30:It's a Show time![3]
ブライアン・ライトの書斎のラグの下に、きっとなにかある。
わたしがそう言うと、ジェイは目を見張った。
「なにかってなに?」
「わからないけど、あの人の目が赤くなって、わたしを洗脳するみたいになったとき、ラグの下が光ったんだ。なんていうか……パティの魔法陣みたいな感じっていうか」
「え?」
けげんそうに目を細め、ジェイが聞き返してきた。
「だから、パティの魔法陣みたいに――」
「そうじゃなくて、洗脳するみたいになったってなに!?」
そっち? なんでもない風をよそおうべく笑みを作り、結局のところはなんでもなかったのだから心配しないでと訴える。
「あなたが来てくれたから、ほら! めちゃくちゃ無事でしょ?」
「なに言ってるの? ぼくが行かなかったらどうなってたのか、想像するのもおそろしいよ!」
はあと息をつき、頭をわしづかむみたいにして髪をかきあげた。そのとき、図書室のドアの向こうで拍手や歓声があがり、音楽が大きくなった。
「パーティが本格的にはじまったみたい」
わたしとジェイはとっさにドアに近づき、耳を寄せて様子をうかがう。直後、ジェイの携帯が鳴った。
「マズい、デイビッドがぼくを探してる」
「わたしがここにいるってこと、デイビッドおじさんにはまだ内緒にしててくれない?」
ジェイが苦笑した。
「隠してたって、いずれバレるよ」
「そ、そうかもだけど……!」
ジェイがメールを打つ。
「トイレにいるって伝えておいた。とりあえず、ぼくはいったんデイビッドと合流しなくちゃいけなそうだ」
携帯をポケットに入れ、わたしを見る。
「ブライアン・ライトの書斎には鍵がかかってる。それを開けられないと、ラグの下を探ることはできないよ」
「それ、開けられるかもしれない人、わたし知ってる」
ジェイは呆れたように口の端をあげる。
「ぼくも知ってるよ。TDはどこ?」
「うっ…と、いま檻の中なんだ」
「檻の中?」
美女になりすぎて監視され、サラダゾーンから出られなくなっていると言うと、ジェイは笑みを噛み殺した。
「状況が違ったら、心置きなく笑えたのにな」
「だよね。でも、TDを自由にしないと書斎の鍵を開けてもらえない。それに、護衛の人だって戻ってるでしょ? どうしよう……!」
「こうなったら、護衛はしょうがない。ぼくが倒してどこかに押し込めるから、心配しないで」
「えっ」
ジェイはわたしの驚きを無視し、ため息をついた。
「とはいえ、やっぱりさ、ここにいる全員で協力したほうがいいと思うよ、ジーン」
たしかに、バラバラに動くよりも目的を同じくして動いたほうが効率がいい。そう思う反面、顔面を蒼白させたデイビッドおじさんに、すぐに帰るよう訴えられたあげく、最終的にはわたしのパパとママにこのことを言うよとお説教されるかもしれない。デイビッドおじさんはわたしにものすごく甘いけれど、危険なことを許してくれるようなお人好しじゃない。
わたしの懸念を伝えると、ジェイは「デイビッドがまともな大人でよかった」と苦笑した。そうしてため息をついたジェイは、ひとまずヘンリーに伝えてから、大人チームを引き入れていく作戦をたてた。
「だけど、妙だな」
ジェイは困惑するかのような眼差しで、わたしを見つめた。
「なにが?」
「ヘンリーはどうして、自分の好きな子が無茶するのを引き止めないんだ?」
「えっ?」
「だって、ヘンリーはきみが好きなんだよね?」
言われてみたら、たしかにそうだ。そうなのだけれども。
「ジェイ、それがヘンリーだよ」
真顔で返答すると、ジェイは「答えになってない」と言って笑った。
「でも、ヘンリーは一緒に行動しながら助けてくれるんだ。子どものときからそうだから、たぶんそれに慣れててわたしのすることにダメとか言わないんだと思う。まあ、よっぽどバカっぽいことは全力で否定してくるだろうけど……」
どことなく不服そうに、ジェイは目を細めた。
「それ、ぼくにやきもちやかせようとしてる?」
「えっ! ち、違うよ! 全然そんなんじゃない! じ、事実と言うか…!」
しょうがないなとでも言うかのように、ジェイはわたしの額を人差し指でつんとつついた。
「わかってるよ、意地悪言っただけ」
「う、ごめん」
「彼を頼りたくないけど、仲間にいると心強いのはたしかだからね。でも」
「でも?」
「本音を言えば、面白くない」
わざとらしく笑みを消してそう言うと、わたしに顔を近づけた。
「でも、ぼくはわがままな子どもじゃないから、自分の感情を押さえることなんか簡単だ……って、いま必死に言い聞かせてる」
「そ、それは……ほんとごめん!」
ジェイが笑った。
「悪いと思ってるなら、さっきの続きはきみから頼むよ」
「えっ?」
「ぼくが恥ずかしいことを言って、きみに照れくさいことをしたことの続きだよ」
「えっ!」
「今夜のことは、それで全部チャラにする」
そう言って笑ったジェイは、けれど小さくひとりごちた。
――今夜を無事にきりぬけられたら、だけれどね。
★ ★ ★
「有力者たるみなさんにお集まりいただき、光栄です。すでにこの国に進出するプロジェクトがいくつか立ち上がっており、ここにお集まりいただいたみなさんに、ぜひともさまざまな面で甘えようという魂胆でご招待した次第です。さあ、どうぞ心ゆくまで楽しんでお過ごしください」
ブライアンのユーモアたっぷりなスピーチに、ゲストがどっとわく。そんな中、真っ赤なドレス姿のスーザンさんとデイビッドおじさん、そして、いつの間にか加わっていたパティの祖母――マダム・エヴァだけが、にこりともせず窓際にたたずんでいた。
それにしても、黒いドレスでキメたマダム・エヴァがすごい。あれ、本当に魔法で動いてる蝋人形なの? どこからどう見ても本人にしか見えないのに!
