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24:運命の朝

 薄暗い霧の向こうに、人影が見える。
 近づこうとして手を伸ばしても、距離は全然縮まらない。やがて、追いかけている相手が振り返る。ジェイだ。わたしは必死に彼の名を呼ぶ。でも、ジェイはさびしげな笑みを浮かべてわたしに言った。
 ――さよなら。
 そう口を動かした瞬間、黒いもやのような煙がジェイを包んでいく。待って、行っちゃダメ! そう叫ぼうとした矢先、目が覚めた。
 夢だったんだ、よかった。とはいえ、
「……うう……いやな夢」
 枕に突っ伏してうめき、寝返りをうとうとした寸前。
「悪夢でも見た?」
 不安げな表情のパットが、わたしを見下ろしていた……っていうか!
「パ、パット!? ここでなにしてるの!」
 ぎょっとして飛び起きると、パットの姿になっているパティは、もじもじしながらベッドに腰掛けた。
「朝からごめんなさい。携帯に連絡しようと思ったんだけれど、どうしてもあなたに直接頼みたいことがあって、よくないって思いつつもまた魔法で来ちゃったの……」
「た、頼みたいこと?」
 憂いだ表情で、パットは息をつく。そうして、髪が元気いっぱいに重力に逆らっているわたしを見た。
「もしもTDがあなたに連絡をしてきて、今夜なにか企んでいるような感じだったら、引き止めてほしいの」
「えっ」
 ギクリとする。パットがうつむいた。
「昨日あの人、わたしのナイトになるなんて言って、一緒に魔法陣の中に入っちゃったでしょ? 家に戻ってすぐお祖母さまも帰ってきて、怒ったお祖母さまが魔法で彼を自宅に戻したんだけれど、戻される間際に気になることを言っていたの」
「気になること?」
「ブライアン・ライトの弱点を、自分が見つけてやるって。それで彼を退治できれば、わたしの一族は悪魔の呪いから解放されるし、わたしも誕生日だろうが関係なく、こそこそしないで生きていけるからって……」
 うっそ。TDってば、てっきり面白半分で潜入しようとしてるんだって思ってた。だから、そんなちゃんとした理由があるなんて想像もしなかったんだけれど。
 なにそれ、めちゃくちゃかっこよすぎない? ほんと、ただのどーしようもないオタクだと思ってたけど、本気で見直しちゃった。
「とっくに気づいてると思うけど、彼、あなたのこと大好きだよ」
「えっ!?」
 パットの顔がいっきに赤くなった。
「そ、そうなのかしら。わたし、こういうことってよくわからなくて……で、でも、彼のことだんだん王子さまみたいに見えてきたの。ほら、ヘアスタイルも長めだったりして、耳にかけたりしてると、どことなくそれっぽいじゃない?」
 あれはただカットが面倒なだけだと思うけど、王子さまに見えてしまっているのなら、その気持を尊重したい。
「そ……うだね」
 鈍い返答になってしまった。と、パットがわたしの肩をがっしりと掴んだ。
「とにかくね、彼の気持ちは嬉しいの。でも、危険な目にあってほしくないわ。今夜、お祖母さまは身代わりをパーティに参加させて、まるごと貸し切ったホテルのコンドミニアムでわたしと一緒に過ごしてくれるから、わたしは安全なの。でも、彼が無謀なことをしないか心配でたまらないのよ、ジーン!」
 つっこみどころ満載で、どこから訊ねたらいいのか迷う部分が多すぎる!
「あ、あなたのお祖母さまの――エヴァの身代わりって誰?」
「人じゃなくて、お祖母さまそっくりの蝋人形に魔法をかけるの。人形の見ているものは、お祖母さまの目にも映るみたい」
「それ、すっごい」
「でしょ? 二時間まではお祖母さまそのものだけれど、それを過ぎたらガラスの靴が脱げたシンデレラ状態。わたしは未熟だからまだできないんだけれど、すごく便利よね」
 時間制限があるらしい。
「それ、バレたりしないの?」
「二時間なら完璧ですって」
「な、なるほど……。めちゃくちゃ便利そう。っていうか、まるごと貸し切ったホテルってなに?」
「わたしがこっちに来るまで、お祖母さまはときどきそうして過ごしていたみたい。誰も入れないし泊まれないから、安心してゆっくり眠れるって」
