SEASON1 ACT.04
家に帰ってからすぐに、受話器を持ってダイヤルを回す。パパはバスルームに向かい、ママは長電話禁止令をわたしに発令して、キッチンへ立つ。三度のコールでキャシーのママが出て、すぐに声がキャシーに変わった。
「どうしたの?」
良かった。どうやらわたしの取り越し苦労だったらしい。電話の配線をぐぐぐっと伸ばし、廊下を歩いて自室に向かいながら
「今日フェスラー家に」
いってから口をつぐむ。これって個人情報の漏洩になる? なるだろう。しかもギャングとミスタ-・マエストロの、わけのわからない悪巧みについてキャシーに話したところで、妙なことに巻き込むだけなんじゃないかと思えてきた。
「……な、なんでもない。無事ならいいんだ」
キャシーは笑い混じりに
「変なの。それよりニコル、聞いて! 信じられない。さっきテレビで「闇の騎士シリーズ」が映画化されるって知って、もう大興奮なの!」
「えっ、ほんとう? 良かったじゃない。公開はいつなの? 一緒に行こうよ」
しかしキャシーの声色はいっきにダウナーモード。
「わたしが興奮してるのは、ロルダー騎士役の俳優が、まったくロルダー騎士に似てない、へんてこな顔の新人だからよ! 許せない、ぜったいに許せないの!」
それからわたしは、キャシーの愚痴を延々聞いて、やっと彼女の気持ちがおさまったところで
「……というかニコル、ほんとにどうしたの? なにかあった?」
息切れまじりにキャシーがいってくれる。
「ううん、なんでもない。どうしてるかなーと思って」
「どうしてるって、こうしてるというわけ。明日学校でもっとしゃべるわ。ねえ、ほんとになんでもないの? パパとママが喧嘩したとか? わたしにはなんでもいってね。わたしもなんでも話してるんだもの」
わかってる。でも大事な人だからしゃべれないこともある。これはわたしの胸の中におさめてしまうべきだ。キャシーは無事だし、やっぱりわたしの取り越し苦労。
ありがとうといって、わたしは電話をきった。良かった、ともかくキャシーはこれ以上ないほど元気だし、無事だ。
忘れよう。それがいい。わたしがひとりで焦っているだけ。
★ ★ ★
……忘れられない。
シャワーを浴びてTシャツとスウエットに着替え、ママの必殺手抜き料理(サラダと宅配ピザだ)をほおばりながら、パパとママの会話も聞かず、ずうっとテーブルのワインのシミを眺めている。
やっぱり誰かに知らせたほうがいいのかも。まずは警察? どうせ信じてもらえないだろうけど……ってそれじゃ意味ないから! 自分を叱咤していてはっとする。アーサーという市警部長の息子がいるじゃないの。いや、その前に、パンサーがいたんだった。
デイビッドに電話する? いや待て。その前に、もっとも良いアイデアを提供してくれる心強い友人が、わたしにはいるじゃない。
WJしかいない。
WJは口が堅いし、なによりわたしが取るべき行動を、順序だててアドバイスしてくれるに違いない。そうと決まればピザを飲み込み、電話に駆け寄る。
「ニ~コ~ル~。今日のあなた、一日に許された電話の時間を大幅にはみだしてるわよ!」
「フェスラー家のことはしゃべるなよ? おまえを信じているけど、パパたちみんな路上生活者になるんだからな。まあそれはそれで楽しそうか。大道芸人、小銭を稼いであちこちの街、国へ! まるで異国のジプシーだ、ほう……悪くないぞ、なあママ?」
「あなた!」
ママの小言の矛先がパパへ向かったのをチャンスとばかりに、電話を抱えて再び自室に引きこもる。ダイヤルを回して呼び出し音が七回鳴ったのち、やっとWJが出た。
「どうしたの?」
ものすごく眠そうな声だ。
「あ、うう……。そのお~」
いってしまえ、ニコル! だけどいえない。とりあえずなにも起きてはいないし、なにより内緒話を聞いていたわたしが悪いのだ。
「なんだい?」
「……ごめん、なんでもない」
受話器越しに、くすりと笑うWJの声がとどく。
「変なの。なにかあったんじゃないの? いえばいいのに。ぼくらは友達だろ?」
友達だからいえないこともある。おかしなことに巻き込みたくない。それに相手はミスターマエストロで、もしかするともう、家のこの電話が盗聴されていたりなんかしたら? そんな早業ありえないけど、ありえるかも。
「……おっと、ごめん。これから両親とディナーに行くんだ。きっても平気? 夜おそくてもいいなら、ぼくから電話するけど」
声だけ聞いていると、妙にときめいてきた。わたしはWJみたいに優しい口調の男の子をほかに知らないし、それにWJの声はかなりいいのだ。低くて、しゃがれてもいなくて、素直でまろやかな響き。まあ、デイビッドの声に似ていなくもないけどね。
「うーん、なんでもない。ただ、元気かなと思って」
「なんだいそれ。昨日学校で会ったばかりじゃないか。やっぱり変だよニコル」
「大丈夫、ほんとになんでもないの。もういいわ、電話をきって」
ほんとうかい、とWJがいぶかしむ。
「なんだか妙だなあ。よくわからないけど、しゃべりたくなったらいつでも相手になるからね。きみはいつも、ぼくやキャシーの心配をしてばかりだけど、ぼくもキャシーも、きみのことをちゃんと心配したりしてるってこと、忘れないでよ?」
WJの優しさが胸にしみて、泣きそうになってきた。
「ありがとう。わかってるよ。じゃあ明日、学校でね」
うん、といってWJが受話器を置いた。と思ったら。
「早く電話きってよ。ぼくが電話をきれないじゃない」
くすくすと笑うのだ。だからわたしは受話器を置く。結局誰にもしゃべれなかったけれど、ひと晩眠ったらわたしのこの興奮もうすれるだろう。
電話をリビングに戻し、早々にベッドの中へ潜り込む。まぶたを閉じたとたん、冷静になってきた。それでものすごくかなしい気分におそわれてしまった。
正義の味方がどうして、悪巧みの中心人物みたいになっちゃうの?
