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終ノ章
把手共行
其ノ94

 その日。

 学校から帰ってから、公募雑誌にチェックされてあった『株式会社水嶋商店』に、さっそく電話で突撃した。
 事務員らしき大人女子に名前を告げて筆について訊ねると、三分ほど待たされたあとでしわがれ声のおじさんに代わった。
『ああ、はいはい! 山内さんですな! 山内さんの書は評判よかったんですよ。でももっとこう、野性味のある感じと言いますかね、そんなような書を求めておったもので、上品すぎるねということになりまして。結局、落選させるのももったいなかったもので、佳作にさせていただいた次第です。いやあ、すみませんでしたなあ』
「は、はあ……?」
 いかんせん記憶がないので、そうだったのかと思うしかない。
「そ、それでなんですけど、佳作の景品について聞きたいんですけども……?」
 それについても覚えがないので、首をかしげつつ訊ねてみた。
『おお、あの筆ですな! 送らせていただいた筆は昔から家にあった骨董品でしてね。そもそもその筆のおかげで、新しいお酒のアイデアが生まれたものですから、これはぜひ記念にと思いまして!』
「……はあ」
『実は同じ筆が二本ありまして、一本を山内さんに送らせていただきました。筆軸はそのままに、あらたに羊の毛で職人にリメイクしてもらったんですよ。どうですかな? 新品同様だったと思いますよ! でもそのすぐあとで、残りの一本がどこぞに消えてしまいまして、いまだに見つかっておらんのですわ。珍しい筆軸とはいえ、盗まれるほど高価なものとも思えませんし、私がうっかりどこかに仕舞い忘れたんでしょうな、がははは!』
 ……豪快だ。
 社長! と電話越しに声が聞こえたとたん、はいはいと豪快なおじさんが返事をする。どうやらずっとしゃべっていたおじさんは、事務の人とかじゃなく社長さんだったらしい。
 とにかく、筆が存在していたことはわかった。お礼をのべて通話を終えようとした間際、社長さんが言った。
『おっと、そうそう。なにか不思議なことは起こってないですかな?』
「……はい?」
『実はその筆にはおかしな逸話がありましてな。もう他界した私の母が、一度だけ使ったことがありまして。それでなにやら、筆から桜が出たと言って腰を抜かして、ギックリ腰になって寝込んだことがあったんですわ。私が小学生のときですんで、ずいぶん昔のことですがね。夢でも見たかと父に叱られて、母はしょんぼりしておりましたよ。それ以来、筆は屋根裏部屋に放置されておったんですが、母が使ったのが山内さんに送ったものなのか、どこぞへ消えたもう一本なのかとふと思いましてね。まあ、アホらしい話ですわ。私もいまのいままで忘れておりましたしね、こんなこと。がははは!』
 ではお元気でと、社長は通話をきった。
 わたしは首を傾げる。筆から桜……?
「……って、なにそれ?」

 

♨ ♨ ♨

 

