14:真夜中の告白[2]
「もう午前一時だ。家まで送って行くよ」
腕時計を見たカルロスさんが、ヘンリーに言う。すると、ヘンリーはすぐさまわたしを見た。
「彼女だけここに残るんですか」
「そのとおり」
デイビッドおじさんが答える。それって今日だけかな。それならいいけれど、もしもずっとならパパとママがあと九日は戻らないことがバレてしまう! 内心オロオロするわたしを尻目に、ヘンリーが冷静な声音で訊ねた。
「なぜです?」
「ジーンは悪魔の手下に顔を見られたんだろ?」
「悪魔ではなく使い魔です」
「どっちも似たようなものじゃないか。とにかく」
げんなり顔で息をついたおじさんは、さらりと髪をかきあげた。
「顔を見られたのなら危険だ。ジーンの両親が戻るまで、我がキャシディ家が騎士となって護衛するさ。きみのご両親には朝方伝えるから、きみはなにも心配しなくていい」
そう言ってから、おじさんはけげんそうに目をすがめる。
「妙だな。いつだったか、似たようなことを言った覚えがある気がする」
カルロスさんが苦笑した。
「ぼくはさっきから既視感だらけだよ、デイビッド」
上着を羽織ったカルロスさんは、車のキーをポケットから出した。すると、ヘンリーはジェイを視界に入れ、わたしを一瞥し、デイビッドおじさんを見るなり腕を組んだ。
「なるほど。そうであれば、ぜひおれのことも護衛してください」
えっ? 呆気にとられるわたしたちに向かって、ヘンリーはニヤリと笑った。
「おれだって顔を見られました。父は市警部長ですが不在が多いですし、母は一般人です。おかしなことに母を巻き込みたくないので、おれもここに残ります」
わたしとは一分一秒も一緒にいたくないと思っているはずだし、こういうカオスな状態は絶対苦手だから帰るだろうと思っていたのに、どうしたんだろ。いや、言ってることはすごくわかるし、理にかなっているんだけれど、それでも違和感はぬぐえない。
もしかして、なにか企んでる? あ、そっか。きっとジェイの正体を探りたいんだ!
わたしだって気になっているけれど、ヘンリーのゴシップ的な興味はいただけない。もしもそうなら(たぶん、絶対それ)なんとか阻止しなくちゃ!
「あ、あなたは帰ったほうがいいんじゃないかな」
「なぜだ?」
うっ……と言葉につまる。デイビッドおじさんも髪をかきあげた格好でフリーズしていた。カルロスさんに視線で助けを求めるも、反論できないと言わんばかりに肩をすくめる。大人たちもお手上げ状態らしい。
すると、ジェイがヘンリーに近づいた。
「きみのことはよく知らないけど、利害のない他人には興味のないタイプかと思ってたよ」
「おれ自身も意外だ。たいがいはそうだから」
利害のない他人って、誰のことだろ。二人の会話についていけない。一呼吸おいて苦笑したジェイは、
「ゲストルームは山ほどある。好きな部屋を使えばいいよ」
そう言って背中を向けながら、わたしを見る。
「おやすみ」
さらりとそう告げて、リビングに向かう。その背中に、わたしは言った。
「お、おやすみ」
廊下に残されたわたしとヘンリーに、カルロスさんが笑いかけてきた。
「今夜はとりあえず眠ったほうがいいよ。あと数時間で学校だからね」
★ ★ ★
わたしもヘンリーも、それぞれご立派なゲストルームを与えられた。
洋服のままベッドに潜り込んだものの、おかしなことになっちゃったせいで、まるきり眠れない。昨夜だってまともに眠れていないのに、気になることがありまくりで睡魔はいっこうにやってこない。