引退したあとのミスター・マエストロの行方は誰も知らない。きっと田舎に引っ込んで、パイプなんかふかしながら、のーんびり安楽椅子に腰掛けて、本でも読んでるんだろうと想像したことはあるけれど、考えてみたら彼が活躍していたのは二十代の頃で、そんな隠居生活をするにはまだ若いはず。
「だからってギャング相手にいったいなにをしようとしてるわけ?」
なんといっていた? まったく眠れそうもないので、ベッドから飛び起きてバックパックからノートを取り出し、ペンを耳にかける。うーん、たしか。
「出て来た人名を思い出そう。ミスター・ワイズ、ミスター・ヴィンセント、ミスター・キンケイド。ヴィンセントとキンケイドはギャングの名前で、ワイズって人はなんかを抽出したとかいっていたような……、だから科学者みたいな人で、娘がいる」
……キャシーのパパって、どこかの大学の教授じゃなかったっけ? いやいや、キャシーじゃない、ほかの誰かってことを前提にしよう。つっこんで考えると怖いから!
時間を止めるとかいってなかった? いっていたような気がする。
「ミスター・マエストロはそれをどうにかしたくて、ヴィンセントに資金の出資を頼んだんだ。それにしてもどうして、有名銀行の会長宅に、彼らは呼ばれていたわけ?」
大人の人間関係ってさっぱりわからない。
時計を見ればまだ九時。倒れたし、疲れていたし、早く眠ってもいいけれど、わたしの頭は興奮で冴えまくりだ。
部屋を出てリビングに向かう。口うるさいママはシャワーを浴びているらしい、鼻歌まじりだ。チャーンス! わたしはリビングでテレビを見ているパパのそばに近寄り、一緒にテレビを見る、ふりをする。パパの大好きな保安官シリーズのドラマが放映されていた。二丁拳銃で華麗に悪の怪盗を倒すシーンで、おおっ、とパパは前のめりになる。
「悪い人たちってどこにでもいるんだね」
「これはドラマだぞ、ニコル。でもたしかに、あっちもこっちもギャングだらけだ。日が暮れてからたばこを買いに、うっかりひとりでぶらりと出かけることもできない。いやな時代になったもんだ。まあ我らにはパンサーがいるけどな」
わたしを見てウインクする。でも太ってるパパのウインクは、ウインクではなくてただのまばたきだ。ともかく、この話の流れは悪くない。
「……ギャング同士って仲がよくないのかな? ほら、そういうのって、チームっていうかそういうのにわかれてるんでしょ?」
「チームじゃなくてファミリーだ。仲がいいわけはないけどな、ニコル、彼らにもルールというものがある。互いにこの街を区切って仕切って、先祖から受け継いだ界隈を守りつつ、相手の持っている土地をおびやかさないよう、ボス同士はきちんと相談して決めているそうだ」
「へえ、それはびっくり。じゃあ平和じゃない」
「そのとおり。でもこのていたらく。おまえは新聞を読んでいないのか? 有名人のゴシップ記事ばかり読んでいるんだろう」
そのとおり。いいかい、とパパは続けた。
「キンケイドファミリーというギャングが仕切っているのは南東側の海に面した界隈だ。ここはどのギャングものどから手が出るほど欲しがっている区域で、理由はなぜだと思う?」
「……うーん、わからないな。港があって、船が出たりする、から?」
「そうだ。列車よりも密輸の手間がかからないらしい。それはいまのところ、キンケイド一家のみに許されたオイシイ行為で、事実、ずうっと彼らがギャングの頂点に立っていた。密輸されているものがなんなのかは知らんよ。おおかたよくないものに決まってる。とはいえそれで一家がうるおっているのもたしかだ。そのボスが倒れて、次のボスは誰かと、一家の親族間で骨肉の争いがはじまったんだ。まるで中世の王宮のようじゃないか」
「そんなぼろぼろだから、こんなに街がぐっちゃなことになりはじめているの?」
「そうともいえるな。ひとつの組織がくずれて、内部でぐっちゃなことになっていて、ほかのファミリーが黙っているわけないだろう? ここぞとばかりにほかのファミリーが、その界隈をめぐり争いはじめて、頭脳戦だ。ボス同士が手を組み、そう見せかけて裏切り、騙し騙されの騙し合いでいまや泥沼。収集のつく気配がまったくない、やれやれだ」
なるほど。その中のひとつのヴィンセント一家のボスと、ミスター・マエストロがあそこで内緒話をしていたということだ。
