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18:そして舞台の幕が開く

 すごいものを見てしまった。
 誰も知らない図書館の屋根裏部屋で、一人乗りの巨大なラジコン飛行機を作っている学生がいるだなんて、想像したこともなかった。まあ、わたしじゃなくても想像している人なんているわけがないけれども。

 次の授業があるというTDと一緒に、こそこそと秘密の部屋を出る。無言で図書館をつっきって廊下に出たとき、TDが言った。
「じゃあな。なんかあったらメッセージくれ。助けてやんよ」
 背中を向けて歩き出したTDに向かって、ジェイが言う。
「TD。叔父さんに頼まれたからだと言っていたけれど、でも、それだけでどうして助けてくれるの?」
 TDが立ち止まり、振り返る。
「おれん家には父親がいない。叔父貴らがずっと、おれの父親代わりだったんだ。だから、叔父貴らの頼みごとにはなんでも応えたい。それに、おれのおふくろは昔活躍したスーパーヒーローに助けられたことがあるらしい。だからまあ、デイビッド・キャシディの右腕からのご要望みたいだし、恩返しとも言えるかもな」
 そう言うと、わたしを見てなぜかニヤッとした。あれ? もしかしてTDは、本当のパンサーがデイビッドおじさんじゃなかったこと、知ってる? まさか、そんなことないか……と思ったとたん、授業終わりのベルが鳴る。みんながいっせいに廊下に出てきた直後、ぞわりと背中に悪寒が走った。
 誰かに見られているようなこの感じ、まただ。はっとして廊下を見まわしたとき、窓から見える木の枝にカラスが止まっていて、目があってしまった。
「ジーン、どうした?」
 ジェイが言う。視線をジェイに向けようとした矢先、まるで空気に溶けるみたいにカラスが消えた。えっ、いまのなに? ぎょっとして窓に近づこうとした瞬間、聞き覚えのある声が廊下に響いた。
「メイソンってば、あなた大丈夫なの?」
 ミラに支えられたメイソンが、よろめきながら医務室から出てくる。
「頭が痛え……アスピリンが全然効かねえよ」
 家に帰るぜとささやいたメイソンが、わたしを見るなり動きを止めた。ミラが不機嫌そうな顔つきで舌打ちをしたのと同時に、メイソンはまるでゾンビみたいな顔色で、のっそりと一歩前に出た。
「……ジャズウィット。おまえがマジで邪魔だ」
 はあ?
「いきなりなんなの? わたし、ミラにはなにかしたかもだけど、あなたには直接なんにもしてないじゃない」
「そういうことじゃねえんだよ……ってかくっそ。頭が痛くて吐きそうだ」
 額に手をあてながら、メイソンが近づいてきた。ガタイのいいメイソンの体格が、なぜかひょろりとやせ細ったような錯覚を覚える。と、TDが苦笑した。
「ひでえ顔色だな。日々のおこないが悪すぎて、ゾンビか悪魔にでも憑かれたんじゃねえのか?」
 ――うっ。
 ただのジョークじゃすませられない。だって、思いあたる節がありすぎるから! 息をのんでしりぞいた刹那、メイソンの周囲に黒い蛇のような影がまとわりはじめた。
 マズい。本気でダメなやつっぽい!
「おい、なんか黒いもん見えるけど、おれだけか?」
 まばたきをしながら、TDが言う。
「うっ……いや、きっとみんな見えてるよ」
 ジェイがわたしの手を取った。
「逃げたほうがいいかもね」
「う、うん。TD、あなたもここから離れて」
「おい、なんだよ。どうした?」
 じりじりとしりぞくわたしたちを見て、TDが眉をひそめる。ジェイが答えた。
「きみの言葉が真実かもしれないから、ここから立ち去ろうとしてるんだ」
「あ?」
 廊下を歩く学生たちが、少しずつ人だかりをつくりはじめた。一歩二歩としりぞきながら、ジェイがわたしに耳打ちする。
「これから三つ数えるから、ゼロでダッシュしてここから逃げよう」
「そ、それから?」
「しばらくどこかに隠れよう。さっきの秘密の部屋でもいいし。とにかく、ここにいるのはよくない気がする」
 メイソンの様子はあきらかにおかしい。TDじゃないけれど、なにかに憑かれているかのように動きもぎこちない。
「そ、そうだね。そうしよう」
 わたしが言うと、ジェイがカウントダウンをはじめる。三、二――と、そのとき。
「ねえ、メイソン。いまはジーンたちのことなんていいから、帰りなさいよ」
 ミラが不安げな表情で、メイソンの腕を取った。
「あなた気味悪いわ、どうしちゃったの?」
 一、ゼロ――で、ダッシュするつもりだった。でも、肩をいからせて腕を振り払ったメイソンが、手のひらをミラに向けた。とたんにミラの身体はうしろに吹き飛び、ロッカーに背中を打ちつける。
 叫び声が廊下にこだまし、生徒たちが逃げはじめた。
「うおっ! なんなんだよ、マジかよ!?」
 TDが声を荒らげたのと同時に、人波を逆走して来るパットとヘンリーが、わたしの視界に飛び込んだ。
「――ダメダメ! 来ないで、逃げて!」
 わたしが叫んだ瞬間、空洞みたいに真っ黒な両目でこちらを見たメイソンが、バッと手のひらを向けてきた。象に体当たりされたかのような衝撃が全身に走り、吹き飛ばされて床に落ちる感覚とともに、一瞬意識を失いかける。やっとの思いで目を開けると、ジェイの顔がすぐそばにあった。とっさにわたしを抱きかかえ、かばってくれたらしい。
「ジェイ!」
 ジェイがうっすらと目を開ける。
「……平気だよ、きみは?」
「だ、大丈夫」
 息をついたジェイは、ゆっくりとわたしから離れると、両手で頭を抱えてうめいているメイソンを盗み見た。
「……くっそ、めちゃくちゃ気持ち悪りい……!」
 身体を折り曲げ、誰にでもなく訴える。きっとメイソンは、取り憑いたなにかと戦っているんだ。メイソンのことは好きじゃないけど、さすがにこんなこと望んでない。
「ジーン、TDバージョンの携帯持ってる?」
「え? うん、持ってるよ」
「どうしてこんなことになったのかはわからないけど、メイソンに取り憑いたのは例の使い魔かもしれない。違うとしても、きっとあいつの仲間だ。どっちにしても、このままだとメイソンが不憫すぎる」
「うん、同感」
「どうすればメイソンからそいつを引きはがせるか、グループトークしてみてくれる? パットが答えてくれるかもしれない」
 ジェイはそう言うと、メイソンに気づかれないよう静かに腰をあげた。すると、なぜかパーカーを床に脱ぎ捨て、Tシャツ姿になる。
「えっ、なにしてるの」
「動くはめになるかもしれないから、ただの準備。方法は?」
「そ、そっか。ちょっと待って……っていうか、戦うつもりじゃないよね?」
 ジェイがニヤッとした。
「ぼくの心配はしなくてもいいから、方法を教えて」
 そう言うと、メイソンからわたしを隠すように立ちはだかる。パニックになりそうだけれど、深呼吸をしてやるべきことに集中した。
「わ、わかった。待って!」
 さっそく指先を駆使してメッセージを打ちながら、周囲に視線をはわせる。TDは廊下の壁際でしゃがみ込み、ゴミ箱を盾にしてこちらを見ていた。
 誰かがミラを起きあがらせて、医務室に連れて行くのが見えた。よかった。ミラのことも好きじゃないけど、こんなことでケガしてほしいわけじゃないもの。とはいえ、周囲にはまだ数人の生徒が残っていて、床に伏せたりロッカーのすみに隠れて固まっている。逃げるチャンスを失ったうえ、怖すぎて身動きがとれないらしい。

