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10:怒涛のnight and day

 ジェイにインタビューの約束をさせて満足したヘンリーは、帰りの車に乗り込んでこなかった。密着から解放されたものの、わたしは別の不安で落ち着かない。ジェイの運転する車の助手席で、いろんな方向から計画しまくった。

 パティとの約束は午後十時だ。一時間前には抜け出さないと、待ち合わせ場所に遅れてしまう。クラークパークまではバスで行くとして、問題は市警部長宅からどうやってうまく抜け出すかだ。

 疲れたふりをして早めにゲストルームに引っ込み、窓から出るのはどうだろ。それとも、自宅に忘れ物を取りに行くふりをするとか? いや、それじゃダメだ。きっとキャシーママは夜道を歩くわたしを心配して、ヘンリーをナイトに指名する。ヘンリーと二ブロックも歩くとか、わたしにとってはものすごい悪夢だ。

 よし、決めた。やっぱりシンプルな最初の作戦でいこう。

 眉間に皺を寄せ、車窓を眺めながら思考を働かせまくっていると、車が自宅の前に着いた。そのとたん、はっとして気づく。抜け出すことばかり考えていて、ここに来るまで一言もジェイとしゃべっていなかった。でも、それでよかったのかも。だって、ランチのときのことを思い出して、気まずい思いをしなくてすんだもの。

「送ってくれて、ありがとう」

 ドアハンドルを手にしたとき、ジェイがわたしを見た。なにか言いたげな表情で、薄く口を開く。でも、思いなおしたように唇をきゅっと引き結んだ。

「どうしたの?」

 小さく笑ったジェイは、どことなく居心地が悪そうな様子で目を伏せた。

「いや、なんでもない」

「……ほんとに?」

 言葉がのどまででかかっているみたいな顔つきに思えるんだけど、違うんだろうか。気になって返事を待っていると、ジェイがわたしを上目遣いに見た。

「……デイビッドは知ってるの?」

「えっ? おじさんが知ってるって、なにを?」

「きみがヘンリーの家に……いや、なんでもない。いまのは忘れて。こんなこと気にしてるなんてどうかしてる」

 なにを言ってるんだろ。でも、答えられることは答えておこう。

「たぶん、わたしの両親の旅行のことすら、おじさんは知らないと思うな。そうじゃないと、仕事を理由にして着いて来そうってママが心配してたから」

 ジェイがかすかに笑った。

「じゃあ、彼には内緒にしておくよ」

「ありがとう。なんだかごめん」

 いいよと言って、ジェイはまたわたしを視界に入れた。どことなく意味ありげなその眼差しに、引き込まれそうになる。とたんに、ランチのときのことが蘇って、ボッと耳に熱が走った。

「じ、じゃあね!」

 ジェイから顔をそむけ、慌てて車をおりる。思い返すとわたしってば、ものすごく大胆なことをしたんじゃ……? いや、脳内で何度もリピート再生しないように気をつけないと、いまにも恥ずかしさのあまり酸欠で倒れそう!

 走り去る青い車が見えなくなってから、外階段をあがってドアに鍵を差し込んだ。そうしながらも、やっぱり考えてしまう。

 ヘンリーが助けてくれなかったら、どうなってたんだろ。想像しなくても想像がつく。よかったと言うべきか、残念と言うべきか……。

「……って、残念ってどういうことなの!」

 自分につっこみをいれてひとりごちた直後、またあの強い視線を感じて振り返る。と、街路樹の枝にとまっているカラスと目があった気がした。

 これ、あのカラスの視線かな。まさか、そんなわけない。

「……この気味悪い感じ、なんなんだろ」

 背筋が冷たくなるような視線から逃れるように、急いで自宅に入り鍵を閉めた。

 

★ ★ ★

 

「いらっしゃい、ジーン! さあ、入って。あなた用にお部屋をととのえたの。自分の家みたいにくつろいでもらえるといいんだけれど」

 午後六時。フランクル家に着くなり、キャシーママが輝くばかりの笑顔で出迎えてくれた。セミロングのまばゆいブロンドが、真っ白なシャツの襟元で揺れる。おしゃれなミセス雑誌のモデルみたいな立ち姿に、いつもながらほれぼれしてしまう。

「お邪魔します」

 お泊りセットを詰め込んだボストンバッグを持って入ると、グレーのパーカにデニム姿のヘンリーが、炭酸水のボトルを口につけながらキッチンから出てきた。すでにシャワーを浴びたのか、髪は少し濡れ気味でくしゃくしゃで、眼鏡をかけていない。眼鏡なしのヘンリーを見るのは、たぶん六歳以来だ。

 こうして見ると、キャシーママにやっぱり似てる。眼鏡をかけると、なぜかヘンリーのパパにそっくりになるけれど。

「ヘンリー。ジーンよ」

 ヘンリーが青い瞳をきつく細めた。

「……だろうな。そういう輪郭だ」

 そう吐き捨てるなり、リビングに入る。と、書斎からヘンリーのパパが出てきた。シャツとネクタイのお仕事モードスタイルだから、ディナーのあとで職場に戻るのかもしれない。

