25:誤解を解くための生存戦略
「きみにやってほしいことは、メールで伝えたことがほぼ全部だ」
デイビッドおじさんが言う。
「うっそ、ほんとにアレ? 冗談じゃなく?」
「ほんとにアレだよ。冗談じゃなく」
スーザンさんはタバコの煙を吐いた。
「あのメールのとおりなら、面白すぎね。ま、ブライアン・ライトが悪魔だろうがなんだろうが、わたしにはどうだっていいわ。高額のギャラもいただけることだし、あの男を叩き潰せるのなら理由なんていらない。なんだってやるわよ」
「彼を知ってるんですか?」
わたしが訊くと、スーザンさんはキッと眉を釣りあげた。
「わたし、ずっと狙ってたお城がイギリスの田舎にあったの。丘の上に建っててこじんまりとしてて、すっごくかわいくて素敵だったの。あのお城が欲しくてがんばってきたのに、いざ買える! ってなった寸前、購入されてたのよ。あの男に!」
そう言うと、歯ぎしりせんばかりに舌打ちをする。
「不動産屋には誰にも売るなって手付金まで払ってたのに、あの男が全額のキャッシュを見せびらかせてわたしから奪い取ったのよ! お嫁にいけなかったんだから、お城くらいわたしのものになったっていいと思わない? そうでしょ、ニコルの娘!?」
わたしに詰め寄って来ちゃった。
「そ、そうですね……っ!」
「とにかくそういうわけで、あの男だけは許せないのよ。お城に住むっていう、ちっちゃな女の子だったころからのわたしの夢を奪ったんだもの。今度はわたしが、あいつからすべてを奪ってやる番だわ!」
興奮するスーザンさんの登場で賑やかさが増した直後、キッチンからカルロスさんが出てきた。
「やあ、スーザン! 久しぶり、元気そうじゃないか!」
瞳を輝かせて両手を広げ、カルロスさんが喜ぶ。タバコの煙を吐いたスーザンさんは、なぜかけげんそうに眉をひそめる。吸い殻を携帯灰皿に押し込めながら、つかつかとカルロスさんに近づくなり嘆息した。
「……ちょっと、やだ。なによその下腹、太ったでしょ!」
カルロスさんが苦笑する。太ってるようには全然見えないし、むしろすごく鍛えられてるようにも見えるけれど、スーザンさんにとっては違うらしい。
「挨拶もなしに、第一声がそれとはね」
「わたしが恋したジェームズ・ボンドはどこにいっちゃったわけ? わけのわかんない若いモデルと結婚して離婚するから、そんな普通のおっさんみたいな容姿になるのよ。もっと気合い入れて筋トレしなさいよ!」
そう言うなり、いきなりカルロスさんのベチンと頬をぶった。ええっ! とわたしが目を丸くした瞬間、頬に手のひらを添えたカルロスさんは興奮気味に、さらに目を輝かせて微笑んだ。
「この感じ、すごく懐かしいよ! おかえり、スーザン!」
「戻ったわけじゃないし、あなたとはなにがあっても絶対に寝ないんだから!」
わけありの二人らしい。口を開けて呆気にとられていると、デイビッドおじさんがわたしを指して言った。
「そういう会話はあとにしてくれよ。高校生がいるんだから!」
スーザンさんが鼻で笑う。
「あなたの口からそんな言葉が飛び出すなんて、世も末ね。ティーンだったころのあなたの遊びっぷりが思い出されて泣けてくるわよ。わたし、何度もあなたの尻拭いしてきたんだから!」
デイビッドおじさんは、まいったとでも言うかのように両手で顔を撫でた。
「……若かったんだよ、反省してるって」
そう言うなり顔をあげ、わたしを見た。
「ジーン、いまのは全部聞かなかったことにしてくれ」
おじさんがすごいプレイボーイだったってことは、ママから聞いていてなんとなく知ってる。表向きのスーパーヒーローでアイドルだったんだから、モテるのは当然だしそれでいいんじゃないかなって思うけど、おじさんの名誉のために知らんふりしておこう。
「う、うん。わかった」
そんな賑やかなやりとりに誘われてか、ジェイがキッチンからあらわれる。ヘンリーも自分のゲストルームから出てきた。一瞬ジェイと目があったけれど、カルロスさんに呼ばれた彼が先に目をそらす。
デイビッドおじさんがスーザンさんを二人に紹介し、今夜のパーティについての会話をはじめる。そのとき、わたしの携帯が鳴った。すぐにこそこそとリビングのすみに向かい、急いで携帯を開いた。
《TD:うす! 叔父貴のバンを借りたから、午後七時に下で待ってる。ちょい早めだけど準備もあるし、ケータリングの制服に着替えなきゃだしな。ちなみに、フランクルも参加すんのか?》
そう。それが一番の悩みどころなのだ!
