19:魔法大戦争前夜[1]
「どうかしてるぞ」
昼休み。カフェテラスでランチをテイクアウトし、パットとヘンリーを例の秘密部屋に案内した。校内に存在するありえない場所に驚いた二人は、さらにTDの巨大リモコン飛行機を目にして固まり、息をついたヘンリーがそう言ったのだった。
「こ、これ……動くの?」
パットが言う。腕を組んだTDは、肩をすくめて苦笑した。
「さあな。おれの計算上じゃ動くことになってっけど、試してないしまだ完成してないからなんとも言えねーなあ。とにかく、記事にすんなよ」
「できるか」
ヘンリーが呆れ顔で答えた。
魔界の使い魔、コルバスに取り憑かれたメイソンは、ジェイのおかげでもとに戻ったものの、医務室に運ばれてまだ眠っている。メイソンに飛ばされたミラも先生も、きっと医務室にいるだろう。
割れたライトはオフィスの人たちが、困惑しながら付け替えていた。あのときに起きた一瞬の不可思議な停電についても、首をかしげる人ばかり。でも、あのありえない現象を目の当たりにした生徒たちは、ヘンリーとTDに脅されたのもさることながら、それを口にすれば呪われるとでも考えているのか、噂を広めている気配はない。まあ、いまのところは……だけれども。
ジェイがわたしを見た。
「パットよりもきみのほうが危ないみたいだ」
パットの顔が青ざめていく。
「わた……ぼくが姿を消してるから、あなたを囮にするつもりみたい。こんなことに巻き込んでしまって、本当に本当にごめんなさい」
目に涙が浮かんでいく。わたしはパットの両手を握った。
「わたしは全然平気だよ。デイビッドおじさんにスタンガン借りて所持するし、とにかくいろんな武器仕込んでおくことにするから心配しないで。だから、あなたはなにがあっても誕生日までは姿を見せちゃダメだよ。あと一ヶ月の辛抱じゃない?」
いまにも泣きそうな表情で、パットがわたしの手を握り返す。
「ありがとう、ジーン。あなたみたいな友達ができて、すごく嬉しい」
と、わたしとパットのそばにヘンリーが立ち、眼鏡越しににらんできた。
「すまない。いろんな事情はよくわかっているんだが、きみたちのいちゃいちゃしている絵面がどうにもイラつくから、いますぐにやめてくれ」
男の子になっているパットと手を握りあっている場面が、脳観察的にイケてないらしい。すると、ジェイが苦笑した。
「ちょっとわかる」
えっ? わたしたちの視線を感じたジェイは、うっすらと顔を赤くしてそっぽを向いた。
「いや、なんでもない」
そんなわたしたちのやりとりを尻目に、TDはサンドイッチの包み紙を解きはじめた。意味ありげな視線をパットにそそぐ。
「おまえ……マジで魔法使いなのか?」
「まあ……そうね。いえ、そうです」
眉を寄せたTDは、大口を開けてサンドイッチを頬張った。
「さっきからなんだよ。女子っぽくても気にしないで堂々としてろ。おまえはおまえだろ」
パットが頬を赤くした。真実を知らないTDは、パティっていうかパットのことを男の子だと思っているから無理もないけど、すごくいいこと言ってくれてる。ただの変わった天才のオタクだと思ってたけど、なんだかほんとに見直しちゃった。まさかTDの株がわたしの中であがる日がくるなんて、想像したこともなかった。
「おまえらをただ助けときゃいいと思ってたけど、事情を知れば知るほどめちゃ面白すぎるぜ」
そう言ったTDは、立ったままサンドイッチを頬張った。
「メイソンがあんなふうになっちまったのは、おまえが絡んでんのか? けど、主の婚約者がなんとかって、メイソンゾンビが言ってたよな? っつーことは、主は魔界の女王かなにかか?」
うっと言葉につまるパットに、ヘンリーが助け舟を出した。
「詳しいことはそのうち話すかもしれないが、ようするにこの街で、光と闇の戦いが勃発しているんだ、TD。婚約者うんぬんは、その戦いのごく一部と言えるだろう」
急にハリウッド映画みたいなおおごとになってきた。それにしても、ファンタジーめいた単語をあんなに拒否していたヘンリーが、いまやなんの躊躇もなく口にしているなんて、さっきの出来事でとうとうとどめを刺されたらしい。まあ、無理もないかな。だって、ファンタジーなことが実在しているって、いよいよ信じざるをえない状況になってきちゃってるから。