パティ、眠ってるかな。きっと眠ってるよね。でも、メールしてみようかな。携帯を手に取るも、電源がきれていた。充電器はヘンリーの家にあるから、あと数時間は使えない。
「……ダメだ。起きちゃおう」
キッチンでチョコバーかなにか探すついでに、ホットミルクでも作ろう。
ゲストルームを出て、リビングを通る。ジェイの部屋を見ると、ドアはしっかり閉じられていた。訊きたいことは山ほどあるけれど、あれこれ詮索なんてしたくない。
「話してくれるの、待つしかないかな」
ため息をつきつつ、窓から差し込む摩天楼のライトを頼りにキッチンに向かうと、淡い灯りがもれていた。誰かいるのかなと身構えながら、おそるおそるのぞいてみる。一面だけレンガがむき出しの広いキッチンは、モデルルームそのままみたいな雰囲気で使われている形跡がまったくない。そんな中、シンク付きのテーブルについて、シャツを袖まくりしてピザを頬張っているデイビッドおじさんがいた。目にしたとたん、お腹が鳴ってしまう。わたしに気づいたおじさんが笑った。
「冷凍ピザのチープな夜食でよければ、食べるかい?」
もちろん! わたしもテーブルを前にして座り、ピザにかぶりついた。
「おじさんも眠れないの?」
「おれはいつだって寝不足だよ」
「そっか。大人は大変だもんね」
「高校生だって大変なくせに」
わたしは思わず笑った。おじさんは自分のグラスにボトルワインをそそぎ、それを飲みながらピザを口に運ぶ。ゴシップ雑誌が喜びそうな絵面だ。そんなことを考えながらピザを食べていると、ふいにおじさんが言った。
「きみのパパのこと、内緒にしてて悪かったね」
「えっ?」
「パンサーの真実。きみが倒れた結婚記念日の夜に教えたって、きみのパパから聞いていたから、そのうちに謝ろうと思っていたんだ」
「そんなの、べつにいいよ。わけありだったみたいだし、わたしが生まれる前のことだもの」
「まあね、たしかに。ものすごく昔のことだ。でも、おれにとっては昨日のことみたいだよ」
時代が変わり、市長も代わって、この街にスーパーヒーローがいたことなんて、みんなすっかり忘れて暮らしてる。でも。
「ジェイのコスチューム、すごいね。スーパーヒーロー再登場? 訓練とかしてるなら、ジェイも警察の手伝いとかするの?」
おじさんは控えめに微笑み、首をふった。
「いいや、そうじゃないんだ。あのコスチュームは彼にとって必要なものだから、サポートしているだけだよ」
「ジェイに必要?」
「そう。彼を守ってくれる」
そう言ってワインを飲み干すと、わたしを見た。守るって、いったいなにから? いぶかしむわたしを見つめて沈黙したおじさんは、しばらくしてから口を開いた。
「ジーン。これからもジェイと仲良くしてやってくれるかな? その……彼が少しばかりぶっ壊れてるとしても」
「ぶっ……壊れてる?」
びっくりして目を見張るわたしを、おじさんは真剣な表情で見つめた。
「棺の魔女……本物の魔女だったわけだけれど、彼女がジェイにおかしなことを言ったこと、覚えてるかい?」
「うん、覚えてるよ。あの人、学校でも同じようなことをわたしに言ったんだ。だから、失礼な人だなって思ったんだけど……」
「まあ、たしかに。でも、きっと彼女は目に見えないなにかを察することができるんだろう」
本物の魔女だから。そんな含みをもたせたあとで、おじさんは言った。
「ジェイには恐怖の感情がない。まるきり欠けてるんだ」
「――え?」
きっと額に銃をつきつけられても、恐れなんて感じないだろうとおじさんは言う。刹那、棺の魔女の言葉を思い出した。
――デイビッド。あなたの後継者は……人間?
