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SEASON1 ACT.15

 どこかわからないビルの屋上に降り立ったパンサーは、ゆっくりとわたしを立たせて、
「どうなっちゃってるんだ、これは」
 両膝に手をつけ、前屈みになった恰好で、わたしを見上げた。
 わたしはなにもいえなくなる。胸がつまって、ぎこちなさを感じて、涙をぬぐいながら少しうつむく。
「だ、大丈夫なの? だって、あなたは」
 ああ、とWJ。
「そうか、ぼくの正体はもうばれちゃったわけだね。たっぷり眠ったから平気。大丈夫だよ」
 全然、そういって、背筋を伸ばすとこんどはわたしを、のぞきこむように見下ろす。
「コ、コスチュームは? だってぼろぼろで」
「スペアがたんまりあるんだ。ぼくの家にもデイビッドの家にもね」
「あ。デイビッドは?」
「目覚めたらスーザンしかいなかったよ。しかも眠りこけてた」
 よく知ってる口元に笑みが浮かぶ。背が高いのはわかっていたけれど、こんなに引き締まった身体をしてたなんて。それに、なんて大きな手のひらだろう。
「わたし。あなたのことずっとデイビッドだと思ってたのに」
「それでいいんだよ。ぼくがうまく化けてたってことだから」
「あ。あの時だって。家に来てくれた時だって、わたしはてっきりデイビッドだと思ったのに。だってわたしのことミス・ジェローラとかいうし。なにもかもそっくりだったから」
 パンサーがくすくすと笑う。
「ぼくはちょっと面白かったな。きみはぽかんとして、すっかり信じてるみたいだったし。まあ、あの時はちょっと悪ノリもあったかも」
 たくさんしゃべりたいことがあるのに、なにから話したらいいのかわからなくなってしまう。
 本当にWJなのだろうか。いっつも寝癖で、キャシーに会うと耳まで真っ赤にする、あのシャイな男の子だとは全然思えない。
「ほ、ほんとに平気? ドクターは、一週間は安静にっていってたのに」
「平気だよ。ぼくは化け物だからね」
 え。
 パンサーの口元から笑みが消えた。ものすごく冷たい、自嘲的な含みのあるいいかただ。
「……化け物って」
「でも事実なんだよ、ニコル」
 今度は笑う。でも口角の上がった口元しかわからない。
「ぼくのことなんかどうでもいいよ。それよりもどうしてきみは、あんなところにいたの?」
「キャシーの居所をつきとめようと思って」
「それで無茶をしたわけ?」
 わたしはうなずく。パンサーはあきれたようなため息をつくと、わたしの頭に軽く手をおいて、小さな子どもをあやすみたいに撫でる。
「きみはほんとに、とんでもない女の子だね。いっただろ。自分のこと心配しなよって。なんかもう、きみがちっちゃなキーホルダーとかだったら良かったのにって思うよ」
「……なにそれ」
 パンサーは肩をすくめて
「そうしたらポケットに入れておけるだろ。で、無茶したくて暴れても、ぼくのポケットの中。ね?」
 WJは間違ってる。そんなことを、さらりという相手は、好きな女の子だけにしておいたほうがいいってことを、知らないのだ。
 わたしが意識しなくてもすむ相手だから、友達だから、きっとそんなことを「そこのソース取ってくれる?」みたいな気軽な口調でいってしまうのだ。
「髪切ったんだね。似合ってるよ、悪くない」 
 だけどどうしよう。わたしの心臓は暴れまくり。口から飛び出そうなほど、意識しまくりはじめてる。どうしようもなくなって、両手で顔をおおったわたしは
「キャシーを助けに行かなくちゃ」
 わたしの髪から手を離したWJは
「うん。居所は知ってる。デイビッドやカルロスに伝えようと思ったら誰もいなくて。もしかしてきみのその、無茶したことに彼らも加担してる?」
 手で顔をおおったままうなずく。
「わたしには発信器がつけられてるの」
 WJがぴゅうっと口笛を吹いた。
「そうか、その手があったんだ。クールなアイデアだね。誰のアイデア?」
「わたしと。それからアーサーよ」
「アーサー? アーサー・フランンクル?」
 ふたたびうなずく。
「あんなに気に食わないっていってたのに、友達になったわけ?」
「友達というか。いろいろ助けてくれたの。それで、警察に知らせるのはやばいかもみたいになって、できることはしようって、それで」
 指のすき間からそうっとのぞくと、すぐ間近にパンサーの顔があった。険しげな口元が見えて
「も、もしかして、ちょっと怒ってる?」
 まあ、やきもちではないのは間違いない。ぐっとわたしの両手をつかんだパンサーは、わたしに顔を近づけて、
「あきれてるだけ。相手はギャングなのに、無茶すぎだよ。でも、気持ちはわかるからなにもいえない。ぼくも眠りこけてたし。そうか、あの時デイビッドの家にきみもいたね。うっすらとは覚えてるんだ。きみの発信器はどこ?」
