32:思わぬ覚醒
真っ暗闇の中、すすり泣く声がする。いったい誰が泣いてるんだろ。
ぼんやりしながら頭を動かすと、後頭部に軽い鈍痛が走った。
「……うっ」
痛い……っていうか、わたしなにがどうしてこうなってるんだっけ?
うっすらとまぶたを開けても視界は闇で、目を開けているのか閉じているのかわからない。なんとかポケットをまさぐって携帯を出し、画面の明るさをライト代わりにした瞬間、
「わっ!」
横たわっている美女もといTDがいた。
「……くっそ、身体痛てえ……」
うめきながら目を覚ますと、わたしのうしろを見てぎょっとした。
「うおっ!」
なにごと? 振り返ったわたしも息をのみ、目を丸くする。なんと、その場に座り込み、怯えたように抱き合っている二人の女の子がいたのだ。
「うっそ」
二人ともブルネットのロングヘアで、雰囲気がどことなくパティに似ている。めちゃくちゃかわいくてきれいな女の子たちだ。
疲れきった表情で震えている彼女たちに、見覚えがあった。それもそのはず。失踪した女の子たちのニュースを、さんざん新聞やテレビで見ていたんだもの。
起き上がろうとして身体を動かすと、二人はビクリと肩を上下させて退いた。
「あっ……と、大丈夫。わたしたちは悪者じゃないよ」
「……わたし? あ、あなた、男の子じゃないの?」
一人に言われて、はっとする。そういえば絶賛男装中だったんだ。でも、この変装もすっかり意味がなくなってる。
「うん。こっちが男の子のTD。わたしたち、ちょっとわけありでこんな格好してるだけ。けど、よかった! みんながあなたたちのこと探してて、ここにいるってわかったらすぐに助けが来るよ!」
「って言いたいけど、携帯の電波死んだまんまだぜ」
そうだった。でも、TDのその言葉でなにもかも思い出した。
ブライアン・ライトの書斎のラグの下を見た直後、コルバスに見つかって吹き飛ばされて、意識を失ったんだった。
「それにしても、ここどこだろ」
「さあな。悪魔の手下野郎に吹き飛ばされてから、記憶がねーもんなあ」
「と、とにかく早くここから出ないと。まだ人質がリビングに閉じ込められてるもの!」
「だよな」
TDも携帯を出す。二人して明るい携帯をかかげ、あたりを見まわした。
洞窟に似た狭い穴で、出入り口らしきところがどこにもない。彼女たち以外は誰もいなくて、見張りみたいな人すらいない。
「ここ、どこかわかったりする?」
「わからないわ。わたし、チアの練習帰りに黒い車に押し込められて、いろいろ訊かれて……それで気づいたらここにいて、それからずっとここにいるの」
「マジかよ、最悪だな」
「あなたも?」
もう一人に訊ねると、いまにも泣きそうな顔でうなずいた。
どのくらいの時間が経っているのか、見当もつかないと言う。その間不思議なことに、お腹も空かず眠くもならず、トイレに行きたくなることもなかったらしい。
「それ、ほんと?」
「ほんとよ。なんだか夢の中をさまよってるみたいで、気味が悪くてたまらないの。……早くお家に帰りたい」
「わたしも、ママとパパに早く会いたい」
二人が泣きはじめてしまった。その気持ちは痛いほどわかる。いまここで一番元気なのはわたしたちだ。なんとしてでも出口を探して、彼女たちを助けなくちゃ!
