29:It's a Show time![2]
目があった瞬間、背筋に悪寒が走った。
危険を回避しようとする動物的な本能って、人間にもちゃんとあったりする。
だから、どんなにハンサムで素晴らしい容姿だとしても、あきらかにヤバそうな雰囲気を放ってるタイプに出くわすと、理屈なんてすっ飛ばした五感が教えてくれたりするのだ。
こいつはダメだ、こいつはヤバい――みたいな感じで。
「なにを突っ立ってる?」
ブライアン・ライトが指でデスクを叩いた。ここに置けという意味だろう。
「は、はい。ただいま」
さっさと退散したい衝動に堪えつつ、落ち着き払って近づく。そうしながら、まるで中世のお城みたいな重厚さのある書斎を見まわし、悪魔っぽいものはないか密かに探った。年代ものの高そうなラグに、書棚とチェスト、暖炉、長椅子、観葉植物……って、ものすごく普通。ああ、もっとわかりやすくヘンなもの置いておいてほしかった!
歯ぎしりする思いで、デスクにグラスを置く。そんなわたしの一挙手一投足を、ブライアンは微笑みながら目で追っていた。
すべてを見透かしていそうな眼差しが、なんとも不気味すぎる。なにを考えているのかわからない笑顔なんて、映画に登場する悪党そのものだ。そう考えると、俳優ってやっぱりすごいかも。だって、本物の悪党みたいに演じられるんだもの……なんて現実逃避してる場合じゃない。
この人からなにかを探りだすなんて、わたしの技量じゃ絶対ムリそう。いったんヘンリーと合流したほうがよさそうだ。っていうか、まさかヘンリーとの合流を望む日がくるなんて、自分でも信じられない。わたし、だんだんヘンリーにコントロールされてない? いや、断じて、そんなこと信じたくない!
「そ、それでは、失礼します」
とにかく、ひとまずこれでお役目終了。書斎の様子をヘンリーに伝えるため、ざっと記憶しながら一礼してきびすを返そうとした、矢先。
「待て、そうビビるな。きみは学生か?」
呼び止められてしまった。振り返ると、椅子から立ったブライアンがシャンパンを飲む。わたしはおそるおそる向きなおった。
「は……はい」
「高校?」
なんのための事情聴取かわからないので、嘘をつく。
「だ、大学です。その……クレセントシティ大学」
「専攻は?」
「ジャ……ジャーナリズムです」
完全にパパの影響だけど、わたしの将来の希望でもある。
「手堅いな」
グラスを空にしたブライアンが、わたしに近寄る。と、ニヤリと笑んだ。
「おれは、抜け目なく立ちまわる野心家が好きじゃない」
そう言うと、わたしの手から銀のトレイを奪い、ドア横のチェストに置いた。
「は、はあ……」
距離が近い。なにやらマズい予感がしてきた。逃げられないこの距離はかなりよろしくない。一歩二歩としりぞきながら、TDお手製の武器を握るため、さりげなくパンツのポケットに手を入れようとした瞬間、ブライアンがわたしの肩に両手を置いた。
「そういう輩は、必ずと言っていいほど欲深いんだ。わかるだろう?」
そう言って、顔を寄せてくる。肩に置かれた手の力が強くて、わたしの動きは完全に封じられてしまった。え……なにこれ。
「もちろん、そういった欲深さは使えるときもある。だが、今夜のような不特定多数を相手にする場合は混乱し、無意味に暴れるはめになる。だから――」
言葉をきって、わたしの目をまっすぐに見下ろした。
「今夜は、きみのような実直なタイプがいい。きみは細々と使えそうだ」
直後、ブライアンの両目がルビー色に変化した――って、うっそ!
やっぱり人じゃない! 全然人じゃない!! ヤバいマズい、のっとられる!
そう直感し、慌ててポケットに手を入れるも、突如身動きがとれなくなった。刹那、床に敷かれたラグがじんわりと光る。それはまるで、ラグの裏側、床から直接放たれているかのような奇妙な光り方だった。でも、そんな光景も血のような色に輝くブライアンの双眸に邪魔をされ、わたしの意識がどんどん消えかかっていく――そのとき、突然ドアが開く。
「おっと、これは失礼。化粧室かと思ったので」
とっさに目の色を戻したブライアンはわたしから離れ、ドア口にいる人物を見すえた。
「……化粧室じゃない。護衛はどうした?」
「さあ、いませんでしたよ。そっか、ここってあなたの書斎だったんですね」
聞き覚えのある声の主を、視界に入れる。やっぱり、ジェイだった!