 そうまでしないと心底リラックスできないなんて、デイビッドおじさん以上のセレブの悩ましい日常が、なんとなく垣間見えた気がする。
 それにしても、困った事態になってしまった。だって、誰あろうここにいるわたしも、目的はTDと違うとはいえ、彼の共犯者になっちゃってるんだもの。
 分厚い眼鏡越しのつぶらな瞳が、まっすぐわたしを見つめてくる。
「もしも彼から連絡が来たり、なにかしでかしそうだったら、すぐにわたしに教えてくれる?」
 TDを心配していることが、手にとるように伝わってきた。
「そっか……あなたもTDが好きなんだね」
「えっ!? そ、そんなことないわ! そういうことじゃなくて、と、友達としてというか……」
 パットの顔が赤くなる。わたしは思わずにやけてしまった。
「あなたがそう言うなら、そういうことにしておくね」
 リンゴみたいな顔で、パットはうつむいた。
「あ、ありがとう……」
 それはそれとしても、まいった。
 個人的にはTDって、地球が滅びそうになっても絶対に生き残れるような気がするんだよね。だから、なにが起きたとしても、TDに対しては一ミリも心配してないなんて、彼に惹かれはじめてるパットに言えない。
 わたしとTDが企んでいる作戦をもしも話してしまったら、今夜の計画はナシになるかもしれない。そうなったら、パーティに参加するジェイの身になにかが起きても、わたしにはどうすることもできなくなる。けど、わたしってば自分のこと過信しすぎかな。今夜なにかが起きたとしても、わたしにできることなんて、そもそもなにもないかもしれないのに。
 息をついた瞬間、さっきまで見ていた夢が脳裏をよぎった。消えていくジェイのうしろ姿を思い出し、意を決してパットを見つめ返す。
「ジーン?」
 友達に嘘はつけない。でも、わたしにもTDにも、やらなくちゃいけない事がある!
 よし、全部打ち明けよう。
 というわけで、ジェイの謎多き身の上はさておき、TDとのパーティ潜入作戦についてパットに伝えた。絵画のムンクの『叫び』みたいな表情をしたパットは、やがて「そんなのダメよ!」とわたしの肩を揺すりはじめた。
「いけないわ、ジーン! 危険すぎるもの!」
「だよね。でも、TDがあなたを守りたいって思うみたいに、わたしにも力になりたい人がいるんだ。それに、失踪した女子高生のことも気になってるし」
 パットがはっとする。
「で、でも……!」
「わたしとTDはケータリングスタッフを装って入るだけで、なにか仕掛けたりするわけじゃないよ。ただ、その場にいる人とか、ブライアン・ライトを観察するために行くの。でも万が一、もしもわたしとTDが誰かに目をつけられて危険そうになったら、すぐにTDを連れてその場から逃亡するって約束する」
 動きを止めたパットが、はっとした。
「……ジーン。あなたの力になりたい人って、もしかしてキャシディさん?」
 たしかに、デイビッドおじさんの力になれたら嬉しい。曖昧に微笑むと、わたしの様子になにかを察したらしきパットは、小さな瞳を見開いた。
「そんな、まさか! ジェイもパーティに参加するのね?」
 おっと、察しがいい。今度はわたしの顔が赤くなってくる。
「そ、そういうことになっちゃうね」
 パットがわたしをまっすぐに見つめた。
「そう……。彼がパーティに参加するのなら、ここでただ心配しながら、じっと待ってるなんてことできないわよね……」
 そうささやいて嘆息する。女の子同士っぽい会話に、拍車をかけてみよう。
「パット……っていうか、パティ。念のために訊くけど、わたしの気持ちとかもしかしてあなたにバレてる?」
 パットが微笑む。
「自分のことには疎くても、ほかの人のことはわかってしまうの。そういうものでしょ?」
 やっぱりバレてた。
「だね」
 視線を交わして、お互いに少し笑いあう。と、パットは意を決したように口を開いた。
「いいわ、わかった。あなたの気持ちは尊重したいし、たしかに、あなたと一緒ならTDも無茶なことはしないかもしれないもの。でも、お願いだからわたしに約束して、ジーン」
 ぐっと顔を近づけてくる。こころなしか、瞳がうるんでいるように見えた。
