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SEASON1 ACT.16

 後部座席の男性はマルタンさんといった。C2Uの紺色のキャップに、グレーのパーカー姿。ちょっとふくよかな体つきで、くせ毛がキャップからはみ出している。愛嬌のある顔つきは、写真で見たことのある若い頃のパパにちょっと似ている。WJの家に電話した時、出たのは彼だと教えられた。

 マルタンさんは地図を広げ、無線機片手に誰かとしゃべっていた。相手はカルロスさんか、仲間だろう。

「そうだ。パンサーがナンバー4の発信器をつけてる。そいつを追いかけるんだ。え、ローズ? ローズ・ウッドライトのことか?」

 そこで彼が身を乗り出す。

「きみ、店でローズを見た?」

「あ。見てないんです」

 マルタンさんはふたたび誰かとやりとりしはじめる。内容から察するに、パパとママとアーサーは、まだあの店の中にいるみたいだ。やっぱりわたしを捜しているんだ。

 いろんなことがありすぎて、冷静になれなかったけれども、やっと自分の身に起きたことが現実感をともなってわたしをおそう。ほんとうにパンサーが、WJが見つけてくれなかったら、わたしは死んでいたんだ。寒くもないのに震えがきて、身体中がざわつく。

「大丈夫?」

 特殊メイクでジェームズ・ボンドになりきっているデイビッドが、運転しながら訊く。

「……わ、わたしは大丈夫、だけど、パパとママとアーサーがまだあそこにいるんだよね?」

「心配しなくてもローズが暴れてるさ。そのために行かせたんだから」

 知らなかった。

「そうなの? アーサーは休暇のお遊びでって」

「まあそれも半分だろうけど。でも彼女は仕事に取り憑かれてる。それにどうせ同業者と一緒だよ、恋人の」

 安心できないけど、ほうっと息を吐いてしまった。

 マルタンさんは無線を切って

「デイビッド。ここでいい。おれは降りるよ」

「それで?」

 デイビッドが歩道脇に車を停めると、マルタンさんは地図を折りたたみ、無線機を脇にはさむとドアを開けた。

「パンサーはカルロスのチームが追ってる。どうやら店には、まだローズがいて、レイのチームも外で待機してるらしい。ここからC2Uは近いから、おれはC2Uに向かうアリスのチームと合流する。きみらは会合用マンションに戻って、絶対に一歩もそこから動かないでくれ、だそうだ。そっちにはカルロスが雇ったSPがいるそうだから。いいね? おれはちゃんと伝えたぞ」

 降りてしまった。

 そうか、きっとC2Uには、カルロスさんがいっていた、例の宝物とかいうものがあるのだ。ああ、どちらにしても、とんでもないことになってきた。

「……すごい無茶しちゃったってことだよね、わたし、とか」

「だけどじっとしてられなかったんだろ? おれもだけど。まあ悪いけど、おれはけっこう楽しんでる」

 そうでしょうね。横顔がちょっと楽しげだもの。と、デイビッドがちらりと横目でわたしを見た。けれどもすぐに視線をそらす。

「……な、なに?」

「……べつに。というか、まあ。ちょっとうらやましいなと思ってね」

「うらやましいって、わたしが?」

 デイビッドがくすっと笑った。

「違うよ。キャサリン・ワイズやWJだ」

「どうして?」

 ほんの少し目を細めて、デイビッドは前方を見ながら

「ヤバい状況になった時、なにかしなくちゃって思ってくれる友達がいるってこと」

 一瞬、さみしげな眼差しになる。へんなの。デイビッドの周りにはいつも人だかりができていて、女の子たちは列をつくる勢いでくっついているし、男の子たちにだって人気があるのに。それに、そばにはいつも、カルロスさんやスーザンさんがいるわけで、ひとりぼっちなんて状況になったことなどないはずなのだ。

「あなたにだっているでしょ? それにWJとも仲良しなんだし?」

「WJとは仲良しさ。けんかだってしたことない。でも、うまくいえないけど、妙な上下関係っぽい雰囲気を感じる時があるんだよ。おれやカルロスのいうことを、なにもいわずに受け止めてる感じ。おれはなんでもいってほしいと思ってるんだけどさ」 