ジェイを心底心配しているかのように、おじさんは深く嘆息した。
「それができるのは、かなり訓練されている証拠だよ。もしくは、見たくないものを見て生きてきたせいで、感情を麻痺させているのかもしれない。どっちにしろ、よくも悪くも命知らずだ」
だから、不完全なコスチュームであろうと躊躇せず、高層ビルから飛んでしまうのだとおじさんは話した。
いまさら震えてきた。冷静に考えれば、ジェイはわたしやパパみたいなパワーがあるわけじゃないのに、危なすぎることをしてるんだ。
「や、やめさせないと」
「できないんだよ」
「どうして?」
苦しげに眉を寄せたおじさんは、「飲みすぎたな」とつぶやいて立ちあがった。
「少し酔っててしゃべりそうだけれど、ジェイのプライベートはジェイのものだ。きみを信頼しているけれど、勝手に話せないこともある。それに、おれもまだ彼のすべてを知ってるわけじゃないしね。わかってくれるかい?」
わたしはうなずいた。たとえワインに酔っているとしても、話せることと話せないことをわきまえてる大人って最高。だからデイビッドおじさんのこと、好きなんだ。ママとパパの次にだけど。
「ジェイは誠実で真面目だし、賢くていい子だよ。それだけは変わらないし、なによりも名誉や栄誉や物質的なことに対する欲がない。だから養子にしたんだ。この先のことはわからないけれど、いまはとにかく見守ることにしてる。おれは間違ってるかな?」
「間違ってないよ。おじさん、最高」
おじさんは嬉しそうにニヤッとした。
「その言葉で明日もがんばれそうだ」
そう言って腕時計を見るやいなや、げっそりする。
「……もうすぐ午前三時とは、悪夢だな」
「わたし、もうあきらめて起きてることにしたんだ」
「さては、授業中に寝るつもりだね」
「それしかないもん」
「がんばれ高校生。おやすみ」
おじさんは声をあげて笑いながら、キッチンを出ていく。背中が暗がりに消えそうになった寸前、ふと気になることがあって呼び止めてしまった。
「デイビッドおじさん」
おじさんが立ち止まり、振り返る。
「ジェイとは、仲良し?」
一瞬目を見張ったおじさんは、苦笑気味に肩をすくめる。
「彼の礼儀正しさが、もう少しラフなものになってくれたらと思うけど、ほかをのぞけば仲良しだと思うよ。どうして?」
「ジェイが敬語で話してたから、ちょっと気になっただけ。ヘンなこと訊いてごめん」
ああ、と腑に落ちたように、おじさんは小さく笑む。
「哀しいかな、おれは繊細で気難しいタイプに慣れてる。きみのパパでね」
「えっ?」
クスクスとおじさんは笑った。
「そのうち自然にくだけていくさ。おやすみ」
「おやすみなさい」
おじさんの背中が、リビングの薄暗がりに消える。わたしはテーブルに頬をくっつけて、窓を向いた。キッチンの明るさが、窓を鏡に変えている。摩天楼の輝きに自分の顔が重なっているのを眺めながら、ジェイのことを考えた。
恐怖を感じないって、どういうことだろ。おじさんの言葉を思い返したところで、答えなんて出ない。
ジェイは、子どものころからパルクールを習ってたと言った。軍事訓練から端を発したスポーツを習うのは、身を守るためかもしれないってわたしのパパは予想した。もしかするとジェイは、すごく過酷な環境にいたのかな。
ジェイの背中を傷を思い返したら、泣きそうになった。彼の過去を勝手に悪く想像して泣きそうになるなんて、バカげてる。真実はわからないんだから、このたくましい想像力をいますぐストップさせなくちゃ。
そうでなきゃ、ジェイに失礼だ。
あくび交じりに目をこすると、今度はパティが脳裏に浮かぶ。
まさか魔女だったなんて嘘みたい。そのうえ、なんにも悪いことなんてしていないのに、ご先祖さまのせいで悪魔に追いかけまわされて、あちこち転々としてきたなんて。友達をつくろうにも、話せないことが山のようにあるんだから、きっとさびしかっただろうな。
わたしになにか、できることあるかな。ジェイとパティに、してあげられることがあるかな。
「……うう、頭が働かなくなってきた」
いま眠ったら、絶対に起きられない自信ある。とにかく、なにがあっても二人の味方でいよう。そう決めたとたん、まぶたが重くなっていく。窓の向こうに輝く星屑みたいなライトを見つめながら、とうとうテーブルに突っ伏しそうになったとき――。
「それ、もらうぞ」
ふいに声がして、飛び起きる。ピザの残りを手にしたヘンリーは、デイビッドおじさんが座っていた椅子に腰掛けると、それを頬張った。
「お、起きてたの?」
「眠る努力はしたが、無理だったからあきらめた」
この状況じゃ無理もないけど、ちょっとびっくり。
「あなたなら、絶対眠ってると思ってた」
「どういう意味だ」
感情のないロボットみたいだからなんて言えない。と、ヘンリーはピザを食べながら、携帯を見た。その様子を目にした瞬間、わたしの眠気はいっきに吹き飛ぶ。そうだった!
