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拾ノ章
百聞は一見にしかず
其ノ93

 さんざん乗り気っぽかったくせに断った父さんが、深々と頭を下げた。こちらを振り返っている鷹水さんは、あ然とした顔で固まっていた。
「なんですと?」
 大福の声が裏返る。背筋を伸ばした父さんは、にっこりと笑った。
「いやあ、さすがですなあ、村井さん。そのようなアイデア、私にはまったく思いつきもしませんでした。なかなかに面白そうなアイデアで興味深く拝聴しておりましたが、私にはなにひとつ得られるものがありませんので、お断りします」
「は?」
 今度は大福が首を傾げる。父さんは言葉を続けた。
「あなたがたの言い分はよくわかっております。しかし、私もいちおうは寺の住職。いいですかな? 耳をかっぽじってよーくお聞きください」
 二人をしっかりと、父さんは見すえた。
「彼は人ではないとあなたがたは言う。それはそうなのでしょうな。しかしそれが、善きものであるのか悪しきものであるのかくらいは私にもわかる。この世に存在せねばならぬほどの、なにか理由があるのでしょう。その理由を私は見極めたいと思っております」
 そう言った父さんは、大福の間近に立ちはだかる。
「私にとっての得とは日々健康でつつがなく、平和に暮らせることです。私はあなたがたのような立派な人間ではありません。ささやかに生きているだけのとるにたらない人間です。そのような人間には、日々与えられたものに感謝して生きることが、唯一の許された欲でしょう」
 ぽかんとしている大福とリョーちゃんに向かって、父さんは続ける。
「あなたがたは、私にはない財も才能もお持ちです。嘘ではなく、本当に尊敬しておりますよ。見てのとおり、家の本堂は傾いている。あれが私の才能の証。このような貧しい寺をわざわざ選んで姿をあらわし、僧になりたいとけなげに動きまわる青年を見せものにしたあげく、どうして追い出せますか」
 大福が困惑した。
「し、しかし山内さん。アレは青年でもなく人でもない……のですぞ?」
「そうですな。そうなのでしょう。しかし、私には生きている青年にしか見えない。そうであれば、それでいいのではありませんかね。もちろん、娘も私もよろしくないものに取り憑かれているわけではありませんよ。そのくらいの判断は、私にだってつきますのでね。そういうわけで、ご足労感謝いたします」
 父さんが境内の外をしめした。
「お帰りください」
 きっぱりと言った。
 どうしよう、いますごい感動してる。父さん悪かった。さっきまで誤解してた!
「……さようですか。警告はしましたぞ」
 父さんは無言だ。のろのろと背中を向けた大福は、フリーズしているリョーちゃんの肩を叩き、車に向かって歩き出す。と、父さんが口を開いた。
「この寺のことに首を突っ込まないのであれば、いつでもお好きなときに、お茶でも飲みにいらしてください。スーパーの煎餅くらいは出せますのでね」
 肩越しに振り返った大福は、やれやれとでも言たげに顔をしかめて助手席に乗り込んだ。でも、リョーちゃんは小さく笑い、運転席のドアに手をかけながら頭を下げた。
「朝からお騒がせしました。おっしゃるとおり、立ち寄らせていただきます。あと、このことは寺の評判にも関わりますから、お互いに内密ということで。もちろん、こちらも口をつぐんでおきます。それから、ツッキーちょっと」
 わたしを見て手招きする。
「……なんすか」
 いやいやながら近寄ると、耳打ちしてきた。
「衣心がどうしても、おまえを嫁にしたいそうだ。衣心が嫌なら俺でもいいんだが」
 どっちもお断りだ!
「それにはあいつが邪魔だと言ってきかない。個人的にだが、俺もちょっと試してみたいことがある。今日の提案はなかったことにするけど、あきらめたわけじゃないぞ。祭りの夜を楽しみにしておけ」
 はあ? 祭りの夜がどーした!?
「な、なに言ってんのさ」
 リョーちゃんはにやっとしただけでなにも言わず、運転席に腰をすえた。やがて、自意識過剰気味なエンジン音とともに去っていった。ってか、あそこからここまでなら歩いて来いよ! 
「っつか、二度と来なくていい!」
 わたしが叫んだのと同時に、父さんは思いきりうなだれた。
「……ああ、やれやれ。あまりにアホらしくて笑いそうになったわ。ハッタリをかましたものの、久しぶりに怒鳴って朝から疲れた。まったくもってくだらないくだらない」
