28:It's a Show time![1]
ハンドルを握るTDは、目的の高級アパートから一ブロック離れた歩道にバンを寄せてエンジンをきった。運転席からこちらに移動し、シート下の紙袋を探る。古着の上着を適当に取り出すと、わたしとヘンリーに羽織るよううながした。
「……なんだ、この真緑の派手なボーリングシャツは」
不服そうにヘンリーが言う。一方、わたしに渡されたのは、工科大学のロゴが刺繍された地味なジャケットだ。
「ヘンリー、それかわいい! わたしそっちがいい!」
交換するわたしたちに、TDはさらにどこからともなく上着を引っ張り出した。
「おっと、ちょい待ちジーン。なら、こっちにストーンズのツアーパーカもあんぜ? あと、たしかディズニーキャラのピンクのトレーナーもあったはずなんだよな」
「ええっ? それ全部わたしの大好物だよ。捨てちゃうなら欲しい!」
バーゲンではしゃぐ女の子同士みたいなわたしたちに、ヘンリーがつっこんだ。
「もうなんでもいい。あとにしてくれ!」
目立つのはよくないというヘンリーの意見が採用され、紺やらグレーやらの無難なアウターに無事落ち着き、わたしの欲しいものは死守された。
「そんで、こいつがIDだ。にっこり笑って挨拶して、守衛室のカードリーダーに通せ。なくすなよ」
周囲に気を配りながらバンをおり、美女と化しているのに大股で闊歩するTDに続く。通り過ぎる紳士たちの視線をガン無視したTDは、
「渡るぞ」
ガニ股でハイヒールを鳴らしながら駆け出し、通りを渡った。すると、ヘンリーが不安げに目を細める。
「あの動きはかなりマズいんじゃないのか」
「う、うん。でもほら、中に入っちゃったらいまみたいに走ることとかないし?」
反対側の歩道に立ったTDは、こちらを向いて手を振りながら、ぼりぼりと金髪のカツラをかきはじめちゃった。やっぱりマズそう。
「わたしも不安になってきた」
「とりあえず、おれたちで彼を挟んで歩けば、少しは小股になってマシかもな」
車が途切れたのを見計らい、通りを渡る。TDを挟んだわたしとヘンリーは、背の高い彼の背中や腕に手をまわす。
「うおっ、なんだどうした」
「あなたの動きが美女じゃないから、ガードしてくの!」
「あ? マジか、全然気づかなかったぜ」
「そうだろうな、もうしゃべるな。言動のすべてが見た目にあってない」
執事みたいなヘンリーとパパ似のわたしが、一人の美女をとりあっているかのような様相で歩くはめになる。そのせいで、通り過ぎる人たちに「がんばれ!」だとか「負けるな!」だとか、からかいの応援までいただく状況におちいってしまった。目立ってはいけないのにじゅうぶん目立ってしまい、ゴール地点の近くの路地にいったん隠れる。
「TD。他人のいるところではしゃべらず、微笑むだけにしろ。あと、せめて小股で歩いてくれ」
TDはお口にチャックをする仕草を見せ、うなずいた。
落ち着くため、全員で深呼吸をする。そうして、路地の先を見たヘンリーが言った。
「よし、行くぞ」
こうなったら一刻も早く、ブライアン・ライトの自宅に潜り込んでしまいたい!
★ ★ ★
IDのおかげで守衛室はすんなり通れた。表側は高級ホテルさながらでも、裏にまわれば配線やコンクリートがむきだしだ。雑多な裏口から入り、カートに積んだ荷物を運ぶ若いスタッフとともにエレベーターに乗る。TDが階数を押す箇所にIDを通し、五十六階のボタンを押した。すると、スタッフも自分のカードを通し、二十九階を押す。ドアが閉じてエレベーターが上昇すると、スタッフがTDを熱く見つめながら言った。
「きみ、どこかに雇われたメイド? はじめて見るけど、名前は?」
これはヤバい。放っておいたら、デートに誘うための詳しい事情聴取がはじまってしまう! 困り顔のTDが唇を引き結ぶと、ヘンリーが助け舟をだした。
「彼女は新人メイドだ。他スタッフとの接触を避けるよう、強く言いつけられている」
ヘンリーのでまかせにぎょっとしたわたしは、ごくりとつばをのんでスタッフを見守る。彼は疑いもせずにっこりした。
「ああ、そっか。上階は担当じゃないからわからないけど、もしかしてきみらもそこの使用人?」
わたしとヘンリーを交互に見る。
「そうだ」
「こんな時間に呼び出されて同情するよ。おれは配送担当だ。二十四時間、貴族どもが注文した品をこうして届けてる。ま、そのうち飲みに行こうぜ。どうせきみらのボスにはバレないさ」
二十九階でエレベーターがとまり、彼は「じゃあな」とTDにウインクし、カートを押しておりた。息を止めていたわたしとTDは、すまし顔のヘンリーを尻目に深く嘆息する。
「い、生きた心地がしない……っ」
「まったくだぜ」
腕を組んだヘンリーは、TDを横目で見すえた。
「TD、きみは想像以上にヤバそうだぞ。いろんなヤツに口説かれて邪魔をされ、ブライアン・ライトの弱点を探るどころじゃなくなるかもな」
舌打ちをしたTDは、ガニ股で頭を抱え込んだ。
「あああ、くっそ面倒くせえ……! 絶対正体がバレねえからいいと思ったのに!」
それはそうだ。そうなのだけれども!