もしかして、助けに来てくれた? いや、わたしの変装はバレていないって思いたいから、本当に化粧室と間違えただけかもしれない。
険しげな視線でわたしを一瞥したジェイは、とっさにむりやりな笑みをつくってブライアンに会釈した。
「ほんと、すみません。失礼しました」
ブライアンがなにか言いたげに口を開く。その言葉を待つことなく、書斎のドアを開け放ったジェイは、通路で談笑しているゲストに向きなおって声をはりあげた。
「みなさん、お待ちかねの今夜の主役を発見しました! 拍手でお迎えしましょう!」
とたんに歓声があがる。かすかに舌打ちをしたブライアンは、通路に向かって笑みを向けつつ、わたしに耳打ちした。
「――いったん忘れろ」
二本の指でわたしの首の付け根を突く。動けるようになって、ポケットから手を出した瞬間なにかを落とした気がした。確認しようとするわたしを、「早く出ろ」とブライアンが急き立てる。ざっと床を振り返ったけれど、落ちたようなものは見あたらない。気のせいかと思いながら書斎を出ると、ブライアンがドアを閉める。同時に鍵のかかる音がした。
ゲストの歓声に包まれたブライアンは、ジェイに向かってわざとらしく微笑んだ。
「きみのことは知ってる。デイビッド・キャシディの後継者だな?」
そう言うと、右手を差し出す。
「ええ。ぼくはあなたをよく知りませんが、今夜のお招き感謝します」
ジェイも微笑み、その手を握り返した。ブライアンがジェイを見すえる。
「こちらこそ、ゲストへの紹介を感謝しよう」
「どういたしまして」
ジェイもブライアンを見返した。手を離したブライアンが、ゲストに囲まれながら通路を歩き去っていく。その姿がリビングに消えたとたん、ジェイが言った。
「きみ、さっきも会ったよね? きみによく似た子を知ってるんだけれど、もしかしていとこかなにかかな?」
「えっ……と、え?」
ジェイがわたしを横目で見る。けげんそうに細められた視線は、いつになく険しい。
「声も似てる。いや、そっくりだ……って、こんなやりとり時間の無駄だしバカみたいだ。まったくもう、なんできみがここにいるんだ!?」
声を荒らげた自分に驚いたのか、ジェイはとっさに片手で口をふさぎ、周囲を見わたす。音楽とアルコールと談笑に夢中で、誰もこちらに気をとめていない。ため息をついたジェイは、まわりを気にしながらわたしの右手をつかみ、図書室をのぞいた。誰もいないのを確認し、わたしを先に入れるとドアを閉めて鍵をかける。そうしてわたしに向きなおり、困り果てたかのように髪をかきあげた。これって、つまり、ようするに?
「……もしかして、バレてる?」
「もしかしなくてもバレてるよ」
「い、いつから?」
「きみと目があった瞬間に、背格好でピンときた。ほかの人は騙せても、ぼくにはわかる」
「どうして?」
「どうしても」
怒っているような呆れているような複雑な顔で、わたしの目の前に立つ。
「ピ、ピチピチドレスの女の子とか、ほかのかわいい女の子たちとかは……」
「ピチピチ?」
「さっき、ここにいたでしょ? かわいくてセクシーな子」
「姿なんか覚えてないし、まるごと巻いたよ」
瞬殺だった。
「そ、そっか」
にやけそうになるわたしに、ジェイが厳しく突っ込んだ。
「で? さっき、ブライアン・ライトの書斎でなにをしてたの」
そう訊かれたとたん、頭に霞がかかったみたいになる。あれ? わたし、なにをしてたんだったっけ……? って、そうだった。
「頼まれて、ドリンクを運んだだけだよ」
「運んだだけ? そうは見えなかったけど?」
思い返しても、その記憶しかない。
「ほんとに運んだだけだよ?」
納得していない様子のジェイは、けれどわたしの返答を信じようとするかのように嘆息した。
「……まあ、きみがそう言うなら、無事みたいだし信じるけど」
「そういえば、護衛の人いなかったんでしょ? どうしたんだろ」
「あそこから遠ざけたくて、ゲストの喧嘩をとめてくれって嘘をついたんだ。とっくにバレてるだろうけど、パーティなんだからどうせうやむやにされる」
書斎に入るわたしを見て、気が気じゃなかったとジェイは言った。ごめんなさいと謝ると、ふたたび呆れたように息をつく。
「たぶんだけど、これってきみ一人の仕業じゃないよね」
「よ、よくご存知で……」
やっぱりとでも言いたげに、ジェイは表情を険しくさせた。こんなに怒っているような顔のジェイは、はじめて見たかもしれない。
「これ以上聞くのが怖くなってきたよ。とにかく、そんな変装までしてなにをしにきたの。というか、どうやってここに潜り込んだのか教えてくれる?」
口調はいつもみたいにやわらかいのに、有無を言わせない圧があった。バレてしまったからにはしかたがないので、TDとヘンリーとともに潜入した目的と方法を伝える。あ然としたジェイは、冷静になろうとするかのように目を閉じた。