 またちらりと、わたしを見る。なにしろ特殊メイクをしてるから、大人の男性がわたしに甘えようとしているような、そんな違和感があって妙な感じになる。

「……ほかには? たとえばええっと、アメフトのキャプテン? 名前は忘れちゃったけど、上級生の」

「ミス・ジェローラ。おれに友達がいたことなんてないんだよ」

 え。

 デイビッドはまた視線を前に向ける。ハンドルを握りながら

「カーデナルに入る前は、イギリスの寄宿舎にいたんだ。金持ちの男ばっかりっていうような。まあ楽しかったけど、みんな裏では自分の背後にある資産がいくらか、値踏みしあってる感じもあったね。おかげで愛想ふりまいて、世渡り上手になる技を身につけたけどそれだけ。カーデナルのほうが気楽で、おれには合ってる。でもこんどは、みんなおれを理想化する。強くてかっこ良くて、なんでもできてお金持ち。だろ? こっちはあくびだってするしトイレにだって行く。間抜けなこともするし、ただの人間だ」

 それは半分パンサーだからだ。そうか、ある意味ではWJのほうが、普段の生活は気楽なのかもしれない。誰もWJを気にしないし、注目もしない。

「……でも、キャシーに断られまくってるかもしれないけど、デートしてる女の子はほかにいるじゃない? 彼女達はきっと、あなたのことすっごく好きで、大事に思ってると思うよ。まあ、わたしは苦手だけど、おっぱい見えそうなジェニファーとか」

 デイビッドが吹き出す。

「おっぱいって」

「うう、あれってセクシーってことなの? 男の子たちはみんなジェニファーが好きみたいだけど、キャシーにいじわるなことをいうからわたしはダメ」

 ほら、とデイビッドが、わたしに顔を向けた。ううん、ほんとうに奇妙な感じだ。まるで親戚のおじさんとしゃべってるみたい。いや、こんなに渋くてかっこいいおじさんはいないんだけど。

「ほらって?」

「そういうことだよ。そういう友達。おれはすごい憧れるね」

「デートしてる女の子ともっと仲良くなってみたらいいんじゃない? ジェニファーはおすすめしないけど」

 顔をそむけたデイビッドは、自嘲気味に口角を上げると

「無理だね。あっちはいかにおれとキスするか、セクシーな雰囲気にもっていくかで頭がいっぱいみたいだし」

「でもデートしてるじゃない? へんなの、デイビッド。それ矛盾してるよ」

「さびしいからだよ」

 さらりと、デイビッドがいった。びっくりしたわたしは、ばかみたいに口を開けて渋い男性を見つめてしまう。すると、ふっとデイビッドが、前を向いたまま笑みを浮かべた。

「びっくり。こんなことしゃべったのははじめてだ」

「……わたしもびっくり。あなたがさびしいだなんて、全然思ったことないもの」

 くすりと小さくデイビッドが笑う。

「きみとしゃべるのは面白いな。こんな会話、したことないよ」

「デートでしてみたらいいのに」

「いっただろ。彼女たちの頭の中にあるのは」

 意味深な、ちょっと色気を含んだ流し目をわたしに向けて、

「パンサーといかに寝るか」

 う。

「……そ、そういったことについての相談は受け付けられないわ。悪いけど。でも、それはあなたの誤解かも。そういうふうに思い込んじゃってる、とか?」

 いや、恋愛経験ゼロのわたしには、これ以上はなんのアドバイスもできない。というよりも、そもそもアドバイスにもなっていないし、のん気にこんな会話をしてる場合でもないはずだ。

「……さっきはノリみたいな感じでいったけど」

 急に声のトーンが下がった。デイビッドが真顔になる。その横顔の眼差しが、ちょっと険しげだ。

「きみには好きな人がいるの?」

 人生ではじめて訊かれた。

「え?」

「悪いけど、ほんとうにいままでおれの視界に、きみは全然入ってこなかったんだよ。だけどいったん入っちゃったら、強烈すぎて離れない。きみがなにをしてるのか、どこにいるのか、目で追ってしまう感じになってきた、ちょっとヤバそうだ。こんな経験したことないからね」

「ええ? だって、キャシーは? そういう感じだったじゃない?」

「ちょっと違うな。たしかに彼女はすっごくきれいだし、かわいいし、デートできたらって思ってたけど。でもおれのデートの誘いを断るから、半分意地になってた感じもあるよ。なにしろアーサー・フランクルが相手だったしね。おれのほうが先だ、みたいなさ。それにデートしたとしても、こんな会話はできない気もする。きみに感じる気持ちとは、ちょっと違うな」

 それは大変だ。わたしもこんな経験はしたことない。こんなふうに、男の子にわたしの男の子関係を気にされる、ということは!