「正体はバレないかもだけど、モテモテだよ。でも、なるべくうつむいてゾンビっぽい顔つきしてみたらどうかな? そうしたら、みんな気味悪がって避けてくれるかも?」
TDが目を丸くした。
「さすがじゃん、ジーン。なるほどな」
うつむいて猫背になり、じっとりとした半眼になる。ヘンリーが言った。
「……挙動不審な女子にしか見えないが、まあいい。目立ってたさっきより多少はマシだろう」
五十六階でエレベーターをおりる。上着を脱いでケータリングスタッフの制服になったわたしたちは、いったん居住通路に出る。壁に設置されたダストボックスに上着を捨ててすぐに戻り、非常階段で二階上のペントハウスを目指した。
階段をあがりきり、しゃがんだヘンリーがドアを薄く開ける。TDとわたしも片目をのぞかせ、通路の様子をうかがった。左斜め前方に使用人専用のドアがあり、暗号キーとなる番号を押す機器も見えた。そこまでの距離、約五メートル。でも問題は、左側のつきあたった角のあたりで、黒いスーツ姿の巨体がうろうろしていることだ。
「うう……あのクマさんみたいな人、すごい邪魔かも」
「……いったん作戦タイムだ」
ヘンリーがドアを閉めた。
「あいつは出入り口を守ってるナイトの一人だな」
「ああ。ヤツが姿を消した瞬間、誰かが先に行ってキーを開け、それからいっきになだれ込んだほうがよさそうだ。もち、おれが先に行くぜ」
「よし、頼む」
ふたたびドアを細く開け、巨体のナイトが姿を消すタイミングをじりじりと待つ。三分ほど経ったとき、ゲストを迎えるためか見えなくなった。いまだ!
TDがドアに向かう。機器にカードキーを通し、番号を押した。
――ガチャン!
予想外に大きな音がひびき、巨体ナイトがとっさに姿を見せ、ベルトのピストルに手をかけながら近づいてきた。
TDが先に潜入成功したものの、わたしとヘンリーはまだ非常階段だ。とっさにドアを閉めたヘンリーが耳をすます。わたしも息を殺しながら、ドアに耳をくっつけて様子をうかがった。もしもあの巨体ナイトがこのドアを開けたら、わたしとヘンリーはペントハウスに潜り込むことなく、いっかんの終わりを迎えてしまう。
どうする? どうすればいい!?
