終ノ章
把手共行
其ノ104
鳥に化けてこっちに飛んだと、リョーちゃんは言っていた。この林のどこかに、雨市がいるかもしれない。
『あんたはとにかく雨市を探しな』
竹蔵が言う。
「う、うん。わかった……けど、竹蔵は? 〝あいつらの正義を利用してやる〟って、どーすんの?」
『魔物を追っかけてるほどだ。アタシみたいなもんも見えるやつらなんだろ。なら、アタシが姿を見せりゃ、アタシを追っ払うつもりで囲もうとする。そうなりゃさっきの霊道を開いて、本当に追っ払うべき者どもに会わせてやんのさ。坊主どもは正義をまっとうできるし、行き場なくうろついてる霊どもは苦しみから開放される。一石二鳥とはこのことだ』
なるほど賢い!……けど?
「〝苦しみから開放される〟って、成仏的なこと?」
『それとは違う。この世に執着する恨みつらみも消える変わりに、てめえがどこの誰だったかも忘れて塵みたいに消えちまえるから』
「えっ。じ、じゃあ、極楽にも地獄にも行けないってこと?」
『そうだよ。言っただろ? 〝消えちまえる〟って』
そんな……?
「じゃあ、竹蔵があの坊さんたちに囲まれたら、竹蔵もヤバいってこと」
そうだよと言って、竹蔵はふっと不敵に笑う。
『けどさ、あんた、アタシがあいつらに囲まれるようなヘマをするとでも思ってんのかい?』
いや、言ってみただけでまったく思ってないです。
『アタシがあいつらを霊道に招待したら、あんたは雨市を探すんだ。あんたは全部を思い出したし、雨市は賭けに勝った。今夜あたりの賭けの期限がまだ切れてなけりゃ、雨市は必ずどこかにいるはずだよ』
――え。
うそ、え? ちょっと待って。
竹蔵がいま、さらっと衝撃的なことを言った気がする。今夜あたりの賭けの期限……? そろそろかなって思ってたけど、そんな、まさか。
「か、賭けの期限って、今夜……?」
軽いめまいを覚えながら、やっとの思いで訊ねる。竹蔵はかすかに眉を寄せた。
『きっちりいつが期限かってのは雨市しか知らないけどさ、期限が近づくほどたましいが地獄に引っ張られて体調がおかしくなる。前に見た雨市の様子じゃいよいよかなと思えたし、あれから逆算すりゃ予想がつくだろ』
竹蔵が息をつく。
『まあ、だいたい今夜あたりだろうさ』
たしかに雨市の様子からして、いつ期限が切れてもおかしくはなかった。
もしかして、雨市。今夜のお祭りを最後にするつもりだったのかな。だから、無理をしてもなんとか行くって言ってくれたのかな。
きっとそうだ。
雨市はわたしに、お別れを言うつもりでいたんだ。
「――今夜、だったんだ……」
愕然とする。
もしかすると、お祭りに向かうために袈裟を脱ごうとして、一人でいったんお寺に戻ったかもしれない。そのとき、待ち伏せしていたリョーちゃんたちに囲まれそうになって、とっさに鳥に化けて逃げたんだとしたら?
ああ、ヤバいマズいどうしよう。わたし、間に合った? それとも、鳥になったとたんに賭けの期限切れで消えたとか――?
『ちょいと! だからって、まだ諦めんじゃないよ、椿。とにかくいまは探すんだ。いいね?』
竹蔵に言われ、ぎゅっとこぶしを握る。そうだ、まだ諦めたくない!
「……うん、わかった!」
うなずいた直後、念仏が止まる。と、林にひとすじの光が射し込む。わたしと竹蔵はとっさに身を低くさせ、草むらに隠れた。すると、ものすごく聞き覚えのある声がこだました。
「――暗っ! つか、きめえ!」
……やっぱり、衣心だ!
「ここ嫌いなんだよな、俺」
衣心の声が大きくなる。だったら来るなと、いますぐ叫びたい!
「帰ってもいいと言ったのに、結局おまえも来たのか? おまえがうろついたところでなにができるわけでもないだろ」
冷静かつ的確なリョーちゃんの返答に、衣心は無言になった。でも、懐中電灯らしき光が動きまくっているので、帰っていないんだとわかる。
……いや、帰れ! おまえこそ、ここじゃないどっかの世界に帰れ!