 きりりとした凛々しい顔つきを見ると、いつもちょっとだけ緊張する。この人とママが仲良しだったなんて、接点が謎すぎて想像もつかない。

「こんばんは」

 挨拶をすると、キャシーママが言った。

「アーサー、ジーンよ」

「説明されなくても、見ればわかる。わたしはあとで仕事に戻るが、ゆっくりしていきなさい。ひとりで家にいるのは物騒な昨今だからな」

 そう言うなり、リビングに姿を消した。とたんに、キャシーママは苦笑した。

「情緒に欠けるロボットが二体もいて、ごめんなさいね」

 思わず吹きだしそうになったけれど、一応我慢する。二階のゲストルームに案内され、レースと花とリボンで彩られた室内に感激した。

「うわ、かわいい! お姫様の部屋みたい!」

 サイドテーブルには銀のトレイが置いてあり、水差しのレモン水とグラスまで用意されてあった。

「喜んでもらえて嬉しいわ。テーマはまさに『お姫様の優雅な休日』なの。本当は天蓋付きのベッドにしたかったんだけれど、お目当てのものがドアを通らないサイズで、泣く泣くあきらめたのよ。本当……残念だったわ。あれがあれば完璧だったのに!」

 心底悔しそうだ。

「天蓋付きのベッドじゃなくても、すごく素敵。嬉しいです、ありがとう!」

 刺繍がほどこされた純白のベッドカバーにくるまれるのなら、それ相応のナイトウェアが必要だったかも。襟元がぐだぐだのTシャツとスウェットパンツなんかじゃなくて。

 カーテンで閉じられた窓を見る。すぐに地面までの距離を確認しなくちゃ。場合によっては抜け出し作戦を変更しなくてはいけないかもしれない。

「荷物を置いたらダイニングに来てね。アーサーが仕事に戻るから、今夜のディナーは少し早目の時間なの」

 願ったりだ。礼をのべると、キャシーママが出ていく。さっそく窓辺に近づき、カーテンと窓を開けた。この下はヘンリーのパパの書斎だったはず。ここの窓枠にぶら下がり、書斎の張出し窓に足をかけたら、そこから地面になんとか着地できそうだ。

「……よし、いい感じ!」

 窓を閉めてカーテンを閉じる。サイキックなパワーを封じる薬をレモン水で流し込み、ダイニングに向かった。

 

★ ★ ★

 

 大好きなマカロニチーズでお腹がいっぱいになったものの、そのあとにフライドポテトとステーキとポタージュスープがあらわれ、これで終わりかと思ったら生クリームたっぷりのフルーツタルトが登場してしまった。まるでずっとクライマックス場面が続く大傑作映画みたいなラインナップだったけれど、美味しいし絶対に残したくないから全部きれいに平らげた。

「……よく食うな」

 ちょこっと食事をつついただけのヘンリーは、タルトを半分も残して言った。

「だって、美味しいもの。お腹いっぱいでも隙間なんていくらでもつくれるんだから。それにもったいないじゃない。もしも明日世界が終わったら、あなただって絶対に後悔するよ。『ああ、母のタルトを全部食べておくんだった』って」

 ヘンリーがあ然とした顔つきになる。

「嬉しいわ、ジーン。我が家には食べざかりの殿方しかいないはずなのに、いつだって食事を残されるんだもの。あなたみたいにたくさん食べてくれる子がいると、ものすごく作りがいがあって楽しいわ」

 キャシーママが言うと、ヘンリーのパパは小さく笑った。

「きみは間違いなくニコルの血を受け継いでいるな。たとえ世界に終わりがきても、きみとニコルは生き残るだろう」

「ありがとうございます!」

 わたしの言葉に、ヘンリーがつっこんだ。

「褒めてないだろ」

「いや、褒めたんだ」

 そう言ったヘンリーのパパはニヤリとすると、席を立つ。すると、キャシーママもお皿を手にしながら腰をあげた。

「戻るの?」

「ああ」

「犯人の目星は?」

 女子高生失踪事件のことが、ここではじめて触れられた。ヘンリーがさりげなく訊ねると、市警部長のパパは「いいや」とだけ言って、悔しげに眉をひそめる。椅子の背もたれにかけていたジャケットを羽織ると、キャシーママの頬にキスをした。

「まったく、こんなときはパンサーのいたころが懐かしくなる」

 キャシーママが微笑んだ。

「そうね。空をひとっ飛びで事件解決だもの。でもそれじゃ、あなたのお仕事がなくなるでしょ」

 ヘンリーのパパがニヤッとした。

「たしかにな」

 ごゆっくりとわたしに言って、市警部長は去った。椅子から立ったとたん、満腹すぎて軽いめまいにおそわれたけれど、後片付けを手伝った。キャシーママと並んで食器を洗っていたとき、

