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08:わたし vs 棺の魔女

 選択科目がひとつもかぶらないジェイとヘンリーに別れを告げて、パティを探しながら教室に入る。そのとたん、一言も口をきいたことのない女の子に話しかけられた。

「ねえ、ジーン。昨日メイソンに勝った子がデイビッド・キャシディの跡継ぎで、あなたとつきあってるってホントなの?」

 もうバレてた。この子が知ってるのなら、きっともう全校生徒に伝わっているはずだ。

「みんなほんとに暇だよね。だからなに? わたしのボーイフレンドの養父が誰でも関係ないでしょ」

 わたしのボーイフレンドって、強調してみた。こんな台詞を言える日が、こんなにも早く訪れるなんて思ってもみなかった。わりといい気分かも……いや、かなりいい気分かも!

 女の子たちが口をつぐんだ。「マジでジーンが彼女なの?」と言わんばかりの視線が痛いけれど、危害を加えられるわけじゃないから気にしない。そんなことよりも気がかりなのは、パティだ。授業がはじまるまで教室中を探したのに、彼女の姿がどこにもないなんておかしい。わたしから逃げまわっているか、登校していないかのどちらかだ。

 棺の魔女ならぬエヴァ・グッテンバーグがパティのお祖母さんなら、あの車にパティが乗っていてもおかしくないのに、彼女がおりてくる気配はなかった。ということは、きっと自宅にいるんだ。

 ああ、いまさら後悔してしまう。電話番号とメールアドレスの交換を、昨日さっさとしておけばよかった。

 生徒の個人情報を職員さんが教えてくれるとは思えないけど、あとでオフィスに突撃しよう。それがダメなら……そうだ! それこそデイビッドおじさんの登場だよ。おじさんなら、超お金持ち仲間の住所を絶対に知ってるはず。でも、問題は激務すぎて連絡がつきにくいってことだ。そうなるとものすごく避けたいけれど、ヘンリーの情報網を頼るしかないかも……。

 とにかく、なんとしてでも住所を探りあてるよ!

 強く決意しながら、なにげなく窓を見た。二階にある教室からは、駐車場が見える。バスみたいなリムジンはまだあった。

 正直、一度は乗ってみたい。思いきりドレスアップして、わたしのことをお姫様扱いしてくれる男の子と手を握りあったりして……って、その相手の顔がジェイになってきた! 顔が赤くなる前に妄想を打ち消さなくちゃ。その焦りから、ジェイの顔をヘンリーにうっかり変換してしまった。うっ、と息がつまって咳き込みそうになった矢先、リムジンの後部座席の窓が少し開いていることに気づいた。

 スモークで真っ黒な車窓の奥で、人影が一瞬ちらつく。どうやら誰か乗っているらしい。姿までは見えないけれど、もしかしたらパティかもしれない!

 違ったらそれでいい。でも、たしかめたい。そう思ったら、いてもたってもいられなくなってきた。医務室行きを勝ち取るべく、少しずつ机に突っ伏すような態勢になり、具合の悪さをアピールする。すると、ルネッサンス絵画についてとうとうと語っていたミス・バロウが気づいてくれた。

「ジーン、どうしたの。大丈夫?」

「す、すみません……少しお腹が痛くて」

 ママ、パパ、ミス・バロウと神さまごめんなさい。いままでこんなこと一度もしたことないから、今回だけどうか許して。

 無事に自由を勝ち取り、教室を出た。廊下を走って階段をおり、駐車場に向かう。敵陣に向かう軍人よろしく態勢を低くし、ゆっくりと黒塗りの要塞に近づく。やがて、哀しそうにうつむいているパティの横顔が、細く開いた車窓の奥にはっきりと見えた。

 謎すぎる。どうして登校もせず車内にいるの?

 周囲をうかがいながら開いている車窓に近寄り、小声で言った。

「パティ」

 はっとしたパティが、驚きの表情でわたしを見上げる。

「ジーン! ど、どうしたの」

「それはこっちの台詞だよ。昨日からずっとあなたのこと探してたのに、どこにもいないんだもの。どうして登校しないの?」

 車窓を広く開けたパティは、運転手を気にしながら声をひそめた。

「……ごめんなさい。もう登校はできないの」

「えっ、どうして?」

 分厚い眼鏡の奥の目が、涙に濡れていく。

「……してはいけないことをしたから」

「なにそれ」

「ジーン、ごめんなさい。どうしても話せないの。でも、あなたとランチができて嬉しかった。わたし、いままでずっと友達がいなかったの。だから、あなたとはいい友達になりたかったわ。本当に残念……」 

