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26:嵐の前のカオスな時間

 ミス・ルルはオシャレ界のトップヘアメイクアーティストから、セレブ御用達のファッションアドバイザーになった人だとスーザンさんが教えてくれる。そんなミス・ルルは、わたしの頬をむにむにとつまみながら、ママの遺伝子の強さに感嘆した。
「ニコルの遺伝子のクセが強すぎるのね。でも、この安心できる造形、すごく素敵! 若いころはこの造形を変身させるのを苦行だと思っていたけれど、いまはすごく腕がふるうわ。そう思わなくて? あなたたち!」
 引き連れてきた三人の若いアシスタントに言う。
「はい、思います。ミス・ルル!」
 きれいに揃った。っていうか、わたし褒められたのかな? そういうことにしておこう。
「でも、あなたのオーダーはデイビッドから入ってないのよね」
「その子はパーティに行かないのよ。行くのは彼」
 スーザンさんが、スツールで固まっているジェイを指す。わたしの頬から手を離したミス・ルルは、目を丸くして歓喜した。
「この子に気をとられて気づけなかったわ。なんていい素材なの……! はじめましてだけど、今夜世界一素敵にしてあげる!」
 スツールに座るジェイは、蝋人形みたいに固まったまま微動だにしない。そんな彼にかまわず、ミス・ルルはアシスタントに命じ、彼を立たせるとメジャーでサイズをはからせた。終えるやいなや、「あとでまた来るわね!」と告げ、嵐みたいに去っていった。
「な、なにしに来たんだろ」
「タキシードのサイズをはかりに来たんでしょ。さ、わたしはお風呂に入って少し眠らせてもらうわ。ちなみにだけど、あなたって今夜ここで静かにしてるの?」
 ドキリと心臓が冷える。えっ、バレた? いやいや、そんなわけない……たぶん。
「も、もちろんですけど、どど、どういう意味ですかっ」
 スーザンさんはけげんそうに目を細めた。
「ニコルの遺伝子なら、なんとなくそうするんじゃないかなって思っただけ。でも、まさかそこまで似ないわよね。ま、おとなしくお留守番してるのなら安心よ。つまらないけど」
 スーザンさんがキッチンを去る。バレたんじゃないかって心臓がバクバクする。それにしても、わたしのママっていったいなにをしたの……?
「ジーン」
 ジェイに呼ばれる。振り返ると、すぐうしろに彼が立っていた。わたしをまっすぐに見つめ返し、なにか言いたげに薄く口を開ける。でも、思い直したように唇を引き結び、微笑んだ。
「なに?」
「いや……。ただ、きみのくれたカセットテープの曲、気に入ったって言いたかっただけ」
「えっ?」
 カルロスさんに呼ばれたジェイは、意味深な笑みをわたしに見せてから立ち去った。
 ジェイはなにを言おうとして、やめたんだろ。
 そう思ったとたん、胸の奥が無性にざわざわしはじめた。こういう予感はかなり当たる。今夜絶対になにかある。そのことを、ジェイもきっと感じてる。そんな気がしてしかたがない……っていうか、わたし、ものすごく大事なことを忘れてた。
