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07:事件はある朝突然に

 翌朝。早朝に出発するパパとママから『約束リスト』を受け取って、あれやこれやと心配する二人をタクシーに押し込め、見送ることになんとか成功した。

 遠ざかっていくタクシーを確認したとたん、ものすごい眠気におそわれる。一睡もできなかったんだから無理もない。ぐったりしながらあくびをし、ぼさぼさ頭で玄関に戻ろうとしたとき、ランニングから帰ってきたお隣さんに出くわした。

「おはようございます。ミセス・ブラウン」

「おはよう、ジーン。ご両親は出発したの?」

「はい。さっきタクシーに押し込めました」

 ミセス・ブラウンが快活に笑う。

「困ったことがあったらなんでも言ってね」

「ありがとうございます」

 笑顔で答えると、ミセス・ブラウンの表情が一瞬曇った。

「どうかしたんですか」

「……ええ。実は夫のマイクが同僚に聞いたらしいんだけれど、昨夜だけで二件も女の子の失踪事件が起きているそうなの。二人とも十代の高校生ですって。夫は消防士だからそれ以上はよく知らないみたいだけれど、あなたも気をつけてね、ジーン」

 わたしは驚いた。ほかの州や都市ならまだしも、ここは治安のよさでは三つ星間違いなしのクレセント・シティだ。もちろん、危険なエリアはある。でも、そのエリアさえ避けておけば、深夜だろうが出歩いたって事件に巻き込まれることはないはずなのに。

「それ、ニュースになってますか?」

「まだだと思うわ。とにかく、おかしなことがあったらすぐに呼んでちょうだいね」

 ありがとうございますと礼を告げて、自宅に戻った。リビングに直行してテレビをつけたものの、それらしきニュースは流れない。テレビを気にしながら、まだきちんと目を通していない『約束リスト』を冷蔵庫のドアに貼った。

 薬を忘れずに飲むこと、夜ふかしをしないこと、朝ごはんをきちんと食べること、学校を無断で休まないこと、音楽を大音量で流さないことなどなど、項目がずらりと並んでいる。その中には、ボーイフレンドを部屋に入れないことまで含まれていた。

「うーん……そんな心配はいらないって、大声で叫びたいかも」

 ジェイのことをふたたび考えそうになった矢先、最後の項目が視界に飛び込んで眠気が吹き飛んだ。

 

 毎晩、フランクル家でご飯を食べること(あなた次第だけれどお泊り推奨!)。

 

「えええ……」

 憂鬱すぎて遠い目になる。キャシーママは好きだけれど、問題はフランクル家の紳士たちだ。でも、ヘンリーのパパは市警部長だから、女子高生の失踪についてなにか知っているかもしれない。そう思うと、好奇心を利用してなんとか耐えられそうな気がした。ただし。

「なにがあってもお泊りはしない。断固ノーだよ!」

 無駄と知りつつ、リストを指差して訴えた。

 朝起きてヘンリーと朝食を食べるとか、考えただけでめまいを起こして倒れそう。ただでさえ不眠気味なんだもの。これ以上のストレスはなんとしてでも避けなくちゃ。

 鼻息荒くバスルームに向かおうとしたとき、携帯にメールが届いた。ジェイが少し遅れるらしい。っていうか、メールを目にするまでうっかり忘れてた。わたし、この人とつきあってるってことになってるんだった!

「魔界に暮らしてる気分になってきた……」

 しかたがない。でもまあ、たとえ「ふり」だとしても、ボーイフレンドのいる雰囲気が味わえるのは悪くないんじゃない?……なんて、前向きに思いなおしてみる。去年行けなかったダンスパーティを思い返せば、理由はどうであれ相手がいるっていうのはいいものだ。

 つきあっているふりをしてようがいまいが、ジェイとはいい友達になれそうな予感はある。彼のことをなんでも知っているわけじゃないけれど、趣味趣向が似ている気がするからだ。そういう人はわたしにとって、ものすごく貴重だったりする。だって、そう思える人なんていままでひとりもいなかったんだもの。

「よし、こうなったらひらきなおるよ。どうせならあなたと大親友になってやる」

 携帯に向かって言い放ち、ふたたびバスルームに行こうとした矢先、ニュース番組に速報が割り込んだ。娘の失踪を嘆く両親の映像が流れ、二人の女子高生の顔写真が画面に映る。二人とも黒に近いブルネットのロングヘアで、大きな瞳は長いまつげにふちどられている。ハリウッドの新人女優と言われても納得するほどの美人だった。

 似ている容姿の女の子が連続で失踪するなんておかしいと、女性キャスターは豪語する。インタビューを受ける両親らも、おそらく同じ犯人に連れさらわれたのではないかと声を震わせていた。

 目撃情報を通報するための電話番号が画面の下に流れて、とっさに携帯に打ち込んでおく。番組がもとに戻ったとき、昨夜目にした光景がふと頭の中に思い浮かんだ。

 満月を横切った――無数の影。

 もっとも、あれは目の錯覚かもしれないし、そうじゃないとしても事件とは百パーセント関係ないけれど。なんにせよ。

「……いやな事件。早く犯人が捕まるといいな」

 シャワーを浴び終え、急いで髪を乾かして軽くメイクし、洗濯済みの洋服の山から本日の選ばれし古着を引っ張り出す。たった三度の着替えで服が決まり、ニュースを気にしつつシリアルを食べていたとき、ベルが鳴った。ジェイだ。

「あれ? 遅れるどころか早いくらいだよ」

 キッチンにお皿を置いて、テレビを消す。リュックを背負って戸締まりのチェックをしてからドアを開けると、立っていたのはジェイじゃなかった。

「えっ」

 思わず声を発したとき、一縷の乱れなく制服を着こなすヘンリーは言った。

「本日より、ジェイコブの密着を開始する」

「はい?」

「ここで待ち伏せれば来るだろうからな」

「えっ?」

 直後、青い車が路肩で停まるのが見えた。窓からジェイが顔をのぞかせる。わたしがそちらを見るやいなや、視線に気づいたヘンリーが振り返った。

「ほらな、予想通りだ。おれも一緒に登校させてもらう」

 ええっ!?