「で? どういうことだ」
銀のトレイを持つヘンリーが、わたしとジェイを交互に見て言った。
そんなヘンリーの運んでいるドリンク類は、次から次とゲストの手にわたっていく。リビングのすみに誘導しながら事情を伝えると、危機的状況のわたしをジェイが救ったという事実が受け入れがたいらしく、ヘンリーは不服そうに眉を寄せた。
「あと一分きみの戻りが遅かったら、おれも駆けつけるつもりだった……が、いまとなっては負け犬の遠吠えだな。とにかく、無事でよかったとしか言えない。腸が煮えくり返りそうだが感謝する……」
ジェイに言って、言葉を続ける。
「……が」
「が?」
わたしとジェイの声が重なった。ヘンリーはにこりともせず言い放つ。
「さては、そのあとでいちゃついたな」
「えっ!?」
顔を赤くしたわたしを見ると、ヘンリーは半眼になった。
「なんだ、カマをかけただけなのに本当にいちゃついたのか。あとで慰謝料を請求してやる」
慰謝料ってなに!?
「あ、あなたとわたし、つきあってるわけじゃないでしょ!」
「未来の妻が浮気したんだ。立派に請求できるだろう。とはいえ、いまはそれよりも書斎の件が興味深い。痴話喧嘩はあとのお楽しみにとっておいて、いますぐに潜入すべきだ」
未来の妻にされたわたしへの慰謝料請求が、「それより」扱いに格下げされて、ヘンリーがどこまで本気なのかわからなくなってきた。いろいろと突っ込みたいし、もっと激しく拒否したいところだけれど、たしかにヘンリーの言うとおり、いますぐにでも潜入したほうがいい。だけど、大事な問題が残っている。と、リビングの一角を盗み見たジェイが、げんなりとした顔つきでサラダを盛りつけている背の高い美女を親指でしめした。
「鍵を開けられる檻の中の美女って、もしかしてあれかな?」
「そう。かわいそうでしょ?」とわたし。
「もはや、あの変装の意味もなくなったがな」
TDのそばには、彼の一挙手一投足を監視している女性がいる。どうやってTDをあそこから脱出させたらいいのか、三人で頭をひねる。と、ジェイがおもむろに嘆息した。
「ヘンリー、ぼくがTDを助け出せたら、きみとジーンは振り出しに戻るっていうのはどうかな?」
「ええっ!?」
「ほう? 興味深い提案だが、却下する」
却下が早い。せめてもう少し考えてから答えてほしい! ジェイが苦笑した。
「じゃあ、慰謝料を請求するのをやめるって言うのは?」
眉をあげたヘンリーは、「いいだろう」と渋々了承した。ジェイが言う。
「十五分後、図書室で落ちあおう」
「わかった。でも、あの図書室ってどうしていつも人がいないんだろ。内緒話するのに最高の場所なのに」
「ぼくがいたときは、ドアが開け放たれてあったんだ。でも、そのあとでドアを閉めるようにしたから、人間の心理が働いて躊躇してしまうのかもね。開けてもいいか、失礼じゃないか……みたいに。もっとも、酔いがまわる時間までだろうけど」
ジェイが言った。なるほど。
デイビッドおじさんがジェイを探しているので、わたしたちから離れていったん顔を見せた彼は、おじさんの知人と握手や会話を交わしつつ、やがてじょじょにその場を離れ、TDのいる料理ゾーンに向かいはじめた。わたしとヘンリーはウエイターの役割を果たしながら、ゲストたちの動きをそれとなく観察する。
スーザンさんが知人を見つけて談笑している一方、マダム・エヴァはじっと一点を見すえている。その視線の先には、たくさんの人に囲まれたブライアンがいた。
軽快な音楽を流すDJのそばには、ジェイに言い寄っていた女の子たちが集まり、そんな彼女たちに、育ちのよさそうなお金持ちのご子息らが群がっていく――と、その中に、どこからともなくあらわれた背の高い男性がくわわった。背中しか見えないけれど、あのすらりとした肢体には見覚えがある気がする。やがて、グラスを手にしたブライアンも、さりげない態度でそちらに近づいていく。そうして若者に混じったブライアンは、なにやらジョークを飛ばしたらしく彼らを笑わせた。
「……ジーン。本当にあいつの目が赤くなったのか?」
ヘンリーに訊かれて、わたしはうなずいた。
「うん。間違いなく人間じゃないよ」
ヘンリーは思案するかのように押し黙る。
ブライアンを中心とした若者の輪が、ふいになぜか不気味に静まった。まるでカメラのシャッターをきるときのように、全員の動きがピタリと止まったようだった。けれど、すぐに談笑に戻る。あれ? いまの、なんだったんだろ?
