20:魔法大戦争前夜[2]
ヘンリーの脳観察は終わらないし、メイソンは魔界の使い魔コルバスに取り憑かれるし、そのあげく彼らのターゲットがわたしになっていることが判明して、もうただでさえあっちもこっちもわけのわからない状況になっちゃってるのに。
「……ブライアン・ライトのパーティに行くの?」
悪魔から身を守るための『キャシディ家のお泊まり会』に参加すべく、荷物を詰めるためにいったん自宅に立ち寄ったわたしは、ついて来てくれたジェイにそう訊ねた。
「どうかな。デイビッドと相談することになると思う」
学校で起きたことのいっさいは、すでにカルロスさんに伝え済みだ。生粋のお金持ちであるデイビッドおじさんと、突如成り上がったブライアン・ライトは面識がないらしく、もしも今回のパーティに参加するとなれば、はじめてのご対面となるらしい。
「早く帰って、おじさんと相談したほうがいいね」
パーティだなんて、悪党の巣窟に潜入するには絶好のチャンスだ。ヘンリーのパパの部下がうまく紛れ込めれば、なにかしらの証拠が手に入るかも知れない。もしくは、それが叶わなくても、TDに部屋のロックを解除してもらって、こっそり捜査する方法もあるわけで。
でも、それって法律に触れるのかな? まあ、相手が悪魔なら関係ないか。
とにかく。ブライアン・ライトが本当に悪党で悪魔なら、その場でなにかの証拠をおさえてすぐさま捕まえてもらいたい! でも、待って。
「警察とかFBIに、捕まえられると思う?」
「向こうが人間のふりを続けるのなら、できるとは思うよ。でも、万が一捕まったとしても、きちんとした手順を踏んで保釈金で釈放されて、証拠不十分で無罪放免になるかも」
その可能性はかなり高い。そうであれば。
「じゃあ、あなたが捕まえるのはどうかな?」
冗談半分に提案すると、ジェイは視線を落としながら苦笑した。
「あれは訓練の延長でできることだし、ぼくはべつにヒーローになるつもりはないよ」
訓練の延長? なんのための訓練なんだろ。そう訊ねようとしたとき、カラスの鳴き声が外から聞こえた。あれやこれやの出来事とは無関係のカラスだと思いたいけれど、急ごう。
「おしゃべりでのろのろしてごめん。続きは帰ってからにして、急ぐから待ってて!」
まずは洗面所に向かい、サイキックなパワーを抑える薬をゲットする。
「あなたはリビングで待ってて。すぐに戻るから」
リビングを指差して告げると、ジェイは不服そうにくいと片眉をあげた。
「それじゃ、階上からきみの叫び声が聞こえても間に合わないよ」
ぎょっとして固まると、にやりと笑ったジェイが腕を組む。
「ぼくをリビングに押し込めておきたい理由が、ほかにあるんじゃない?」
お見通しのようだ。わたしは半眼でジェイを見すえた。
「……わたしの部屋、ママは『泥棒に入られた秘密基地』って呼んでる。あなたをリビングで待たせようとした理由を、これで悟ってくれないかな?」
くしゃりと破顔したジェイは、声をあげて笑った。
「じゃあ、『泥棒に入られた秘密基地』の外で待ってるよ。これでどう?」
そう言われたら、しかたがない。
「いいけど、絶対にのぞかないでね」
「自信はないけど、なんとか自制するよ」
階段を駆けあがり、自室に向かう。廊下でジェイを待たせてドアを閉めようとしたけれど、山になっているお気に入りの古着とスニーカー、大量のクッションとぬいぐるみ、散乱した雑誌とカセットテープが邪魔をしてきっちり閉じることができない。こんなことがあるってわかってたら、一生懸命に掃除したのに! 過去の自分にお説教したい気分だ。
「み、見ないでね!」
「そのつもりだけど、もう見えちゃってるよ」
「じゃあ、目をつぶってて!」
ジェイのクスクスと笑う声が、閉まらないドアの向こうから聞こえる。ベッドの下からトランクを引っ張り出し、とりあえず五日分くらいの着替えを詰めていく……つもりが、全然決まらない。トップスとボトムとアクセサリーの組み合わせに悩みはじめたら、平気で十年くらい経っちゃいそう。ええい、目を閉じて捕まえたものを詰めてしまえ!