 

★ ★ ★

 

 断れるすきを、ヘンリーが与えてくれるわけがなかった。

「なにか、ヘンな感じだね」

 運転席のジェイが苦笑する。わたしはバックミラーを盗み見た。蝋人形のごとく動かないヘンリーが、後部座席を陣取っている。と、うっかり目があった。

「なんだ」

「何度かこうやってバックミラーを見ていたら、そのうちにあなたの姿が幻みたいに消えるんじゃないかなと思って……」

「なにを言ってるんだ」

 だよね。っていうか。

「……朝からジェイを密着するの?」

「デイビッド・キャシディの謎めいた跡継ぎについて、どこよりも早くインタビューと密着取材を行いたいからな」

「断った気がするのは、ぼくの気のせいかな」

 ジェイの皮肉に、ヘンリーは無表情で答える。

「了承を得るために密着するんだ。我が校の新聞部について、信頼してもらうためにな」

「……なるほど。ようするに断っても無駄ってことだね」

「察しがいいじゃないか」

 ジェイが苦い笑みをもらしたとき、腕を組んだヘンリーはいぶかしげに目を細めた。

「それにしても、きみたちは本当につきあっているのか? どうしてもそんなふうに見えないんだが」

 鋭い。つきあってないってヘンリーにバレたら最後、新聞部の部員に速攻でいきわたる。記事になるまで情報を遵守するはずの部員たちも、ゴシップ的なネタには目がない。友人知人、ガールフレンドやボーイフレンドにメールで拡散され、結果約三十分で全校生徒に真実が伝わることになるのだ。わたしはそれでもかまわないけれど、ジェイがやっかいな事態になってしまう。

 ぎくりとして口をつぐみながら、ジェイを横目で見た。すると、彼はにやっとした。

「よく知らない同級生の前でいちゃついたりしないよ」

 素晴らしい。感情的には複雑だけど、親友候補としては褒め称えられる切り返しだ。

「ふうん」

 ヘンリーが眉を寄せる。バックミラー越しの鋭い視線に耐えられない。そうだ、話題を変えてヘンリーを質問攻めにしよう。そうすれば、余計な口出しをしてこなくなるはず!

「今朝のニュース見たでしょ? あなたのパパ、なにか言ってる?」

「ああ。FBIが指揮をとることになって、面白くはないが快く協力をしていると言っていたぞ」

 学校の敷地内に入る。駐車場で車をおりても、ヘンリーはついて来た。どうやらこの拷問みたいな時間は、ヘンリーが満足いくまで続くらしい。

 二言以上しゃべったことのない幼馴染と、今朝だけで一生分も話した気がする。仲良しになりたいと思ったこともあったけれど、気疲れのせいかものすごく却下したい気分。昨日に引き続きぐったりとした足取りで校舎に向かっていると、ジェイがヘンリーに訊いた。

「犯人の目星はついてる?」

「さあな。目星がついていたとしても父はけっして口にしないから、おれにはわからない」

 そう言ったヘンリーが、ふと立ち止まる。校舎の前に黒塗りの巨大なリムジンが停まっていて、ドン引きする生徒たちが横目で見ながら校舎に入っていた。わたしも思わず足を止める。富裕層の子が通う学校だけれど、プロムの夜ばりな巨大リムジンで通学している生徒はいない。なぜなら、イケてないから。

「うわ、バスみたい」

 わたしの言葉に、ジェイが笑った。

「たしかに、充分車内で暮らせそうだ」

「誰かのご親族だろう」

 ヘンリーがそう言った直後、運転手が後部座席のドアを開ける。姿を見せたのは、シルバーグレイの髪を上品にまとめあげた老齢のご婦人だった。まるで十八世紀の淑女のような黒のロングドレスに、真っ白な杖をついている。

 誰だろ、と声にするよりも先に、ヘンリーが言った。

「驚いたな。どうして彼女が学校に来たんだ?」

「知ってるの?」

 そんなことも知らないのかと言わんばかりに、ヘンリーは眼鏡を押しあげた。

「エヴァ・グッテンバーグ。宝石界を牛耳っている資産家だ」

 名前を耳にした瞬間、はっとする。パティと同じラストネームだ。

 そう言えば、パティはお祖母さんと暮らしていると言っていたはず。だとしたら、あの女性はもしかして――パティのお祖母さん?

「黒い噂も絶えないがな」

 さすがは新聞部。情報通のヘンリーがつぶやく。ジェイが訊き返した。

「黒い噂?」

「ああ。彼女に目をつけられた人間は、必ず奇妙な事故死を迎えているらしい」

 ふと、エヴァが立ち止まる。こちらの視線に気づいたかのように、ゆっくりと振り返った。威厳ある眼差しが、まっすぐわたしに向けられる。同時に、背筋が寒くなった。

 この視線、知ってる。昨日感じた強い視線にすごく似ている気がするのは、わたしの勘違いかな。

 背中を向けたエヴァが、校舎に入って行く。そのうしろ姿は、なんだかまるで。

「……魔女みたい」

 うっかり口にしてしまう。すると、

「それがまさしく、彼女の異名だ」

 ヘンリーが言う。

「宝石界の女王、エヴァ・グッテンバーグ。またの名を――棺の魔女」

 

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