《ジーン:メイソンになにか取り憑いたみたい。どうやったらはがせる?》
《TD:なんだって?? それうそだろマジかよ!》
《ジーン:マジだよ! もしかして牧師さま呼ばなきゃダメ?》
《ヘンリー:ジョーク言ってる場合じゃないだろ》
《ジーン:ジョークじゃなくて本気だよ!》


 ヘンリーが廊下の角から顔を出した。すると、その横からパットも姿を見せる。わたしが引っ込んでという身振りをすると、ヘンリーがパットを自分の背後に追いやった。

《ヘンリー:いまパットが魔法を使ったら全部振り出しだから、ほかの方法を考えるしかない》

《TD:おいおいおいおい魔法ってなんだよ!!》

《ジーン:TD黙って!》

《パット:なにもできなくてごめんなさい!! 悔しすぎて頭ハゲそう!》

《ジーン:わかってる。あなたのせいじゃないから、心配しないで》
《パット:ありがとう》

《TD:よくわかんねーけど急げ! メイソンゾンビが復活しそうだぜ》

 

 はっとして視線を向けると、メイソンが背筋を伸ばしはじめていた。

 

《パット:雷みたいな強烈な光ではがれるはず。でも、取り憑いたものは魔法じゃなくちゃ捕まえられないから、逃げられてしまうわ》


 ええ? そんな光、どうしたらいいんだろ! そう打とうとしたとき、ジェイが言った。
「方法はある?」
「うん。雷みたいな強烈な光ではがれるけど、魔法じゃなくちゃ捕まえられないみたい。とにかく、メイソンを助けるのが先決だよね。そんな光どうしたらいいのか訊いてみる」
「いや、たぶん大丈夫。ありがとう」
 えっ? わたしが目を丸くしたときだ。

 ――さあ、もう逃げられないぞ、お嬢さん。

 そう言ったメイソンは、ゆらゆらと廊下を歩きながら、ジェイを避けてわたしを指差した。口を動かしているのはメイソンでも、気取った声音は彼のものじゃない。
 魔界の使い魔、コルバスだ。っていうか、なんでわたしが標的?