TDが目を丸くする。
「……マジかよ。それってなんつーか、魔法大戦争みたいな?」
「ま、まあ、そういう感じ……かな?」
気まずそうにパットが言う。すると、TDが訊き返した。
「でもよ、それじゃ魔法が使えないとかって言ってたのは、どういうことだ? あそこにいたみんなに見られちまうからか?」
ヘンリーは神妙な面持ちで、眼鏡を指で押しあげた。
「魔法大戦争の敵側は、大魔法使いの血を継ぐパットを亡きものにしようとしている。彼は自らの身を隠すべく、普通の人間としてこの学校に転校してきた。魔法を使えば、正体がわかってしまう。そういう事情で使えないというわけだ」
ヘンリーの嘘みたいだけど真実に遠くないストーリーを、TDは信じたらしい。笑いもせずにサンドイッチをごくりと飲み込むと、
「……マジなのか?」
TDの視線を受けたパットは、ためらいつつもうなずいて見せた。息をついたTDは、次に炭酸水を飲むジェイをじっと見つめる。
「そんで、おまえは……再来のスーパーヒーロー?」
ジェイが軽く咳き込んだ。
「そういうのじゃないけど、そう見えてもしかたがないよね」
「じゃあ、あれはなんのためのコスチュームなんだ?」
訊ねたのはヘンリーだ。炭酸水を飲み干したジェイは、控えめに微笑む。
「悪いけど、企業秘密だよ」
「企業秘密なのに、廊下のど真ん中で変身してもいいのか?」
TDの疑問に、ジェイが答えた。
「ああするしかない状況だったから、そうしただけだよ」
なるほど、そっか。もしかすると?
「変身するかしないかの決定権は、あなたにあるの?」
ジェイがうなずく。すると、TDが深く嘆息した。
「あれはマジですごかった。あれこそ魔法だろ? どういうテクノロジーでああなるんだ?」
それも企業秘密だと、ジェイがふたたび小さく笑う。そのとき、ヘンリーの携帯が鳴った。自分の携帯ではなくTDに借りたもので、画面を見るなり目を丸くした。
「父からだ。どうしてこっちに着信されたんだ?」
「設定したときデータをコピーしてくれるプログラムを仕込んであんだよ。全員のがそうなってるから、思う存分使ってくれ。魔法大戦争が終わったら回収するから、そんときに感想聞かせてくれよ。できればレポート形式で頼むぜ」
気づかないうちに、モニターにさせられていたらしい。っていうか、つくづくすごすぎる。メイソンじゃないけれど、TDを敵にまわしたら内緒のメモ日記とかも見られそうで、ほんとにおっかないったらない。
ヘンリーは携帯を耳にあてながら、少し離れた。話し声が聞こえてくるけれど、受け答えの声音はどことなく暗い。もしかして、失踪している女の子たちが健康じゃない感じで見つかったとか? それならまだしも……って、考えたくない!
曇った表情のヘンリーが戻って来た。
「もしかして……?」
不安げなパットの声に、ヘンリーは小さくうなずく。
「進展はとくにない。だが、明日の夜にブライアン・ライトが自宅で慈善パーティを開くらしいから、誰かに探らせるようだ」
TDが眉根を寄せる。
「ブライアン・ライト? めちゃ有名な大金持ちのハンサムがどうした?」
ヘンリーが真顔で言った。
「魔法大戦争の闇側で、黒幕とされている男だ。現在失踪中の女子高生らを、パットと同じ側の魔法使いであると誤解し、拉致した疑惑がある。その疑惑を明らかにすべく父が動いているが、そんなありえない理由を信じてくれる同僚もFBIもいるわけがないから、かわいそうに頭を抱えている最中だ」
なんだか本当に『魔法大戦争』の気分になってきた。ヘンリーの説明を聞いたTDは、目を見張ると興奮したかのように笑った。
「うそだろ……欧州の『夜の王』が魔法大戦争の黒幕!? なんだよそれ、おまえらマジでめちゃ面白すぎるぜ!!」
ガムを口に放り、おもむろに携帯を操作しはじめる。
「数日前からこっちで暮らしてるって記事を読んだけど、拠点にしてんのはホテルじゃなくて別宅のペントハウスか?」
「さあ、そこまでは。なぜだ?」
ヘンリーが言う。
「そいつの滞在してるペントハウスに間違いがないなら、おれも協力できそうだからだよ」
「どういうこと?」
ジェイが訊ねる。
「そいつの部屋のロック、開けられるかもってことだ」
……はい?