 筆についてはわかっただけで思い出せるわけもなく、日々はさくさく過ぎていった。
 それでもあきらめるつもりはないので、朝と夕方はジョギングがてら林へ立ち寄り、必死になって記憶をたどった。
 ちなみに、大福もリョーちゃんも父さんに追い払われてから、一度も家にはあらわれていない。逆にウザいのが、学校で会う衣心だ。教室内ではなるべく避けて、放課後も逃げるように校舎をあとにするというスタイルをずっとつらぬいている。
 だけど、金曜日。そのスタイルをつらぬけなくなってしまった。
 理由は親友のラブ。いよいよカガミちゃんが岩佐くんに告るという一大イベントを控えていたので、その一部始終を影ながら見守るべく、放課後も校舎に残ることにしたからだ。
 来週から期末テストのために全部活動がお休み中で、ほとんどの生徒がさっさと帰って行く。そんな中での放課後。教室に残っていたとき、帰り際の衣心とうっかり目があってしまった。ずっと避けられている恨みからか、意味深な眼差しでわたしを睨みつつ教室から去った。
 やっとわたしとカガミちゃんだけになり、二組の岩佐くんを出待ちすることにして廊下に出た。するとタイミングよく、岩佐くんが一人で出てきた。
「つ、椿。どうしよう。めっちゃ緊張してきた! てか、やっぱ今日告るのってビミョーかな。期末テスト終わってからのほうがいい?」
「テスト終わったらすぐお祭りだよ、カガミちゃん。その間に誰かが誘うかもしんないし、とりあえず告るのはあとってことにしといて、誘うだけ誘ってみるのがいいよ!」
「そうだよね。断られてテストの点数全滅になるかもしんないけど、元ヤンの坊さんに彼女いたっていうあんたよりかはマシだしね」
 ああ……とわたしは肩を落とした。元ヤンではなくて魔物なんだけど、それはさすがにありえなさすぎて言えない。
「まあ……そうっすね」
 岩佐くんが廊下を曲がり、姿を消した。
「よし、わかった。まず誘ってみる、お祭りに!」
 ええいとカガミちゃんが駆け出した。
「え、ちょっ! 待って待って!」
 わたしも慌てて追跡する。と、玄関の自動販売機を越えようとした矢先、いきなり横から腕を引っ張られた。
「うおっ!」
 自販機の影に隠れていたのは、帰ったはずの衣心だった。
「は!? 帰ったじゃん!」
 わたしの腕から手を離した衣心は、
「帰ってねーよ。先輩とちょい軽いミーティングしてただけ。香我美とコソコソしてるから、残ってるんじゃないかと思って待ち伏せてたら大当たり」
 邪魔すぎる。カガミちゃんの勇姿を、どうしても目に焼き付けなければいけないのに!
「あっそ。じゃ!」
 衣心の横を通り過ぎようとしたとき、制服のジャケットを引っ張られてのけぞる。同時に、衣心の両腕がお腹のあたりに伸びて、背後から抱えられるというおそろしい体勢になってしまった。肘でどつくも、みぞおちに衣心のこぶしが押し付けられて力が入らない。
「うおおお……っ! なにこれ、なにこの体勢!」
「おまえ、ずっと俺のこと無視してんだろ。めっちゃ頭にきてんだからな」
 知るか!
「い、痛い、痛い。みぞおち痛い、吐きそうだからストップ!」
 おええええとげっそりした顔で振り向くと、やっと解放された。そのすきに逃げようと思ったものの、ずっと逃げてばかりもいられないことに気づいてしまう。
 いい加減、はっきりきっぱり強く言ってやる(すでに口酸っぱく繰り返してるけど)!
「あのさ、なんか忘れてるみたいだけど、あんたはとってもモテてる……っぽいじゃん?」
 なにを言い出すかといわんばかりに、衣心はしかめ面をした。
「あ?」
「世の中にはかわいらしい女子がいっぱいいるってことだよ、もっと広い視野を持て! 自分で言うのもなんだけど、わたしなんかガサツじゃん? でもほら、この前早退しちゃった瀬尾さんとかさ、お菓子作ったりしててかわいいし、ほかにもあんたのこと好きだっていう不思議な女子がいっぱいいるんだから、そういう女子とキャッキャすればいいってことだよ。オーケイ?」
 なにがオーケイだよと苦笑した衣心は、わたしの額を指で弾く。
「痛っ」
「アホくさ。んなこととっくに知ってるって。でも、俺はおまえ以外ないから」
「は?」
 あんぐりと口を開けてしまった。衣心はわたしに顔を近づけて念を押す。
「俺はガサツな美人しか興味ねーの。てか、なんだよ、それ。くっそムカツク。てっきりおまえも俺のこと好きなんだと思ってたのに、この仕打ちはなんなんだ?」
 え、なぜ? どの時点でなぜにそう思った?
「なにをどうしたら、そういう勘違いが生まれんの?」
 むすっと口をとがらせた衣心は、いまいましそうにわたしを見すえた。
 それにしても、ガチでそっくり。誰にそっくりなのかはわからないけど、とにかく瓜二つ……と思ってから、はっとする。
 もしかして、雨市なる名前の謎な人物に――似てるのかも!?
「なんだよ、じろじろ見て」
「いや、なんでもない」
 目をそらしながら考える。
 マジでそうかも。地獄に行く道すがら、たぶんわたしは衣心にそっくりの「雨市」とかいう人に会ってるんだ!
 なんだろ。いまならなにかを思い出せそうな気がする。こうしてはいられない。一刻も早く林に突撃しないと!
「わたしはあんたの嫁になんかならないし、リョーちゃんの嫁にもならないからね!」
 カバンを持って背を向ける。すると、衣心が言った。
「そんで、あの魔物坊主の嫁にでもなんのか? 言っとくけど――」
 わたしの背後に立った衣心は、ぬっと肩越しに顔を出し、耳打ちしてきた。
「――あいつ、あんま長くないかもってリョーちゃん言ってたぞ」 
 ……はい?