 ……え? アホらしくてくだらないって、もしかして、まさか?
「と、父さん……?」
「おまえもおかしなことを信じて、鷹水さんに失礼なことをしたらダメだぞ?」
 え、うっそ。父さんってば「そうなんでしょうな」とか言っておきながら、リョーちゃんの言ったこと、実は全無視で信じてない……っぽい!?
「頭のいい人たちとしゃべるのは疲れる疲れる」
 あくび交じりに伸びをした父さんは、ぐるぐると肩と首をまわしながら玄関に向かう。そうして、立ち尽くしている鷹水さんに言った。
「お騒がせしましたなあ。しかし光竜寺の住職さんは、ああ見えて立派な方なんですよ。よく勉強なさっていますし、説教もうまい。文章なども皆さんに好評です。ただ少々、ときどき金銭にまつわる才能と想像力があふれすぎてしまうようでねえ」
 がっくりと肩を落とす。
「……あの才能の半分でも私にあればいいんですがねえ。まあ、ともかく」
 鷹水さんの肩を軽く叩いて、玄関に入った。
「あなたはあなたの思うとおりにしなさい。私はあなたを気に入ってるんですからね。これもご縁。なにも心配しなくてよろし。さて、すっかり邪魔をされてしまった。おつとめの続きをやりましょう」
 ぺたぺたと本堂まで裸足で歩いて行く。鷹水さんは帚を手にしたまま、その背中を見つめていた。と、父さんが振り向く。
「ほれ、椿。おまえはご飯を食べてさっさと学校だぞ」
 そうだった。慌ててスニーカーを脱ぐと、鷹水さんが言う。
「……立派なのは、あんたの父さんだ」
「あー……いや、父さんはなんにも信じてないよ。さっきのもハッタリだって自分で言ったし」
「そうじゃねえよ。あんたの父さんはたぶん、わかってる」
「え」
 鷹水さんは、本堂に去って行く父さんの背中から、目をそらさない。
「わかってて、俺をかばってくれたんだ。信じてねえってのは、あんたを心配させないためだ」
 言葉をきって、にやりとした。
「本当は、すげえ坊さんなんじゃねえのか?」
 それはない、娘として断言する!
 でも、さっきの父さんはちょっとかっこよかった。それは認めるしかない。
 それよりも、そんなことよりも。
「……あのさ」
「なんだ?」
「わたしさ、絶対に思い出すからね。だから、いきなりいなくなったりとかは、なしだかんね」
 息をついた鷹水さんは、帚を持ったまま下駄箱を背にしてしゃがんだ。
「……なんだかんだ、騒がせちまってるなあ」
 開け放たれた戸へ顔を向けて、外を眺める。その目はどこか遠くを見ているかのようだ。
「正体もバレた。しかもここは寺だ。笑い話にもならねえな」
 かすかに口角を上げ、さみしげな笑みを浮かべる。そんな鷹水さんが、いますぐどこかに消えてしまいそうに思えた。魔物なのだからそれでいいはずなのに、鷹水さんがいなくなったら、わたしは一生後悔する。
 なぜだか、そう思ってしまった。
「……もしも。もしもわたしが思い出せて賭けに勝ったら、鷹水さんはどうなんの?」
「……嘘も騙しもきかねえし、俺はいっさい教えてやれねえ。難しい賭けだってわかってる。だから、あんたにも無理はさせたくねえんだ。無理させたって、思い出せるようなことじゃねえしな」
 鷹水さんは、しゃがんだ格好で外を眺めたまま、
「ただ、勝ったらどうなるかは、言える」
「ど、どうなるの」
「――ただの、人になる」
 玄関に、朝日が射し込んだ。
「え」
 鷹水さんは聞き取れないほどの声で「ほかにもある」つぶやく。
「え? ほかにも?」
「いや、なんでもねえよ」
 眩しそうに目を細めた鷹水さんの横顔は、いまだってただの人に見えていた。でも、まだ違う。
「じ、じゃあ約束! なおさら約束!」
 小指を立てて、鷹水さんの目の前に伸ばしてやった。
「いきなりいなくならないって、約束! げんまん的な!」
 顔を向けた鷹水さんは、びっくりしたのと同時に、くしゃりと笑った。
「……指切りか」
「約束やぶったら、マジで針飲んでもらう!」
 呆れたようにはははと笑って、でも鷹水さんは、わたしの小指に自分の小指をからませてくれた。
 その朝、わたしは魔物と約束した。その魔物は、人になるために賭けをした、親切で優しい魔物だ。
 だからこそ、わたしは強く強く誓った。
 
 ――地獄での日々を、思い出してやる。

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