「いま、なにかおかしかったな」
ヘンリーが口を開いた。
「う、うん……」
「さっきからなにげに考えていたんだが、今夜、この場所には、この国とは言わずともこの街の有力者がごっそり集まってる。あいつは、自分に力を貸してもらうためだと言っていたが、もしかして――」
「もしかして、なに?」
ヘンリーは険しげに眉を寄せた。
「きみにしたことを、いっそここにいる全員にするつもりだとしたら、ものすごくマズいことになるんじゃないのか」
「えっ……え?」
「ゾンビに噛まれてゾンビになるみたいなことが、もしもここで秘密裏におこなわれたら、有力者全員があいつの手下になるような事態になるんじゃないのか?」
「ま、まさか! 全員はきっと無理だよ。だって、わたしみたいな素朴っぽい子が使えるとかなんとか言ってたし……」
「あそこにたむろしてるのは、親のすねをかじってる能天気な第二世代だぞ。ちまちまとしたきみのような相手への洗脳はやめて、いっそ彼らから攻めることにしたのだとしたら?」
ブライアンを囲む若者の一人が、こちらを見た。そのとき、両目が赤く光ったように見えた。えっ――と声にしそうになった矢先、背中を向けていた男性が振り返る。
忘れようはずもない。黒髪をオールバックにした、年齢不詳の人間離れした端正な容姿。
魔界の使い魔――コルバスだ!
「へ、ヘンリー、あれ」
「ああ。もはや疑いようもないな」
マダム・エヴァの横顔が険しい。足を支えている杖を、握りなおしたように見えた。
「なんか……も、もしかして、けっこうヤバいのかな」
「けっこうじゃなく、かなりヤバいかもな。とにかく、十五分だ」
ドリンクを渡すようなふりをしつつ、リビングを横切っていく。そうしながらサラダゾーンを振り返ると、TDの救出に成功したのかすでに二人の姿はなかった。
廊下に出ようとしたとき、わたしのうしろにいたヘンリーが、
「きみ、もうドリンクはないの?」
ゲストに呼び止められてしまった。
「すみません、ほかのウエイターに頼んでいただけますか?」
「探すの面倒だよ。きみが持ってきてくれたらいいだろ。ウイスキーのロックを頼む」
ヘンリーが息をつく。と、わたしに耳打ちした。
「先に行ってくれ。すぐに行く」
「わかった」
ブライアンとの会話を求めるゲストたちの全員がリビングに押し寄せていて、ほんのいっときとはいえ、廊下は閑散としていた。書斎を守る護衛の視界に入らないよう、こそこそと廊下に出ると、図書室のドアのすき間から顔出していたTDが、わたしに手招きをした。急いで図書室に向かうと、ジェイがドアを閉めて鍵をかける。
「ジーン、ヘンリーは?」
「ドリンクを頼まれたから、それを運んでから来るよ。やったね、TD! 自由になれてよかった! ジェイ、どうやったの?」
「元カノだから少し話させてくれって言ったんだ。ゲストの元カノじゃ、自由にせざるをえないかなと思って」
なるほど!……っていうか、なんでだろ。TDにもやもやしてきたけれど、いまはそんな気分に左右されている場合じゃない。一刻も早く、書斎のラグを引っ剥がしてみなくちゃ!
「書斎の鍵、開けられる?」
TDはスカートのポケットから、大量のカードキーを出して見せた。
「ああ。ここん家の鍵は全部開けられるからまかせろ。ヤツの書斎はこいつと、おれが記憶してる暗号キーで開くはずだ」
そう言って一枚口にくわえ、残りをポケットに押し込める。と、おもむろに携帯を手にしたTDは、戸惑うように眉を寄せた。
「……んが? 電波がきれてんぜ……?」
「えっ?」
わたしとジェイも携帯を見る。さっきまで届いていたはずの電波が、きれいさっぱりきれていた。三人同時に顔を見あわせた直後。
――バタン、ガチャン。バタン、ガチャン!
ドアの向こうでたて続けにドアが閉まり、鍵がかかっていく音がたつ。突然のことにびっくりし、図書室のドアを細く開けて廊下を見ると、リビングに通じるドアというドアががっちりと閉まっていた。
「なんだ?」とTD。
「……まるで、ゲストを閉じ込めてるみたいだね」
なにげないジェイのつぶやきに、わたしとTDは息をのむ。青ざめた顔でドアを閉めたTDは、声を押し殺して告げた。
「――みたいじゃなくて、マジで閉じ込められたんだ。たぶん、おれたちをのぞいた全員が」