《ジーン:ヘンリーには言ってないんだ。言ったらたぶん止められる気がするから》
TDはパティのため、わたしはジェイのため。でも、ヘンリーにはそれがない。いや、百歩譲るとすれば、わたしが参加するのなら参加するって言い出すかも? でも、こんな無謀すぎる作戦に乗るとは思えない。なんとか内緒でここから出る方法を考えなくちゃ――と思ったそのとき、デイビッドおじさんの言葉が耳に入ってきた。
「おれとジェイ、スーザンは、午後七時にここを出る。アーサーと市警、FBIも周囲に待機するけれど、いざというときのためにこちらも監視するバンを用意してある。カルロスが乗るから、ここには大人が不在になる。護衛のスタッフを用意してあるから、きみとジーンはここにいてくれ」
ヘンリーに向かって言った。ヘンリーがとっさにこちらを振り返る。わたしは十六年分の集中力を総動員し、誰にも見つからずにTDのバンに乗り込む方法を模索した――結果。
「わ、わたし、ちょっとお腹が痛いかも……」
前かがみになってトイレに逃げ込む。われながら情けないけれど、実際なんにも浮かばなかった。わたしの集中力なんてこんなものだ。うなだれながら便座に腰掛け、TDに事情を伝えるメッセージを送る。すると、すぐに返事がきた。
《TD:笑》
つっこめないほどもっともだ。
《ジーン:だよね。笑える。なにかいい方法ないかな?》
《TD:なくはないけど、モヤッとするぜ? それに耐えられんなら教えてやる》
《ジーン:モヤッとする?》
《TD:うっす》
《ジーン:ほかにはないの?》
《TD:ねえな》
《ジーン:オーケー、教えて!》
★ ★ ★
トイレから出たわたしは、デイビッドおじさんに告げた。
「カルロスさんと一緒のほうが安全な気がするから、バンで一緒に行ってもいいかな? ヘンリー、あなたも一緒に行かない? そうすれば、護衛のスタッフはいらないし、いざとなったらカルロスさんとバンで逃げてもいいんだし!」
そして、バンに乗る直前、わたしはふたたび腹痛を起こしてここに居残るふりをする。ヘンリーを乗せたカルロスさんのバンが立ち去ったのち、わたしはTDのバンに乗り込むという寸法だ。ヘンリーも残ると言い出したら試合終了なので、腹痛を起こすタイミングをしっかり見定める必要がある。
なんにせよ、デイビッドおじさんもカルロスさんも、それがいいかもしれないと同意をしめしてくれた。でも、ヘンリーのいぶかしむような半眼が気になる。それに、ジェイも意味深な眼差しをわたしに向けていた。TDの言ったとおり、嘘をついている罪悪感でものすごくモヤモヤするけれど、しかたがないと自分に言い聞かせる。
昼食をとりにキッチンに向かおうとしたとき、
「ジーン、誰の入れ知恵だ?」
ヘンリーが横に並び、耳打ちしてきた。うっ。
「……は、い?」
精一杯とぼける。ヘンリーがニヤリとした。
「まあ、TDしかいないだろうな。なにを企んでる?」
わたしはうなだれた。ほんと、頭のいい人って苦手。と、ヘンリーがはっとした。
「まさか、おれと一緒にバンに乗り込んでから仮病を使い、きみだけここに居座ってTDと逢い引き――?」
「そんなわけないでしょ!! 彼の相手はほかにいるじゃない。あんなにバレバレなことしたんだもの、わかってるでしょ!」
「そうだとしても、きみはなかなか油断ならないからな。念のためだ」
息をついて眼鏡をあげたヘンリーは、勝ち誇ったように微笑んだ。
「で? TDとこそこそして、なにを企んでる? 内緒にしても無駄だぞ。おれが直接、きみに教えてもらったと嘘をついてTDから聞き出すからな」
わたしは立ち止まり、うなだれて降参した。ケータリングスタッフを装い、パーティに潜入する作戦を伝えると、ヘンリーは呆れたように腕を組んだ。
「TDは魔法の国のお姫さまのためだと予想するが、きみは……?」
ヘンリーがいぶかしむ。ジェイのためかと訊かれる前に、わたしはパティのためだとうなずいて見せた。いま以上ややこしくなる事態はなんとしてでも避けたいし、たしかにあらためて考えてみたら、これってパティのためにもなれることなんだ。
