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SEASON1 ACT.13

 ZENは、二十五階建ての真新しいビルの一階だ。通りには着飾った男女が群がっていて、談笑している姿が、タクシーの車窓越しに見える。表通りでタクシーを停めたパパは、クラシックハットをかぶっていったん降り、タキシード姿の店員と思われる人物に近づく。どこから入ったらいいのか、指示をもらっているようだ。
 夜の十時だというのに、街はネオンや車のライト、街灯でかなり明るい。窓越しに見上げた夜空に星はない。満月と、地上から放たれる光のせいで姿を隠しているらしい。
「裏口だ」
 戻って来たパパがいった。というわけで、ビルとビルの間の路地裏の前でタクシーを降り、道具のつまった箱を運び出して裏口へ回る。かすかにランドール・シスターズのヒット曲がビルからもれて聴こえた。アップテンポのディスコソングだ。どうやらレストラン内のテンションは最高潮、歓声も聞こえる。
 裏口の前にも正装した男性が立っている。前を歩くパパがエンターティナーだと身元を明かせば、彼は無言でわたしたちを見回した。間をおいてから笑みを浮かべてうなずき、裏口を開けてくれる。ドアの向こうは、厨房だ。
「おどろいた。すんなり通してくれたぞ」とパパ。
「着飾っているからよ。やっぱり見た目って大事なのかしら」とママ。
 荷物を運ぶわたしとアーサーは、厨房の中を動き回る人の邪魔にならないよう、壁際を歩く。それにしても。
「アーサー。あなた、オーナーの顔を知ってるの?」
「新聞にたまに出ているぞ。きみは知らないのか?」
「ゴシップ記事コーナー?」
 アーサーににらまれた。だったら知らない。
 厨房の前方は、竹が格子状に組まれてあり、すき間がガラス張りになっている。そこからレストラン内が丸見えだ。テーブルについて食事を楽しんでいる人もいるし、ドリンクを片手に、奥の方へ身体を向けている人もいる。その奥ではいままさに、ゴールドディスク・アーティストが歌っているわけだ。本当はサインが欲しいところだけれど、そんな場合ではないので我慢する。
 厨房のドアの向こうはレストランだけれど、もうひとつすみの壁際にドアがある。パパはそちらのドアを押した。無機質な廊下には、真っ赤な布が天井からつり下げられてあり、即席の控え室といった雰囲気だ。と、レストランまで伸びる廊下の両面扉が押され、小柄なアジア人男性が歩いて来た。わたしたちをみとめると、パチンと指をならして
「待ってましたよ。芸人協会の?」と彼。どうやら店長らしい。
「すみません、ちょっとしたハプニングがありましてね」とパパ。
「聞きました。どのみちあなたがたは息抜きタイムですから、てきとうにやっちゃってください。ああ、ここを控え室にして。ドアの向こうがレストランで、スタッフが指示しますからそのとおりに動いてくれればいいです。廊下の奥はランドール・シスターズの衣装ラックがあるので近づかないでください。サインを求めるとかそういったこともなしでお願いしますよ。それからギャラは協会から小切手をもらってください」
 ふたたびドアが押される。大柄な中年男性が姿をあらわすと、店長は背を向けて彼に近寄る。
「あれがオーナー?」とわたし。
「マネージャーだろう、シスターズの」とパパ。
 床に箱を置いて開ける。ジャグリング用のボール、花になっちゃう仕込み済みのハンカチ、ずらずらと国旗が出てくる帽子だとかステッキなんかが入っている。だけどその奥にある意味深な道具にわたしの視線は釘付けだ。
 小型ナイフに目隠し用のスカーフって、これ、なんに使うわけ?