 ――いつまで遊んでいるのだと、主にこっぴどく叱られたものでね。この彼はきみが心底嫌いらしい。ネガティブな感情は素晴らしいエネルギーになる。いまわたしは、かつてないほどのパワーを感じている。

 メイソンなのにコルバス成分が強すぎて、もとのメイソンがひどく懐かしくなってきた。

 ――さあ、一緒に来てもらおうか。主の婚約者を誘い込むためには、きみがおおおいに役立ちそうだ。


 なるほど、そういうことか。わりとちゃんと考えてるのかも……なんて、感心してる場合じゃない。メイソンに取り憑いたコルバスが、手のひらをこちらに向ける仕草を見せた。その寸前、
「なにをしている?」
 オフィスから出てきた先生が、あろうことかメイソンに話しかけてしまった!
「始業のベルはとっくに鳴ったぞ。きみたちも早く――」
 振り返ったメイソンに、あっけなく吹き飛ばされた。そのすきを逃すまいとするかのように、ジェイが両手を組み合わせる。それは一瞬のことだったけれど、わたしはしっかり見てしまった。
 組み合わされたジェイの指先に、光の粒のようなものが集まっていき、やがてそれが彼の全身を包んだ。淡い光をまとったジェイの両手から、両腕、胸、そして上半身、下半身と、黒く輝くメタリックな物質が、彼の服ごと皮膚をおおっていく。そのさまは常識を超えまくっていて、まるでジェイ自身が異次元からあらわれた異界の存在みたいに思えてしまう。
 うそでしょ、どういう化学変化でそんなコスチュームができあがるの!? 本当にデイビッドおじさんの会社が開発したのかな。もしもそうなら――!
「どーなってんだマジかよ! くっそクールだ!!」
 TDがゴミ箱を押しのけて立ちあがる。わたしのセリフがまるまる取られた。
 メイソンが手のひらを向けるより早く、ジェイが叫んだ。
「みんな、床に伏せて目をつぶってくれ!」
 言われるがままとっさに目を閉じる。そのとたん、まぶたの裏が猛烈な光を受けて、わたしは思わずその場でしゃがみ込んだ。と、天井のライトが割れて落ちる連続音がし、ロッカーになにかがぶつかるけたたましい音がした。同時に、甲高いコルバスの咆哮がこだまする。
 とっさに片目を開けると、床に倒れたメイソンから、黒い煙が立ち消えているのが見えた。ジェイの姿はもとに戻っていて、両手から湯気のような煙が舞っている。どうやら成功したらしい。
「ジ、ジェイ、大丈夫……?」
「大丈夫だよ」
「ど、どうやって光を集めたの」
「学校とこの近隣の電力を集めて放った。コスチュームがあればできることだから」
「けど、あのコスチューム、どうなってるの?」
 思わず訊ねたとき、床に伏せている数人の学生が、携帯でメールを打っている様子が見える。そっか、さっきの見られてたんだ! でも?

「深夜の公園でも、見られたことある?」

「ニュースにも記事にもなっていないから、見られたことはないと思う」

「じゃあ、いま見られちゃったけど、平気?」

「人命救助のためだし、覚悟のうえだ。しかたがないよ」
 廊下の角から姿を見せたヘンリーが、四つん這いで携帯を操作する学生たちに、つかつかと近づいていく。すると、あろうことか次から次へと携帯を蹴りあげていき、ふんぞり返って言い放った。
「我が新聞部よりも早くスクープを広めた者は、絶対に見つけ出して罠にはめ、進学できないように仕向けてやるから覚悟しろ」
 心配する必要はなかったらしい。っていうか、ヘンリーの場合は嘘じゃなく本気だから恐ろしい。でも、ちょっと見直したかも! そう言いそうになったわたしに顔を向けたヘンリーは、ジェイを指差して言った。
「勘違いするな、言葉どおりだ。それと、ジーンに惚れさせるためでもある」
 ジェイが苦笑した。

「……なるほど」
 ああ……。
「脳観察、まだ続いてたんだ……」
 ため息まじりにつぶやくと、TDが廊下の真ん中に立って言った。
「よう、おまえら。フランクルのバックにはおれがいるの、忘れんなよ? おバカさんじゃなきゃ、おれの言ってる意味がわかるよな?」
 プライベートが筒抜けになるのだけは絶対に避けたいと言わんばかりに、生徒たちは震えあがりながら何度もうなずいた。
「あなたの秘密は、とりあえず守られたみたい」 
 わたしが言うと、ジェイは声をあげて笑った。
「そうだね。とりあえずは」


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