 

♨ ♨ ♨

 

 カガミちゃんは岩佐くんと、うまくいったらしい。
 家に戻ってから電話すると、カガミちゃんが興奮気味に教えてくれた。
 カガミちゃんのいきおいに圧倒された岩佐くんは、そのままの流れでカガミちゃんの告白を了承するにいたり、めでたく付き合うことになったのだそうだ。
 素晴らしい……。勢い、マジ大事!
 それで舞い上がったカガミちゃんは、わたしの不在もすっかり忘れ、さっそく岩佐くんと一緒に帰ってしまったと謝る。いや、むしろその場面を見逃して個人的にはめちゃくちゃ後悔におそわれています。
 それもこれも、全部衣心のせいだ!
『椿もさ、一緒にお祭り行こう! なんなら村井でも誘っ――』
「それはない、強く否定させていただく。お祭りにはたぶん行くと思うけど、一人でテキトーに楽しむから気にしないで。でも、浴衣の着付けはしてあげるよ! とにかくさ、おめでとう!」
『ありがとうー! 岩佐くん、好きな人とかいないって言ってて、顔真っ赤にしててめっちゃ尊かった〜!』
 それから約二十分、のろけられて通話を終えた。
「よきかな、よきかな!」
 うきうきで平成時代の固定電話の受話器を置く。
 それはそれとして、おいておいて。
 帰りの道すがら林に入ったものの、やっぱりなにも思い出せなかった。それに加えて気になるのは、衣心の言葉だ。
 長くないって、どういう意味なんだろ。
 そのことについて訊く前に、衣心は意味深な笑みで教室を出て行ってしまったので、謎は勝手に深まるばかりだった。
 もやもやと心にひっかかって仕方がないけれど、わざわざ電話もしたくない。
 ああ、めっちゃ気になる。気になって仕方ない!
 夕食のあと、鷹水さんはずっと部屋にこもったままだ。
 わたしが早く思い出さないと、鷹水さんは消えてしまう。その期限はいつなんだろう。
 賭けの期限は、いったいいつまで!?
「んがーっ!」
 部屋で勉強をしていたものの、落ち着かない。落ち着くためには、写経が一番だ。
 教科書とノートをすみに寄せて、半紙を広げて墨を用意する。筆に墨をつけてから、背筋を伸ばして思いたった。

 ――雨市

 ていねいに心を込めて、書いてみた。それを、壁に貼る。こうしておけばいつでも目に入るし、なにかを思い出すかもしれないからだ。腰に手をあててまじまじと見入っていると、どうにも衣心そっくりな誰かの名前ではないような気がしてきた。
 たぶん、もっと好ましい感じ。すごく、好きな感じがする……つっても、だからいったいどこの誰なんだよ!
「おい」
 突然、障子越しに声がした。声の主は鷹水さんだ。
「……風呂いいぞ。先に入れ」
 なぜだかその声が、いつもよりも低くしゃがれているように聞こえた。どことなく苦しそうで、心配になって障子を開ける。廊下に立っていた鷹水さんの顔が、透けるほど白く見えた。
「お、鷹水さん。もしかして具合悪い……的な
?」
 かすかに肩で息をしながら、鷹水さんはうつむき加減でわたしを見、にやっとした。
「悪りい……的な感じだな」
 右腕に左手を添え、背を丸めながら荒く息をする。熱かととっさに額に手をあてたけれど、やっぱりひどく冷たい。びっくりして思わず引っ込めると、鷹水さんが言った。
「病気じゃねえよ、俺の寿命のせいだ」
「え」
「アホな賭けをしなけりゃ、永遠に生きられた。けど、全部俺が自分で選んだ道だ。それに、あんたは一生懸命思い出そうとしてくれてる。だから、頼むから自分を責めるようなことだけはすんじゃねえぞ」
 衣心の言葉の意味が、つながってしまった。
「……はい」
 鷹水さんはいつか消える。長くないって、そういう意味だったんだ。
 でも、わたしが思い出せたら逆転できる。なのに思い出せない。なにひとつ思い出せないのだ。
「……ぜ、絶対に思い出すから」
 それしか言えないわたしの頬に、鷹水さんの手が触れる。やっぱりものすごく冷たくて、胸がじりじりと痛んだ。と、鷹水さんが目を見開く。わたしの背後にそそがれた視線は、壁に貼られた一点に集中していた。
「あー……、あれはそのう。ああしておけば、なにか思い出すかなあって」
 わたしの頬から手を離した鷹水さんの顔に、ほんの一瞬、柔らかい笑みが広がる。それはすぐ、皮肉っぽさにかき消されてしまい、ふっと息をもらしながら鷹水さんはつぶやいた。
「……達筆だな」
「へへ、ちょっと自慢なのだ。でも、あれが誰の名前なのか、わかんないんだ。鷹水さんに訊きたいけど、言っちゃいけないなら教えてもらえないもんね」
 鷹水さんはなにも言わず、障子に手をかける。そうして閉めながら、だけど静かな声で教えてくれた。
「……たぶんそいつは、あんたの持ってる物のどれかを、大事にしてたと思うぜ」