「大変、あなた、リンゴがないわよ」とママ。パパは厨房へ行ってしまう。店長とマネージャーが廊下からいなくなったのを見計らい、アーサーもさっさとレストランへ向かってしまった。残されたわたしはママに
「……ママ。まさかアレをやる気?」
「そう。アレをやるわけ」
 なるほど、アレとはつまり、目隠しをしたパパが、ママの頭にのるリンゴにナイフを投げ飛ばす、というやつ。わたしが見ていられない芸のベストワンのことだ。
「えええ?」
「あなたは知らないかもしれないけれど、けっこうやってるのよ。大丈夫」
 知らなかった。
 リンゴを放りながら、パパがのんきに戻って来る。
「だ、大丈夫なの?」
「平気だ、安心しろニコル」
 全然安心できない。

★ ​​★ ★

 レストランのステージは狭い。もともとレストランなので、天井から照らされるライトの灯りも暗めで、ママの手元がきちんと見えているのか心配だ。おまけにアーサーがどこにいるのかわからないし、こちらを見ている招待客の顔もおぼろげだ。中には有名人が混じっているはずで、ローズさんもいるはずなのだけれども、てんぱりまくっているわたしは彼らを見つける余裕すらなくなってきた。
 スタッフに指示されて、ランドール・シスターズと入れ違いに、ステージに立ったわけだけれど、道具を抱えるわたしの両手は震えまくり。ママとすみっこで待機している間、パパがスタンドマイクの前に立って、軽くジョークを飛ばす。ジャケットのポケットに押し込んだボールでジャグリングをはじめ、しゃべり続ける。なかなかウケる。オーナーって誰? アーサーはどこ? この中にもギャングがいるんだよね? ランドール・シスターズのミシェルの香水ってすっごくいい香り。パパとママのアレって本当に大丈夫なわけ? そんなことがぐっちゃになって、ぐるぐると脳裏をかけめぐっていった時、パパがママの名前を呼んでしまった。拍手が起きて、ママが堂々とステージ中央に立つ。店のスタッフが気をきかせてくれたらしく、アップテンポの曲がテープで流される。意外にも盛り上がってきてしまった。いまや店内の客が全員こちらを見ている。この中にオーナーはいて、アーサーに目をつけちゃうの? 
 ママのマジックがはじまる。かわりにパパがすみにはけて、アレの準備をはじめてしまった。わたしの抱えるステッキをつかんだママは、それを花に変えたり、スカーフに変えたりする。めまぐるしく進むマジックに、拍手が起きる。おっとまずい。例の帽子を持ってくるのを忘れてしまった!
 ステージ中央で凍るママ。わたしはおろおろして、ステージを駆け回る。笑いが起きて、これも見せ場の一種みたいな雰囲気になる。ほうらいったでしょ、ディズニー・アニメのなんかのキャラクターみたいになっちゃうって!
 あわてるわたし、あわてるパパ、ステージ端のスピーカーに足をぶっつけ、よろけるわたし。ママが肩をすくめると、どっと笑いが起きた。帽子はスピーカーのうしろに放置されていた。よろよろとそれを突き出せば、ママはすうっとハンカチで帽子をおおい、中からほろほろと造花が床に落ちる。最後に例の国旗がずらずら出てきて、無事終了。そこでアレの登場だ。
 パパがママに向かってリンゴを放る。ママは頭にそれをのっけて、立つ。パパは保安官シリーズの保安官みたいな手さばきで、くるくるとナイフを回す。わたしはものすごく震えながら、もはやスピーカーの影から見守るしかない。
「大丈夫?」
 いきなり声をかけられて振り返る。タキシード姿の男性が立っていた。たぶん店員だろう。ブラウンの髪はラフな感じで、瞳はブルー。優しげな笑みがよく似合う、とってもハンサムな男性だ。
「だ、大丈夫ですけど、全然大丈夫じゃない感じです」
 なんだいそれ。くすくすと彼は笑う。
「いまからやるのは、いつもやってることみたいなんですけど、わたしは全然見たことなくて、おっかなすぎて見ていられないんです」
 そう? と彼は肩をすくめた。とたんに拍手が巻き起こり、
「終わったみたいだよ」
 指をさす。ゆっくりと振り返ると、パパとママがおじぎをしている。リンゴに突き刺さったナイフを持って。パパがまたもやマイクでジョークを飛ばしはじめる。どっと安堵したわたしは、道具を抱えたまま
「け、化粧室はどこでしょう?」
「おいで。案内してあげよう」
 バックにギャングがいるのだとしても、店員は親切らしい。ステージ横のドアを開けてくれる。厨房そばの廊下とは違う、大理石の床に黒く塗られた壁、日本風な紙製のライトが下がる廊下に出る。けれどもそこにはずらりと、トイレ待ちの男女がいた。
「スタッフ用の化粧室がある。こっちへ」
 道具を抱えたままちょこまかと、背の高い彼のうしろへついて行く。いったんレストランの中へ引き返し、人ごみの間を歩く。てっきりあの、控え室みたいな廊下に戻るのだと思ったら、店の出口まで来てしまった。カウンターに立っているほかの店員が、彼に向かって深く頭を下げる。かまわず彼は店の外へ出てしまった。そこはビルのロビーで、エレベーターのボタンを押す。あれ?