トランクに次々と放り込んでいたとき、なにかにけつまずいて、クッションとぬいぐるみの海にダイブした。
「わっ!」
「ジーン?」
ジェイがドアから顔をのぞかせた。
「こ、転んだだけ!」
わたしの訴えもむなしく、ジェイは笑みを堪えながら言った。
「……ごめん。見てしまった」
転んだわたしが声をあげたせいだし、しかたがない。
「ようこそ、わたしの秘密基地へ」
「泥棒に入られる前を想像するから、安心して」
今度はわたしが笑ってしまった。すると、しゃがんだジェイが散乱しているカセットテープを手にとった。
「たくさんあるね。どういうの?」
「いろんなやつだよ。そのへんのはラジオで流れた音楽をダビングしたのだと思う。それで気に入ったのはチェックしておいて、あとでレコードとかCDを買うの」
「聴いてもいい?」
「うん、いいよ。っていうか、あなたにあげる。あ、待って! だったら、とっておきのがあるんだ」
クローゼットの前までスツールを引っ張り、上にのる。クローゼットの上にある宝物箱を両手でつかんだとき、雑誌の端を踏んでいたスツールがぐらついた。あっと思った次の瞬間、
「ジーン!」
彼の両腕が伸び、うしろからわたしをつかまえる。
「わっ! ごめん、ジェイ!」
振り返ると、ジェイはクッションとぬいぐるみに埋もれながら笑った。
「全然痛くないから平気。こんなことなら、きみの下敷きにならなくてもよかったかな」
「泥棒に感謝しなくちゃ」
ジェイはくしゃりと目を細めて、心底楽しそうに笑う。
彼が笑うと、わたしも嬉しい。背中にあるたくさんの傷や、デイビッドおじさんの言っていたことは、いつも頭の片隅にある。彼のすべてを知っているわけじゃないけれど、きっと哀しいことがたくさんあったんだろうって思う。だから、せめてわたしと一緒のときくらいは、いっときでも辛いことを忘れて、ただ笑っていてほしい。
起きあがってクッションに座ったわたしは、宝箱を開けた。いろんな切り抜きや、内緒で盗んだパパとママの若いころの写真、道で拾ったきれいなボタン、珍しい外国のコインや切手に紛れて、一本のカセットテープがある。それを、ジェイに差し出した。
「これ、めちゃくちゃ好きな曲だけ入れたテープで、本当はおばあちゃんになってから聴こうと思ってとっておいてたんだけど、あなたにあげる」
受け取ったジェイは、目を見張った。
「いいの?」
「うん、いいよ。なにが入ってるかどうせ覚えてるし、おばあちゃんになったらカセットテープとかじゃなくて、もっと便利に聴けるかもしれないもの」
ジェイがわたしを見つめる。すると、まるで小さな男の子みたいな、ふわりと柔らかい笑みを浮かべた。そんな表情を見たのははじめてだったから、びっくりして息が止まりそうになる。うわ、この人、こんな笑い方もするんだ。
「ありがとう。そんなに大切なテープをもらえて、すごく嬉しいよ」
急に心臓がバクバクしてきた。それとともに、いろんなことを思い出す。そうだった。わたし、ジェイにキスされたんだった!……って、おでこにだけど。
「た、たいしたことないから、気にしないで」
キスした理由を聞きたいと思いはじめた矢先、
「きみといるの、すごく楽しい」
ジェイが言った。
「デイビッドが気に入ってたから、きみに会えるのを楽しみにしてた。でも、まさか、一緒にいてこんなに楽しい子だと思わなかった」
そう言って、もっと間近で見ようとするかのように、わたしに顔を近づける。
「ぼくの想像以上だったから、正直困ってる」
えっ? と声を発しそうになったとき、彼の顔がもっと近づく。時間が止まりそうな錯覚におちいった、直後。
「――大丈夫かい?……って、おっとマズい」
カルロスさんが、ドアの隙間から顔をのぞかせた。わたしとジェイの顔はすれ違い、同時に顔を赤くする。
うわ、うっわ。どうしよう。なんかキスしそうだった! っていうか、カルロスさんが来なければ、おでことかじゃなくてちゃんとしたやつを確実にしちゃってたかも!