「……きみたちみんな、どうかしてるよ」
「うん……まあ。否定はできないかな」
ジェイは目を閉じたまま、眉根をきつく寄せた。
「……ここがどういう場所か、もちろんわかってるんだよね?」
「う、うん。もちろん」
ぱっちりと目を開けたジェイは、さらに眉をひそめて顔を近づけた。
「目的は本当に、ブライアン・ライトの弱点を探ることと、失踪している女子高生の行方を探ることだけ? ほかにはない?」
はっとして息をのんだ私を、ジェイは見逃さなかった。
「ほかにもあるんだね?」
うん、あるよ。あなたがどこへも行かないように、あなたを見守るために来ただなんて言えない。
「な、ないよ」
「いまさら嘘をついたって無駄だよ、ジーン。でも……」
ジェイが視線を落とす。
「言いたくないならしかたない。なんにせよ、ランドリールームから出入りできるなら、TDとヘンリーと一緒にいますぐここから去ったほうがいい。ぼくがなんとか誘導するから」
「……えっ?」
「ブライアン・ライトの弱点も失踪している女子高生の行方も、デイビッドとスーザンとぼくが探る。カルロスもバンで待機してるし、いざとなれば市警とFBIもいる。きみたちが危険を犯す必要なんてなにもないんだ」
わかってる。わかってるけど、でも――。
「あるよ」
思わず言ってしまった。今度はジェイが息をのむ。
「危険だってことはちゃんとわかってる。だからできるかぎり準備したし、無茶なことはしないってみんなで誓ってる。TDはパティのためだし、ヘンリーはパパとか市警のために、なにかしたいって思ったから来たの。みんなの邪魔は絶対にしないし、みんなが帰る前にはこっそりいなくなるって約束するから、必要ないなんて言わないで」
ジェイが瞠目した。と、探るように片目を細める。
「……じゃあ、きみは?」
「えっ」
「TDとヘンリーの目的はわかったけど、きみは?」
「わ、わたしは……わたしも同じだよ」
「ジーン。もしもここに残りたいなら、全部話してくれなきゃ協力なんかできないよ」
わたしが押し黙ると、ボトムのポケットに片手を入れたジェイは、思案するかのようにまた髪をかきあげる。そうしてから、携帯を取りだした。
「……いいよ、わかった。ヘンリーとTDに連絡するから、どこかで集合してランドリールームからいますぐ去ったほうが――」
「あ、あなただよ! わたしの目的は、あなた!」
携帯を握るジェイの手首をつかみ、言ってしまった。
「今夜、なにか大きなことが起きたら、それがきっかけであなたがいなくなっちゃうかもしれないって、デイビッドおじさんとあなたが話しているのを聞いちゃったの」
ジェイは大きく目を見開き、動きをとめる。
「難しくてよくわからなかったけど、とにかくそんなふうに言ってたから。だから、なにかあったらあなたを引き止めなきゃって。それに、あなたを連れて逃げなくちゃって。だから、この建物の見取り図も携帯に保存してあるよ。用意してくれたのはTDだけど、わたしにだってできることはあるかなって。だから、お願いだから――」
わたしはジェイを見つめながら、彼の手首をさらに強く握る。
「お願いだから、なにかあっても戦わなくていいから、わたしと一緒に逃げよう、ジェイ」
まばたきもせず、ジェイがわたしを見つめる。
「だから、どこかに消えていなくなったりしないで。わたし、まだ、あなたのことなんにも知らないんだもの。せっかく友達に――」
なれたのに。そう言葉を続けようとしたわたしの唇が、ジェイの唇でふさがれた。
ソーダ水の泡が弾けたみたいに、鼓動が跳ねる。今度はわたしが固まると、顔を離したジェイが吐息交じりに言う。
「友達じゃない」
間近にジェイの瞳がある。
「友達じゃいやだ」
信じられない。ときめき度数がマックスまでふりきって、いまにも倒れそうになった瞬間、あろうことか思い出してしまった。
ブライアン・ライトの目が赤く光ったことや、のっとられそうになったこと、そのとき、ラグの裏側から光が放たれたことのなにもかもを、こんないい感じのときに思い出しちゃうなんて!
「うっ……お、思い出した……!」
両手で頭を抱えたわたしを、ジェイが不安げにのぞき込んだ。
「……思い出したって、なにを?」
もしかして、眠り姫が王子さまのキスで目覚めたみたいに、わたしの消された記憶もジェイのキスで蘇ったとかだったりして? 可能性はゼロじゃないけれども。
こんなときにかぎって! 許すまじだよ、ブライアン・ライト!
「こ……この続き、覚えていてくれる?」
ほんのりと耳を赤くしたジェイが、苦笑した。
「わりと恥ずかしいこと言った気がするから、忘れたくても無理かな。それで? なにを思い出したの?」
わたしはジェイを見つめ、告げた。
「書斎のラグの下に、ブライアン・ライトは絶対なにか隠してる!」