「ヘンリー。あなた、ジェイのことを探るために残ったんでしょ? まさか、もう誰かにヘンなメール送ったりしてないよね?」
「は?」
顔をあげたヘンリーは、携帯をポケットに押し込みながら眉を寄せた。
「隠したってダメだよ。お願いだからそんなことしないで」
ヘンリーはうんともすんとも答えず、残りのピザを頬張った。もしかして、とぼけてやりすごそうとしてる? そうだとしたら、もっと強く念を押さなくちゃ!
椅子から腰をあげようとしたとき、ヘンリーが口を開いた。
「たしかにジェイコブにも興味はあるが、おれがここに残った理由はほかにある」
「えっ?」
今度はわたしが眉をひそめると、ヘンリーは残りのピザを口に運びながら、
「おれはきみが好きらしい」
言った――って、ん? いま妙な言葉が耳に届いた気がするんだけど、空耳? フリーズしていると、ヘンリーはナプキンで手を拭きながら立ちあがった。そうしてなにも言わず、空腹が満たされたのか去ろうとする。いや、ちょっと待って!
「な、ななな、なに? い、いまなんて言ったの?」
ヘンリーが振り返った。
「おれはきみが好きらしいって、言っただけだ」
うっそ。うそでしょ。どうしていつからそうなったわけ!? っていうか!
「そ、そそそういうこと、「お腹空いた」みたいなテンションで言わないでくれる?」
「似たようなものだ。べつにたいしたことじゃない」
「はあ? たいしたことでしょ!」
ヘンリーが苦笑した。
「ジェットコースターの原理だ。今夜おれたちは一緒にいて、ありえない目にあった。きみはとっさとはいえ、おれをかばってくれた。そのときの想定外な衝撃と刺激のせいでおれの脳が活性化し、フェニルエチルアミンが分泌され、快楽物質のドーパミンの濃度が上昇した。その心地よさを脳が持続させたがっている最中だが、いずれ正常に戻ればきみへの興味もどうせ薄れる」
なんて理性的な自己分析だろ。でも、そのおかげでいっきに冷静になれた。
「そ、そっか。なるほど……。あなたの人生って、つまらなそうだね」
「そうかもな。おれもときどき、こんな自分に疲れる。きみみたいに単純だったら、生きることもさぞかし楽しいんだろう。とにかく」
息をつくと、眼鏡を指であげた。
「そういうわけで残っただけだ。すべてはおれの脳が見せている幻想だが、興味深い現象だからしばし観察するつもりでいる。だから、きみもそのつもりでいてくれ」
「……え? なんでわたしがあなたの脳観察につきあわなくちゃいけないの?」
「どういう衝動が起こるのか、おれ自身にも未知だ。予想外の過剰なスキンシップに耐える覚悟をしておいてくれ」
……はい?
なにそれと突っ込むすきを与えず、ヘンリーはキッチンを去った。
「よ、予想外の過剰なスキンシップって、なんだろ……?」
口にして後悔した。いや、ヘンリーがおおげさな予想をたててるだけで、きっとそんなことないってば。だって、相手は恋愛っぽい気持ちが芽生えてすら、そんな自分を観察しようとしてる……ある意味普通じゃない男の子なんだから。
「でも、なんでわたしが脳観察につきあう前提で話すのかな」
それは、ヘンリーだから。頭が痛くなってきた。明日あらためて、脳観察になんかつきあわないってヘンリーにきっぱり断らなくちゃ。そう自分に言い聞かせたとき、カタンと廊下で音がした。はっとしてキッチンを出ると、誰もいない。
キッチンの時計が、午前四時になろうとしていた。窓の向こうの闇が、うっすらと薄くなっていく。もういまさら、絶対に眠れない。リビングのソファに横たわりながら、テレビショッピングでも見よう。
リビングのソファに寝転がり、リモコンでスイッチをつける。ショーンとボブが、おすすめの洗剤で車をぴかぴかに磨く映像を眺めながら、うとうとする。目を閉じる寸前、わたしに毛布をかけてくれる人影が見えた気がした。その輪郭は、数時間前に空から舞いおりた新生スーパーヒーローに似ていた。
ジェイも眠れなくて、コスチュームを身に着けて空を飛んできたのかな。
「……危ないよ、ジェイ」
ひとりごとのようにつぶやくと、頭を撫でられた気がした。でも、きっとわたしの夢。そう思いながら、わたしはとうとう眠ってしまったのだった。