんだけど……」

 いっきにしゃべったので、息がきれてきた。で? とアーサーに先をうながされ、

「……で、まあ」わたしはがっくりと肩を落とす。「ようするにわたしを、誰かが二十四時間、がっつり守らなくちゃいけない状況になっちゃったってこと。わたしはそこまでのことなの? って、ちょっと思ったんだけど。それにギャングが襲ってくるかどうかもわからないのに、無期限みたいにして、学校を休むわけにもいかないじゃない? あなただって今日、きちんと登校してるわけだし」

「いや、そこまでのことなんじゃないのか? きみはドン・ヴィンセントを怒らせて、たぶんオーナーも怒らせたんだ。いや、まあ。それについてはおれにも責任があるな。まさかきみを」

「い、いわなくていい。もういいから!」

 ふうっとため息をついて、アーサーは眼鏡を指で上げ、腕を組んだ。

「なるほど。その役目があいつというわけだな? 学校でも見張れるし?」

 もちろんふたりきりではない。WJは深夜、パンサーとなってあの部屋を出るし、その間わたしを守ってくれるのは、マルタンさんだ。だからマルタンさんとの奇妙きわまりない三人暮らしなわけだけれども。

 わけだけれども、マルタンさんにだって仕事はある。だからあの部屋にマルタンさんが戻って来ない間は、わたしとWJのふたりきりなのだ!

「で? なにをそんなにてんぱってるんだ?」

 これ以上はさすがになにもいえない。むむむと口を結んでいたら、

「きみは今日、キャサリン・ワイズのいる病院へ行くだろう?」

「もちろん」

 そして間違いなくWJもだ。でもちょっと気持ちが軽くなる。アーサーが一緒で助かる。そのあとのことは……もう考えないようにしよう。

 ランチ終了を告げるベルが鳴り、わたしとアーサーが校内へ入ろうとした時、なにげなく敷地内を振り返ってしまった。その時、木陰にたたずむWJを見つけてしまった。いつの間にいたのかわからないけれど、静かにこちらを見ていた。遠くて表情なんてわからない。でも、見つけた瞬間わたしの胸が、ぎゅうっと押しつぶされたみたいになって、苦しくなる。

 WJは木陰に隠れ、そのままもう、見えなくなった。

★ ​★​ ★

 

 ハンドルを握るマルタンさんが、大きなあくびをする。助手席に座っているWJは、静かに本を読んでいる。アーサーはまっすぐ病院へ向かうため、バスに乗ってしまったので、芸人協会行きのこの車には、いま、同居予定の三人だけが乗っていることになる。

「テレビが欲しいな」とマルタンさん。「あそこには娯楽になるものがなんにもない。家からゲームとテレビを運ぶよ。それから部屋をどうするか決めないとな」

「ぼくはリビングのソファでいいよ」とWJ。「そんなに眠らないし」

「じゃあ、デイビッド用の仮寝室はきみが使うかい?」

 バックミラー越しにマルタンさんと目が合った。

「あ。あああああ。ええと」

「きみが使いなよ。けっこう広くて快適だから」

 本から視線を動かさず、WJがいった。

「広いくせに部屋数が少ないからなあ、あそこは」

 やれやれ、とマルタンさんが苦笑した。

「おれとWJがリビングを使おう。客室もあるけど、あそこに引きこもっていたら、いざという時動きづらい。リビングと寝室は隣り合わせになっているから、きみが眠っている時、不審な気配がしても気づけるはずだ。どうだい?」

 わたしとWJはうなずいた。

 芸人協会のビルが見えてきて、マルタンさんが車を歩道に寄せる。わたしが降りると、WJも降りた。うしろを歩いているWJを意識しすぎて、自分の心臓が背中をつきやぶって、飛び出すんじゃないかと心配になってくる。

 でも、振り返ったらWJは、まだ本を読んでいた。そのままエレベーターを待つ。と、本に視線を落したまま、いきなりWJが

「ニコル。ぼく、なにかした?」

「え?」

 WJはまだ本を読んでいる。でもいっこうにページはめくられない。

「……もしかして」

 そこでことばが途切れる。昨日、実は起きていたことがばれていた、とか? 

「も、もしかして、なに?」

 するとWJは、ゆっくりを顔を上げて、極小サイズの瞳でわたしをとらえる。静かに笑みを浮かべると、軽く肩をすくめて

「やっぱり、気味悪くなった?」

 え。

「そうなんだろ? いいんだよいっても」

 いったいなにをいっているんだろう。

「気味悪い、って、なんで?」

「今朝からぼくを避けてるから。昨日は最悪な状況だったし、きみも普通じゃない精神状態だったと思うんだ。で、ひと晩たって、冷静にいろいろ振り返ってみて、怖くなったんじゃないかなと思って。ぼくのことがさ。そうだろ?」

 ……どうしよう、大変だ。

 エレベーターが開いた。おろおろしていると、先にWJが乗ってしまう。

「乗らないの?」

 よろめきながらわたしも乗る。エレベーターが上がる。その時、WJがさらりとつぶやいたのだ。

「やっぱり内緒にしておくべきだったね」

 ……最悪だ。

 誤解されてしまった。わたしの挙動不審な行動によって、WJは自分を責めている。自分でも意識しないうちに、わたしはWJを傷つけていたらしい。もう壁に頭を打ちつけて、失神したくなってきた。