ここでママが入って来たので、わたしはあくびをするふりをし、おやすみを告げて部屋に戻る。パパにおしゃべりさせるのは簡単だけれど、ママがいると小言をいわれちゃうから面倒なのだ。女の子がギャングに興味を持つんじゃありません! とかなんとかいうに決まっている。
興味はまったくないけれど、必要に迫られてるのだ、仕方ない。これでギャングの関係はなんとなくのみこめたけれど、もうひとつ、かなり難解な難問が残されている。どうして難解で難問なのかというと、知るのがおそろしいからだ。
でもそれは、明日キャシーに会って直接訊けばいい。
フェスラー宅を出てもう数時間が経過してる。もしもわたしをなんとかしたければ、すでにこの家を包囲していたっておかしくない、それがなにごとも起きていない。わたしのことは無視することにしたのだろう。
なんとなく落ち着いて、ベッドに入ろうとした時だ。コツンと窓をたたかれて、硬直する。カーテンは閉め切ってあるけれど、あきらかに拳で叩いたような音、通りすがりの猫であることを祈る。たとえば尻尾があたった、とか? ……ありえない。
ふたたびコツンとたたかれた。これはもうノックとしかいいようがない。おそるおそる窓に近づき、カーテンをつまみ、片目を寄せた。どうしよう、元ヒーローの現悪党が立っていたら!
でも違った。七階の部屋の前、壁にそって設置されている非常用の外階段に立っていたのは。
カーテンを開け、窓を開けた。
「WJが心配してた。きみのようすが変だったってね。なにかのついでに寄ってみてくれっていわれたから。ええっと……ミス・ジェローラ?」
わたしの名前をまったく覚えないデイビッドが、パンサーの恰好で立っていて、にやりと笑ったのだった。こんなに間近でパンサーを見たのは実ははじめてで、くやしいけれどやっぱりかなり素敵だ。この恰好の裏にはあのゴージャスなデイビッドがいると思えば、たしかにモテてもしかたがないのか。
……それよりもまずいのは。わたし、ときめいちゃってない?
「え? うう、大丈夫よ、全然大丈夫、なんにもないから」
パンサーは窓枠に手をかけて、
「あ、そう。ならいいけど」
「忙しそうなのにごめん。あ、ねえ、もしなんだったらキャシーのようすも見てくれない?」
これはかなりいい。なんて最高のタイミングなんだろ。誘拐されちゃう娘っていうのは絶対にキャシーではないし、ありえないけど、万が一いまキャシーになにかあったとしても、パンサーがなんとかしてくれるし、わたしもすごく安心できる。
「え? キャサリン・ワイズ?」
口元があきらかに嬉しそうだ。
「そう。元気ならいいんだけど、家はわかるよね?」
パンサーはうなずいて腕を組んだ。するとわたしをのぞきこんで
「……聞いてもいいかな、ミス・ジェローラ」
もう自分の名前がジェローラのような気分になってきた。
「どうして彼女はおれのデートの誘いを断るんだろう? おれのことが気に入らないってことなのかな。このおれなのに?」
……ああ。
「そ、それはキャシーに聞いてよ。わたしからはとても」
ロルダー騎士にぞっこんだから、とは、彼女の許可なしにいえない。
あ、そ。とパンサーは窓枠をぽんとたたき、
「じゃあ、良い夢を」
いって、すうっと夜空を仰ぎ見ると、飛んだ。わたしは窓から身を乗り出して、ほんとうに本気でクリアなワイヤーが無いことを確認し、わかってるけどやっぱり驚いたのだった。
「……しかし、いったい、どうなってるんだろ、あのひと」
街の灯りが激しすぎて、夜空は明るい。それでも雲に月が隠れているから、星のまたたきがかすかに見える。
まずい。わたし、どうしたんだろ。自分の胸に手をあてて、窓を閉めカーテンを閉じる。
わざわざわたしを心配して、デイビッドに電話してくれたということだ。たったあれだけの会話で? ほかの男の子だったら、絶対にこんなことしないだろうし、気にしないだろう。
いろんなことがありすぎて、わたしの頭が変になってきたのかも。なのに耳には、あの穏やかで心地いい優しい口調が残っていて、まずいまずいとベッドにもぐりこみ、身体を丸めた。
どうしようわたし、突如あらわれたパンサーなんかどうでもよくて、あのWJに気持ちがいっちゃってる!