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SEASON1 ACT.09

 パパと約束した一時間はとっくに過ぎている。だからってわたしだけ帰るとか心配すぎてできない。とはいってもできることもなく、わたしはうろうろと廊下を歩き回ってる。
 カルロスさんが呼んだ「おかかえドクター」とその助手が、リビングにパンサーを運び、即席の治療室を設置してからすでに三十分が経過している。その間にアーサーは、ギャングのこと、元スーパーヒーローが絡んでいることをみんなに伝えた。
 ややこしい三角関係は呑み込むことにしたのかどうなのか、大人チーム(カルロスさん+スーザンさん+ローズさん)は、書斎のドアを開けっ放しで、ローズさんの持って来た書類を見ている。デイビッドとアーサーは、そのようすを眺めつつ、リビングも気にしつつ、並んで壁に寄りかかっていた。
 と、アーサーがふいに口火をきった。
「……わけありか?」
 うろうろしていたわたしは振り返る。
「なにがだい?」とデイビッド。
「パンサーだ」
 デイビッドはガウンのポケットに手を入れ、ため息をついて
「……まあ、そういうことになるね」
 腕を組んだアーサーは「ふうん」とつぶやいてから
「冴えないウイリアム・ジャズウィットだと、最初はわからなかった。マスクのサングラスは伊達じゃないんだな」
「きちんと度がはいってるんだ。強烈な」
 その時。リビングからドクターがあらわれる。アジア系の顔立ちで、短い黒髪は見事な七三分け。一寸の狂いもなく治療しますといいたげな額の皺が、眉間を寄せると深くなった。
「背中から腰にかけて打撲。胸を強く強打していて、肋骨が折れていないのが不思議だ。肩の傷は弾丸によるものだけれど、命中はしていない。手術の必要なし。全身打撲だよ。あちこち内出血をおこしているから、一週間は安静に」
 わたしはおろおろしながらリビングに入り、簡易ベッドに横たわるWJを見下ろす。
 ……というか、ほんとにWJ、なんだよね?
 長いまつげ、意志の強そうな眉、すうっととおった鼻筋。安堵したみたいな口は、ほんの少し開いていて、耳を近づけると寝息が聞こえる。そして、寝息に混じってかすかな声がもれた。
「……キャシー」
 眠っているのに、キャシーの名前を呼んだのだった。それほど心配なんだ。
 もっと早くわたしが伝えていれば、みんなにしゃべっていたらこんなことにはならなかったのに。
「ミス・ジェローム」
 背後からアーサーに声をかけられて振り返る。腕時計を見たアーサーは
「……目覚めたら、彼が居所を知っているな」
 それからわたしを見て
「約束の時間を過ぎてしまった。きみは帰ったほうがいい」
「えっ?」
「きみがここにいてどうする」
「きみもだよ」
 アーサーの隣に立つデイビッドがいった。
「ローズにまかせる。休暇中だけど」
「警察には知らせるな、ということか?」
「だったら?」
 アーサーの顔が険しげになる。
「警察に自分の正体がばれるのがおそろしいのか。さんざん派手にもてはやされてきたからな」
「……それもある、といったら?」
 背後にいるふたりのやりとりなんて無視して、わたしはただじいっと、苦しそうな顔で、まぶたを閉じているWJを見下ろしていた。空を飛んでいたのはWJ。悪党をやっつけていたのもWJなんだ。
「……この非常時に自分の身が心配なのか、デイビッド」
「……それもあるといっているだけだよ、アーサー。ギャングだけならまだしも、ミスター・マエストロもいるんだ。警察の手におえるわけがないだろう」
「きめつけるな。一刻も早く動いたほうが」
「黙って!」
 わたしが押さえ気味の声で怒鳴ると、ふたりが黙る。
「……デイビッドもアーサーも黙って。けんかしてる場合じゃないでしょう? いま大変なのはキャシーとキャシーのパパと……」
 WJだ。きっとキャシーの居場所を伝えようとして、助けを求めに来たんだ。
「もう、警察でもFBIでも誰でもいいから、キャシーとキャシーのパパを助けてくれればいいのよ!」
 振り返ると、ふたりはぽかんとした顔でわたしを見ていた。まるではじめて、ここにわたしがいるとわかったみたいな、半ばびっくりしてるみたいな顔で。
「なによ」
「おれに怒鳴った女の子をはじめて見た」とデイビッド。
 ああ、そうでしょうとも、普段は黄色い声に囲まれているわけだもんね。
「いっときますけど、あなたたちがわたしを気に食わないみたいな感じなのとおんなじで、わたしもあなたたちが気に食わないのよ。だけど友達が大変なことになっちゃってて、それをなんとかできたはずのわたしが、間抜けなことをぐるぐる考えてたせいで」
 どうしよう。とりとめもなくしゃべっていたら、ぼわぼわと涙があふれてきた。
「こんなことに……ごんだごどに……」
 おっかないし、不安だ。
 キャシーが死んじゃったら、どうしよう!
「……わ、わだじのでいで、だぶるじぇーどぎゃじーが」
 ずるずると鼻水をすすりながら泣く。ものすごくみっともない顔をしているのはわかっているけど、止らない。ふたりは無言でわたしを見下ろし、あっけにとられていた。
「ぎゃ、ぎゃじーが」
「きみのせいじゃない」
 デイビッドがいった。アーサーはズボンのポケットから、ストライプ模様のハンカチを取り出し、わたしに差し出す。アイロンのかけられた皺ひとつないハンカチをありがたく借り、顔をなで回す。
「う。ううう。ごべんなだい。あだだのはんがじ、ぐじゃぐじゃに」
「気にするな。さあ、行くぞ」
 あれ。なんか優しいみたくなってる? いや、気のせいだ。このまま泣きわめいて、ヒステリーを起こされるのがおそろしいんだろう、間違いない。
 もう一度、眠っているWJを振り返って、心の中でたくさんごめんといってみた。リビングを出て、書斎にいる大人チームに挨拶をし、玄関のドアをアーサーが開けようとした時、
「きみのせいじゃない」
 念を押すようにデイビッドがいった。ハンカチから顔を上げると、デイビッドは困ったような、苦しそうな、困惑してる顔をしていた。
「最善をつくすよ、ミス・ジェローラ。約束する」
 わたしはうなずいて、ドアの外に出た。