「違う! それは全然違うよ。ほんとうに!」

 あなたが好きになっちゃって。なんて口が裂けてもいえない。

「……そうなの? ほんとうに? いいんだよ、ニコル。相手はぼくなんだから。嘘なんかつかなくてもいいんだよ」

 パンサーのマスクを取った、ワイルドでセクシーみたいな感じのあの姿が、いまこんなことをしゃべってるなんてまるきり信じられない。

「う。うううう」

 ことばにならなくてうなる。また髪をかきむしりたくなってきた。

「……ほ、ほんとうに違うよ」

 うつむく。ひどい自己嫌悪におちいった。WJが誰を好きでも、誰も好きにならないのだとしても、それはWJの罪じゃない。わたしが勝手に好きになって、思いどおりにならないからって、子どもみたいにWJを避けて、結局はすねていただけなのだ。

 悪くないのに、自分を責めるなんてどうかしてるよ、WJ。

「……ほんとうに違うんだよ」

 きちんと謝るべきだ。

「ほんとうにごめん」

 それからもっと、いわなくちゃいけないことがあるはず。

「きのうは……ありがとう。助けてくれて」

 そうそう。いい感じだ。それにあなたはモンスターなんかじゃない。スーパーヒーローなんだから。

「気味悪いとかいわないで。絶対にそんなことないから」

 今日はじめて、まともにWJを見た気がする。いつもどおりの姿で、ほうっと小さく息をついて、WJは微笑んだ。

「ほんとうに?」

 わたしは大きくうなずいて見せる。

「ほんとうに」

 むしろとってもクールだった。でもそれは、気持ちがバレそうでおっかないから、さすがにいえない。

「ごめんね。いろいろてんぱって、わけがわかんなくなっちゃってたみたい」

 まあ、嘘ではない。しゃべっているうちに、わたしの気持ちも落ち着いてきたみたいだ。良かった、なんとか友達カテゴリーナンバーワンとしての役目を、きっちりこなせそうな気分になってきた。

「気持ちはわかるよ。きみは無茶したし。でも大丈夫」

 エレベーターが開いた。

「ぼくがちゃんと、守るから」

 ……って、ああ、もう! 落ち着いてきたところだったのに、どうしてまたそういうことをさらっというわけ? 挙動不審に逆戻りしちゃうじゃない!

 ああ~、もう無理。完璧に無理。

「し、しばらく挙動不審かもしれないけど、そ、それはギャングがおっかないからだからね」

 WJはふっと笑って

「わかったよ」

 わたしはうなだれる。いい加減自覚しよう。どうやらかなり好きみたいだ。

「降りないの?」

 ドアに手をかけてWJがいった。

 降りますよ。でもできればこの片思いから、一刻も早く降りたい。

 

★​ ★​ ★

 パパとママはわたしの姿が戸口にあらわれたとたん、事務所から突進してきて、わたしに抱きついた。お金に目がくらんだことをママは謝り、パパはなんと、泣き出した。

「お、お、お、おまえが」

 だらだらと鼻水まで流す始末だ。

「ああ、パパ! 大丈夫よ、ほら、わたし生きているから!」

 ハンカチで顔をおおうパパをよそに、ママの視線がわたしから、あきらかにわたしの背後に移動している。本を抱えているWJが右手を差し出し、自己紹介をすると、

「あら。あなたがウィルナントカくんだったのね?」

 にこやかに、けれどもさらっと握手を交わし終えたママは、すぐにわたしに顔を近づけて

「……冴えない子ねえ。ママは絶対アーサーだわ」

 耳打ちする。失礼な! それに聞こえるからやめて! と、パパは顔を上げて

「パパは絶対パンサーだ」

 はあ? 一瞬、横に立っているWJが、びくっとしたような気がする。そんな気配に気づくわけもないパパは、わたしの肩に両手をのせて

「……アーサーも好青年だ。しかしいま、我がファミリーはパンサーとお近づきになったんだ。おまえがかの有名なパンサーと暮らすということは、わかっているとは思うが、もう、パパ公認なんだからな! これはチャンスだ。人生で二度とないチャンスといってもいいだろう。だからたとえ短期間でもいい、必ずハートをしとめるんだ!」

 保安官シリーズの保安官が部下にするみたいに、指でわたしの肩甲骨をつつくのはやめてほしい。

 WJが苦笑している、気がする……。耐えられない。

「だめよ、あなた! 家のお婿さんは絶対にアーサーだわ!」

「いいや、だめだ。アーサーもいいが、パンサーにはかなわないさ。パンサーだぞ? キャシディ家が身内になるんだぞ?」

 どっちでもいいし、どうでもいい。

 パパとママはどう見ても無事だ。いい争っているふたりからそうっと離れ、事務所で働いているエドモンドさんに手を振り、さっさと部屋を出た。

 エレベーターに乗った時、WJが笑いながら

「面白いご両親だね」

「……面白いっていうか、落ち着きがないっていうか」

 あれだけのことをやったというのに、たくましいというか。

 あきれてげんなりしていると、WJはのぞきこむように首を傾げて、ふふっと笑い

「アーサーとデイビッドがお婿さん候補?」

 わたしは絶句する。

「……うう。違う、違う、絶対にありえない!」

 いいじゃない、といわんばかりにWJは笑みを絶やさず

「今朝からアーサーと仲良しだったもんなあ。友達になったんだね。きみってほんと、面白いよ」

 さも楽しそうにいいきった。

 そうだね、わたしも面白いよ。あなたのその、まったくやきもちやかないみたいな素振りがね。

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