うぐぐとしかめ面で力んだとき、
『椿』
竹蔵が耳元でささやいた。
『あんたと一緒に飛び出すよ。けど、あんたはアタシが見えないふりをしな。アタシはもともとこの場にいた霊のふりをして、あいつらに追いかけさせる。そうしたら霊道を開いて誘導するから、残ったあんたは雨市を探すんだ。段取り、いいかい?』
「わ、わかったよ。でも、竹蔵も消されないように気をつけてよ、マジでさ!」
竹蔵が微笑む。透けた手を伸ばし、わたしの頭をすっと撫でた。氷をかぶったみたいな感触に「ひゃっ」と肩を狭めると、竹蔵が苦笑いした――直後。
「もっと奥だ」
リョーちゃんの声が、さっきよりも間近になる。そのとき、
「よし、行くよ」
竹蔵が腰を上げた。わたしはもう一度「気をつけて」と念を押す。にやっとした竹蔵は、「囲まれるような間抜けじゃないよ」と答えるやいなや、草むらから華麗に飛び出した!
慌ててわたしも続く。そのとたん、懐中電灯の光が直撃した。
眩しくて浴衣の袖で顔を隠すも、衣心の驚きの叫び声がこだまする。
「うわああああ! で、ででで、出た――!!」
「――じゃないから! わたしだよ、山内椿だよ!」
袖をおろして顔を出した刹那、坊さんたちがどこからともなくわらわらと集まって来た。オッサンだらけかと思っていたのに、みんな若い。たぶん、リョーちゃんと同じくらいの年齢だろう。そんな坊さん集団の先頭に、リョーちゃんがいた。
「ツッキーじゃないか、こんなところでなにをしている……?」
一歩二歩とわたしに近づいたリョーちゃんは、眼鏡を押し上げてわたしの背後をにらんだ。もしかして、もう竹蔵に気づいた?
「……なんだ?……おいツッキー、なにを引き連れてる?」
気づいたらしい。っていうか、やっぱりリョーちゃん見えるんだ。
「は? なにが?」
竹蔵はうしろにいる。でも、約束どおり知らんふりを決め込んだ。
リョーちゃんはいぶかしげに片目を細め、けげんな顔つきをする。そんなリョーちゃんの真似をするかのように、衣心も声にした。
「マジでなんかいる」
ああ、いるさ。地獄から来た友達がね! でも、おまえはいいから黙ってろ!
「なに言ってんの? てか、そっちこそこんなとこでなにやってんの? わたしは見てのとおりお祭りの帰りで、なんとなく道草したくなって歩いてただけだよ」
すごい。われながらありえない大嘘をついてしまった。どこの世界にお祭りの帰りに、真っ暗闇の林を散歩する物好きな女子がいる? 断言できる、絶対いない。
突っ込まれて詰められたら終わる。鼻息を荒くさせたわたしは、文句があるかと言わんばかりにふんぞり返り、勢いよく一歩前に出てやった。そんなわたしをリョーちゃんは無視し、衣心に言う。
「衣心、一瞬そいつを消せ。よく見えない」
衣心が懐中電灯のスイッチを切ると、瞬時に視界が暗転する――瞬間。
「……やっぱりだ、いるじゃないか。なんだおまえは……魔物の仲間か!?」
リョーちゃんの怒声が林を包む。
『――だったらどうした? ほうら、こっちだ!』
そう叫んだ竹蔵の気配が、背後から遠くなっていく。
「逃げたぞ、こっちだ!」
リョーちゃんの声とともに、地面を駆ける無数の草履の音も遠ざかる。それとともに念仏が聞こえ、あっという間に全員がその場から消え去った。
生い茂る樹木が、月明りを遮っている。残されたわたしは暗がりの中、ぎゅっとこぶしを握った。せっかく竹蔵がつくってくれたチャンスだ、無駄にできない。
――よし、わたしは雨市を探そう!
息を吸い込こんだとたん、いきなりパッと光が灯った。
懐中電灯を持った衣心だけが、目の前に立っていた。