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12:想定外のスーパーヒーロー

「ど、どどどうして!?」
 仰天して叫ぶと、黒く輝くメタリックなスーパーヒーローは、呆然としているコルバスを牽制しながら言った。
「ここはぼくの部屋から見えるんだ。なにげなく見下ろした奇妙な光景の中に、まさかきみがいるとは思わなかったよ」
 パークを囲むようにそびえ立つ高層ビルやアパート群のライトを視界に入れて、納得した。そうだった。デイビッドおじさんの所有している物件が、あの中にはたくさんあるんだった。だけど、だからって。
「そ、それ! そのコスチュームなに!? それに、どうやって空を飛んで来たの!?」
「これは開発途中の試作品。空を飛べたのもこれのおかげだけど、詳しいことはあとにしよう。それはそうと、どうしてここにヘンリーがいるの?」 
 こんな状況でもロボットのごとく動じないヘンリーは、わたしの横で堂々と腕を組む。
「彼女を尾行した。動きがあまりに怪しくてな」
「尾行?」
 ジェイが振り返った瞬間、コルバスはニヤリと笑い、こちらに向けて革手袋の両手を突き出そうとした。
「――危ない!」
 マスク姿のジェイが、コルバスを向く。と、両手から放たれた爆風を、ジェイが受け止める。左右をクロスさせたコスチュームの両腕からドーム状の大きな幕が放射され、わたしたちを守ってくれる。コルバスの攻撃をもろともしない。
 すっごい。なにあのコスチューム!
「おまえは……なんだ?」
 コルバスが戸惑う。
「そっちこそ、人間じゃなさそうだ。いったい何者?」
 ジェイが言ったそのとき、地面に倒れていたパティが目覚めた。横たわっているパティは力を振り絞るかのように、指先で魔法陣を浮かびあがらせる。青く光る蜘蛛の巣のような魔法陣がコルバスを捕らえた直後、大天使像の動きを封じていたものが夜風にとけていく。自由になった大天使像が、ドスドスと近づいてきた。それらを目にしたヘンリーは電源の落ちたロボットみたいに動かなくなり、ジェイも爆風を避けながら困惑の声をあげた。
「ぼくが言うのもなんだけど、今夜はなにもかもどうかしてる!」
 同意しかない。
 コルバスのうしろに立った大天使像が、その首を落とすべく大きく剣を振りかぶる。でも、不穏な気配を感じとったコルバスの動きは素早かった。四体の骸骨に戻って魔法陣の糸をすり抜けると、甲高い笑い声をこだまさせながら空に舞いあがり、やがて闇夜に消えていった。
「あっ、消えた!」
「追いかけようにも追いかけられないな」
 ジェイが呆然と嘆息したあと、パティが立ちあがる。わたしはとっさにパティに近づいた。
「パティ、ケガはない?」
「ええ。あなたは?……というか、あなたたちは平気?」
 わたしとヘンリー、そして想定外のスーパーヒーローを交互に見る。と、突然大天使像がゆっくりときびすを返した。大きな両翼をきちんと閉じると、姿勢よく散策路を戻っていく。すると、パティが腕時計を見て言った。
「あと三分で、きっちり三十分だわ。台座に戻るのね」
 うしろ姿がどことなく孤独……というか、ものすごくシュールだ。でも、とても助けられた。大天使像が見えなくなったとき、パティは安堵したように深く息をついた。
「……とりあえず、よかったわ」
 そうささやいたパティの身体が、ぐらりと揺れる。
「パティ!」
 とっさに抱きとめて支えたものの、目を閉じたパティは意識を失っていた。
「どうしよう、救急車を呼ばなくちゃ」
「慌てなくていいよ、ジーン。ちょっと待って」
 そう言ったジェイは、メタリックなマスクの右耳あたりを指で押した。
「デイビッド、ぼくです。わけありで訓練時間を大幅に早めてすみません。居場所はGPSで確認してください。ひとり倒れたので、拾ってもらえると助かります」
 ……訓練時間? それもものすごく気になるけれど、デイビッドおじさんと話すジェイをはじめて見たかも。どうしてそんな敬語で話すんだろ。「パパ」と呼べないにしても名前を呼び捨てにしていたから、気心の知れた仲だろうって思ってたんだけど違うのかな。それとも、まだ自分の立場に慣れていないとか?
