拾ノ章
百聞は一見にしかず
其ノ85
……じゃ、ねえか?
丁寧な口調でしゃべっていたはずが、いきなりのやんちゃ系? それともわたしの空耳か? いや、聞こえた。はっきり聞こえた!
「もしかして、二重人格……?」
授業中、教科書を見ているふりをして頭を抱え続けた。
あれから結局、衣心と坂をくだってバスに乗るはめになってしまった。なんとか遅刻をせずにすんだものの、衣心の「あいつは誰なんだ」攻撃のしつこさに辟易し、バスをおりてから全力疾走でいったん逃げきった。クラスが同じなので無駄なんだけれども。
衣心のウザさは相変わらずなので無視するとして、鷹水さんのあのささやき声が気になってしかたがない。このポイントは、なにがなんでもスルーしてはいけない気がする!
なにげなくカバンを開けてポーチを出し、中を開けて見てしまう。謎のネクタイと紐的な物、そしてネクタイピンをなにげに見てしまう。先週の朝、わたしはこれらをぎゅっと握りしめて林の中にいたのだ。
やっぱり、絶対なにか忘れてる。そのなにかは、たぶん自分にとってすごく大事なこと。
思い出さなくちゃいけないことだ――けど、ひとっつも思い出せないのがマジで苦しい。
うおお……と頭を抱えそうになり、ふと思いつく。こういう細かなことを地道にメモしていけば、いつかなにかを思い出すんじゃないか? ああ、そうかも! すぐさまノートをめくって破り、小さく折りたたんで即席のメモ帳にし、ペンを引っかけておく。スカートのポケットに突っ込んだとき、授業終了のチャイムが鳴る。休憩時間に突入したとたん、一時限目をサボったカガミちゃんが、血相を変えて突進して来た。
「あれ? おはよ。休みかと思った」
「うす。フツーに寝坊しちゃって……ってか、椿!」
カガミちゃんがスマホの画面を突き付けてきた。
「これ、誰!?」
「は?」
スマホには、袈裟姿の二人の坊さんが写っている。ピースしているのはわたしの父さんだし、その隣に立っているのは「じゃねえか」発言の当人だった。
「ど、どしたの、コレ」
「バス停でバス待ってたら、家の近所の三上さんちから出て来たんだよ。三上さんて、あんたの寺の檀家さんじゃん? あんたの父さんだと思って挨拶しようとしたんだけど、このもんのすごいイケメンのお坊さんと一緒だったから、挨拶ついでに撮らせてもらったんだ!」
檀家さんへの挨拶まわり中、カガミちゃんに発見されてしまったらしい。
「この超イケメン、誰!?」
田舎の高校なのだ。女子はただでさえ、イケメンに飢えている。カガミちゃんの声に反応したクラスの女子たちが、いっせいにこちらを見た。マズいことになってきた。
「お、落ち着いてカガミちゃん!」
「落ち着けないから。かつてこんなイケメンをリアルで見たことないんだから、騒がしてよ! え、まさか、見習いの坊さんってこの人!?」
答えるまでは、この攻撃から解放されない。諦めてざっくりと鷹水さんについて説明すると、まるで仲良くない女子たちまでもがぞろぞろと席を立ち、集まりはじめてしまった。
「カガミさん、見せて!」
「わたしにも見せて!」
スマホの画面をのぞき込んだ女子たちが「カッコいい!」と騒ぎ出す。
「でしょ!」
カガミちゃんは嬉しそうだ。どうしよう、鷹水さんがアイドルと化していく。妙な汗が額に浮いてきた。
「やー、これは来週のお泊り会がさらに楽しみだわ、椿!」
そうだった。今週末の予定をのばしたのはわたしだけれど、掃除をする暇もなく鷹水さんが来てしまったのだから、父さんを手伝わなくてよくなったんだった。緊急事態だし、いますぐにでもじっくりしゃべりたい!
「カガミちゃんさえ大丈夫なら、来週じゃなくて明日の土曜にしたいけどダメすか」
「明日部活ないから全然いいよ! ってか、それはそれとしてさ」
カガミちゃんがわたしの両肩をがっつりつかんだ。
「来週とかさ、逆に椿のお寺に泊まりに行きたい!」
は!?
「えっ」
わたしも行く! わたしも行きたい! と、まったく仲良くない女子までもが手をあげる。総勢八名……ってか、いやいやいやいや、家はこじんまりとした貧乏寺であって、大人数をもてなせる財力なんて皆無ですから!
「ダ、ダメダメ! 鷹水さんビックリするし、父さん絶対テンパるし!」
正直に言おう。鷹水さんに会わせたくないんですよ!
