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27:美女と執事とアルバイター

 看護師さんは医務室のデスクに突っ伏し、ぐっすりと眠っている。屈強そうな体格をしたスーツ姿の警護人も、それぞれがエントランス、廊下、リビングのすみの床に横たわり、寝息をたてていた。若干の罪悪感にさいなまれたわたしは、彼らの頭にクッションを滑り込ませ、ブランケットをかけた。お出かけチームを見送ったあとからこれまでの所要時間は、約三十分だ。
「どのくらいで目覚めるんだ?」
 ヘンリーが訊ねる。TDが言った。
「作用を弱めた睡眠薬だから、せいぜい二時間ってとこだな。それまでにここに戻ってるのがベストだ」
 わたしとヘンリーは了承した。
「そんじゃ行くぜ。変装道具一式はバンに用意してあるから、必要なもんだけ持ってけよ」
「とくにない」とヘンリー。
「ちょっと待ってて!」
 わたしは急いで自室に向かい、サイキックなパワーをおさえる薬を手にする。洗面所で飲もうとしたものの、ふと考えた。
 これを飲まなかったら、いざというとき、わたしのパワーが役にたったりしないかな。だって、もしもブライアン・ライトがピストルなんてもろともしない異界の存在なら、対抗できるのはジェイだけになる。魔女のエヴァもその場にいるけれど、魔法で遠隔操作された蝋人形なのだから意味がない。対するブライアン・ライトには、使い魔のコルバスもいるし、ゲストの中にだって仲間がいるかもしれないのだ。
 この薬を飲み忘れた夜のことは、はっきり覚えてる。すべての感覚が研ぎ澄まされたみたいになって、目の前に色とりどりの不可思議なものが見え、全身に電流が流れたような錯覚におちいった。自分の感情とパワーの流れが比例して、ソーダ水の泡にがんじがらめにされていくような息苦しさで、うまく呼吸ができなくなっていったことも記憶にある。
 もしもあのとき、デイビッドおじさんとジェイがわたしを落ち着かせてくれなければ、グラスを割る程度でおさまらなかったはずだ。逆に言えば、わたしにはそれほどのパワーがあるということになる。でも、わたしにはそのコントロールができないから、その場にいる人たちを危険にさらす可能性もありえるわけで……。
 どうしよう。薬のボトルを握りしめた。
 体調の変化でマズい感覚はわかる。少しでもその予兆を感じたり、危険だと判断したらすぐに飲もう。一錠だけ手のひらにのせて小さなピルケースにおさめ、デニムのポケットに入れた。
 いつも身につけているトルマリンのお守を手で包む。わたしはスーパーヒーローになりたいわけじゃない。ただ、友達の力になりたいだけ。
 好きな人を、守りたいだけだ。
「飲まないわけじゃないもの」
 タイミングを遅らせるだけだからと言い聞かせたとき、ヘンリーとTDがわたしの名を呼ぶ。
「いま行く!」
 部屋のライトを消し、ドアを閉めた。

 

★ ★ ★

 