「大丈夫、なんとかするよ!」
「ああ。なんとかなるかはわかんねーけど、なんとかしないとおれたちもここに閉じ込められたまんまになるからな」
「わたしたちがどこからここに入ってきたか、わからない?」
二人が顔を見合わせた。
「……一瞬、床がじわっと光って、怖くなって目をつぶってしまって。なにも起こらなかったから目を開けたら、横たわったあなたたちがそこにいたの」
わたしの立っている場所を指した。
「わたしもちゃんと見てないから、わからないわ」
携帯の明かりを向けてみたけれど、書斎の床にあった魔法陣みたいな傷は皆無だ。
「ちなみにだけど、わたしたちがここにあらわれたのって、どのくらい前?」
「……感覚が鈍ってるから断言できないけど、ちょっと前よ。ほんとに、数分前って気がするけど」
そんなに長い時間、気を失っていたわけじゃないらしい。
コンクリートのような壁を叩いても、頑丈な音しか返ってこない。耳をくっつけてみたものの、なんの物音もしなかった。
え、なにこれ。まさか、出入り口がない? そうだとしたら、ものすごく魔法っぽい……とまで考えて、息をのむ。
「もしかして、さっき〝助けて〟って叫んだりした?」
「……ええ。ここに閉じ込められてはじめて、壁の向こうから音がした気がして……」
「だから、叩いてみたり、叫んでみたりしたの」
書斎で耳にした音と声は、幻じゃなかったんだ。ということは、あの書斎とこの空間はあきらかにつながってる。
TDも同じことを考えたらしく、目があった。
「もしかすると、あの書斎の床とこの空間、例の傷みたいな魔法陣でつながってるのかもしれない」
「おれもそう思ったぜ。っつーことは、やっぱこの空間のどっかにも、ああいうのがあるんじゃねえのか?」
本気で急がなくちゃ、携帯のバッテリーがいまにもきれそう。目を皿みたいにして四方を探りまくるも、書斎とつながってる痕跡がなにひとつ見つからない。
「あの……あなたたち、なにを探してるの」
「ファンタジーすぎて信じられないかもだけど、魔法陣みたいな印。それが出入り口になってるんじゃないかなと思って」
視線を交わした彼女たちが、おそるおそる腰を上げた。
「い、いまならなんだって信じる。わたしたちも手伝うわ」
「魔法使いの映画なんかに出てくるマークみたいなのを、探せばいいのね?」
「うん、そうそう! ありがとう!」
携帯の明かりを頼りに、狭い空間の隅々まで探す。けれど、やっぱりそれらしきものがない――って。
「うああっ、わたしの携帯、バッテリーなくなっちゃった!」
明かりがTDの携帯だけになって、暗くなる。
「おれのもヤバそうだ。けど、ジーン、おれのつくったスタンガン持ってたろ?」
ポケットにある。大事な薬はどこかに落としちゃったけど。
「これがなに?」
TDも自分のスタンガンを手にし、いくつかあるスイッチを押して見せた。
「ここを押すと電圧がマックスになる」
たしかに、連続した電流が流れてライトのようになった。ただし、危険きわまりない。
「ち、近づかないで!」
女の子たちに告げながら、ふたたび空間を照らしたときだ。一瞬だけ天井がまたたいたように見えた。
「なんか、いま光った?」
うなずいたTDがもう一度照らそうとしたとき、低い天井にうっかりスタンガンが触れてしまった。直後、その電流が天井に伝わり、暗がりに魔法陣が浮かび上がった。
「――あっ!」
すぐに消えてしまったけれど、あの書斎とこの空間がどうやってつながっていたのか、その秘密が判明した。でも?
「うう……単純にあの書斎の床をひっぺがしたらここってわけじゃないよね? そういうつくりの建物じゃないはずだし」
「……ああ。たぶん、次元が違うんだろ。なんつーか、魔法がワームホールみたいになっててつながってるっつーかさ」
「ワームホール?」
TDの瞳が嬉々として光る。難解な説明がはじまりそうだ。
「大丈夫、なんでもない」
わかっているふりをしてみた。とにかく!
「電流に反応したよね?」
「だな」
TDと顔を見合わせる。魔法についてはド素人だけれど、反応を見せたことは片っ端から試すべきだ。
「ジーン、背伸びして腕伸ばしたら、スタンガンを天井にあてられるか?」
「大丈夫、できるよ!」
「よし。電圧をマックスにして、おれがこっちの天井にスタンガンをくっつけるから、ジーンはそっちの反対側を頼むぜ」
「わかった。けど、魔法とこのスタンガンにどんな関係があるんだろ」
「さあな。理屈は知らねーけど、魔法も科学も似たようなもんなんだろ?」
それは違うと思う。でも、TDにさらりと言われるとそんな気もしてくるから不思議だ。
「きっとこういうのって呪文みたいなものがいると思うけど、もしかするともしかするかもだしね」
「その〝もしか〟に賭けるのが発明家だかんな。よっしゃ、準備はいいか?」
「オーケー、いつでもどうぞ。あっ、あなたたちはまだ離れててね!」
うなずいた女の子たちに見守られながら、スタンガンのスイッチを入れる。しっかり握り、TDとタイミングをあわせながら三つ数える。
「スリー、ツー、ワン――」
――ゼロ!