 視線を落としたパティの頬に、涙が落ちた。わたしにはさっぱりわからないけれど、パティにとっては不本意なことが起きているらしい。

「よくわかんないけど、泣かないでパティ。あなたはもうわたしの友達だよ」

 えっ、とパティはわたしを見た。

「言ったでしょ。わたし、この学校でモンスター扱いされてるって。だから、あんなふうに誰かと一緒にランチを食べられたのはあなたがはじめてなんだ。それってわたしにとっては、もう友達ってことなの。あなたが嫌がってもね」

 パティが小さな目を丸くする。と、やっとかすかに笑ってくれた。このまま話してなんとか事情を聞き出したいところだけれど、うかうかしていたらおっかない魔女が戻るかもしれない。

「とにかく、あなたの連絡先を教えて」

 わたしがそう言った直後、パティの顔色が青ざめた――刹那。

「わたくしの孫娘になんの御用かしら。ミス・ジャズウィット」

 圧の強いしわがれた低い声が、背後から放たれる。パティしか見ていなかったから、全然気づかなかった。スモークで真っ黒な車窓に視線を移すと、わたしのうしろに立っている魔女の姿がばっちり映り込んでいた。

 ゆっくりと振り返る。間近で見た棺の魔女の瞳の色は、珍しい紫だった。杖はついているけれど、背筋はすっきりと伸びている。無数の皺をもろともしない、人間離れした神々しい美しさだ。なんだかまるで、千年以上も生きているエルフみたい。

「わ、わたしの名前を知ってるんですか」

「ええ」

「パティに聞いたんですね」

「いいえ」

「えっ?」

 棺の魔女はにこりともせず、わたしを見すえる。でもその視線は、この世ならざるものを見ているかのようにどこか遠かった。

「……奇妙な子。あなたが敵か味方か判別ができない。けれど、少なくとももうひとりの彼は敵だわね。あの子は人じゃない」

 意味不明なことをつぶやき、杖で車体を軽くたたく。すると、運転手がおりてきた。

 わたしを追いやるようにして、運転手がドアを開ける。パティの正面に、魔女が座った。

「パトリシアは転校させます。もう関わらないように」

「えっ? うそでしょ、待ってください! 昨日転校して来たばかりなのに、どうしてですか!?」

 パティは唇を一文字に引き結び、うつむいた。恐怖のお祖母さんはそれ以上なにも言わず、そっぽを向く。運転手がドアを閉めると、車窓も閉じられた。

 どうしよう。棺の魔女の言ったことが、なにひとつ理解できない。あまりのことに呆然としていると、黒塗りの要塞は去ってしまった。

 こうなったらなんとしてでも、今日中にパティに会って事情を聞き出さないと!

「……って、連絡先教えてもらえてないし!」

 頭を抱えてもだえそうになった寸前、くしゃくしゃに丸められた小さな紙切れが、地面に落ちているのを発見した。車のドアが閉まるすきに、パティが落としたものかもしれない。風に飛ばされないうちに拾うと、そこにはパティの名前が含まれたメールアドレスが書かれてあった。

 やった! これで連絡をとることができる。でも、のんびりしてはいられない。明日にでも転校しちゃうかもしれないもの。

「今日中に事情を聞き出さないと」

 自分の携帯にアドレスを入力し終えたとたん、ふと棺の魔女の言葉が頭の中に蘇った。

 どうしてわたしの名前を知ってたんだろ。敵とか味方とかわけがわからないし、「あの子は人じゃない」って……誰のことを言ったの?

「魔女って呼ばれてるくらいだから、秘密めいた話し方がクセになってるだけかも」

 たいしたことなんかないって、気にしないようにする。携帯をポケットに押し込めたとき、ベルが鳴った。わたしは校舎に急ぎながら、不穏な予感がわきあがっていくのを無視し続けた。

 でも、本当はわかっている。頭のすみでは、直感していた。

 今朝、棺の魔女が目にしていたのは、わたしとヘンリー、ジェイだけだ。

 ヘンリーは見るからに優等生。とっつきにくくはあるけれど、謎めいているわけじゃない。だから、残る「彼」はひとりしかいない。

 

 棺の魔女は、きっとジェイのことを言ったんだ。

 あの子は人じゃない――って。

 

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