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23:魔法大戦争前夜[5]

 ジェイは蝋人形みたいに微動だにせず、ただこちらを見ている。にこりともしない彼の様子から、とっさに察した。見られたんだ。

 理由はどうあれ、キスはキスだ。ジェイがわたしのことをどう思っているのかはわからないけれど、誤解されたのだとしたら胸が痛い。

 いま、はっきりわかった。この感情に言いわけなんてできないし、もう逃げられない。

 ――わたし、やっぱりジェイが好きなんだ。

「そうだ、ジェイ。言い忘れてたよ」

 カルロスさんが書斎から出てきた。

「明日の午後にスタイリストが来るから、出かけずにいてもらえると助かるよ」

 ジェイは気をとりなおしたように息をつき、振り返ってうなずいた。

「わかった」

 スタイリスト? まさか、もしかして。

「あなたも、パーティに行くの?」

 思わず訊ねる。ジェイはどこかさびしげな笑みを見せると、窓に向かって歩きながら両手を組んだ。

「招待されたのなら、失礼のないようにしないとね」

 ジェイの指先に、光の粒が集まっていく。淡い光が彼を包み、やがて全身が黒く輝くメタリックヘと変貌した。

「散歩に行ってくる。カルロス、なにかあったら連絡するよ」

 そう言ったジェイは、メタリックな黒いグローブを窓に添えた――瞬間、音もなく窓が消える。直後、クラークパークに向かってジェイが飛んだ。

 え、うそ。なにそれ、どうなってるの!? っていうか!

「ジ、ジェイ!?」

 慌てて近寄ろうとした寸前、四方八方から閉じる自動ドアみたいに、窓ガラスがもとに戻る。震えながら窓に頬を寄せて、眼下のクラークパークに目を凝らす。でも、ジェイの姿はどこにも見えなかった。

 クラークパークがあんなに遠い。こんな高さからすんなり飛ぶことができるのは、コスチュームを信頼しているからなのかな。それとも、デイビッドおじさんが言っていたとおり。

 ――ぶっ壊れてる、から?

「……窓が消えたぞ。パットの魔法並みに」

 ヘンリーが言う。

「う、うん」

 ジェイが無事であることは、頭ではわかってる。でも、ときおり見せる彼の無謀さが怖くなってきた。だって、まるでこの世界からいつ消えてもいいと思っているように、感じられてしまうからだ。窓に頬をくっつけていると、ヘンリーがカルロスさんに言った。

