40:星の王子さま
ブライアン・ライト――もとい、パティを追いかけまわしていた悪魔は、無事に時空の彼方に旅立った。それとともに、手下のコルバスも姿を消し、わたしたちはボロボロの姿でジェイの自宅に戻った。
謎に包まれた新生ヒーローを見つけるべく、中継のヘリはまだ飛んでいる。もうすぐ零時になるけれど、朝まで明るい摩天楼だ。きっと、デジカメ片手に走り回っている野次馬がいっぱいいるはず。でも、そんなこといまはどうだっていい。
医務室で目を閉じているジェイは、体中に痣をつくっていた。命に別状はないものの、呼吸が浅くて意識も失ったままだ。処置してくれた看護師は、「なにかあれば連絡をください」とデイビッドおじさんに言い残し、明朝また来ると告げて去った。
「……さて、と。こうしてもいられないわね。パティ、とりあえず帰りましょう」
重苦しい沈黙をやぶったのは、マダム・エヴァだった。
「とんだ一夜になったけれど、まさか、グッテンバーグ家のおぞましい因縁から開放されることになるとは、さすがに想像もしませんでしたよ」
みんなを見渡す。
「なんとお礼をのべたらいいのか、疲労困憊の老体には考えもつきません。ひとまず安息が必要のようです。英気を養ったあかつきに、またあらためてお礼にうかがいましょう」
言葉をきり、意味深な眼差しをわたしとデイビッドおじさんに向ける。
「……若かりしころのスーパーヒーローにも、秘密があったわけね」
そう言うと、わたしを見つめて静かに微笑む。けれど、なにも言わずにパティを呼んだ。
「今夜はもう魔法を使えそうにないわ。きっとあなたもでしょうから、タクシーで帰りましょう」
杖をつきながら、エントランスに向かおうとした矢先、パティが言う。
「おばあさま、わたし、今夜はここにいたいわ。そうしてもいい?」
目を見張ったエヴァは、思い直したかのように笑み、うなずいた。
「ええ、そうね。やっかいなストーカーはいないのだから、もう好きになさい」
タクシーまで送ると言うカルロスさんとともに、エヴァが去る。と、デイビッドおじさんのもとに、ヘンリーのパパから連絡が入った。携帯で通話しながら忙しなく書斎に向かったおじさんは、大人同士の内緒話をするためか、スーザンさんを呼んでドアを閉じた。
リビングに残ったわたしたちは、ジェイのいる医務室にふたたび向かう。まだ目覚める気配はない。何度目かのため息をついたとき、汚れまくったミニスカート姿のTDが言った。
「……なあ、ジーン。おまえも、魔法使いかなにかなのか?」
そうじゃない、と言おうとしたとき、ヘンリーが先に口を開く。
「本当の元スーパーヒーローは、きみと仲良しのおじさんじゃなく、きみのパパだったんだろ。違うか?」
すごい。びっくりして目を丸くすると、パティも「そうなの?」と驚きの声を上げた。
「ヘンリー。それ、どうして……」
「さっきのマダム・エヴァの言葉だ」
――若かりしころのスーパーヒーローにも、秘密があったわけね。
それだけで答えを導き出せるヘンリーがおそろしい……っていうか、素直にすごい。
「マジ?」
呆然とするTDに、わたしは降参してうなずく。そして、わたしも最近まで知らなかったことを伝えた。
「いまさらだけど、これ、内緒にしてもらえるかな」
「もちろんよ」とパティ。
「それに、いまさら誰かに言いふらしたところで信じる人間もいないだろう。嘘つき呼ばわりされるのがオチだろうしな」
ヘンリーの言葉に、それもそうだねとわたしは笑った。
ふう、とTDは息をつき、ホコリまみれの髪をかき上げる。
「マジでくっそクールじゃんか。けど、ジェイみたいに変身はできねーんだもんな?」
「うん。パパはコスチュームに着替えてたみたいだから……」
全員の視線が、ジェイにそそがれる。そのとたん、最後に目にした不気味な人物の姿が脳裏に浮かんだ。どうやらみんなもそうだったらしく、パティが口火をきる。
「……あれって、なんだったと思う?」
TDは珍しく険しい顔つきをした。
「たしか、辺境の次元にいるとは思わなかった……とかなんとかつってたよな? そんでもって――」