 歩道に寄せられたなんの変哲もない白いバンに乗り込むと、中はキャンピングカーばりに広かった。さすがにバスルームもトイレも水道もなかったけれど、カーテンで仕切られたソファベッドと折り畳めるテーブルがあって快適そうだ。
「この車って、あなたの?」
「いや、叔父貴から借りてきた。っつーことで、とりあえずこいつに着替えて変装してくれ。美容師のいとこからいろいろ借りてきたから、絶対バレなそうなやつ入れといた。ジーンはそこで着替えろよ」
 カーテンで目隠しされるソファベッドを指し、ポストイットに「ジーン」と書かれた紙袋を渡してきた。
「わかった。ありがとう」
 クッションシートにあがり、カーテンを閉める。白いシャツに黒いタイ、ケータリング会社の名前が刺繍されたジレ、パンツ。靴下と革靴まで用意されてあった。
 なんという抜け目のないラインナップ。すごすぎる。
 すべてのサイズは少し大きめだったけれど、違和感があるほどじゃない。いい感じの身なりにおさまったところで、紙袋に突っ込まれているビニール袋を開けた。黒髪のカツラと伊達メガネ、ヘアメイク道具まで用意されてあった。用意周到とはこのことかも。
 壁に埋め込まれた小さな鏡で、身なりを確認する。ショートヘアのカツラをかぶるため、ジェルで髪をコンパクトにしてから装着した。眉毛をちょっとりりしく整え、黒縁の伊達眼鏡をかける。すると、女の子のジーンから地味めなバイトの男の子に変身できた。なかなか悪くないけれど、この人どこかで見たことがある気がする。あ、そっか! それもそのはずだ。
「なんか、昔のパパっぽい?」
 顔立ちはママ譲りだけれど、パパの雰囲気というか要素みたいなものも、しっかり受け継がれていたらしい。
 ああ、早くママとパパに会いたいな。今夜を無事に終えられたら、電話しよう。そう誓いながら、ボトムのポケットにピルケースを入れた。わたしの準備は万端だ!
「できたよ!」
 カーテンを開け、瞬時に固まる。背の高いブロンド美女と、黒髪をオールバックにした紳士がいた……っていうか、えっ?
「ええっ!?」
 椅子に座る青い瞳の美女が、足を組む。
「へ、ヘンリー?」
「いや、おれだ」
 まさかのTDだった。変人すぎてスルーされがちだけれど、TDはもともと整った顔立ちなのだ。背は高いけれど細身だし、メイクをすれば完璧に女性に見える。
「メイク、上手だね……」
 呆然としながら言うと、TDはニヤリと笑った。
「ときどきいとこの練習台にされっから、見てるうちに覚えたんだ。まさか役に立つときがくるとは思わなかったぜ」
「ってことは、ヘンリー? め、眼鏡は?」
「ドライアイだからしないだけで、コンタクトは持ってる。数時間なら我慢できなくもない」
 制服もあいまって、まるで折り目正しい異国の執事みたいだ。
「違和感ゼロだよ、二人とも」
 わたしの言葉に「ジーンもな」と二人は笑う。
「そんじゃ、次の段階だ」
 そう言ったTDは、椅子の下から丸められた大判の紙を出し、テーブルに広げた。
「こいつが見取り図。説明するから、忘れないうちに携帯で撮影しとけ」
 高級アパートの最上階にあるペントハウスは、エレベーターをおりてすぐの真正面、両開き扉の向こうにある。扉の左右には王宮を守る騎士さながらに、ピストルを所持した護衛がいるはずだとTDは言った。
「けど、おれたちはここから入らないし、このエレベーターにも乗らない。こういうアパートには二十四時間はりついてるスタッフがいるから、彼らの出入り口を拝借する」
「ケータリングスタッフのふりをしたままで、すんなり通れるのか?」
 ヘンリーが訊く。TDは首を振った。
「ダメだ。ブライアン・ライトの自宅に入るスタッフだから、守衛が電話で直接確認する。人数は決められているはずだから、多いとわかれば守衛室で拘束されてゲームオーバーだ。けど、いったん会場に入り込んでしまえば、誰もこちらを気にしたりしない」
「じゃあ、部屋に入るまでが勝負なんだね。守衛室をどうやって通るの?」
「適当な古着の上着を用意してある。捨ててもいいやつだから気にすんな。制服の上にそれを着て、新人スタッフのふりをする。IDを見せれば通れる」
「ID?」
 ブロンド美女のTDが笑った。
「おれを誰だと思ってんだ? 全部用意してあんぜ、落ち着け」
 執事みたいなヘンリーは、なぜか呆れたように腕を組んだ。
「きみは高校に通うのをいますぐやめて、諜報機関で働くべきだな」
「仕事にしたらつまんねえだろ。こういうのは半分趣味でやんのが最高なんだ。それに、魔法の国のお姫さまがいればこそ、やる気もみなぎるってもんだしな。続けるぜ」
 見取り図を指でなぞりはじめる。
「まずは裏口にいる守衛にIDを見せ、スタッフ専用のエレベーターに乗る。IDカードにはキーもついてて、こいつがないとエレベーターは動かない」
 ペントハウスのある最上階から二階下、そこでエレベーターをおり、上着を捨てたら非常階段で最上階に向かう。
「ブライアン・ライトのペントハウスは、入り口が二箇所ある。一箇所目が、エレベーターの真正面。ギャングみてえなナイトのいる場所だ。そんで、もう一箇所が北側の通路に面した、非常階段側にあるここ」
 そこには、護衛のナイトはいないだろうとTDは言う。
「どうしていないの?」
「ここはもともと使用人専用のドアだ。けど、ヤツは使用人を雇ってない。だから、ここのドアはがっちり暗号キーで守られてんだ。そのオーダーを受けて特別なキーを作った一人が、ここにいるってことだ」
 わたしは思わず息をのむ。TDの才能が底なし沼で怖すぎる!
 北側のドアを通ると、ランドリールーム。そこからケータリングスタッフと合流し、情報収集をするのが狙いだ。TDが言う。
「おれはブライアン・ライトの弱点を探る。できれば全部の部屋を探りたいから、ときどき姿を消すと思う。定期的に合流はするが、基本は携帯に連絡を入れる」
 わかったとわたしがうなずくと、ヘンリーが言った。
「ジーン、着信音は忘れずに消しておけよ。きみはうっかり屋さんだからな」
 忘れてた。慌てて言われたとおりにする。ヘンリーが言葉を続けた。
「おれは行方不明の女子生徒の居場所を知りたい。そろそろ見つけなければ命の危うい限界点に達してる。どんな会話でもいいから、違和感を感じたことがあればもれなく教えくれ」
「了解」とTD。わたしもそれに続く。
「わたしは二人のサポートをするよ。できるだけゲストの会話に耳をすましておくね」
 そして、ジェイを見守る。絶対に、目を離したりしない。もちろん、デイビッドおじさんのことも、スーザンさんのことも。
「まるごといいぜ、オーケーだ。そんじゃ、次」
 椅子の下から工具箱を取りだしたTDは、手のひらサイズのおもちゃみたいなピストルを三個取りだした。
「催涙スプレーだ。見た目はいまいちだが、引き金でスプレー、突起を押せばスタンガンにもなる。薄型で目立たないから、ポケットにつっこんどけ」
「も、もしかしてだけど、これもあなたが作ったの?」
「ああ。ガキんときにいとこやら叔母やらがストーカーされてたから、おれが作ってやった。おかげでそいつは牢獄行きだ。こいつはそれの改良版」
 ヘンリーが苦笑した。
「きみのその才能を悪いほうに使ったら、世界征服も夢じゃないかもな」
 震えるほど同感。ブロンド美女のTDは「ははは」と声をあげて笑った。
「んな面倒なことしねえよ。おれは面白おかしく暮らせればいいだけだ。んで、いまおれはめちゃくちゃノッてる! なんつっても、魔法の国のお姫さまの敵を、やっつけようとしてんだからな!」
 カラーコンタクトの青い瞳を、きらきらと輝かせた。たしかに、もはや悪魔とかじゃないとTDの敵としては役不足かもしれない。
「そんじゃ、そろそろ出発すんぜ。おれが運転するから、着いたらIDカード渡す。ちょい待っとけ」
 運転席に座り、エンジンをかける。スパイと化した執事と冴えない男の子を乗せたバンは、ハンドルを握る美女によって摩天楼の夜を疾走した。

 

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