 しゃべりながら手を離す。わたしはなるべく、パンサーを直視しないよう気をつけて、ジャケットのボタンをはずし、内ポケットを指す。
「なるほどね。ねえ、こいつをぼくにくれる?」
「え?」
 ああ、見ちゃった。わたしの胸元をのぞいて、指先で内ポケットをまさぐるパンサーの息づかいが、すぐそばにあって、酸欠になりそうだ。
 ばかみたいだ。なんの意識もしない友達だったのに。
 サイコロ型の発信器の、小さな赤いライトが点滅している。
「きみがここにいるってことは、もう誰かが知っているよね。ということはお迎えが来るはずだ。それはカルロスの部下とかだろう?」
「たぶん、そうだと思う」
「じゃあ、お迎えが来てきみの無事を確認したら、ぼくはキャシーを助けに行くよ。きみは彼らに、ぼくを追うように伝えてもらえる? ああ、いっておくけど、それ以外は絶対になにもしないでよ。もしもなにかしたら、さみしいけれど絶交だ」
 え!
「そ、そんなあ~!」
 さすがにそれはいやかも! パンサーが吹き出す。
「そのくらいの罰がないと、絶対きみはまたうろうろする。わかってると思うけど、きみは一度死んでるんだよ、そうだろ? いろいろいいたいことはあるけど、それはあとでってことにしておく。時間がないからね」
 いまさら足が震えてきた。
「それからカルロスに伝えて。C2Uにあるって。それだけいえばわかるから」
 C2Uとは、クレセント・シティ大学の略。パンサーは取りはずした発信器を握ると、ベルトに固定し、
「ミスター・マエストロが邪魔をしてくるんだ。まさかギャングに加担してるとは思わなかったよ」
「知ってる」
 あ、いっちゃった。
「知ってる? どうして? ああ、いや、あとでたっぷり聞くことにしておくよ。いまぼくの心臓がショックで破裂したらたまらないから」
 パパやママも、わたしの心配をしてくれる。だけど男の子でわたしのことを心配してくれるのは、WJだけだ。意識するなというほうが無理。気づいてしまったらもう、叶いそうもない一方通行の片思いに、どっぷりつかるはめになる。で、もうなっちゃってるわけだ。
 屋上の柵の上に飛んで、通りを見下ろすパンサーが
「あの車っぽいな。お迎えが来たみたいだ」
 柵から飛び降り、わたしに近づく。有無をいわさず抱きかかえられたわたしは、なぜか無性にかなしくなる。
「どうして、わたしにはその……。あなただっていってもいいって、デイビッドにいったの? ……友達、だから?」
「……そうだよ」
 わたしをおっことさないよう、パンサーはしっかりと強く、わたしを抱える。だけどなんだか、ぬいぐるみでも抱えてるみたいな雰囲気だ。
 わたしがキャシーなら、もっと躊躇するのかもしれない。いや、わからない。もっと優しく、お気に入りのブランケットみたいな感触で、抱きしめるのかも。
「キャシーは。キャシーのことは、好き、だから? だから、いっちゃだめって……そのお……」
「……さあ。よくわからないな。でも、そうだね。きみには伝えてもいいような気がしたんだ。ある意味、ぼくは普通じゃないから。それでも友達でいてくれるって、そう思ったからかも。いや、わからないな、やっぱり」
 パンサーの背中に腕を回す。大きな背中を意識して、手のやり場に困る。
 ちぇ。わたしがキャシーみたいに、もっとかわいかったら良かったのになあ。
「わたし、ギャングに男の子と間違えられたんだよ。髪のせいで」
「似合ってるのに」
 わたしの頭を、ぐっと抱えてパンサーがいう。
「ちゃんと女の子だよ、大丈夫」
 でも、彼にとってわたしは友達なのだ。だから意識もせずに、そんなことがいえるんだ。
 わかってるんだよ、WJ。だってずっと仲良しだったんだもの。だからあなたのことはわかってる。好きな女の子には不器用で、なんとも思ってないわたしにはなんでも素直にいえるってことを。
 キャシーとうまくいかなくても、いつかまた、WJにはほかに好きな女の子があらわれちゃうんだろう。でもそれはわたしじゃない。意識しなくてすむ友達カテゴリーナンバーワンの、わたしじゃないことも、わかってる。
 わかってるから、かなしいんだよ。気持ちに気づいちゃった自分が、すごくかなしいだけなのだ。
「しっかりつかまって」 
 そしてパンサーは飛ぶ。重力に反して。

★ ★ ★

 地上に降り立った先に、白い車が停まっている。助手席から降りて来たのは、見知らぬ男性だ。短い白髪まじりの髪に、無精髭、まるで映画の007の主人公、ジェームズ・ボンドみたいなすっごく渋い、黒いスーツ姿の男性だ。
 だけど、こんな人がカルロスさんの部下、なの?
