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13:真夜中の告白[1]

 もうすぐ午前零時になるというころ、棺の魔女――パティの祖母であるエヴァはひとりであらわれた。

 医務室へ行くと、エヴァはベッドに横たわっているパティを見つめていて、状況を説明するカルロスさんがそばに立っていた。デイビッドおじさんとヘンリーは、それぞれ壁際の椅子に腰かけている。そこにわたしが姿を見せると、こちらを見たエヴァは「黙って」と言わんばかりに右手をあげて、カルロスさんの説明を止めた。

「……だいたいのことはわかりました。その先のことは言われなくても想像がつきます」 

 息をつき、キッと目をつりあげる。

「たったの一日で、あなたはパトリシアをこんなにも行動的にさせてしまった。あなたの存在を甘く見たわたくしにも責任があるということね」

 ドキリとする。たしかに、会いたいと最初に誘ったのはわたしだ。

「すみませんでした。本当に。でも、あの……知らなかったんです。その、パティのいろんなこと……」

 エヴァは無言でわたしを見すえた。直後、黒いTシャツにデニム姿のジェイがわたしの横に立つ。すると、彼に視線を移したエヴァは、不快感をあらわにするかのように眉根を寄せた。そのとき、またあの言葉がよみがえってしまう。

 ――あの子は人じゃない。

 彼の背中の傷が脳裏をよぎって、見てしまったことの後悔から思わず身構えた。わたしが見てしまったこと、ジェイにバレてるかな。どうだろ。わかんないけど、それはいま気にすることじゃない。そう強く自分に言い聞かせていると、デイビッドおじさんが言った。

「マダム・グッテンバーグ、せめて事情を打ち明けていただけませんか? その……彼らが襲われたという不可解な現象についてご説明いただけたら、なにか力になれるかもしれませんからね」

 エヴァが鼻で笑う。

「あなたのスーパーパワーで? 過去の栄光が通用する事態ではないのよ、デイビッド」

「なるほど。それは失礼」

 爽やかな笑みで髪をかきあげるおじさんのこめかみが、微妙にひきつってる。ものすごくストレスを感じている証拠だ。それにわたしも、なんだかパパのことを見下されたみたいな気分になってきて落ち着かない。うう……このままこの人のおしゃべりを黙って聞き続けるはめになったら、そのうちに頭に血がのぼって言っちゃいけないことまで口にしそうだ。

「……まったく、しかたのないことね」

 ふたたびパティを見つめたエヴァは、そう言うと何度目かの息をつく。

「なんでも知りたがって、どんなことにも首を突っ込みたがる。だから、好奇心旺盛なこの国と人々に、いつまでたっても慣れることができないのだわ」

 まるでひとりごとのように小声で告げ、視線を落として苦笑する。と、おもむろに杖を握りなおすと、深く息を吐き、杖を掲げると同時に顔をあげた――瞬間。

「――やめて、お祖母さま」

 うっすらと目を開けたパティが、全身の力を振り絞るような声音を放つ。

「魔法で……消さないで。ジーンの記憶から、わたしを消さないで。お願い」

 その言葉で、わたしは固まる。ええ? まさか、エヴァも魔法使いなの!? っていうか、エヴァは魔法で記憶を消せるの!?

 カルロスさんとデイビッドおじさんも同時に目を丸くし、顔を見合わせた。と、おじさんはどうにも黙っていられなかったらしく、探るような声音でエヴァに訊ねた。

「なにやら不思議な単語を耳にした気がするんですが?」

 エヴァがおじさんをにらんだ。

「この街にコミックまがいのスーパーヒーローが実在していたことと、どちらが不思議かしらね」

「どっちも充分不思議ですよ」

 さらりと突っ込んだヘンリーを、全員が同じタイミングで見た。腕を組んだヘンリーは、肩をすくめて押し黙る。

 このままエヴァがパティを連れて行ってしまったら、もう二度とパティに会えない気がした。それに、連れ去られた女子高生の件もある。彼女たちはまだ、どこぞに拉致されたままなのだ。

 あの、魔界の使い魔――コルバスに!

「あ、あなたは知ってるんでしょ?」

 勇気をふりしぼって、声をあげる。エヴァがわたしを見た。

「なにを?」

「二人の女子高生がパティに間違われて、コルバスに連れ去られたことです」

 エヴァの眼光が鋭さを増した。ものすごくおっかないけど、ここで怖気づいてる場合じゃない!