全員がTDを見る。TDはニヤリとして、ガムを膨らませた。
「だって、そのペントハウスのあるアパートのロックシステムを構築したの、叔父貴の会社だもん」
★ ★ ★
今日はいつにも増して、学校での一日が長かった。
最後の授業が終わってベルが鳴る。ロッカーに向かっていると、ヘンリーからメッセージが入った。新聞部の編集会議に参加しなくてはいけないらしく、隠れ部屋で待っていてほしいとある。迎えに来てくれるカルロスさんの手間になるので了承すると、すぐさまパットのメッセージが届いた。
《パット:ジーンのほうが狙われてるんだもの。ひとりにしちゃダメ!》
《ジェイ:ぼくがいる》
《ヘンリー:わかっている。あえて避けただけだ。きみは先に帰ってくれ》
《ジーン:あなたの脳観察、いつ終わるの? ジェイだけ先に帰るとか、それこそカルロスさんの手間になるでしょ!》
微妙な間ののち、渋々みたいなメッセージが届いた。
《ヘンリー:しかたがない。パットかTDも一緒ならよしとする》
《パット:お祖母さまの車がもう来てて待ってるの。ごめんなさい、帰らなくちゃ》
《TD:っつーか、おれがおまえを送ってやんよ。どうせあの部屋で作業するしな》
返事がない。ロッカーの前で返事を待っていると、携帯を耳にあてて通話するジェイがあらわれた。携帯をポケットに入れると、苦笑する。
「カルロスに迎えの時間を遅らせてもらうつもりだったんだけど、もう来てた」
「えっ?」
じゃあ、しかたがない。メッセージでヘンリーに事情を伝え、TDに彼の送迎をお願いして携帯を閉じた。
廊下を歩くわたしたちを気にする生徒は、とくに見当たらない。でも。
「面倒な目立ち方をする前に、早く逃げよう。週末をはさめばいろいろ落ち着くかもしれないし」
ジェイが言って、わたしの手を取ると小走りになった。わわっ。今日一日のいろんなことが走馬灯みたいに頭の中を駆け巡っていって、考えなくちゃいけないことが山ほどあるのに、またもや「どうしてわたしのおでこにキスしたの?」問題がぶり返す。
もしかしてわたし、からかわれてる? いや、そんなわけないし、ジェイはきっとそんなことしない。だとしたら、無自覚なのかな。そういう男の子って、ごくたまにいる。わたしはいままで出会ったことがないけれど、いろんな男の子とつきあってる女の子たちの会話で耳にしたことがあるから。でもって、一番噂の的になっているのも、そういう無自覚っぽい言動をする男の子みたいだったから。
このまま悶々とする自分に耐えられない。今夜いろいろ、包み隠さず訊いてみようかな。それがいいかも。そうしよう! 鼻息荒く密かに決意したとき、ジェイとわたしのポケットにある携帯が同時に鳴る。駐車場の手前で足を止めて確認すると、ヘンリーからだった。
《ヘンリー:離れろ、見えてるぞ。どうせ今夜も一緒なんだ、覚えてろ》
うわっ、と校舎に視線を向けると、三階の角部屋からこちらをじっと見下ろしているヘンリーが見えた。
「……古いお屋敷にいるゴーストみたい……」
げっそり顔で思わずつぶやくと、ジェイが言った。
「前言撤回」
「えっ、なに?」
「さっき言ったことだよ」
「週末をはさめばいろいろ落ち着くかもしれないってこと?」
ジェイが苦笑する。
「ヘンリーはまだ落ち着きそうもないし、おかげでぼくも落ち着かない」
えっ? それ、どういう意味?
もやもやが倍増しそうになった矢先、カルロスさんが携帯を見ながら車からおりてきた。誰かからのメールを読んでいるらしく、目を丸くしてぎょっとする。
「どうしたの、カルロス」
カルロスさんが顔をあげ、ジェイを見た。
「ブライアン・ライトの秘書からうちの広報担当に、パーティのお誘いがきたらしい。デイビッドときみに。デイビッドは当然としても、きみのことはまだおおやけにしていない。それなのに、どうしてきみも誘われたんだろう?」
ヘンリーの真似をすれば、闇の勢力の魔の手が、光の勢力に味方するスーパーヒーローに迫ってきたといったところかな……なんて、現実逃避してる場合じゃない。
わたしとジェイは視線を交わす。すると、彼が言った。
「どうやらなにもかも、落ち着きそうにないね」
同感だ。わたしもこの週末、なにひとつ落ち着きそうにない!