「――おい、どうした?」
もうひとりのナイトらしき声が、通路の奥から発せられた。つばをのんで身構えていると、
「なんかこっちから、鍵が開くみてえなでかい音が聞こえた気がしたんだ」
野太い声音がごく近くから放たれる。
「誰もいねえし、そこの鍵開けられんのはライトさんだけだ。いいから持ち場に戻れ。まだまだ客が来るんだから」
立ち止まった気配が、ゆっくり遠ざかっていく。たっぷりと間を置いて、ヘンリーがふたたびドアを開ける。細く開いている使用人専用ドアめがけて、まずはわたしが突撃し、ヘンリーも続く。TDがそっとドアを閉めた。そのとたん、全員で壁に手をつき息を吐いた。
「解錠音がでかすぎだぜ……!」
TDがげっそり顔でつぶやくと、ヘンリーが言い放つ。
「改良の余地ありだな」
わたしは倒れ込みそうになるのを必死にこらえ、落ち着くために深呼吸をする。まったく、いちいち生きた心地がしなさすぎる……と遠い目をしたときだった。
「ちょっと、あなたたち。こんなところでなにサボってるの。持ち場はどこ?」
ナプキン類を抱え持った同じ制服姿の女性が、わたしたちを見るや眉をひそめた。あっちが無事でもこっちがダメかも。心臓をバクバクさせながら視線を泳がせた直後、ヘンリーはぴくりとも表情を変えず涼し気に言った。
「おれたちは本部から急遽予備で集められた補欠スタッフです。予備なので持ち場は決まっていませんが、スタッフの指示にそのつど従います。聞いていませんか?」
女性が困惑する。
「聞いてないけど……まあ、今夜は猫の手も借りたいから、それはそれで助かるわ。けど、どうしてこんなランドリールームにいるわけ?」
「持ち場もまだ決まっていないのにうろうろすると邪魔なだけなので、ここで指示を待つようスタッフの方に言われ、待機していました」
女性がうなずいた。
「ああ、そうだったの」
ヘンリー……あなたがいてくれてよかったって、いまほど思ったことないかもしれない!
「じゃあ、さっそくお願いしようかな。あなたたち二人にはウエイターになって、ドリンク類を運んでもらいたいわ。あなたは料理を盛るスタッフのサポートをお願い。とりあえずみんな一緒に来て」
女性が背中を向ける。ヘンリーがうなずいたので、わたしたちはとりあえず彼女のあとに続いた。と、女性がTDを振り返る。
「あなた、すごい猫背じゃない。もっと背筋伸ばして。それに目もきちんと見開いて、笑顔で愛想よくね。でも、あなたみたいな子を誘おうとするゲストがいるから、わたしも目を光らせておくけれど、絶対に持ち場から離れちゃダメよ」
自由を奪われたTDがげっそりした。もうダメだ、ひとり消えた。これでTDは持ち場を離れられなくなった。なんの目的でここへ来たのかわからなくなりそうだけど、でも大丈夫。まだわたしとヘンリーがいる!
ランドリールームをあとにし、食事がおさまる木箱やドリンク類が並ぶキッチンを過ぎると、きらびやかなセレブだらけの広いリビングに出た。ジェイやデイビッドおじさんの自宅さながら、五十八階の窓に光り輝く摩天楼の夜が広がる。リビングの奥の開け放たれた窓からは、植物園みたいなサンルームに出られるらしく、ドリンクを片手に持った談笑する男女が行き来していた。
リビングの広さにくわえて想像以上に人が多く、ジェイもデイビッドおじさんもスーザンさんも、どこにいるのかわからない。
それに、このパーティの主催者――ブライアン・ライトも。
「じゃあ、あなたがたはドリンクコーナーにいるルーカスのところに行って。あなたはこっちよ」
TDが青ざめた顔で振り返った。もはや、天然でゾンビ化しちゃってる。とはいえ、こうなるとさすがのヘンリーでもどうしようもないので、女性に連れ去られていくTDをただただ見送った。
「ものすごい苦労の末、ケータリングのバイトに来ただけみたいになってきたな」
否定できない。でも!
「あなたとわたしは動けるから、TDのぶんまでできるかぎり探ってみなくちゃ」
そう言いながらドリンクコーナーに向かうと、ヘンリー以上に執事っぽい男性が言った。
「やあ、ルーカスだ。この十数分ほどの間ですでに何人かクビにされているから、補欠スタッフは助かるよ」
「クビ? クビって、誰にですか」
わたしが訊くと、彼の眉が八の字になる。
「今夜の主催者、ライトさんだよ。いま書斎にいてもうすぐあらわれると思うけど、どうしてもはじめの一杯を飲んでからにしたいそうだ。ってことで」
シャンパンをグラスにそそぎ、銀のトレイにのせた。
「リビングを出た通路のつきあたりが、彼の書斎だ。護衛が立ってるからすぐにわかるよ」
そう言って、ヘンリーを見る――と、ルーカスさんがトレイを差し出した。
「きみ、行ってくれ」
わたしに言った。えっ、なんでわたし!? ヘンリーがぎょっとする。
「おれではダメですか?」
「きみみたいなタイプを何人か行かせて、速攻でクビにされたんだよ。たぶん、機転が利きそうな野心家タイプに見えるのがよくないのかもな。で、おれもそっちのタイプに見えるだろうから、当然ダメ。おれがいなくなったらここを仕切れる係が不在になるから、真逆なタイプっぽい彼に頼みたいってわけ」
「真逆なタイプ?」
ヘンリーが不安げにわたしを見た。
「よく知らないのに見た目で判断するのも気が引けるけど、野心とはほど遠そうで、純朴かつ真面目そうなタイプってことだ。これ、褒めてるからな」
彼が言う。わたしが返答するのを待たず、言葉を続けた。
「そろそろゲストも集まりきってきたから、ライトさんもゆっくりしてはいられないはずなんだけどさ。この一杯を頼まれたからには「もういい」と言われるまで、こちらとしても断れないんだ。ってことで、とにかく急いで持っていってくれ」
ぬるくなる前に頼むと、トレイを手でしめす。わたしはごくりとつばを飲んだ。
理由はどうあれ、これはものすごいチャンスだ。なんといっても、張本人に真正面から会えるんだもの。このままなにもせずに帰ったらヘンリーの言うとおり、ここまでわざわざバイトをしに来ただけみたいになっちゃう!