 ブライアン・ライトの顔すら知らないことにいま気づくなんて、どうかしてる。彼のことをなんにも知らないまま、今夜突撃するところだった!
 急いで潜入チームにメッセージを送ると、TDから特集記事を撮影した画像が添付されてきた。どうでもいいけれど、この携帯の機能すごすぎる。
 ジュースを飲んでスツールに座り、画像を大きくした。
 高級スーツでバッチリ決めている『夜の王』が、こちらに向かって微笑んでいる。エキゾチックで彫りの深い顔立ち。ものすごいハンサムだけれど、目は確実に笑っていない。たかが雑誌の写真とはいえ、不穏な気配を身にまとっているように見えるのはわたしの気のせいかな。
 まじまじと携帯に見入っていると、
「好みなのか」
 ヘンリーが来た。わたしは思わずジュースを吹きそうになる。
「そんなわけないでしょ!」
「冗談だ」
 笑えない。ヘンリーが隣に腰をおろした。
「今夜、そいつの手下もいるだろうし、ゲストの中にもいるかもしれない。おれたちはケータリングのスタッフになりすまし、できるかぎり会話を盗み聞きする。どんなに小さなことでもかまわないから、耳にしたことは情報を共有する」
「わかった」
「ちなみにだが、変装もする」
「えっ?」
「パーティにおれたちもいると知られたら、お出かけ組はおそらくパニクる。ややこしい状況がもっとややこしくなることを避けるためだ」
 たしかにそうだ。ごくりとつばを飲むわたしに、ヘンリーが続ける。
「おれも加わったから、段取りが変更になった。午後七時前、TDがボードゲームとピザを持ってここに来る」
「ボードゲーム?」
「遊びに来たことを装う小道具だ。実際に遊ぶわけじゃない」
 さすが、天才アンド天才。設定に対する芸がやたら細かい。
「パーティ参加者を見送ったあと、ここに残るおれときみの面倒を見てくれる護衛スタッフもろもろに、TDがピザをごちそうする。そのあと着替えて変装し、TDのバンで現場に直行だ」
 ん?
「それじゃ、護衛スタッフもろもろに引き止められちゃうでしょ?」
 ヘンリーはニヤリと笑った。
「TDのピザは睡眠薬入りだ」
 悪魔がここにも二人いた。お、おそろしい……。TDはともかく、ヘンリーが敵じゃなく味方でよかったと心底思う。でも、待って。もしもわたしがヘンリーに冷たい態度をとったりしたら、味方が一転して敵になったりしたりして……? 不安を覚えそうになった矢先、
「そんな卑怯なことはしない」
 えっ! 私はぎょっとして目を丸くする。
「な、なな、なに!?」
 ヘンリーはメッセージを打ちながら、わたしを一瞥した。
「単純なきみの考えていることなんて、予測可能だ。恋愛感情の有無できみに復讐したりしないから、安心しろ」
 あんぐりと口を開けるわたしに、ヘンリーは言った。
「それに、きみの現在の感情なんておれにとっては些末なことだ。いまがどうでも、いずれきみはおれを好きになる。おれがそうなるように誘導するからな」
「えっ」
「きみはもう、蜘蛛の巣にとらえられているんだ。諦めろ」
 えええ……? 前言撤回。あなたはある意味わたしの敵かもだよ、ヘンリー!