 鷹水さんはそうだけ告げ、自室に戻った。わたしはしばし考える。

 雨につながる物といえば――傘しかない。

 

♨ ♨ ♨

 

 お風呂に入ってから布団を敷き、ポーチを開けて中身を並べる。傘の形のネクタイピンをつまみ、じっくりと観察してみた。ネクタイピンってことは、スーツを着てる人の持ち物ってことだ。ってことは、雨市とかいう人は、たぶんスーツを着てたんだ。
「……え? 地獄でスーツ?」
 やっぱりわからない。早くしないと、鷹水さんの具合はもっと悪くなってしまいそうだし、さらにこの世から消えてしまう。洗ったばかりの髪を、手でごちゃまぜにまぜながら、布団の上でもだえまくった。
 あああ、くそう、くっそう! わたしの脳みそがバカすぎる!!
「思い出せ、思い出すのだ山内椿!」
 念仏みたいに唱えながら、布団に潜る。そうして何度も寝返りを繰り返しているうちに、やっぱり眠りの世界に招かれていった。

 でも、その夜。
 わたしは生まれてはじめて、夢と現実の境がおぼろげな夢を見てしまった。

 深夜、わたしはなぜか鷹水さんの部屋の前に立っていた。
 うっすらとうめくような声が聞こえ、障子を開ける。闇に慣れた視界をたどると、鷹水さんは布団の上で四つん這いになり、ぜいぜいと身体全部で息をしていた。声をかけようと口を開きかけた直前、世にもおそろしいものを目にしてしまった。
 鷹水さんの部屋の文机には、小さな卓上の鏡がある。そこからぬうっと透けた腕が飛び出して、さらにそこから窮屈そうに、ぐいぐいと頭があらわれたのだ。
 うおっ!?
 驚きのあまり、わたしは廊下で腰を抜かした。そんなわたしを尻目に、あれよという間にその鏡から、着物姿の輪郭が浮き上がっていく。耳の下で切りそろえられた髪に横顔が隠れていて、よく見えない。すっかり透けている人物は、のっそりと畳に足をつけて鷹水さんを見下ろすと、あきらかにきちんとした声を発した。

 ──なんだい、もうすっかり末期じゃないか、アホだねえ。

「……うるせえなあ。なにしに来たんだ、盆には早えぞ」
 息を荒げつつ、鷹水さんが答えた。
 着物の人物はしゃがんで、さも楽しげな声音で続ける。

 ──地獄の湯にも飽きたから、暇つぶしにハシさんと極卒どもの宿に忍び込んでたんだよ。そうしたらびっくりだ。こっちの世界に来られる鏡を見つけちまった。姿を思い描くだけで、そいつにもっとも近い鏡とつながるんだとさ。

「んなことして、見つかったらどうすんだ?」
 鷹水さんが訊ねる。

 ──見つかるわけないさ。アタシとハシさんをなめんじゃないよ。

 へ、と鷹水さんは苦笑した。それにしてもと、着物の人物は首を突き出す。


 ───いやあ、あんたが坊主とは! 頭まで丸めっちまって、笑えるねえ。あんなに身なりを気にしてたあんたが坊主! ああ、面白い、面白い!

「……うるっせえなあ。さっさと戻りやがれ、ウザってえ」

 ──もうすぐ賭けに負けて亡者になるあんたの最後の姿を、眺めに来てやったんだよ、ありがたく思いな。

 透けた着物の人物が、腰を上げる。まだ苦しそうに呼吸をしている鷹水さんを見下ろしてから、ふいにこちらを向いた。
 目が合った。怖すぎて言葉が出ないのに、見覚えのある顔をはっきりと目にし、思わず言ってしまった。
「あっ! ゆ、ゆゆ、夢で見たことある美人……!」
 っていうか、まさしくこれも夢なのだけれども。
 美人男子が間近に来て、目の前にしゃがんだ。涼しげな目をきゅっと細めるとにやりと笑い、透けた指をおもむろに伸ばしてくる。
 そうして、つんとわたしのあごに添えた(もちろん、その感触はない)。

 ──あらら。こりゃダメだ、すっかり忘れちまってるよ。アタシの髪はどうしたんだよ、椿。

 そこで、わたしは完全に気を失った。

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