「ねえ、ジーン。つかぬことを訊くんだけれど、あの子にガールフレンドはいるの?」

 ふいに訊かれる。

「えっ、ヘンリーですか?」

「ええ。本当はあなたが理想なんだけれど、あなたとヘンリーを見ていると、いつまでたってもそんな感じになりそうもないからあきらめたの。でもそうなると、あの子の相手はどんな子なのかちょっと気がかりになってきて」

 わたしがヘンリーの相手として想定されていたなんて、初耳だ。妙な緊張から身構えつつ、なんとか笑みを浮かべる。

「な、なるほど……」

「いろんな女の子から電話はかかってきているみたいなんだけれど、誰のことも紹介してくれないんだもの。学年末のダンスイベントだって、主催側の実行委員だったおかげでパートナーがいるのかいないのかわからずじまいだったし……」

 そんなふうに言われるまで、気にしたこともなかった。だって、興味ゼロだから。

「うーん……。ヘンリーはけっこうモテてるし人気者だけど、そう言えば特定のガールフレンドって聞いたことはないかも……」

 わたしのつぶやきに、キャシーママは目を丸くした。

「まあ! 特定の子がいないってことは、もしかしてあの子、ああ見えて遊び人なの!?」

「ち、違いますっ、そうじゃなくて!」

「なんの話をしてるんだ」

 呆れ顔のヘンリーが姿を見せ、冷蔵庫を開けた。

「ガールズトークに首をつっこまないで」と、キャシーママ。

「ガールはひとりだけじゃないのか、母さん」

 冷静につっこむヘンリーを、キャシーママは半眼で見た。

「女性のハートは死ぬまでガールなのよ。忘れないで」

 ヨーグルトを手にしたヘンリーは、キャシーママの言葉を無視して背を向けた。

「どうぞ、井戸端会議を続けてくれ。ちなみに、おれにガールフレンドはいない」

「仲良しで気になってる子くらいいるでしょ?」

「おれの想像の範疇を超えない女子に興味はない」

 そう言い捨てると、キッチンから出ていった。がっくりとうなだれたキャシーママは、地底に響きそうなほどのため息をつく。

「誰かあの子を、ロボットから人間にしてくれないかしら」

 それは無理かも? そう言いそうになったけれどなんとか耐えて、ただこう言って励ました。

「そ……そのうちにあらわれますよ。そういう相手が!」

 

★ ★ ★

 

 ヘンリーが自室に引っ込んだのをいいことに、キャシーママと少しだけラブコメドラマを見た。それからシャワーを浴び、八時半という早い時間にも関わらず、あれこれと理由をつけてわたしもゲストルームに引きあげた。

 いったん身につけたルームウェアを脱いでデニムを履き、動きやすいスウェットシャツに着替える。バッグを斜めがけにしてベースボールキャップをかぶった直後、ドアがノックされた。キャシーママが夜食を持ってきてくれたのかもしれない。

 慌ててバッグとキャップをベッドに押し込め、ドアを細く開けてみる。やっぱり! トレイの上のスコーンと紅茶がいい香りを漂わせている。だけど、それを手にして立っていたのはキャシーママじゃなかった。

「夜食だ」

 ヘンリーだ。勉強中だったのか眼鏡をかけているうえ、その邪魔をされたらしくかなり不機嫌そうに見える。

「あ、ありがとう……」

 トレイを受け取ってドアを閉めようとした矢先、ヘンリーはわたしのデニムに気づき、スニーカーを見下ろした。

「……」

 探るような眼差しが痛い。リラックスして眠ろうとしているスタイルに見えなくもないけれど、勘のいいヘンリーにはいますぐここを抜け出そうとしている格好に思えるかもしれない。

 ……これはマズい。ものすごくマズい! 無言のヘンリーに耐えられなくて、

「さて、と。急いでストレッチしなくちゃ。習慣だから!」

 愛想笑いで早口でまくしたて、ドアを閉めた。ドアに耳をくっつけて、ヘンリーの気配を探る。ドアの閉まる音がしたので、自室に戻ってくれたみたいだ。よかった。

 気を取りなおして、バッグを斜めがけにする。キャップをかぶってからスコーンをひとくち食べ、紅茶を飲む。全部平らげたかったけれど、そうしたら出かける気力が失せそうだ。必死に我慢し、クッションをベッドの中に詰めて人型にしてから、サイドテーブルのライトを消した。

 腕時計を見ると、九時を少しまわったところだ。余裕で間に合う。窓を開け、外に出る。作戦どおり、一階の張出し窓になんとか足をかけ、窓を閉める。周囲に目をくばりつつ、窓枠にぶら下がってから地面に着地した。一瞬だけ誰かに見られたような気がしたけれど、どの窓もカーテンで覆われているからわたしの気のせいらしい。

 いや、それとも?

「……午後に目のあったカラスが、どこかに潜んでるとか?」

 でも、あの視線みたいな気味の悪さは感じなかった。こそこそしているから、きっとその罪悪感による勘違いだ。

「ま、いっか。急ごう!」

 キャップを深くかぶりなおし、わたしはバス停まで走った。

 

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