 わたしのもやもやとした疑問をよそに、ジェイは続ける。
「ええ、そうですね。前のタイプより膝のクッション性はあがっています。ただ、衝撃はまだ強く感じます。それから、慌てて無茶な飛び方をしたので、両足の保護システムが故障したと思います。ほかはあとで説明します。それじゃ、あとで。はい、すみません。いつもありがとう」
 また右耳を押し、わたしを見た。
「三分待って」
 訊きたいことは山ほどあるのに、いろんなことがありすぎてうまく言葉が出てこない。それはヘンリーも同じらしく、見た目がまったく違うパティに眉をひそめ、コスチューム姿のジェイに対しても、探るように目を細めて見ていた。なにかひとことでも発してくれたらいいのに、無言だから余計におそろしい。
 なんにせよ、新聞部の記事になんかしないように、あとではっきり伝えておかないと!
 鼻息荒くヘンリーを見つめていたとき、どこからともなく車のエンジン音が聞こえてきた。間をおかず、散策路の後方から二つのライトが近づいて来る。黒い大型のワゴン車……というよりも、形は完全に救急車だ。っていうか。
「こ、ここって、車が入ってもいい場所だったっけ?」
「人のいない決まった時間帯だけ、特別な許可をもらってるんだ。訓練するから」
 ジェイがさらりと言う。いよいよつっこもうとしたそのとき、車がぐるんと横向きで停まった。うしろのドアが左右に開いて、スーツ姿の男性が姿を見せる。年齢はパパやデイビッドおじさんよりも十歳くらい年上だ。白髪交じりの短髪で、スパイ映画の主役みたいな渋いハンサム。その人が、わたしとパティ、ヘンリーを見るなり目を丸くした。
「おっと……なんだろうこの既視感」
 そんなことをつぶやく彼に、ジェイは言った。
「彼女の手当の手配を頼みます、カルロス」

★ ★ ★

 クラークパークの見下ろせる高層アパートの最上階が、ジェイの住まいだった。リビング、寝室、無数のゲストルーム、書斎、そして緊急の処置も可能な医務室まで完備されている。そこに運ばれたパティは、疲労による一時的な失神状態であることがわかった。眠っているパティの手をそっと握りながら、
「起きますか?」
 白衣姿の男性看護師に訊ねると、にっこりしてうなずく。
「大丈夫。たっぷり眠ったら目覚めるよ」
 ホッとした。ホッとしたけれども……どうしよう。
「おっかないお祖母さんに、このこと伝えなくちゃ」
 うなだれて深くため息をついたとき、そばにいたヘンリーがやっと口を開いた。
「確認したいんだが」
「な、なに?」
「彼女は本当にグッテンバーグか?」
「そ……うだよ。ほら、眼鏡をはずすとハンサムだったり美人だったりするドラマとか映画、見たことあるでしょ? そういうことだよ」
 無駄かもだけど、ヘンリーの衝撃を少しでも減らすにはこう言うしかない。ヘンリーは納得いかないと言わんばかりに、わたしを横目で見た。
「顔以外のさまざまなポイントもずいぶん違う気がするのは、おれの気のせいか?」
 鋭い。
「うっ……と、そうだっけ? どうかな……?」
 もごもごと言葉を濁す。ヘンリーは眉間に皺を寄せた。
「じゃあ、あの天使像が動いたり、妙な男が骸骨になって消えたり、グッテンバーグが魔法陣のような『なにか』を浮かべて見せたり、ジェイコブがスーパーヒーローばりに登場したのはどういうことだ?」
 後半のひとつはわたしにとっても予想外だったけれど、全部まとめるとこうなる。
「全部夢っぽいけど、真実ですとしか言えないよ。ちなみにだけど、今夜のこと全部記事になんかしないでね。もしもそうしたら、わたしの作ったまっずいパンケーキをあなたの口に押し込めてやる!」
 ヘンリーは、塩でできたケーキをうっかり丸かじりしたみたいな、ものすごく苦くてまずそうな顔つきをした。
「きみのまっずいパンケーキをおれの口に押し込めなくとも、記事になんかしないしできるわけがない。もしも記事にしたら、おれの頭がどうかしたと思われるのが関の山だ。それにしても、わけがわからないぞ」
 一瞬言葉をきり、やれやれと言わんばかりにため息をつく。