「なんでよ、いいじゃん~」
カガミちゃんと女子たちのキラキラした眼差しが痛い。こうなったら止められない。いや、なんとしても止めなくては。でも、どうやって? ない知恵を絞ろうとした矢先、女子集団に割って入った衣心が、いきなりカガミちゃんのスマホを奪った。
「ちょっ! 村井、なにすんの!」
衣心はじいっと無言で画面を見つめ、無表情のまま操作し、スマホをカガミちゃんに放った。
「ちょっと、投げないでよ!」
あわやキャッチしたカガミちゃんは、スマホを操作して目をむいた。
「待ち受けにしようと思ってたのに、写真消された! 村井サイテー!」
「カガミ、うるせ。山内」
ズボンのポケットに片手を入れた格好で、衣心はくいとあごをしゃくった。
「ちょっと来い」
だからなぜ、貴様は常に上から目線なのだ?
「もう授業はじまるじゃん」
衣心は、いいから来いとわたしの左腕をつかむや、強引に教室を出た。
「ちょっ! なにさ、なんなのさ!」
チャイムが鳴ってもおかまいなしで、わたしの腕を引っ張りながらずんずんと大股で廊下を歩く。美術室のドアをのぞき、無人と判断してから開けた。室内に押しやられたわたしは、そのすきに腕を振り払う。
「っつーか、なんなのさ。教室戻るからそこどきやがれ!」
ドアを背にして立つ衣心に対し、思いきり威嚇する。
「はっきり言わなきゃわかんないんだろ。いきなりあらわれた妙なヤツに邪魔されんのムカつくから、言うわ」
言うって……なにをだ?
衣心はチャラい笑顔を消し去り、まっすぐにわたしを見つめた。
「俺、子どものころからおまえが好きだった」
……は?
「ずっとおまえが好きだった」
二度も繰り返すなんて、新しいな。そうきたか。ってか、これは一体どういうイジメ?
「そういうの遠慮します」
「そういうのってなんだよ」
「新手のイジメだよ。なんかもう、ほんとお腹いっぱいだってハナシですから!」
「そんなんじゃねえし。ちげーよ、アホか」
「は? だったら、なんなのさ。まさか……」
……本気で? え、うそだ。それだけはない。
「わたし、あんたにイジメられてましたけども? どのツラ下げて好きとか言うかね。マジでおかしいでしょ」
眉を寄せた衣心は、ボリッと手で髪をかいてうつむく。
「ガキだったんだよ、しゃあねえじゃん。おまえにちょっかいかける方法が、それしか浮かばなかったんだって。悪かったよ。なあ」
衣心はすねてるみたいに口をとがらせた。
「もういいじゃん。山内、おれと付き合って」
目の前に立った衣心に見下ろされていると、背筋にゾワッと悪寒が走る。同時に、なにかを思い出しそうだった。この超至近距離で、なにか似たようなことがあったような、なかったような……なのに思い出せないとか!
「ちょっと待った」
片手をあげて、衣心のカミングアウトをぶった切る。すぐにポケットからメモ用紙とペンを出した。
☆衣心に告られる的な場面に似てる系なこと。
「……よし、と」
「なんだよ、それ」
「いや、なんでもないす。で? なんでしたっけ?」
顔をあげたとたん、突然両腕をつかまれた。身体ごとうしろに押され、壁に背中があたる、驚きのあまり固まっていると、衣心はわたしに顔を近づけた。
「おれがいままで誰とも付き合わなかったのは、おまえがいたからだ。おまえだってそうなんだろ? おまえだっていっぱい告られてたくせに、結局誰とも付き合ってないじゃん」
イジメだと思ってトラウマになっていた数々のおこないも、衣心的には好き方向の間違ったアクションだったらしい。本当かはまだ疑わしい一方で、嘘じゃないようにも思える。
イジメだろうが本当だろうが、わたしの答えは決まっているのだからこの際どっちでもいいのだ。いつもであれば頭突きをして逃げるところだけど、いまはなぜかきちんと断りたい気がした。
そう。逃げてばかりでは解決しないこともあるのだ。
「あんたの言うことはわかった。わかったけど、わたしはあんたにずっとイジメられてて嫌われてると思ってたから、付き合うとかは絶対ない。でも、もしも本気で反省してるんなら、友達とかはいいと思う」
寺同士仲良くしたほうが、いいに決まってるもんね。
「あと、男子に告られたことはない。わたしをイジメようとしてくる輩に、体育館の裏とかに呼ばれたことはあるけどさ」
はあ? と衣心は苦笑した。
「なんでおまえをイジメなくちゃなんないんだよ。呼ばれたって、それ告るつもりで呼んだんだろ? あー……そっか、それでおまえ」
いきなりクスクスと、乾いた調子で笑い出す。
「告ろうとしてたヤツらを蹴ったりしてたのか。なるほどな、マジでウケる。けど、それって俺のせいだったんだな。それについては謝るわ。けど、友達はねーよ」
ズボンのポケットに両手を突っ込み、ムッとした顔でぼそりという。
「ヤだね。こっちは十年越しで好きだったんだぞ。いまさら断られて、「わかりました、じゃあ友達で」とか言えるかよ」
言ってください!