「友達を助けられるチャンスがあるなら、そうしたいって思うでしょ」
ヘンリーはなにも言わない。
「無茶はしないし、TDと一緒ならなにが起きてもきっと平気な気がするんだ。あの人の生存能力、たぶんすごいよ。根拠はないんだけど、なんとなくそう思っちゃう」
ヘンリーが息をつく。やめておけと否定されるかと思ったのに、彼はおもむろに携帯を手にした。
「……失踪している高校生の行方を、市警はまだつかめていない。キャシディ氏が市警のスパイになるとしても、身内の味方は多いほうがいい」
そう言いながら、メッセージを打ちはじめた。
「それに、きみの監視もできるしな」
「えっ?」
と、わたしの携帯が鳴る。見ると、わたしとヘンリー、TDのグループが画面にできていた。
《ヘンリー:TD、男性用の制服をもう一着借りられるか?》
《TD:お? なんだよ、結局おまえも来るのか? こそこそできなくてつまんねーけど、大歓迎だ。もち、あるぜ!》
「だそうだ」
携帯をポケットに入れたヘンリーは、すぐさまデイビッドおじさんに言った。
「すみません。頭が痛くなってきたので、やっぱりここにジーンと残ります」
わたしのほうがマシってくらいの、すごい棒読み。っていうか、ほんとに意外すぎる。だけど、わたしの監視ってなに? いや、いまは考えるのやめよう。仲間は多いほうがなにかと都合がいいもの。たぶん!
頭痛の片鱗なんてどこにもないヘンリーの堂々とした演技に、デイビッドおじさんは肩をすくめて苦笑した。
「そう? オーケー、それなら護衛スタッフのほかに看護師もつけよう。もしもきみが熱で倒れでもしたら、おれはアーサーに首を絞められるはめになるからね。でも、具合の悪いふりをして必要以上にジーンに近づくことだけは許さないぞ!」
★ ★ ★
パーティ潜入作戦に没頭しはじめたヘンリーは、昼食もそこそこにTDとメッセージのやりとりをしながらキッチンを出ていった。そういえばヘンリーって、子どものころからパズルとか攻略ゲームなんかが大好きだったんだ。そっか。彼を黙らせたくなったら、なにかゲームをプレゼントすればいいんだ!……なんて考えながらピザを頬張っていたとき、ジェイが来た。
冷蔵庫を開け、ソーダの缶を手にとった。なんだか妙に気まずいのは、昨夜からちゃんとしゃべっていないからかな。うう……話したいことが山ほどあるのに、なにから言えばいいのかわけがわからなくなってきて、全然言葉が思い浮かばない。と、ジェイが斜め前のスツールに座った。
「少し、ここにいてもいいかな。リビングが騒がしいんだ」
大人チームの声が聞こえてくる。わたしは笑って見せた。
「あなたの家だよ。遠慮しないで」
ジェイがちょっとだけ笑ってくれた。
「まあ、そうだけど」
ヘンな感じ。まるで、初対面の人みたい。
あなたは誰? 本当はどこから来たの。どこまでが本当で、どこからが嘘なのか教えて欲しい。はちきれそうな疑問をなんとか追いやって、ひたすらピザを食べ続ける。
ジェイはちらりともこちらを向かず、窓の外を見ながらソーダを飲んでいた。
その態度で、わたしとヘンリーのことを誤解したままでいるのは明らかだ。彼がどこの誰だろうと、その誤解だけは解いておきたい。
「あのね」
ごっくんとピザを水で流し込み、意を決してスツールから腰をあげた。ジェイがわたしを見る。
こういうことは、勢いでいっきに言っちゃったほうがいい。さりげなく、なんでもないって感じで言うだけだもの、どうってことない。そんなわたしの意思に反して、心臓はバクバクだ。
だって、そんなのべつにどうだっていいって、言われるかもしれないから。
「なに?」
ジェイが言う。わたしは軽く息を吸い込み、吐くのと同時に勢いで告げた。
「わたしはヘンリーが嫌いじゃないけど、つきあってるとかそういうのじゃない。彼に自分の気持ちを伝えても全然通じないから、昨日その……」