「お、お、落ち着いて~。デイビッド、それはきっと」

 きっと、なんだろう? ああ、そうだ。

「わたしに秘密にしてることがもうないから、気楽なんだよ。パンサーのこととか知っているから。それでなんでもしゃべれる。でしょ? なんでもしゃべれるっていうのは、きっと好きとか、そういうのじゃないと思うな……。わからないけど……」

 で、うつむいた。それで、WJのことが過ってしまった。ぎゅうっとわたしを抱きしめて、空を飛ぶパンサーは、わたしがキーホルダーだったらいいなとかいうし、髪型が似合っているとかさらっというけれど、本当に好きなキャシーには、挨拶も満足にできないのだ。

「誰?」

 いきなりデイビッドが訊く。

「え? 誰って?」

「いま、ちょっとしょんぼりしただろ。誰かのことを考えたね? 誰?」

 恋愛経験豊富な人はおそろしい。さすがとしかいいようがない。

「……まあ。わたしの完璧な片思いだから」

「完璧ってどうして?」

「あなたもいったじゃない? 視界に入らなかったって。わたしは気楽になんでもしゃべれる、友達カテゴリーナンバーワンなのよ。昔からずっとそうだから慣れたけど。まあ、慣れちゃったって事実がかなしくもあるけれど」

「……ちょっと待て。うそだろ?」とデイビッド。

「うそってなにが?」

「きみはいままで、誰ともつきあったことがないってこと?」

 あらためて訊かれるととてもかなしい。かなしすぎて苦笑してしまった。

「……べつにいいでしょ? だからなに?」

 デイビッドが嬉しそうに笑う。というかにやけている。

「なによ!」

 信号で車が停まる。交差点を右に曲がった前方に、デイビッドの会合用マンションが見えている。

 ジェームズ・ボンドはわたしに顔を向けると、

「それって、もしもおれとつきあったら、おれがはじめてってことだろ?」

 げ。

「は、は、はじめてってなにが?」

「全部だよ。一緒にご飯を食べたり。映画を見たり……」

 両手で耳をおさえたほうがいいかも!

「ス、ス、ストップ! そうだけど。そうなるけど、だめだめ。わたしはWJが」

 あ。

 デイビッドの顔つきが、いっきに変わった。メイク越しなのでなんともいえないけれども、あきらかに渋さが増した、ような気がする。

「……ふうん。ああ、そう。……なるほどね」

 どうして目をそんなに細めるの。おっと、信号が変わった。わたしがそういって指をさした時、デイビッドはものすごく低い声で

「彼は無理だ。あきらめたほうがいい」

「え? どうして」

「たしかにいいやつだよ。微妙な雰囲気になることもあるけど、おれだって好きだよ、だけど……」

「だけど、なに?」

「WJは誰も好きにならない。そう決めてるんだよ」

「……え?」

 後ろの車が、早く出ろとクラクションを鳴らしている。デイビッドはハンドルを握り、スピードを上げる。

「彼は普通じゃない。それはWJ自信が一番わかってるんだ。だからなるべく、いろんなものをおさえて、目立たないように振る舞ってる。きみはただの友達だと思っていたから、こんなこというつもりはなかったけど、きみが彼を好きなら、おれには止める権利があるね」

 デイビッドがいおうとしていることが、想像もつかなくて、息苦しさを感じるほど胸の鼓動が大きくなっていく。

 信号を曲がった車が、デイビッドの二件目のマンションの前に停まった。ドアマンが近づいて来る。呆然としたままジェームズ・ボンドを見つめているわたしに向かって、デイビッドが静かにいった。

「パンサーになった時が、ほんとうのWJだ。だけどそうなったWJは、普段おさえているものを全部発散する。最高に気持ちがいいらしい。だけど同時に、震えてもいる。自分のことをモンスターだと思ってる。自分のせいで、そばにいる誰かが傷つくことをすごく恐れてる。だから誰も好きにならないって、決めてるんだ。いや、決めてるわけじゃないな……」

 ことばをにごして、デイビッドが黙った。そのまま車を降りるから、わたしもあわてて車を降りて、

「き、決めてるわけじゃないって、なんなの? いってよ」

 スーツのすそを引っ張ると、デイビッドがため息まじりに

「しみついてるんだよ、そういう感情が身体中にさ。だからあきらめたほうがいい。絶対にかなわないし、そんな相手を好きだなんて、時間の無駄だし、不毛すぎる。そうだろ?」

 いった。

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