「尋常ではないテクノロジーを発揮する彼のコスチュームは、いったい誰の発明ですか」

 カルロスさんは肩をすくめる。

「すまないが、企業秘密なんだよ」

「いずれ誰かの目に留まりますよ」

 カルロスさんは苦笑した。

「すでに留まってる。それをもみ消すのもぼくの仕事だよ。これがなかなか大変でね」

 ヘンリーが困惑した。

「そうであれば、どうして彼の行動を止めないんですか。スーパーヒーローの再来ではないのなら、そのほうが誰の目にも留まらずにすむ」

「まあね。でも、こういったことは彼に必要なんだ。だから、止められない」

「こういったこと?」

 ヘンリーが突っ込む。

「夜のお散歩」

 カルロスさんはそう答え、書斎に戻っていく。広すぎるリビングに残されたわたしは、ふたたび眼下に目を凝らした。と、ヘンリーがささやく。

「あいつは普通じゃない」

「……そんなことない」

 やっとの思いで否定する。

「この高さから無防備に飛び出せるなんて、あきらかに正気じゃない。それに、窓が消えた〈魔法〉のカラクリも謎だ」

 ヘンリーを視界に入れる。彼は窓に背中をつけ、わたしを見返した。まるで、闇夜にそびえる摩天楼に浮かんでいるみたいに見える。

「あいつはやめておけ」

 はっとして息をのむと、ヘンリーは言葉を続けた。

「きみの手には負えない。たぶん、誰の手にも負えない」

「そんなこと、あなたの勘で言ってほしくない」

「勘じゃない。事実だ。きみだってうすうすわかっているんじゃないのか」

 なにも言えなくなってしまった。すると、ヘンリーはため息をついた。

「……正直、 きみのことなんて、まともに見たことも考えたこともなかった。父も母もどうしてきみの母親と仲がいいのかもわからなかった。でも、やっとわかってきた」

 ヘンリーがわたしを見つめてくる。

「きみといると、なにが起きたとしてもすべてが大丈夫だと思える気がする。どんな人生になるとしても、笑って乗り越えられそうな気がする。きみときみの母親が似ているのなら、デイビッド・キャシディがあきらめきれないのもわかる気がする。きみの父親は幸せ者だ」

 ヘンリーは少しも笑わず、わたしに顔を近づけた。

「なにがあろうとも、きみの気持ちがどうであろうとも、おれはデイビッド・キャシディになるつもりはない」

 そう言い捨てると、自分に割り当てられたゲストルームに去ってしまった。

 頭が真っ白になってしまい、なにを言われたのかわけがわからなくなってきた。っていうか、まるでプロポーズみたいなセリフが途中に挟み込まれてた気がしないでもないけど、深く考えるのはやめよう。脳観察を終えたらしいヘンリーが言いたかったことは、つまり、ようするに。

 わたしのことが、好きだってことだ。しかも、わたしの気持ちはどうでもいいらしい。

「ゆ……由々しき事態になってしまった」

 わたし、クラークパークで彼をとっさにかばったこと以外で、なにかしたっけ?

「思い出せないけど、間接的にしてた……とか?」

 まさか! そんな思わせぶりなことなんかしてない。

 とにかく、だ。キスもされたし、そのうち天才の網にはまって抜けられなくなるかもしれない。

「……な、なんとかしないと!」

 むなしくひとりごちるリビングに、ジェイが戻ることはなかった。

 

★ ★ ★

 

 深夜二時なのに眠れない。

 サイキックなパワーをおさえる薬は食事の前に飲んでいるものの、頭が冴えすぎていまにも髪が逆立ちそう。ただでさえくるくるなクセ毛が、古いお屋敷の壁をつたう蔦みたいにびよーんと伸びて、この部屋をおおいつくす妄想にかられてきた。重症だ。

「……ヘンリーをもとに戻すには、どうすればいいんだろ」

 わたしの顔を目にするたびに、げんなり顔でため息をついてくれた彼が懐かしい。まさかこんなことになるなんて、想像したこともなかった。ほんと、人生ってびっくり箱みたい。

「とにかく、断固とした態度をつらぬくしかないよね……」

 眠るのはあきらめて、ベッドから出る。そういえば、ジェイは戻ったかな。戻ったとしても眠ってるのはあきらかだけれど、そっとドアを開けてリビングをうかがう。ライトがなくても、窓の向こうのきらめきでじゅうぶん明るい。女の子らしさゼロなTシャツとスウェットパンツにパーカを羽織った姿で部屋を出たとき、うっすらと明かりのもれるキッチンが視界に飛び込んだ。誰かいる。デイビッドおじさんかな?

 近づくと、話し声が聞こえてきた。デイビッドおじさんとジェイだ。よかった。ジェイ、無事に戻ってきたみたい。ホッとした瞬間なにか食べたくなって、キッチンに入ろうとした矢先。

「……なにが起こるかわからない。きみの世界とブライアン・ライトの世界がまったく異なっているとしても、なんらかのパワーが干渉しあって〈チューブ〉の通り道ができたら?」