「コルバス?」

 デイビッドおじさんがけげんな顔をする。「誰だい、それ」と訊ねるカルロスさんに答えたのは、パティだった。

「魔界の使い魔です。信じられないかもしれないけれど……」

 二人が絶句する。ヘンリーはまたもやロボットみたいに静止していて、わたしの横にいたジェイも息をのんだ。

 ものすごく深く嘆息したエヴァは、パティの横たわるベッドに腰かけて視線を落とす。すると、パティが諭すように懇願した。

「わたしのせいで女の子が二人もいなくなったんだもの。無視しなさいとお祖母さまはおっしゃるけれど、やっぱり助けなくちゃいけないわ。そうでしょ?」

 エヴァは険しげな表情で口をすぼめた。パティが続ける。

「信頼できる人の力を借りるべきよ」

 パティがわたしを見て微笑んだ。わたしも笑みで応え、ふたたびエヴァに向かって言った。

「あの……秘密なら守ります。ここにいるみんなが守りますから、わたしが見聞きしてしまったことについて、せめて教えてもらえませんか?」

「お祖母さまが話さないのなら、わたしが話すわ」

 パティの言葉に、エヴァは観念するかのようにまた息をついた。

「……まったく。本当にしかたのないこと」

「すべて話してみてやっぱり後悔なさったら、ぼくらの記憶を消せばいいだけのことですよ。どうです?」

 デイビッドおじさんの言葉に、エヴァは苦笑した。

「ええ、たしかに」

 

★ ★ ★

 

「わたくしたちの祖先であるグッテンバーグ侯爵は、プロイセン王国で有名なそれは美しい容姿の持ち主だった。だからこそ老いることに恐怖し、さまざまな錬金術師を呼び寄せては若さを保つ薬を作らせた。けれど、日々皺は増えていく。そんなとき、流れ者の錬金術師から禁断の方法を教えられて試したのです。つまり、悪魔を召喚して契約をする」

 若さと魔力を与えられた侯爵に、悪魔は告げる。

 ――未来永劫、おまえの子孫でおまえに似た黒髪の美しい娘は、十と六の年、必ずおれの伴侶となるのだ。

 いきなりつきつけられた条件にあわてた侯爵は、若さも魔力もいらないと訴える。けれど、相手は悪魔だ。ときすでに遅し。侯爵はしかたなく、生涯独身をひそかに誓った。

「しばらくは気楽な日々を過ごしていたものの、ひと回り以上も年下の愛らしい伯爵令嬢に出会って恋に落ちてしまった。侯爵がすべてを打ち明けると、その令嬢は『愛の力で悪魔をしりぞけましょう』と彼を励ました。二人は結婚し、男女の双子に恵まれる。以後、悪魔の音沙汰もなく、侯爵夫妻は幸せに暮らしました」

 とはいえ、自分にも授けられてしまった不可思議な力を、生まれた双子も継いでいることがわかり、侯爵は自身の密かな研究の成果の執筆をはじめた。やがてそれは一冊の本となり、現在はエヴァが所有しているらしい。

「こうして、プロイセン王国のグッテンバーグ侯爵家は、人知れず魔法使いの一族となったのです」

 災難は忘れたころにやってくるものだ。双子が生まれた十六年後、やはり悪魔はあらわれた。侯爵の懇願もかなわず、悪魔は双子のうちの娘をさらった。奥方は倒れて寝たきりになり、侯爵も精神的な疲労から屋敷に引きこもる。夫妻はやがて衰弱し、ほとんど同時に他界したのだとエヴァは語った。哀しすぎる。

「残された双子の片割れである息子が、領地と爵位を継ぎました。以後、彼は自分の子孫に娘が生まれた場合、十六歳を過ぎるまで魔力で姿を変えさせ、家族と離れて育てさせることを家訓としました。おかげでわたくしはこうして生きています。だからこそ、パトリシアにも同じ方法が通用すると思ったのですけれど」

 十二歳で寄宿舎に入れられたパティは、妖精や精霊を見かけるたびに魔法を使ってしまった。悪魔は魔力に敏感だ。手品が上手だと褒められる手紙が届くたび、両親はパティを転校させた。そうしてとうとう海を越えて、祖母のいるこの街に来ることになったのだ。でも。

「転校初日に、メイソンを転ばせるために魔法を使っちゃったんでしょ?」

 わたしが言うと、ジェイがはっとした。

「妙だなと思ってたけど、あれは魔法だったのか」

 ええ、とパティがうなずく。エヴァが続けた。

「とにかく、パトリシアは見つかってしまった。だから、ここにもいられなくなったというわけです」

 ひと月後、パティは誕生日を迎えて十七歳になる。そうなれば、悪魔の目にパティは映らなくなるそうだ。

 カルロスさんが息をついた。

「なんともすごい……ハリウッドも顔負けですよ」

「映画としては三流の物語でしょう。アカデミー賞は無理ね」

 エヴァはそう言って、鼻で笑った。

「とにかく、わたくしとしてはパトリシアが無事であればそれでいいのですよ。実際、ほかの女の子たちがどうしていようが、知ったことではないのです。それはFBIや市警のお仕事ですもの。もっとも、手強い相手ですから救出は難しいでしょうけれど」

 じゃあ、見つからないってこと? 口を開きかけたとき、デイビッドおじさんが訊ねた。

「ではその……悪魔に連れ去られた女の子たちは、いま魔界にいるということですか?」

 わたしもそれが知りたかった! 全員の視線を受けたエヴァは杖をつき、ゆっくりと椅子から腰をあげた。

「悪魔はすきあらば、人に成りすますのを好みます。過去から現在にいたるまで、使い魔を利用しながらこの世界の快楽を貪りつくしています」

「と言うと、まさかこの世界にいるんですか?」

 デイビッドおじさんが問いかける。エヴァが言った。 

「英国に居をかまえていたブライアン・ライトをご存知?」

「ええ。面識はまだありませんが、もちろん知ってますよ。欧州はもとよりこの国の不動産やホテル、カジノ経営まで手掛けている、突如あらわれた『夜の王』。インテリマフィアの縄張りをごっそり奪った若者です。まったく、まだ二十八歳だなんてどうかしてる」