 

★ ★ ★

 

 ジェイの自宅が慌ただしい。というよりも、大人たちが慌ただしかった。
 デイビッドおじさんとカルロスさんは、しょっちゅう携帯で誰かと話しながら動きまわり、その気配がまるで落ち着かないと起きてしまったスーザンさんは、アイマスクを額にのせたままエステティシャンを呼びつけた。数分で到着した凄腕のエステティシャンは、ドアが開けっ放しのゲストルームで急遽サロンをオープンし、スーザンさんが即席のベッドにうつぶせて横たわる。それらの光景の全部が、リビングにいると丸見えだ。
「カオスだな」
 とくにすることのないヘンリーは、ソファに座って本を読みながら言った。
「そうだね……」
 わたしも雑誌をめくりつつ、忙しない大人チームの光景を見つめる。
 ジェイの自宅なのにジェイは自室にこもったままだ。ヘンリーの視線があるから、ジェイがなにをしているのか気になっていても、様子をうかがいに行くすきがない。でも、いい。
 今夜、もしもなにかが起こったとしても、みんながうまくおさまって無事にのりきることができたら、明日の朝にはジェイのすべてがわかるんだもの。
 そう、ジェイと約束したから。
 なにがあったとしてもきっと大丈夫。そう鼻息荒く自分に言い聞かせていたとき、ふたたび聞き覚えのある声が耳に届いた。
「さあ、最終仕上げといきましょう! あなたたち!」
 嬉々として叫ぶミス・ルルが、リビングにあらわれた。
「はい! ミス・ルル!」
 何着ものタキシードをさげたハンガーラックを引きずりながら、アシスタントたちが声を揃える。と、ヘンリーを二度見したミス・ルルは、いきなり立ち止まって目を丸くした。
「……やだ! そこの眼鏡の美少年!」
「は?」
 ヘンリーが顔をあげる。ミス・ルルは歓喜の声をあげた。
「あなたにそっくりの子、すごく覚えてる! だって、彼のヘアメイクをできなかったことが、唯一後悔していることなんだもの!」
「アーサーなら、彼の父親だよ」
 デイビッドおじさんがミス・ルルに近づき、言った。そのとたん、視線を遠くさせたミス・ルルは、ふうと息をつきつつ天井を仰ぎ見る。
「もうやだ……年月ってほんと早すぎ。深く考えるとめまいに襲われて倒れそうだから、さっさと仕事にとりかかるわ。さあ、あの美しい素材はどこ!?」
 声が聞こえていたのか、部屋からジェイが出てくる。あっという間にアシスタントに囲まれ、一番広いバスルーム付きのゲストルームに押し込められてしまった。
 ジェイ、大丈夫かな……?
「さて、わたしもそろそろ着替える時間だわ」
 エステを終えたスーザンさんは、そう言ってタバコに火をつける。と、わたしを見ながら煙を吐くと、耳元に顔を寄せてきた。
「あの子、今夜スターになるわよ。そうなったらもう大変。つかまえておきたいのなら、なにがあってもそばを離れちゃダメ。意地でもね」
 つぶやくみたいにして言った。

 

★ ★ ★

 