「わかりました、行きます」
ヘンリーはきつく眉を寄せた。わたしは余裕で笑みを向ける。
「大丈夫だよ。シャンパンを渡すだけだもの」
重ねたトレイを持った別のスタッフが、「そこのきみ手伝ってくれ」とヘンリーを呼ぶ。急かされたヘンリーは、眼光を鋭くさせながらわたしに耳打ちした。
「探るとか余計なことはしなくていい。なにかあったらアレを使って、なにがなんでも逃げろ」
アレとは、ポケットに入れているTD作の超小型ピストル、催涙スプレー兼スタンガンのことだ。
「わかった。ありがとう」
ヘンリーは小さくうなずき、スタッフのもとに向かった。とうとう全員、バラバラになってしまった。
トレイを手にしたわたしは、お上品に会話を楽しむゲストだらけのリビングを過ぎ、広い通路に出る。ここもゲストだらけ……と思った矢先、洗面所らしきドアからスーザンさんがあらわれた。わたしに気づかず、リビングに戻る。ここにいるってバレていなくても、みんながいるとわかるだけですごく心強い。
意気揚々と通路の奥めがけて歩いていると、ドアの開け放たれた図書室を見つけた。そこで、モデルばりに着飾った三人の女の子たちに囲まれて、身動きのとれなそうな男の子の姿が視界に飛び込む――って。
――ジェイだ!
「あなた、読書家なの? オススメの本があったら教えてくれない?」
「ねえ、ここって南国みたいなサンルームがあるの。そっちに行きましょうよ」
「ダメ。ここに座っておしゃべりするの」
「すべてやめておきます。失礼、デイビッドとはぐれてしまったようなので」
なんとか逃れようとしているジェイが、通路にいるわたしに気づく。そのとたん、はっとしたように大きく目を見開いた。とっさに視線をそらしたわたしは、バクバクする心臓の鼓動に耐えつつ、奥に向かって歩みを進めた。
……なんか、バレた気がする。まさか、もうバレた!?
いやいやいやいや、さすがにそれはないってば。でも、とりあえずジェイが無事みたいでよかった! 一緒にいた女の子たちは気になるけれど、むしろああいう女の子たちに囲まれていたほうが今夜は無事かも。ものすごくもやもやはするけれども、彼の無事にはかえられないもの。今夜のジェイはひとりじゃないほうが、絶対にいい。
「……って、黒いピチピチドレスの子、どこかで見たことある気がする」
どこだっけ。ドラマ? 映画?……わかった、ネイルブランドのモデルの子だ! うわあ……あんなセクシーでかわいい子に誘われていちゃいちゃされたら、うっかりキスとかしちゃうかも。わたしが男の子なら、きっとする。むしろしないほうがおかしいくらいだ。
どうしよう、彼の無事を願う気持ちが、あやしくなってきた。
「止まれ」
ぼんやりしているうちに、書斎の手前に到着していた。屈強そうな護衛に引き止められるも、わたしの脳内はジェイとピチピチドレスの子のことでいっぱい。もはや、このシャンパンを飲みたがってるドアの向こうの相手なんて、どうでもよくなってきた。
護衛がドアを開ける。デスクを前にし、ペンを走らせているタキシード姿の人物が、顔をあげた。
手を止める。わたしを見ると、椅子の手もたれにゆったりと背中をあずけた。
……前言撤回。どうでもよくない。
「なんだ、いるじゃないか。やっとまともそうなヤツが来た」
ブライアン・ライトが、にやりと笑った。