「どうやって入ったの、カルロス」
耳を赤くしたジェイが言う。
「ここの鍵は、以前よりWJから預かってるんだ。あまりに遅いから心配になったんだけれど、余計なお世話だったみたいだね。なにはともあれ、無事でよかった。とはいえ……」
そう言ったカルロスさんは、すまなそうに片目を細めて微笑んだ。
「ジーン。まさかこの部屋、泥棒にでも入られたのかな?」
★ ★ ★
「どうして編集会議に出席したおれのほうが、ここに早くついているんだ?」
気まずさを解消できないままジェイの高級アパートに着くなり、ホテル並みのロビーにいたヘンリーとTDに出迎えられてしまった。すると、カルロスさんが慌てる。
「悪かったね、あとで合鍵を渡すよ。とりあえずあがろう。やあ、ティムだね?」
「ういっす。TDでいっすよ」
カルロスさんとTDが握手をした。
「叔父さんの若いころにそっくりだよ」
「よく言われるっす。けど、おれにタトゥーはないっすよ」
カルロスさんが笑った。和やかそうな二人とは対照的に、ヘンリーの視線は針のように鋭い。その視線をなんとか無視し、トランクを転がしながらカルロスさんにくっついてエレベーターに乗る。と、携帯が鳴って、カルロスさんが通話をはじめた。内容からして、通話の相手はデイビッドおじさんのようだ。
学校での出来事をすでに知っているカルロスさんは、わたしたちを部屋に通すなり言った。
「デイビッドと直接話したいから、少し職場に戻るよ。このフロアには常にSPを配置してあるし、なにかあったらすぐに連絡をしてもらえるかい、ジェイ?」
わかったと、ジェイがうなずく。
というわけで、わたしたち四人が残されてしまった……と思った直後。
「そんじゃな。おれは帰るぜ」
TDが去ろうとする。いや、待って! TDがいるおかげで、ヘンリーからそそがれる視線の痛さと、ジェイとの気まずさが緩和されている気がする。せめてカルロスさんが戻るまではここにいてほしい!
「お、お茶でも飲んでからにしたらどうかな?」
まさか、TDの存在をこんなにまで切望する日が訪れるとは思わなかった。肩をすくめたTDは、どっかりとソファに座るとあくびまじりに「いいぜ」と言った。直後、全員の携帯が鳴る。見ると、わたしを心配するパットからトークが届いていた。大丈夫だと打ち込むと、すぐさま返事が戻ってくる。
《パット:大変なことになってしまったの。いまからそっちに行ってもいい?》
わたしたちは顔を見合わせる。すると、「いいよ」とジェイが打ち込んだ――瞬間、リビングの床に青白く輝く魔法陣が浮きあがる。呆然として立ちすくむわたしたちの前に、突如パットがあらわれた。
「うそだろ……マジかよ! マジでおまえらなんなんだよ!」
TDが叫ぶ。すると、ヘンリーが言った。
「信じがたいだろうが、マジだ」
「あなた、魔法を使ってもいいの?」
わたしの問いかけに、パットは表情を曇らせた。
「ううん、よくはないの。でも、いまみたいに姿を変える魔法を、とっくに使ってしまってるわ。もちろん、これはものすごく特殊な魔法で、放つ魔力もコルバスが察することもできないほど微力だから、意識が全部そっちにいってしまっていつもドジってしまうのだけれど……」
ああ、なるほど。ドジってしまう理由に納得した。
ため息をついたパットが、言葉を続ける。
「緊急事態だもの。もう隠している意味なんてないわ」
「なにがあったの?」
ジェイが訊ねると、パットが言った。
「ブライアン・ライトが、パーティの招待状をお祖母さまに送ってきたの。こんな変身なんて意味がなかったんだわ。だって、もうバレてるんだもの。わたし、彼の包囲網の中に――すでに入ってしまっているんだもの!」