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SEASON1 ACT.07

 わたしの名前はニコル・ジェローム。カーデナル・ハイスクールに通っている、あと二週間で十七歳になる、どこにでもいる、フツー(もしかしたらフツー以下)の女の子、のはずだった。それがいま、フツーじゃない状況においやられていた。
 ハンドルを握るパパの運転は荒っぽい。後部座席に乗っているわたしとママは抱き合っていて、バッグミラーに映る黒塗りの車をにらんでいた。
「あ、あ、あなたっ! もっと飛ばしてちょうだい! 警察が追いかけて来るぐらいに!」
「ママ、グッドアイデアだよそれ! そうだよパパ、もっとはちゃめちゃに運転しちゃって!」
「そのまえに事故ってしまうぞ、おいおい、なんてしつこいやつらなんだ!」
 わたしを抱きしめるママは、ぎゅうっと腕に力をこめるとわたしに耳打ちした。
「わかってるわね、ニコル。あなたのバースデイケーキは極小サイズに変更ってこと、忘れないでよ」
 十七歳の記念すべき誕生日のケーキのサイズが、手のひらサイズというのは、わたしにとってかなり痛い仕打ちだ。
「だからごめんって! ごめんっていってるじゃない!」
「ごらん、追跡してる車から男が顔を出していて、ピストルを向けているぞ! バースデイケーキの心配をする前に、こっちがクリームになるかもしれないな、しかもイチゴ色の! はははは!」
 笑えない。
「あなた!」
 一方通行の車道を走る、いままさにカーチェイスがおこなわれている。パパの中古の車はいましもコミックのワンシーンのごとく、ガッタンとエンジンを停めて、ドアもトランクもぱたぱたとパーツごと落としていくいきおいだ。
 背後から銃声が鳴り響いた。ママと抱き合ったわたしはまぶたをきつく閉じて、頭を低くする。ハンドルをぐるんと回したパパは、恐怖の頂点に達したらしく、ひっきりなしに笑っている。とたん、ママも笑いはじめた。つられてわたしも笑いをもらし、家族全員で叫んだ。
「だ、だ、誰か助けて!」