「なにかあったら、絶対にTDを連れてその場から逃げてね。お願い」
 わたしは大きくうなずいた。
「わかった。約束する――」
「――どういうことだ」
 パットと見つめあっていた矢先、突然ドアが開いた。わたしたちを見てぎょっとしたヘンリーは、不機嫌さをあらわにした。
「ほう? きみがこんなに浮気者だったとはな」
「はあ? っていうか、ノックくらいしてくれないかな!?」
「午後一時を過ぎているのに音沙汰がない。無事をたしかめるために失礼したんだ」
「えっ」
 サイドテーブルの小さな置時計を見て、びっくりした。うっそ! あ、危なかった……。今日が授業のない土曜日で助かった。これがもしも来週だったら、ゴミ拾いのボランティアをするはめになってたところだ。
「じゃあね、ジーン。ヘンリーは妙な誤解しないで」
 ヘンリーを指差して言ったパットは、床に魔法陣を浮かびあがらせると、その中に入って姿を消した。と、ヘンリーがしみじみと腕を組む。
「羨ましいほど便利だな」
「そうなんだよね。あの魔法って、どのくらいの距離まで可能なのかな」
 もしかしたら、イタリアにいるママとパパに会えたりして? さすがにそれは無理か。そんなくだらないことを考える前に、シャワーを浴びよう。のっそりとベッドから出たとき、まだドア口にいるヘンリーとふいに目があった。
 ああ、そうだった。この幼馴染に、昨日キスされたんだった……って、思い出しちゃった!
「お、起こしてくれてありがとう。速攻で準備するから出ていってくれる?」
 銅像みたいに動かないヘンリーを押しやって、ドアを閉めようとしたときだ。自室から出てきたジェイと、目があった。
 ジェイはわたしとヘンリーを交互に見るなり、にこりともせずに言った。
「カルロスがランチを買って来てくれたから、キッチンのテーブルに置いておくよ」
「あ……りがとう」
 わたしの返事を待たず、ジェイはリビングに行ってしまう。なんだろう、この微妙な距離感。っていうか、ものすごい壁を感じる。こんなこと、彼と出会ってはじめてだ。もっとも、初対面からたいした日数も経っていないので、なんとも言えないのだけれども。
「いい傾向だ」
「なにが?」
 ヘンリーが振り返り、にやりとした。
「おれときみの仲のよさを知って、きみから手を引くことを選んだらしい。おれの勝ちだな」
「えっ!?」
 怒りとか苛立ちを通り越して、なんだか泣きたくなってきた。
「あのね、ヘンリー。わたし、あなたのこと嫌いじゃないし、昔はあなたと仲良しになりたいって思ってたこともあるよ。でも、わたしの求めてた感じってこういうのじゃなくて、もっとなんていうか……そうそう! TDみたいにつきあえる感じなんだ。わかるかな? っていうか、もとのあなたにお願いだから戻って! わたしを完璧にスルーしていいから!」
 爆発した髪で、必死に懇願する。はっと息をのんだヘンリーは、クールな眼鏡の奥の眼を見張る。
「……おい、どういうことだ。きみはTDが好きなのか?」 
 わたしの意図がまったく通じてない。今日のところはいったんあきらめよう。
「オーケー、さよなら」
 ヘンリーの鼻先でドアを閉め、鍵をかけた。ぐったりとうなだれつつ、ゲストルームの浴室のドアノブに手をかける。そうしながら、ジェイの冷ややかな表情を思い出す。
 わたしとヘンリーのことを誤解しての態度なら、いっそ単純なのにと思う。彼がやきもちをやいてくれているのなら、わたしのことを少しは思ってくれているってことだし、わたしに対するいままでの言動の理由もなんとなくわかるから。そうだったら、すっごく嬉しいな。
 ――でも、きっと違う。
 ジェイの態度の原因は、きっとそんなことじゃない。
 たぶん彼は、覚悟を決めてる。そんな気がする。
 今夜のパーティでなにかが起きて、自分の過去と対峙する覚悟を決めているのかもしれない。だから、距離をとってるんだ。
 この世界から、消え去ることになるかもしれないから――。
「ダメだよ。行かせない」
 あなたの過去がなんなのか、わたしにはわからない。あなたのいた世界が、どういうとことなのかもわかない。でも。
「なにがなんでも、引き止める」
 鼻息荒くひとりごち、浴室に入った。