 わたしから身体を離したパンサーは、なぜかにやりと笑って
「やっぱりね」
 なにが?
「すごい。きみにはばれた」
 ボトムのポケットに両手を入れた男性が笑う。
「目覚めたらスーザンしかいなかったんだよ」とパンサー。
「おれにじっとしてろっていうわけ? ありえないね」
 ちょっと待って。もしかしてこの渋い男性は。
「デイビッド?」
「本日二度目の特殊メイクだ。一度やってみたかったんだよ、これ。マンションを出る時の女性達の顔といったら。まあ、いつも見てる表情だったけど。でも違うんだ、ジャンルの違う女性たちが目の色を変えるんだ」
「ジャンルが違うって、どういう?」
 わたしが訊くと、デイビッドは自慢げに
「……まあ、年齢層が上ってことだよ」
 ああ、なるほど。
「で? よくわからないけど、きみにくっつけた発信器が、いきなりすっごいいきおいで移動しはじめたって、ミスター・スネイクの絶叫が無線機から流れたのは、パンサーのせい?」
「……ああ、まあ。いろいろあって、けっきょく失敗しちゃったの」
「これからぼくはキャシーを助けに行くよ。ミスター・マエストロの技は全部受け止めたから、今度は大丈夫。彼女の発信器をつけているから、ぼくの居所はわかるだろ? てことを、カルロスに連絡してもらいたいんだ」
 ジェームズ・ボンドみたいなデイビッドがうなずいた。
「ああ、それから、彼女を絶対、もうどこへも行かせないように囲っておいて」
 わたしの腕を引っ張って、パンサーがいう。手を離し、時間がないとつぶやいてから上を見上げて、あっという間に飛び去った。それを見上げたままデイビッドが
「……で?」
「でって?」
「アーサー・フランクルと、きみのご両親は?」
 あ。そうだった。
「大変……。大変! まだきっとあのレストランの中だわ! それでわたしを捜してるかも!」
「捜してるって、なにがあってこうなったのか説明してもらえると助かるね」
 というわけで、わたしはかいつまんで説明する。あっけにとられたデイビッドは
「……すごすぎる」
「そうでしょう? そうなの。わたし、一度死んじゃったのよ!」
 いや、それもあるけどそうじゃない、とデイビッド。え?
「え? なにが?」 
「オーナーの趣味だよ」
 あ、そっちね……って、それってどういうこと?
「ねえ。それって、わたしに目をつけた、っていう、そういうこと?」
 デイビッドは渋い笑顔で
「もちろん」
 いつかデコピンしてやる。
 でもまあね。そういう女の子なわけなのだ、わたしは。あらためて思い知らされると、もうそんな場合じゃないのに、本当に落ち込んできた。夜空を見上げても、パンサーの姿はもうどこにもない。気持ちに気づいちゃった相手には好きな女の子がいて、わたしはギャングの次男坊に男の子と間違われて気に入られて、あげくの果てに殺されるところだったなんて。いや、パンサーが助けてくれなかったら、確実に死んでいたのだ。こんなの、女の子として最悪すぎる。
「……わたしって、もしかしたら特殊な趣味の人にしか、好まれない感じなのかも」
 悪党次男坊にされたことが、いまさらまざまざとよみがえってきてトラウマになりそうだ。すると、うなだれるわたしをじいっと見下ろすジェームズ・ボンドが
「……なるほど。じゃあおれもそのジャンルかも」
 え?