ええい! 半ばやけくそで、電圧マックスのスタンガンを天井にあてた。そのとたん、びりびりとした刺激が手から腕、全身に伝わっていく。同時に、TD側とわたし側から魔法陣が発光しはじめ、あっという間に円を描き、視界が光でおおわれるほど強く輝く。
あまりの眩しさに目を細めた瞬間、ぐらぐらと揺れだした天井にヒビが入り、
「――うわっ!」
暴風とともにいっきに崩れた。その衝撃でわたしとTDは吹き飛ばされ、空間のすみに追いやられた。
ほこりに咳き込みながら起き上がりつつ、全員で天井を見上げる。
ぽっかりと空いた穴の先は、ブライアン・ライトの書斎に敷かれたラグの裏側だった。
上にはコルバスがいるかもしれない。息を殺して身構えてみたものの、気配を感じない。わたしとTDをここに押し込めて安心したのか、どこぞに消えたらしい。このすきに、この書斎から脱出しなくちゃ!
「い、急ごう!」
順番に背伸びをして、ラグを避けながら穴から這い出る。なんとかあがりきったものの、ここはまだ悪魔の巣窟。女の子たちにはどこかに隠れていてもらわなくちゃいけない。
「いったん図書室に行こう」
書斎のドアに向かおうとした矢先、あろうことかそのドアが、外側から吹き飛んだ。
「――きゃっ!」
「うわっ!」
暴風にあおられて、うしろに飛ばされる。なんとか倒れずに踏みとどまったものの、ドア口にコルバスが立っていた。
「ちょっと目を離したすきにこれか。まるで餌を求めるネズミじゃないか。もう少し静かに動きまわらないと、こんなふうに気づかれることになるぞ」
唇を弓なりにした瞬間、指先からタコの足みたいに動く赤い光を放ちだす。
「――逃げろ!」
TDがわたしを押しのけて前に出た。そのTDの身体に、コルバスの攻撃が巻き付いていく。
「TD!」
TDの足が、床からどんどん離れていく。怯えた女の子たちは、呆然とその場で固まっている。TDをなんとかしなくちゃ。女の子たちもどこかに隠さないと!
「(こ、こっちに!)」
パニクりながらも、彼女たちを連れてデスクの陰にしゃがむ。二人を押し込めたとき、TDの苦しげにうめく声が聞こえた。
空中で身悶えるTDの首に、生きた蔦みたいな赤い光が巻きついていく。それを目にした瞬間、全身に電流が走るような感覚がおそってきた。
髪の毛が逆立ち、視界に七色の光が満ちていく。床が震えて書棚が揺れ、デスクのグラスが砕け散る。
コルバスがわたしを振り返る。こちらにも光の鞭を向けてきたけれど、わたしの目には意識を失いかけているTDしか映らない。
――TDを離して!
そう願った直後、わたしの両手がまばゆく発光した。無心で突き出すと、コルバスが吹き飛び壁にあたった。自由になったTDは床に倒れ落ち、咳き込みながら起きあがる。
コルバスが応戦の態勢をとるすきに、TDと女の子たちと、いますぐこの書斎から出たほうがいい。そう頭ではわかっているのに、わたしのパワーはとどまらず、どんどん大きく膨れあがっていく。
うそ、どうしよう。すごくマズい、全然ダメ、とめられない!