 

★ ★ ★

 

 お腹が空きすぎて倒れそうだ。着替えてキッチンに向かおうとしたとき、大きなトランクをデイビッドおじさんに引っ張らせたブロンドの女性が、リビングに入ってきた。見るからにハイブランドのツーピース姿で、大きなつばのある帽子をかぶっている。そのせいで、真っ赤な唇以外はつばの奥に隠れていた。
「あー……疲れた。悪いけど吸わせてもらうわ」
「おっと、タバコを吸うなら空気清浄機の稼働を最大に……」

「は?」
 デイビッドおじさんの言葉を無視した女性は、ジャケットからタバコを取り出すと、唇にくわえて火を付ける。苦笑したデイビッドおじさんが、清浄機のリモコンを手にして調節した。それを見た女性は不服そうに眉を寄せつつ、タバコの煙を吐き出した。
「どこもかしこも浄化、清浄、禁煙禁煙って、ほんと最悪。とくにこの街が一番うるさいのよ。だから引っ越したんだもの。まったく、街を歩く誰もが煙をくゆらせてたあの時代はどこへいったわけ?」
 そう言って帽子をはずし、わたしを見る。デイビッドおじさんより年上に見えるけれど、すごくセクシーできれいな人だ。
 わたしを視界に入れるなり、彼女は目を丸くしてぎょっとした。
「……うっそ、うそでしょ……!」
 タバコを指に挟みながら、つかつかとわたしに近づき、顔を寄せてきた。
「ちょっと、いったいどういうベースメイクしてるの。っていうか、使っている化粧品はなに? あなた、どこからどう見ても高校生のままじゃない。全然年をとってないなんて、どういうことなのよ、ニコル!」
「えっ!?」
 のけぞるわたしを、デイビッドおじさんが助けてくれた。
「スーザン、彼女はニコルの娘だよ」
 デイビッドおじさんの元秘書で、現在はベストセラー作家のスーザンさんは、わたしをまじまじと見つめた。
「……たしかに、よく見ると違うわね。でも、ぼんやりした顔立ちとかほんとそっくり」
 褒められた? そういうことにしておこう。
「あ、あなたの原作のドラマ、ママも大好きで一緒に見てます!」
 ふふんとスーザンさんはほくそ笑む。
「ありがとう。『わたしの愛した大富豪』のモデルに、わたしのトランクを引いてもらえて光栄だったわ」
 デイビッドおじさんを振り返る。おじさんが苦笑した。
「きみの部下になったみたいな気分が味わえて、こちらこそ光栄だよ」
「あんなにわがままでやんちゃ放題だったブロンド少年が、まともそうな大人になったみたいで感無量やらさびしいやら、なんか複雑。で? 今夜のわたしの任務を教えてもらえるかしら?」

 

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