 

★ ★ ★


 無言。
 運転するアーサーがなにもしゃべらないので、わたしはなんとかひゃっくりを押さえ、うっかりアーサーのハンカチで鼻をかんでしまった。
「……う、うう。丁重に洗ってお返しするから。ごめんなさい」
 アーサーは深く息をついて、きみにやるという。いや、こんな地味な柄のハンカチ、わたしもいらないです。
「……怒鳴ってみたり、泣いてみたり。忙しいことこのうえないな、きみは」 
「デイビッドとあなたが喧嘩するからだよ。それに大人チームも」
「大人チーム?」
「カルロスさんとかよ。なんだかややこしい感じになってたじゃない。それでわけわかんなくなって。それにWJも……」
 しょんぼりしてしまう。WJのしていることはすごく危険なのだ。いまさらだけれど、そのことに気づかされる。デイビッドやカルロスさんにとって、こういったこと、つまり、パンサーが傷つくとか、いきなりデイビッドのマンションに飛び込んで来るとかは、想定の範囲内だったんだろう。だから慌てることもなくカルロスさんはドクターを呼んだし、数分もたたないうちに彼らはやって来た。とはいえ、最悪な状況なのはあきらかだ。デイビッドのあんな顔、はじめて見たもの。いや、はじめてっていえるほどの仲じゃないけど。
「警察に知らせる?」
「いや。キャサリンの居場所が特定されていないから、妙な情報だけ流しても意味はない。警察の動きもおれは知らない。だからミスター・ワイズがキャサリンと一緒なのか、それともまだ家にいるのか、なにも知らないんだ。いっただろう、おれは蚊帳の外だ。きみを送り届けてから、地下鉄でワイズ家へ行ってみるつもりだが……」
 くやしそうな顔をする。
「家族でも、警察じゃない相手には教えない、みたいなこと?」
「……そうだ。まあ、兄はそれなりに話してくれるけど、それなりな情報だけ。それは、しゃべっても邪魔にはならない程度の情報だということだ。いっておくが、おれはいつもこんなふうに首をつっこんでるわけじゃない。今回だけ、特別だ」
 デイビッドに向かって、キャシーを助けたいといったアーサーを思い出した。
「……キャシーを心配してくれて、ありがとう」
「きみに礼をいわれる覚えはない」
 むすっとして答える。デイビッドはキャシーを好きでも、ほかの女の子にも優しい。デートだってしてるっぽい。だけどアーサーは、キャシー以外の女の子は、たぶんほんとうに眼中にないんだろう。おっかないし、役人口調だし、わたしに失礼なこととかいうけれど、もしかしたら本当は、本当にいいやつなのかもしれない。パンサーのことだって、他言しないといったのだ。うつむいて、じいっとアーサーに借りたハンカチを何気なく見下ろしていた時だ。ガックン、と急ブレーキをかけられて、前のめりになってダッシュボードに額をぶっつけた直後、ものすごい振動がボンネットから伝わった。額に手をあてたまま、頭を上げて前を見れば。
 ボンネットにしゃがんで、こちらをうかがっている人物が。
「……まずい」
 運転席のアーサーがささやく。
 なつかしの恰好で、とっても憧れたあの笑みで、でも片目はアイパッチで隠れているミスター・マエストロがこちらを向いて。
 ピストルをつきつけ、しゃがんでいたのだった。

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