★​ ★​ ★

 いまから一時間前、わたしが避難してと命じてすぐに、なぜと同時に訊かれたのだった(あたりまえだ)。わたしは息を大きく吸い込んで吐き出してから、フェスラー宅で聞いてしまったことをいっきにまくしたてた。パンサーの正体やデイビッドに会ったことはふせ、キャシーのことだけを伝え、昼間に学校をサボったことも、ギャングのボスに待ち伏せされていたことも、あらいざらいしゃべったのだった。
 口をぽかーんと開けたパパとママは、しばしの間を置いてすぐに、いっきにわたしへ非難のことばを浴びせた。なぜ盗み聞きなどしたのか、どうして早くいわないのか。学校をサボるなんてどうかしている、などなど。延々続きそうなお説教に耐えられなくなり
「心配かけたくなかったからだよ!」
 叫ぶと、ママとパパは顔を見合わせ、こうしちゃいられないとリビングを無駄に動き回りはじめ、ママはわたしを指して
「いますぐ旅行バッグに荷物をつめなさい、ニコル! 逃げるわよ!」
 タオルを腰に巻いたパパは受話器をつかんで、ともかく芸人協会の経理部長、エドモンドさんの家に行こうと提案した。エドモンドさんはシティ中心部の協会のビルの一室に住んでいて、そのビルには警備員がいるので、ひと晩は安全かもしれないと知恵を働かせてくれる。その後で次の行動を考える。警察に伝えるなりなんなりすればいいということだ。
 もっと早くいえば良かったと安堵したわたしは、泣いてしまった。パパもママも大人で、ときどきウザったいこともあるけれど、やっぱり信頼できる存在だと確信できて、それも嬉しかった。電話をきったパパはわたしの頭を撫でて
「一生懸命悩んだんだろう。おまえの気持ちは嬉しいよ、ニコル。だけどこういう時はちゃんとはなしなさい。パパたちは家族だ、そうだろう? 家族ってのはチームみたいなものだ。チームを組んで、この荒波みたいな人生を乗り切っていかなくちゃいけないんだ。誰かが次の手を隠してたらチームワークは乱れて試合に勝てない。バスケや野球と同じなんだぞ」
 涙をぬぐってうなずくと、両手にバッグを抱えたママが寝室からあらわれて
「あなたっ! その姿でギャングにつかまるつもり? 名言ならあとでたっぷり聞くから、いますぐっ、十秒で服を着て!」
 たっぷり一分かけて服を着たパパと一緒にアパートを出て駐車場に向かい、車に乗り込んでひと息ついたとたん。バッグミラーに妖しげな車が映るとパパがいい出し、あきらかに尾行されていることを認めざるえない状況になり、いまに至っている。
 もしかすればピエロの恰好でうろうろしたわたしを、すでに尾行していた可能性も否定できない。どちらにしてもわたしはミスター・ヴィンセントにいわれたことをやぶったわけだ。いまごろ背後の車では、笑みを浮かべるギャングの手下どもが、最速テンポの即興ジャズとかビバップだとかを大音量でかけながら、賭けでもしているだろう。命中に十ドル、はずすに五ドル、みたいな感じで!
「もうダメだ! 伏せるんだ!」
 後部座席の窓を弾丸がつき抜け、パパの後頭部がケチャップまみれになるのを想像して、わたしはまぶたをきつく閉じて、ママの背中に回した腕の力を、ぎゅうっと強める。
「神さま!」
 叫んだときだ。銃声が鳴り響いた。もうダメ、完全にダメ、一般市民がギャングにたちうちできるわけない。ごめんパパ、ママ、キャシー、WJ、いっぱいごめんをいうから、どうかどうか、明日の朝日もちゃんと見れますように、神さま!
 車のスピードが落ちていくのを感じる。おそろしくてまぶたを開けられない。だけど、窓が割られた感触がない。それはママが守ってくれているから? なんとか勇気をふりおこし、ゆっくりとまぶたを開ければ、歩道脇に車を停めたパパが、背もたれに頭を寄せていた。その後頭部は大丈夫、ちょっとはげているけどケチャップまみれではない。
「……パ、パパ?」
 パパはゆっくりと、その体勢のまま、右腕を伸ばして助手席の車窓を指す。さっきまでのカーチェイスはどこへやら、振り返れば黒塗りの車は消えていた。しかも窓の外に立っていたのは。
 パパは窓を開ける。立っていた人物が前屈みになり、怪訝な顔でわたしを見ると
「……ニコル・ジェローム? と? ……察するに家族の方々ですか?」
「そうです。いや、……助かりました。まさか通りすがりの車が、やつらの車に発砲するとは思わないものでね」
「兄は警官ですよ」
 アーサー・フランクルだった。