 デイビッドおじさんの意味不明な言葉に、思わず足が止まる。壁際にぴたりとはりついた直後、ジェイの声が聞こえた。

「ぼくも考えました。でも、遅かれ早かれぼくは見つかります。それに――」

 ジェイのため息が耳に届く。

「――ずっとここにいてあなたの世話になっていたら、ぼくは夢を見続けてしまう。こんなに優しい夢から覚めるのは、早いほうがいい」

 会話の内容がさっぱりわからないのに、嫌な予感で鼓動が早まる。と、デイビッドおじさんが言う。

「夢じゃない。きみの現実はここにある。違うかい?」

 ふっと笑ったジェイの気配が伝わる。

「……本当に、あなたの息子ならよかったのにな」

「きみはおれの息子だよ」

 デイビッドおじさんが深く嘆息した。

「しかたがない。きみが覚悟しているのなら、おれも同じだけ覚悟しよう。でも、万が一のことがあったときは、誰のこともかまわずに逃げろ。大丈夫、おれたちはそんなにヤワじゃないし、こっちには棺の魔女もついてる。きっと彼女が世にも恐ろしい魔法でなんとかしてくれるさ」

 ジェイが沈黙する。おじさんがたたみかけた。

「きみは逃げてもいいんだ、ジェイ。それはけっして、卑怯なことじゃない」

 

★ ★ ★

 

 静かに部屋に戻り、ベッドに腰をおろした。

 わたしはママほどお人好しじゃないし、頭の回転もそれなりに早いほうだと自負してる。とはいえ、デイビッドおじさんとジェイの会話はわけがわからなかった。いや、本当はなんとなく予感してる。でも、その結論に達するのは時期尚早だし、なにしろはっきり教えられたわけじゃないのだから、勝手に思い込むことだけは避けたい。でも……。

「……問題が多すぎて、わたしの頭じゃ処理できなくなってきちゃった」

 ベッドに座ってうなだれる。でも、うなだれてる場合じゃない。

 よくわからないし、これはわたしの推理にすぎないけれど、ジェイはなにかに追われてる。そのなにかは、おそらく〈チューブ〉なる通り道から来るらしい。でもって、その〈チューブ〉は、もしもブライアン・ライトが魔界的なパワーを発揮したら、それがトリガーになってあらわれる可能性があるようだ。

「なにもかも謎すぎるよ……」

 ジェイに直接訊ねたいけれど、きっと答えてくれないだろう。だからといって、デイビッドおじさんからこそこそ聞き出すこともしたくない。でも、確実なことがある。

 ジェイが教えてくれた身の上話は、きっと嘘だ。もっと違う真実が、彼にはある。でも、だからなに? 嘘をつかなくちゃいけないほどの理由が、彼にはあるっていう証拠だ。

 どんな理由があるにせよ、わたしは彼の味方でいるって決めたんだもの。

 もしもジェイがなにかに狙われているのだとしたら、わたしにだって考えがある。

 わたしにできることなんてささやかだろうけど、いざとなったとき、逃げ道の誘導くらいはできるはず!

 深夜にもかかわらず、鼻息荒く携帯電話をつかむ。まさか、この人を頼るときがくるなんて本気で想像したこともなかった。

「ほんと、人生ってびっくり箱の連続だよ」

 つぶやきながら、目的の人物にだけメッセージを送信した。

 

《ジーン:TD、起きてる? っていうか、そうだ! パットとあのあとどうなったの?》

 

 しばらく待っても返事はない。無理もないか。しかたなくベッドに横たわったとき、着信があった。うっそ、起きてた?

 

《TD:どうもこうも、おっかないばーさんに見つかって、秒で自宅に飛ばされちまったぜ!》

 

 笑ってしまった。だよね。

 

《TD:そんで? どうした?》

《ジーン:ブライアン・ライトの住んでいる建物全体の見取り図とか、手に入ったりする?》

《TD:もちだ。どした?》

 

 ホント、最高。どうしていままで仲良しにならなかったんだろ。

 

《ジーン:彼の部屋の鍵も、開けられるんだよね?》

《TD:もちだぜ。おいおい、物騒だな。まさか、パーティに潜入すんのか?》

《ジーン:ちょっと個人的な事情があって。これ、内緒だからね!》

《TD:オッケーだ》

 

 まさかこの人と、こんな個人的なやりとりをしてるなんて、信じられない。思わず苦笑したとき、返事がきた。

 

《TD:実はおれも潜入しようと思ってて、作戦練ってたとこだ。ケータリングの制服借りられっから、一緒に入っちゃおうぜ。魔法大戦争パーティ!》

 

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