終ノ章
把手共行
其ノ99
学校からの帰り道、バスに乗っている間も鷹水さんのことが頭から離れない……っていうか、起きている間はずっと鷹水さんのことばかり考えてる。いまさらだけれど、どうやらわたしは鷹水さんのことがものすごく好きらしい。それにしても。
「……なんでこんなに好きなんだろ」
一番身近にいる男子だから? いや、なんか違う気がする。
もしも鷹水さんに地獄でも会っていたとして、そこでもわたしは鷹水さんのことが好きだったんだろうか。必死に考えてみたところで、思い出せるわけもない。
バス停で降りてから、無駄だと知りつつまたもや林に入ってみる。うっそうと繁った獣道を歩いてみたけれど、ヒントになりそうなものなんてなにも落ちていないし、やっぱりなんにも思い出せない。そんな自分にイライラしながらも、あきらめて坂道に戻った。
夢で見た美女系男子も紳士風な人も、あれ以来一度もあらわれない。きっとわたしはもう本当に、地獄についてなにひとつ思い出せないのかもしれない。
冷静になってみれば、魔物が普通の人間になるってすごいことだし、そもそも絶対にありえないことだ。でも、そのありえない現象を鷹水さんは起こしてる。だから、鷹水さんのしている賭けは、もともと勝ち目のないものだったのかもしれない……。
「……だからって、もうわたしにはなんもできないし」
本山で修行をする日を待たず、鷹水さんはこの世界から消えてしまうんだ。
人生は、どうしようもないことだらけだ。母さんを亡くしたとき、それを知った。だから、どんなに理不尽でかなしいことがあったとしても、現実はあるがままに受け入れるしかない。そうして、乗り越えていくしかない。
「……でも、せめてお別れは言いたいよ」
どのみち二度と会えない運命なら、笑顔で見送りたい。泣きそうになって顔を上げると、太陽はまだ高い位置にある。真っ青な夏空にひとすじ、飛行機雲が伸びていた。
♨ ♨ ♨
その日の深夜も鷹水さんを見張るため、今度は布団を廊下に敷いた。
昨日もこうするべきだったのに、どうしてこのアイデアが浮かばなかったんだろ。思い出すだけで顔が赤くなってきた。
「お、終わったことだから忘れよう……」
本堂のある方向に枕を向け、廊下に敷いた布団に入ろうとしたときだった。障子が開き、正座した鷹水さんが姿を見せる。
「ブツブツ聞こえてると思ったら……またか?」
軽くにらまれてしまった。
「いや! 今日は大丈夫す。こっから」
障子の桟(さん)を手でなぞる。
「そっちには入らないので!」
だけど見張りたいんです、すんません! 鷹水さんは呆れたように息をつき、うなだれた。
「今夜もいるし明日の祭りも一緒に行ける。心配すんな」
そう言われたとたん、無性に突っ込みたくなった。じゃあ、その次の日は? さらに来週は? だけど、怖くて訊けない。
「ちゃんと自分の部屋で寝ろ。さすがに夜はまだ冷えるし廊下じゃ寒いだろ。それにあんた、この前風邪気味だったじゃねえか」
「そうだけど……でもさ、ちょっとでもそばにいたいっていうか……」
布団の上に正座したまま、しょんぼりとうつむく。
「……アホな娘だ」
とっさに上目遣いで見ると、鷹水さんはまるで仏像みたいな穏やかな笑みを浮かべていた。その顔を見た瞬間、胸がきゅうと苦しくなる。と、鷹水さんは息をつき、おもむろに足を崩す。体育座りになると、組んだ両腕を膝にのせた。そうして、腕の中に少しだけ顔をうずめ、わたしを見つめてくる。
「風邪、ひくなよ」
眼差しがすごくきれいで、見とれてしまう。
「う、うん。」
なんとか返事をして布団に入ろうとしても、鷹水さんは同じ体勢のまま微動だにしない。
「……な、なんすか?」
「……あんたに伝える言葉を考えてる」
「え」
鷹水さんの視線が、遠くなった。
「……人の縁てな、妙なもんだ。なんの因果でこうなっちまったんだろうなあ」
なにを言おうとしているのかわからない。わたしは戸惑い、鷹水さんを見返した。
「あんたはもう、自分の身に起きた奇妙な出来事を思い出さなくてもいい。たとえ俺が消えたとしても、あんたはここにいた俺の姿を覚えていてくれる。そうだろ?」
「……うん。覚えてるよ」
「あんたがもっと大人になって、ちゃんとした誰かに嫁いだとしても、ときどきは俺を思い出してくれ。昔、自分の家におかしな坊主がいたってな。俺はもう、それだけでじゅうぶんだ」
――え、なにそれ。まるで、別れの言葉みたい。
「な、なんでいま……」
そんなことを言うの。
「あ、明日も消えないんだよね? 明日もここにいるんでしょ? ってか、賭けの期限って――」
――いつ?
鷹水さんは答えなかった。ただ眩しそうな眼差しで、わたしを見つめているだけだ。そうしてやがて、ゆっくりを腰を上げた。
「じゃあな、小娘。暖かくして、黙って寝ろ」
そう言ってにやりと笑うと、鷹水さんは静かに障子を閉めたのだった。