「百歩ゆずって、スーパーヒーローまでは信じられる。デイビッド・キャシディがそうだったし、おれもフィギュアを持ってたからな。だが、彼の敵は人間の悪党やギャングどもだ。でも、今夜おれが目にしたのは悪魔のような『なにか』と、転校してきたばかりの女子の魔法みたいな『なにか』だ。おれはそういった説明のつかないふわっとした現象が、ものすごく苦手だ。頭が混乱して理解不能におちいるからな」
 すっごい。こんなにしゃべるヘンリーをはじめて見た。これほどしゃべらざるをえないほど、きっとパニクってるんだ。でも。
「理解不能におちいったほうが、人間っぽくていいかも?」
 思わず小声でつぶやいてしまう。
「なに?」とヘンリー。
 いいえ、なんでもありませんと口を閉ざしたとき、ジェイに「カルロス」と呼ばれていた男性が姿を見せた。医務室の入り口でふと足を止めると、まじまじとわたしたちを見つめ、小さく笑ってささやいた。
「……うーん、本当にすごい。タイムスリップしたみたいな気分だ」
 気を取りなおすかのように息をつき、わたしたちに右手を差し出す。
「あらためて挨拶をしよう。ぼくはカルロス・メセニ。デイビッドの部下みたいなものかな。カリブ海の邸宅でセミリタイア生活を楽しんでいたら、突如復帰をうながされて戻ってしまった。きみたちに会うのははじめてだけれど、ぼくはきみたちをよく知ってるよ。というか……きみたちのご両親をね」
 その手を握って、握手する。
「ジーン・ジャズウィットです。ママとパパを知ってるんですか?」
 カルロスさんはにっこりした。
「もちろん。よく知ってるよ。結婚式にも出席したしね」
「ヘンリー・フランクルです。おれの両親のことも?」
「ああ、よく知ってるよ」
 カルロスさんがそう言った直後、デイビッドおじさんが忙しげに姿を見せた。
「ジーン!……って、またきみもいるのか!?」
 ヘンリーを見るなり、ぎょっとする。すると、カルロスさんがクスクスと笑った。
「これもすごい既視感だ。片方はいい大人だけれど」
 カルロスさんの言葉を華麗にスルーしたデイビッドおじさんは、眠っているパティを見て困惑する。
「それで、なにがあった? ジェイは?」
「ジェイはシャワーを浴びてるよ。そこの彼女は『棺の魔女』のお孫さんだそうだ」
 なに? と声をあげたおじさんは、うううとうめきながら前髪をかきあげた。
「できれば避けたいマダム・グッテンバーグか……!」
 お金持ち同士、やっぱり知ってるらしい。息をついたおじさんは、どことなくげっそりした顔つきでカルロスさんに言葉をうながす。
「……で? 彼女のお孫さんがどうしてここに?」
「わたしの友達なの。クラークパークで待ち合わせをしていて、その……」
 なんて説明したらいいんだろ。迷っていると、ヘンリーが助け舟を出してくれた。
「不可思議な現象に襲われました」
「不可思議な現象?」
 おじさんが顔をしかめる。ヘンリーはさらりと答えた。
「おれたちもよくわからないので、詳しくはエヴァ・グッテンバーグに教えてもらうといいかと思います」
 カルロスさんが言葉を続ける。
「とにかく。その不可思議な現象をたまたま目にしたジェイが、試作品のコスチュームで窓から飛び出したということらしい。ちなみに、『棺の魔女』にはまだ連絡はしていない。どうする?」
 わたしはゴクリとつばをのむ。おじさんがうめいた。
「誘拐されたと警察に通報される前に、伝えるのが賢明だろうね」
「じゃあ、さっそくそうしよう」
 携帯電話を耳にあてたカルロスさんが、医務室を出ていく。デイビッドおじさんはネクタイをゆるめながら、
「さて、と。いきさつがなんであれ、きみのママとパパにも電話をして迎えに来てもらわなくちゃね」
 おっと、それはダメ! 家にいないことがバレてしまうし、イタリアにいることが知られたら、きっとおじさんは自家用ジェットでひとっ飛びするだろう。
「しゅ、週末の取材を兼ねたプチ旅行で、や、山小屋だから電波とかも届かないし、とにかくシティにはちょっとだけいないの」
 苦しい。ものすごく苦しい言いわけに、ヘンリーがつっこんだ。
「なにを言ってる? イタリ……」
 全部を言わせないため、ヘンリーの背中を軽くつねった。
「なんなんだ!」
 だよね。ごめん。とにかく!