「ええと……。化粧室、なんですけど」
「もちろん。スタッフ用の化粧室はこの上だよ」
 にっこりしていわれた。そうなの? よくわからない。エレベーターが開いて、中からさきほどの店長が降りて来た。ああ、上にスタッフ用の事務所があるらしい。納得していると店長が
「シナトラが遅れているみたいです」
「じゃああの面白い男に、もう少しジョークをいうように伝えろ。ギャラは上乗せする」
 パパのことだ。あれ。この人店長よりも偉いみたいな口振りじゃない? 彼がエレベーターに乗ったので、わたしも足を踏み入れる。一瞬店長の顔がこわばったような気がするけれど、気のせい? 店員の彼は、わたしの抱えている道具をごっそり抱えると、店長に渡して
「戻しておけ」
 エレベーターが閉じられる寸前、店からアーサーが飛び出して来た、ような気がしたけれど気のせいか。
 ちょっと待ってわたし。
 店長よりも偉そうな口調の人物って、ひとりしかいないのでは……。上がりはじめたエレベータのすみで、エドモンドさんみたいに息を殺し、自分の存在を消すことに意識を集中してみたけれど、無駄だった。
 振り返った彼が、わたしににじり寄って来る。にじり寄るといっても、ここはたったの二歩でわたしの目の前に立っちゃう狭さだ。
 片手はボトムのポケット、だけどもう片方の手はわたしの頬すれすれ、エレベーターの壁にぴったり置かれてあるのはどうして?
「いくつ?」
 ものすごい近さで年齢を訊かれたのははじめてだ。女性がうっとりする感じの眠たげな瞳、美しい顔だけれど、いまのわたしに直視は無理。
「じ、十六歳、です」
 ふうん、と彼は考え込む。
「犯罪になるな」
 なにがでしょう? だけど彼はにっこりする。いまさらパパの言葉が過った自分を叱りたい衝動にかられる。本物の悪党は品が良い、とかいううんちくだ。
「なんて、いまさらか」
 くすりと笑うその笑顔が、いまはおっかないゴーストに見える。硬直したまま、わたしは目をそらす。
 エレベーターが開く。たばこの煙がたちこめるロビーには、肩から下がったホルスターにピストルをおさめた男性たちが立っていて、彼に
「十五分後、リチャードが取りに来ます」
「わかった」
 エレベーターを降りる。だけどわたしは降りられない。ぶるぶる震えて壁に身体を押し付けていると、彼がいった。
「かわいいだろ? さっき見つけた」
 まるで子犬を拾ったみたいないい方だ。その場にいた男性全員が、気まずそうに目をそらした。
「どうしたの? 化粧室はこっちだよ」と彼。
「い、いいえ。化粧室はもういいです。大丈夫みたいです。勘違いだったみたいです」
 ボタンを押して! ニコル、ボタンを押すのよ! なんとかボタンに手を伸ばした時、がっしりとエレベーターのドアに彼が手をかけ、顔を近づけるといった。
「自己紹介がまだだったようだね。ぼくの名前はマノロ・ヴィンセント。オーナーだよ」
 わかってる、もっと早くいって欲しかっただけです。

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