「……え?」
 わたしの空耳かも。いぶかしむ目でジェームズ・ボンドを見上げれば、メイクの奥にいるデイビッドがいった。
「きみに怒鳴られてから、どうにも気になってしかたがなくなった。思い返せばピエロの恰好だし、そんな女の子をおれは知らない。まあ、滑稽といえば滑稽だし、きみは美人じゃないしかわいくもないけど、なんだろうな。とにかく、なんか、面白い。うん、キュートだ」
 ……ああ、やれやれ。デイビッドの勘違いだ。
 わたしは彼の肩をたたいて
「ほめられてる気がしないから、それはきっとあなたの勘違いだよ。早くカルロスさんに連絡しなくちゃ」
 助手席のドアに手をかける。おっと、後部座席にもうひとり、キャップをかぶったカジュアルな恰好の男性が乗っていて、にこっと笑った。そうそう、カルロスさんの部下って、こういう感じの人という気がしていたのだ。けっしてジェームズ・ボンドタイプではない。すると、背後でものすごく深いため息が聞こえた。
「……どうなってるのか説明してもらいたいね。きみといいキャサリン・ワイズといい、どうしておれを困らせるんだ? おかしい、ものすごく奇妙だ。奇妙すぎてムカついてきたな」
 ゆっくりと振り返ると、片眉を上げたジェームズ・ボンドがわたしをにらんでいた。そんな場合ではない。ややこしいことになってきちゃった。なんとかこの場をおさめなければ、おかしなことに突き進んでしまいそうな展開になってきてる! ああああ、もう!
「……わーかってる。あなたは女の子にモテモテで、この世界には自分を好きにならない女の子なんていないって思ってるのもわかってる。あなたはすっごくハンサムだし、お金持ちだし、パンサーじゃないけどパンサーで、ともかく、まあ、性格だって悪くない……って、わたしはよく知らないけど。でも冷静に考えたらほら、わかるよね? いろんな好みとか価値観みたいなものがあって、それがまあ、わたしとかキャシーのツボにはいらないってこと」
「ツボ?」
「……まあ、比喩よ、比喩。ツボは……あなた」
「……おれが、きみたちにはまんない、ってことかなそれ?」
「まあ、そういうこと、かな?」
「なぜ?」
 なぜ? どうしよう、こういう会話、どこかでわたしは経験しているはず……って、ああ、思い出した。イベント先にいる、駄々をこねる子どもだ! 
「ああ! ああ、早くカルロスさんに連絡して? あとでたっぷりそれについて語ればいいじゃない? というか」
 どうしてわたし?
「わたしの名前も覚えないくせに」
「ジェローラだろ?」
「……まあ、そういうことにしておくわ。って、キャシーはどうするの? というか、助けなくちゃ!」
「たしかに急がなくちゃね。でもおれが納得してからにしてもらえるかな、それ」
 教訓その4。デイビッドはものすごくわがままで面倒くさい。なんて観察している場合でもない。もう、どうしてそうなるの?
「最善を尽くすんでしょ?」
「尽くしてるさ。豪邸が手に入るほどの金をバラまいてね。まあ痛くもないけど」
 頭がかゆくなってきちゃった。わしわしと髪をかきむしってから、てんぱったわたしはデイビッドを指して
「もう! なんでもいいから、いますぐ、カルロスさんに連絡して、パンサーを追うように伝えるの!」
 怒鳴ってしまった。なんだかわたしを叱る時の、ママの気持ちがわかったような気がする。はあはあと息を吐くと、ジェームズ・ボンドの瞳が楽しげに輝く。まるでアーサーを気に入った時の、パパみたいに。
 え?
「オーケイ、ミス・ジェローラ。おれは決めたよ」
 なにがオーケイなの? そしてデイビッドはいった。
「キャサリン・ワイズはアーサー・フランクルにまかせよう。で、きみは」
 ものすごくいやな予感。
「おれの恋人」
 絶対にいやです。

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