「シティにはちょっとだけいないの」
 ちょっとだけを強調して言うと、デイビッドおじさんはけげんそうに目を細めた。
「そうか。それはしかたがないね。でも、それじゃきみは今夜ひとりだったってことかな?」
 その質問は予想してなかった。ヘンリーの家に泊まることを告げたら、もっとややこしいことになりそうな気がする。そんなわたしの懸念をもろともせず、ヘンリーがあっさりと答えてしまった。
「おれの家に泊まってます」
「……え?」
 おじさんがフリーズしたとき、携帯が鳴った。苛立たしげに携帯を手にしたおじさんは、
「ジーン、この件はあとで話そう。ヘンリー、きみはカルロスに送らせるから、少しここで待っててくれ」
 電話を耳にあてながら出て行った。忙しそうだ……っていうか。
「いまの言葉を要約すると、おれだけ自宅に戻り、きみはここに足止めってことになりそうだな」
 ヘンリーが腕を組む。そうみたいだ。
「けど、それでもいいかも。パティのそばにいられるもの」
「『棺の魔女』が迎えに来るぞ?」
「それまでは一緒にいられるでしょ」
 ヘンリーが眼鏡越しの目を見開く。いきなり口を閉ざしてわたしを見つめてくるから、さっきの近距離が脳裏をかすめて居心地が悪くなってきた。ひとりで勝手に気まずくなってきたとき、あろうことかお腹が鳴った。
「お、お菓子かなにかないか、探してくる」
 食いしん坊なお腹に助けられた。考えてみたら、こんなに長い時間をヘンリーと一緒に行動するのははじめてだもの。だからいっそう気まずいんだ。
 逃げるように医務室を出て、リビングに向かった。間接照明の柔らかいライトに照らされた全面ガラス張りの窓の向こうは、満天の星空に飛び込んだかのような摩天楼の光景が広がっている。ほかのアパートの高層階に招かれたことはあるけれど、ここははじめてだ。
 ものすごくきれいな景色にうっとりしたいところだけれど、お腹が鳴りっぱなしだ。わたしは自分のお腹を見下ろした。
「いったいどうなっちゃってるの? キャシーママの料理をあんなに食べたのに、まだなにか食べたいなんて」
 我ながら呆れる。ダイニング・キッチンに行こうとしたとき、奥まった部屋のドアから明かりがもれていることに気づく。デイビッドおじさんの書斎かな。
 お菓子をもらってもいいか訊ねるため、細く開いているドアに近づく。ノックをしようとした刹那、室内が見えて固まった。
 窓を向いたジェイが、ベッドに座っていた。シャワーのあとだから、上半身はなにも着ていない。まるでプロのボクサーみたいに、身体は極限まで引き締まっていた。その背中に、わたしは目を見張って息をのむ。
 あれは、無数の傷跡だ。ああいう背中を、戦争映画で見たことがある。まるで、訓練を極めた軍人みたいな背中だ。
 なんだろ、あれ。わたしの目の錯覚? いや違う。たしかにある。
 あの傷も訓練とかでできたのかな。だとしたら、最近のもの? でも、子どものときにできたみたいな古い傷のように思える。だって、もうすっかり治りきっているから。
 ああ、きっとそうだ。もっとずっと古い傷だ。
 どうしよう。ジェイにとっては、たぶん見られたくないものかもしれない。
 その場からそっとしりぞこうとしたとき、信じられないことにお腹が鳴った。うそでしょ、わたしのお腹のバカ!
 ジェイが振り向く。同時に、リビングの奥で高圧的な声がした。
「どういうことか説明していただけますかしら、デイビッド」
 ……棺の魔女のご登場だ。

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