★​ ★​ ★

 キャシーの家に行く途中だったという。反対車線、中心部を目指す北東方向へ向かう車に、異様な殺気を感じたアーサーのお兄さんは、ピストルをかかげる車に追いかけられているのに気づき、警察をしめす赤いライトを車体に乗せて、点滅させた車から発砲したのだった。アーサーは車から降りて、お兄さんは運転したままギャングの車の追跡を続けている。というわけでいま、パパの車を運転しているのはアーサーで、パパは助手席で、わたしに聞かされた一部始終をアーサーにまくしたてるようにしゃべっていた。
 後部座席でわたしを依然、抱きしめているママは
「……ハンサムな子ねえ。あなたのボーイフレンド?」
 こそこそと耳打ちするから
「違うよ。役人口調のおっかない同級生」
 バッグミラーをつまんだアーサーは、わたしの映る位置にミラーの角度を調節して
「ミス・ジェローム、ミスター・ジェロームのいったことは本当なのか?」
「……ほんとうだよ」
 ちらちらとこちらに、眼鏡越しの氷みたいな眼差しを向ける。そのたびにママは、ミラーに入ろうとしてわたしの頬に自分の頬をくっつけてくる。
「……いつもニコルがお世話になっているんでしょう? これからもよろしくね」
 なっていないし、よろしくしてもらいたくはない。
「え? はあ……」
 アーサーが困惑した。申しわけないよアーサー。ママはどうやらあなたを気に入ってしまったらしい。わたしは全然だけど!
「父と兄には連絡がつかないので、母に連絡して警官をつけさせますよ。ともかく家を出たのは賢明です」
 アーサーのママも警官なのか。おそるべしフランクル家。
 芸人協会のビルに着いて、ビルの裏手にある歩道脇に車を停めた時、アーサーがいった。
「……少しミス・ジェロームとはなしたいんですが、いいですか?」
 どうぞどうぞとママはいって、パパの腕をつかむと裏口からビルの中へ入ってしまった。取り残されたわたしは車のそばに立ったまま、じいっとアーサーに見下ろされるという耐えられない時間に耐えるはめになる。
「な、なによ」
「まだしゃべってないことがあるんじゃないのか?」
 腕を組む。さすが警官一家の息子。わたしは取り調べを受ける泥棒みたいな気分になって、視線を泳がせた。
「な、ないよ」
「目が泳いでるぞ」
 アーサーはふうっと息をついて
「ヴィンセント・ファミリーがキンケイドのシマを手に入れようとやっきになってたのはおれも知ってる。きみがいっていることが本当なら、ヴィンセントと元スーパーヒーローが手を組んだということだ。ヤバいことこのうえない状況を計算にいれれば、ミスター・ワイズにいうことをきかせるために、娘のキャサリン・ワイズを誘拐したのは間違いない。そういうことはギャングの得意技だ。しかも目的が果たされたとしても、ふたりは解放されない」
 アーサーはわたしの額にひとさし指を向けて
「バン。それでおしまい」
「え!」
「海に沈んでジ・エンド。きみはキャサリン・ワイズの父親がなにをしているのか知らなかったのか? あんなにくっついていた……みたいなのに」
 デイビッドといいアーサーといい、その「みたい」って表現はおかしい。あきらかにわたしの存在が、こんな事件が起きちゃうまでは、視界のすみにも入っていなかったということだ。どうかそれを、今後も続けてほしい。
「……うっすらとはわかっていたけど、キャシーだと思いたくなかったんだよ。それに親がなにをしてるかなんて、普段しゃべらないじゃない。愚痴とかはしゃべるけどさ。口うるさいとか、そういうことは……」
 どうしよう。また泣きたくなってきた。でも泣きたいのはわたしではなくて、キャシーのほうだ。おっかないめにあっていたらどうしよう。ああああ、と頭を抱えてうつむく。それにWJも!
「……それにしてもあいつはなにをやってるんだ? こういうときこそのヒーローだろ。ちゃちな悪党ばかりを追いかけておいて、こっちの手柄を根こそぎもっていくくせに、ここぞというときにあらわれない。のんきにデートでもしてるのか? ほんとうに顔だけのやつだな」
「いや、ちゃんとWJを捜してるよ?」
 あ、フツーにいっちゃった。とっさに両手で口をおさえたものの
「なんだって?」
 パパとママにしゃべるときには、かなり気をつかっていたから避けられたのに、気が緩んだからなのか口からもれてしまった。
 教訓その1。誰もわたしに内緒話をしないで。きっとわたしはいまみたいにしゃべってしまうから!
 ゆっくりと視線を上げれば、アーサーは指で眼鏡の位置をととのえる。街灯に照らされた眼鏡が光り、その奥の眼差しはハンターのように鋭い。
 おそろしい、ほんとうにおそろしい。ギャングとは違う意味で。
「気に入らないな。おれは蚊帳の外か? 父も兄もガキ扱いする。きみはきみでまだなにか隠してる。あのヒーロー気取りは姿をあらわさない。それに学校一の臆病者の名前がきみの口から出た。デイビッドがあいつを捜してるってどういうことだ?」
「ちょっと! WJの悪口いわないで。WJは臆病者なんかじゃないし、ほんとうのヒ」 
 これはマズい。
「ほんとうのヒ? なんだ?」
 アーサーの片眉が上がった。ごっくんとことばを飲み込んだとたん、わたしの肩にアーサーは手をかけて、ぐらぐらと揺さぶりはじめる。
「吐け!」
「吐かないよ!」
 そんなやりとりをしていると、ビルの裏口のドアにすき間ができていて、灯りがもれていることに気づく。アーサーとそちらに顔を向ければ、いつからそこにいたのか、パパとママがのぞいているのが見えた。
「……変わったラブシーンね……」
「……車酔いか?」
 動きを止めて頭を下げ、ふうっと息をついたアーサーはわたしの肩から手を離し、がっしりとドアを開けて、パパとママにいった。
「車をお借りしたい。かならずここに戻します」
 どうぞどうぞとパパが鍵をアーサーに渡す。
「どこに行くの?」
「ファション大好きのアホヒーローの家だ。住所は知ってる、ここからだと目と鼻の先だ」
「い、いないかもしれないじゃない」
 アーサーはわたしを横目でにらみ、いった。
「行ってみなければわからない。おれは自分の目で見たこと以外、信じないことにしてるからな」

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