両手から放たれる光が激しくなり、コルバスの攻撃も跳ね返すどころかのみこんでしまう。
「お、おい、ジーン……!?」
わたしに近づこうとしたTDに意識を向けたとたん、彼すらも吹き飛ばしてしまった。
「――TD!」
こんなはずじゃなかった。こんなにも制御できなくなるなんて、思ってもみなかった。ポケットに入れていた薬も落としてしまったから、もうどうにもできない。
喉がつまったみたいになって、息ができない。花火のように舞いあがるジェリービーンズの渦が、わたしを囲み包んでいく。つま先から頭のてっぺんまで、激しい電流が流れたかのようにビリビリし、そのパワーがいやおうなしに拡大していく。
書斎にあるものが、宙に浮かんでいく。窓が震え、ヒビが入る。女の子たちの叫び声が聞こえた。困惑したコルバスが言う。
「……おまえは、なんだ?」
TDがチェストの影に隠れたとき、窓ガラスが割れた。わたしの電流に触れたコルバスは、骸骨の姿に戻ると逃げるようにそこから飛び去った。
TDが顔を出す。
「ジ、ジーン……! どうしたんだよ、どうなってんだ?」
わからない。
「なあ、もういいぜ……?」
わかってる。でも、自分でもどうにもできない。弾けながら膨らんでいく風船の中にいて、怖すぎて声も出せない。
自分を過信しすぎた。どうしてこんなパワーが、役に立つなんて思ったんだろ。そう思わなければ、ちゃんと薬を飲んだのに。
わたし、人間じゃない。きっと、怪物なんだ――!
「――ジーン!」
窓から声がして、視線だけを向ける。コスチュームに身を包んだジェイが、焦ったように窓枠から入ってきた。
ジェイはわたしの名前を呼び、何度も「大丈夫」だと声をかけながら、バチバチと火花を散らす風船に右手を差し入れた。そのとたん、グローブに激しい電流があたる。
こんなはずじゃなかった。ただ、ほんのちょっと力になれたらいいなと思っただけだ。それなのに友達を吹き飛ばし、いまは好きな男の子に攻撃しようとしてる。
とめたいのにとまらない。むしろ、とめようと思えば思うほど、パワーが増してしまう。ああ、どうしよう。このままじゃ、ジェイを傷つけてしまう!
――ダメ、来ないで!
声にならないわたしの言葉が伝わるはずもなく、ジェイの全身が火花に包まれていく。それにもかまわず、ジェイはわたしに近づいてきた。
右手がのびてくる。そのグローブが熱を帯びていくのがわかる。涙と震えで嗚咽するわたしの背中に、ジェイの両腕がそっとまわされた。
そうして静かに、わたしを抱きしめてくれる。
「大丈夫だから、大きく息をして。ぼくと一緒に深呼吸しよう」
いつかのような優しい声に安堵した瞬間、いっきに肺に空気が入った。
「目を閉じて、大好きなものを思い出して」
涙に濡れたまぶたを閉じて、何度も呼吸をととのえながら、パパとママ、シャーベット柄のノート、真っ赤なコンバースを思い浮かべる。やがて、電流と火花が小さくなっていき、じょじょにわたしの両手から光りが消え去った。
喉に空気が通って、わたしは泣き崩れた。
「ご、ごめん……ごめんなさい……わたし……!」
嘆息したジェイは、わたしをぎゅっと抱きしめた。
「きみがしようとしたこと、なんとなく想像がつく。でも、これは無謀すぎかな」
「……もう二度としない」
やっとの思いで声にすると、マスクから見えるジェイの口もとがゆるんだ。
「なら、よかった」
怖かった。それと同時に、こんな怖さをパパも感じていたのかなって、なんとなく思った。
パパも自分のことを――怪物みたいだって、思ったことあるのかな。
「……わたし、怪物みたい」
うっかり口にしたわたしを、ジェイがのぞきこんだ。
「本当の怪物は、自分を〝怪物みたい〟だなんて言わないよ」
「……そうかな」
「そうだよ」
ジェイの腕の力がかすかに強まる。
「ぼくは本当の怪物を知ってる。だから、きみは違う。絶対に」
――えっ。
そう聞き返しそうになったとき、デスクの奥から女の子たちの声がした。
「……あ、あの。あなたたちってもしかして、スーパーヒーローかなにか?」
全部見られていたのだから、そう思われても無理もない。わたしとジェイが答えられずにいると、ぼろぼろのカツラとストッキング姿のTDが腰に手をあて、堂々と言い放った。
「いや、ちょっと違う。おれたちはこの街を悪魔なヴィランから守ってる、スーパー高校生だ」