キスされた、とはさすがに言葉にできなかった。
「と、とにかくね、わたしとヘンリーはなんでもないってこと!」
言いきった! しゃべってる間無呼吸だったせいで、空気を吸い込んだとたん咳き込みそうになる。
「ってことで、誤解しないでって言いたかっただけだから」
よし、言いたいことは全部伝えた! ジェイの反応が怖くて、そそくさとスツールから立つ。彼を視界に入れずリビングに向かおうとしたとき、ジェイが言った。
「……どうして言ったの」
「えっ?」
振り返ると、ジェイはじっとこちらを見つめていた。
「それ、どうしていま、ぼくに言ったの」
「どうしてって……誤解されていたらいやだもの。そ、その……と、友達に!」
ため息をついたジェイは、わたしから視線をそらしてうつむいた。そのとたん、なぜかクスクスと小さく笑い出す。
「な、なに?」
困惑しながらジェイに近づくと、彼がわたしを上目遣いに見た。
「まいったな。できれば誤解したままでいたかったんだけど」
そう言って、笑みを消す。誤解したままでいたかったって、どういうこと?
「なにそれ、どういう意味?」
ジェイがさびしそうに微笑む。まるで、もう二度と戻れない思い出のアルバムを開いているみたいな、そんな表情でわたしを見つめてくる。
「ぼくはきみに冷たくできるし、いやなヤツになれる。そうすれば、なにがあっても思い残すことなんかなくなる……って、ごめん。すごく自己中な考え方だね。でも」
言葉をきる。
「……でも?」
なに? ジェイはわたしを見つめたまま言った。
「その覚悟がぼくには必要なんだ。ごめん、ジーン。きみに話したいことがあるけど、いまはまだ話せない。いま話したら、恐れていた感情を思い出しそうだから」
「お……恐れていた感情?」
ジェイは、わたしから目をそらすことなくさらりと言った。
「死にたくない」
わたしはびっくりして、目を丸くする。誰もが抱く当然の感情を恐れているってことは、普段は常にその逆でいるということを意味する。つまり。
――死んでもいい。
はっとしたわたしは、とっさにジェイの手を両手で包み、きつく握った。今度はジェイが目を見張る。
「約束してくれる?」
わたしが言うと、ジェイは戸惑うように眉を寄せた。
「なにを?」
「明日の朝、あなたのことをわたしに全部教えてくれるって」
息をのんだジェイが口を閉ざす。それにもかまわず、わたしは続ける。
「わかったって言うまでこの手を離さないし、もっとぎゅうって強く握るからね。わたし、同学年で一番握力強いんだから!」
鼻息を荒くするわたしの言葉に、ジェイは小さく吹き出した。
「……わかったよ、サイキックガール。約束する」
ほっとしたわたしが手を離した瞬間、今度はジェイの両手がのびて、わたしの顔を包み込んだ。そうしながら、「暖かい」とささやくようにつぶやく。彼のひやりと冷たい手の感触に、わたしは身動きを忘れてしまう。
「きみといると、生きてる感じがする」
ジェイの瞳に憂いのある陰が落ちていく――直後、リビングの騒がしさが増す。はっとしたわたしたちがお互いに距離をとった瞬間。
「うっそ、やだ……なによ、うそでしょ!」
スキンヘッドで蛍光ピンクのシャツに黒い革のパンツ姿というド派手なアフリカ系男性が、キッチンに顔を出すなりわたしを見て歓喜した。
「すっごくすっごく久しぶりじゃないの、二次元!」
年齢は、カルロスさんやスーザンさんと同じくらいだ。わたしに近づくなり顔を近づけ、まじまじと見下ろしてきた。
「信じられない、どういうことなわけ? あなた、結婚式のときよりもむしろ若返ってる。まるで高校生に戻ったみたいじゃない!?」
興奮する彼の横に、スーザンさんが立った。
「わかるわ。わたしもすっかり騙されたもの。美容方法聞いても、残念ながら無駄よ。この子はニコルじゃなくて娘なのよ、ミス・ルル」
ミスなの? ま、なんでもいっか。っていうか、わたしのほっぺつまむのやめてください!