 デイビッドおじさんが言うと、エヴァは笑った。

「違和感を覚える若者は、天才か悪魔のどちらかです。もっとも、わたくしも警戒しているだけでたしかではありませんけれど、おそらく彼がパトリシアを狙っている張本人でしょう」

 英国の城で暮らしながら世界を飛びまわっていた『夜の王』は、昨日からこの街で暮らしはじめたらしい。

「これは偶然ではないわ。おそらくパトリシアの存在をかぎつけたからでしょうね」

 ミスター・ライトが誰だかわからないのはわたしだけで、この場にいる男性諸君は相手を知っているらしい。エヴァの言葉に全員がぎょっとし、さすがのヘンリーですら眉をひそめて困惑をあらわにしていた。

「だったらその……とにかくそのことをFBIや市警に通報しなくちゃ!」

 わたしが言うと、エヴァが答える。

「なんの証拠もないのに、ブライアン・ライトがわたくしの孫を狙っている悪魔で、女の子たちを誘拐した犯人の親玉だから捕まえてくれって? 相手は『夜の王』とはいえ、慈善事業もおこなっている実業家です。信じてもらえるのかなんて、考えなくても答えが出ることよ」

「市警か……」

 デイビッドおじさんが、ゆっくりとヘンリーを見る。わたしもつられて視線を向けた。そうだった。市警の関係者がここにいるんだった!

「しかたがない。アーサーを頼ろう」

 おじさんが渋々言うと、ヘンリーは呆れたように嘆息した。

「いったいどう伝えるんです? 父は信じませんよ」

 ニヤリとおじさんは笑った。

「いいや。アーサーは信じるさ。絶対に」

 ヘンリーのパパの協力を頼りに、ブライアン・ライトが本当に悪魔なのか、まずは証拠をつかまなくちゃいけないとおじさんは言った。その間、パティはふたたび姿を変えて、やっぱり別の学校に通うことになるだろうとエヴァは言う。

「また海を越えるんですか?」

「ええ。こういったときのため、すでに候補の学校を用意してありますから――」

「海を越えても、追ってきますよ」

 そう言ったのは、ジェイだ。エヴァが瞠目する。

「逃げ続けるのではなく、どこかで対決をしなくては。未来永劫の呪いから解放されなければ、彼女の子孫も彼女と同じ目にあい、彼女もまたあなたと同じような人生を歩むことになるでしょう」

 ああ、まただ。ジェイの眼差しに薄暗い闇を感じた。そんな彼を、エヴァは無言で見つめる。すると、パティが言った。

「お祖母さま、わたしはもう転校したくないし、どこへも行きたくないわ。友達ができたのは生まれてはじめてなの。あとひと月、絶対に魔法は使わないと約束するし、ほかはなんでも言うとおりにするって誓います。だから、わたしの事情を知ってるジーンたちと同じ学校に通わせて。お願いします」

 デイビッドおじさんが、パティの言葉を引き取る。

「誰も知らない学校に転校するより、むしろ安全かもしれませんよ。あなただってそばにいられるわけですし」

 たしかにそうだ。わたしもたたみかけた。

「パティを守るって誓います。なにかあったら、あなたの携帯電話に速攻で連絡することだってできるもの。でも、違う学校へ行ってしまったら、そういうわけにはいかなくなっちゃいますよ?」

 自分の考えとわたしたちの意見を天秤にはかっているのか、エヴァの眉間の皺が深くなった。しばしの沈黙をやぶったのは、ヘンリーだ。

「口にするのもはばかられますが、彼女がもう一度、その……魔法で」

 言いにくそうに顔をしかめる。

「姿を変えるのなら、可能なら思いきり変えてしまったほうがいいのでは? で、いっそのこと名前も変えて、あなたの親戚かなにかということにして編入しなおせばいい。そうすればひと月ぐらい、すんなりやり過ごせるかもしれませんよ」

「どうして名前まで変えなくちゃいけないの?」

 わたしが訊くと、ヘンリーはまたもやしかめ面で言い放った。

「それは、完全に悪魔の目をくらませる姿になるからだ。つまり――男」

 

 

 検討してみましょうと告げ、エヴァはパティを連れて医務室を出た。わたしとパティは廊下で抱き合い、無事でいるよう祈りあった。一方、エヴァはデイビッドおじさんとジェイを交互に見て、

「業界で噂の後継者のお披露目パーティーはいつなの? デイビッド」

「入念に計画しているところですよ」

 エヴァがジェイを見つめた。その眼差しは野生の獣みたいだ。

「……デイビッド。あなたの後継者は……人間?」

 おじさんがはっと息をのむ。と、ジェイが小さく笑った。

「ええ。あなたの目になにが映っているのかはわかりませんが、ぼくは人間です。……たぶんね」

 

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