 パットもといパティからメールがきて、現在お祖母さまと貸し切りホテルにいるらしい。彼女はひとまず安心だ。
 着々とパーティへ向かう準備がはじまり、カルロスさんが頑丈そうなアタッシュケースをエントランスに運んでいく。それはなにかとヘンリーが訊ねると、カルロスさんは爽やかな笑顔で言った。
「知らないほうがいいよ」
 ソファの上で足をのばしながら本を閉じたアーサーは、あくび交じりに「なんだ武器か」とつぶやく。二人とも、物騒な物体について話すテンションじゃない。
 ジェイはなかなかゲストルームから出てこない。刻々と時間が過ぎていく。すると、ヘンリーが突然言った。
「ジーン、賭けをしないか」
「賭け?」
「誰が一番早く出かける用意を終えるかの賭けだ。おれが勝ったら、次の日曜日はまるごと一日デートだ。さあ、賭けのスタートといこう」
「ちょっ、やるって言ってないでしょ!」
 なし崩し的に賭けがはじまってしまい、ヘンリーは一番にジェイと予想した。対するわたしは、一番にデイビッドおじさんと予想する。
「車をレンタルして遠出する。場合によっては戻れないハプニングがあるかもな」
 そう言って、ヘンリーはニヤッとした。
「ええっ? それ、きっとあなたがなにか壊したりするんでしょ!」
「よくわかってるじゃないか」
 おそろしすぎて絶対に避けたい。どうかわたしが当たりますようにと祈りつつ、両手を握りしめる。息を殺して全員の部屋のドアを見渡した瞬間、ひとつ目のドアが開いた。
「さあ! このわたしの美貌で、憎きブライアン・ライトの目をつぶしてやるんだから!」
 髪を結いあげたスーザンさんが、背中のぱっくり開いた真っ赤なドレス姿で登場した。
 やった! スーザンさん、大好き!
「あなたもわたしもはずれたね。賭けは終了!」
 自分の予想がはずれて悔しいのか、ヘンリーはしかめ面でささやく。
「準備の早い女性をはじめて見たぞ」
 声が聞こえていたのか、腰に手をあててこちらを見たスーザンさんは、勝ち誇ったように笑う。
「わたしは一分一秒を争う役職に就いていたのよ。こんな準備屁でもないわ。しかも、この完璧な仕上がり。ほんと、わたしって常に成功を約束されたスーパーウーマンなんだわ……!」
 両腕を広げるやいなや、うっとりとした表情を浮かべる。そのとき、カルロスさんが戻ってきた。
「おっと……なんてことだ。すごくきれいだよ、スーザン! いますぐきみをどこかに連れ去りたくなってきた」
 スーザンさんがうしろを向く。
「あら。ミスター・ハンサムの気まぐれ屋さん。どこに連れ去ってくれるのかしら?」
 見つめ合う二人の距離が近づき、妙な空気が流れていく……っていうか、いまにもキスしそう? えっ、見てもいいの? ダメなの? っていうか。
「な、なにがはじまってるの?」
「完全に二人だけの世界がはじまったんだろ」
 ヘンリーが苦笑した直後、タキシード姿のデイビッドおじさんがあらわれた。相変わらずバッチリ決まってて、めちゃくちゃかっこいい……んだけれども。
「おい、ストップストップ! そんなのいまさらマジで見たくないから!」
 パニクってる様子で、コメディドラマの登場人物みたいになっちゃった。
「何度もそうやってくっついてはうまくいかなかっただろ。そのせいでこっちの仕事にも支障が出たんだ。冷静になってくれ」
 あと少しでキスしそうな距離感でぴたりと止まったスーザンさんは、カルロスさんを見すえながら苦く笑った。
「まったく、油断も隙もないったら。あなたの醸し出す甘い空気感に、うっかり騙されるところだったわ」
「ぼくは魔法使いなんだ。気をつけるんだね」
「魔法使いなら本物がいる。偽物はスーザンを口説く前に、おれたちのサポートをがんばってくれ」
 呆れ顔のデイビッドおじさんは、そう言ってカルロスさんの肩をたたく。と、わたしを見ると思い直すようににっこりした。
「さて、気分一新だ。どうだい、ジーン。今夜のおじさんは?」
「すっごくかっこいいよ! 写真撮ってあげる!」
 カルロスさんとスーザンさんも一緒に携帯で撮影した瞬間、ミス・ルルとアシスタントたちがやっとあらわれた。
「タキシードの調節に時間がかかっちゃったけど、そのかいあって最高オブ最高の作品に仕上がったわ。そうでしょ、あなたたち!」
 アシスタントたちが声を揃えた。
「そのとおりです、ミス・ルル!」
 準備を終えたジェイが姿を見せる。七十年代の不良っぽい俳優を思わせる髪型に、ほんの少しだけ着崩した着こなしのタキシードがめちゃくちゃクールだ。ジェイの繊細でミステリアスな雰囲気もあいまって、ちょっとワルっぽい感じが上品にまとまってる。
 ああ、どうしよう。かっこよすぎて倒れそうだけど、意地でも倒れないよ!
 でも、ジェイがどんどん遠くなっていく気がする……なんて思いそうになった矢先、スーザンさんの言葉を思い出した。
 ――つかまえておきたいのなら、なにがあってもそばを離れちゃダメ。意地でもね。
 TDがパティのナイトなら、わたしだって彼の女騎士になればいい。物語の女騎士は王子さまとは結ばれないけど、ずっと一緒にいられる。いまはただ、それでいい。
 ジェイが居心地悪そうな顔でわたしを見た。本人は気に入ってないみたい。わたしが小さく笑うと、ジェイもつられたように小さく笑った。彼のその表情を目にして、わたしはあらためて思う。
 無事に明日の朝が迎えられるなら、それだけでいい。
 そのためならわたし、今夜はなんだってする!


 ミス・ルルたちが帰って行く。時間がきて、仮病を訴えたヘンリーのための看護師さんが到着する。入れ替わるようにデイビッドおじさんとスーザンさん、ジェイが出かけようとした矢先、わたしとヘンリーを護衛してくれる二人の男性とともに、よく知っている人物がエントランスにあらわれた。
 ボードゲームとピザの箱を重ね持ったTDは、にっこりして言った。
「ちっす! ヘンリーとジーンとピザ食いながら遊ぼうと思って来たんすけど、いっすか?」

 

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