「――やっと抹殺できる。とも言った」
ヘンリーは腕を組み、壁に身体をあずけた。
「……ジェイのこと、殿下って呼んでた」
わたしが言うと、パティが息をつく。
「皇族とか王族の敬称だもの。そういう地位にあるってことよね……?」
「んじゃ、出身国はヨーロッパのどっかか?」とTD。
「ヨーロッパのどこかの国の皇族か王族が、奇妙なパワーでコスチューム姿になったり、時空の穴みたいなものを開けたりできるわけがないだろ」
みんなが押し黙る。
ジェイの秘密めいた言葉や、これまでのこと。カセットテープをはじめて見たみたいな反応や、ずっとここにいられたらいいのにって、言っていたこと。いろんなことがいっきに浮かんできたとき、ひとつの考えにいきつく。
そのありえない妄想に太鼓判を押すかのように、ヘンリーが言った。
「おそらく――この世界の住人じゃない」
息をのんだわたしとパティを尻目に、TDがうなずく。
「……だよな。そうとしか考えられねえ。たぶん、ここよりも高度な世界の住人だ」
「ああ。その世界で地位があり、どうやら命を狙われている」
息をついたわたしは、思わず声にした。
「だからきっと、そこから逃げてきたんだ」
みんなが顔を見合わせたそのとき、開け放たれているドアの奥から声がした。
「ビンゴだ」
デイビッドおじさんが、立っていた。
★ ★ ★
カルロスさんが戻ってリビングに集まると、デイビッドおじさんが話しはじめた。
ブライアン・ライトは、行方不明になった誘拐犯及び洗脳の詐欺犯罪者として、これまでの資産のいっさいが凍結されるうえ、FBIの管轄に置かれることになった。
パーティ会場にいたゲストたちは、みんな一様にその場での記憶がなく、コスチューム姿のジェイをも覚えてはいないらしい。もしかすると、マダム・エヴァが魔法で記憶を消してくれたのかもしれないと、おじさんは予想しているみたいだった。
とはいえ、異空間に監禁されていた女子高生だけはすべてを覚えていて、ブライアン・ライトを悪魔だと言っているらしい。実際に悪魔だったのだけれど、いまとなってはなんの証拠もない。家族のもとに戻って入院している彼女たちの言葉は、悪党を揶揄する表現として受け止められるだけだろうと、ヘンリーのパパは言ったそうだ。
きっと、明日はそのニュースでもちきりだ。それから、謎のスーパーヒーローの再来で。
おじさんは息をつくと、やがて静かに語りだした。
「……ある夜、アップタウンの自宅でくつろいでた。夜中で、まわりも静かで、そろそろ眠ろうとしていたとき、ガレージからものすごい音がした」
それは、車の衝突事故のような破裂音だったと言う。
「誰かが門を越えて侵入して、爆弾を仕掛けたのかと思った。カルロスに連絡してから見に行ってみると、黒い物体が倒れていた」
それが、コスチューム姿のジェイだった。
おじさんがジェイに触れると、コスチュームが消えたそうだ。びっくりしたおじさんは、けれど危険じゃないと判断して家に入れ、ゲストルームのベッドに寝かせた。そこにカルロスさんが来て、侵入者の目覚めを待った。
「早朝、彼が目覚めてね」
カルロスさんが言う。
「ぼくとデイビッドを見て、はじめはよくわからない言語を話した。しばらくは言語を探るような感じでチューニングしていて、それからやっと英語で言ったんだ。〝ここは重い〟って」
「……重い?」
わたしたちが困惑すると、カルロスさんが小さく笑う。
「重力のことだと思う」
さらに、ジェイは訊いた。〝ここは何次元で、どこですか〟と。
「ここは三次元の地球だと答えたら、ひどく驚いていた。それから、自分の家族は全員消された、自分だけ逃されたと言って泣いたんだ」
ジェイは、ここではないどこかの銀河にある、ここよりももっと高度な文明の惑星の、小さな国の王子さま――なのだった。
もう、戻るところはどこにもない。そんなジェイを、おじさんは引き取ることにした。迷いはなかったと言う。
「どうしてですか」
ヘンリーの問いかけに、おじさんが答えた。
「若かりしころ、おれの身代わりになってくれた友人に似ていたからだよ」
そう言ってわたしを見つめ、微笑んだのだった。