「なにそれ、じゃあどーしろって言うのさ!?」
「おれを好きになればいいじゃん?」
なぜ……わかっていただけない? っていうか、このしつこさの既視感はなんなのだ!
「そう言われても、マジ申しわけない……」
「あの見習いの坊主か? おまえ、あいつが好きなのか?」
自分でも早すぎる展開だと思うけど、やけに気になってるし間違いない。と、顔を近づけた衣心は、いじわるさを全面に押し出した笑みを浮かべ、言った。
「だったら、教えてやる。あいつ、人じゃねーぞ」
――えっ?
♨ ♨ ♨
放課後までなんとかのりきった。
まず、カガミちゃん&女子集団には、鷹水さんは来たばかりだし父さんも忙しいので(本当は暇なのだが)、落ち着くまでと理由をつけて、お泊まり会を延期していただく方向で納得してもらった。
そのあと、こっそりカガミちゃんにだけは、鷹水さんが気になっているとカミングアウトするにいたる。「やっぱり!」とニヤニヤされたので、さらに衣心に告られた事件も含めてのトークを決行するため、明日カガミちゃんの家に泊まりに行くことで落着した。
ちなみに、衣心と二時限目をサボってしまったので、カガミちゃんをのぞくクラス内では、付き合ってる的なことに事実上なってしまっている。当の衣心が否定しないので、常にヤツを囲んでいた女子のひとりがショックで早退してしまったほどだ。これについては後日、キッパリと誤解を解かねばと思っている。いや、速攻で否定するべきだったんだけれども、わたしの脳内では衣心に言われた言葉がガンガンと鳴り響いていて、正直それどころじゃなかったのだ。
授業が終わるやいなや、すぐさま衣心から逃げるようにして学校をあとにし、バスに乗った。
そして、現在。バスに揺られている間も、わたしはひたすら考えている。
――鷹水さんが、人じゃない?
俺にはわかるんだよと衣心は言って、寺の息子だからなともつけくわえた。わかるってなにがだとわたしが訊ねると、衣心は真顔になった。
「朝会ったときもさっきの動画も、すげー寒気がした。ガキのときにも似たような感じになったことあって、夜中に家の境内を走ってる妙なもの見たことあんだよ。妖怪っつうか、まあなんか、そういうやつ。笑われるから誰にも言ってないけど、あのときの寒気とそっくりだ。おまえの気を惹きたくて嘘ついてるわけじゃねーからな。あの坊主、少なくともフツーの人間じゃないと思う。おまえの寺、大丈夫か?」
まさか衣心にそんな能力があったとは。でも、信じられないし信じたくないし信じないもんね!
とは思うものの、わたしだって寺の娘だ。鷹水さんに怪しい雰囲気があるのはわかっている。でも、だからって、まさか鷹水さんがおばけとか妖怪なわけないもんね。それこそマジで笑えるし。あははは。
「……いや、笑えない」
肩を落としてバスをおり、坂をのぼる。そうして、うつむきながら境内に入った。
玄関のドアを開けると、下駄しかない。下駄しかないってことは、父さんは不在だ。おそるおそる廊下に立つと、居間の障子が開いた。姿を見せたのは、袈裟から作務衣に着替えた鷹水さんだ。
「おかえりなさい」
丁寧に頭を下げる。
「た、ただいまです……」
のろのろと靴を脱ぎ、緊張しながら廊下を歩く。と、鷹水さんが「お味噌はどこですか」と訊ねてきた。
「え、味噌ですか?」
「どこにも見あたらないので」
爽やかに微笑んだ。邪心なさげなその顔を直視してしまった瞬間、衣心の言葉が脳裏をかすめた。やっぱりわたしはなにも感じないし、たぶん父さんだって感じていないはず。
この人が人じゃないなんて、衣心の嘘だと思いたい。思いたいけど、やけにひっかかる!
「こっちです」
台所にしゃがんみ、流し台の下の戸を開ける。すると、わたしの背後にいた鷹水さんもしゃがんだ。
「そこだったんですね」
奥をのぞき込むように、鷹水さんがわたしの右肩から顔を出す。この体勢、まるで背後から抱きしめられるみたいな体勢に、かぎりなく近いような近くないような!
「と、とと、父さんは?」
勝手にテンパってきて、落ち着かない。照れ隠しで訊くと、うしろにいる鷹水さんの声がやけに近く聞こえた。
「お墓を掃除しています。僕がやりますと言ったのですが、食事を楽しみにしているとおっしゃるので、今夜の料理の準備は僕が引き受けることになりました。たぶん、これからはそうなると思います」
どうしてこんなに、ドキドキするのかわからない。心臓の鼓動が鼓膜にひびいて、頭が真っ白になってきた。人じゃないかも疑惑が浮上しているし、どことなく怪しくもあるってわかってるのに、そんなことは全部どうでもいいような気持ちになるとか、絶対変だ。わたしおかしい。
ちらりと鷹水さんを盗み見る。横目で見られていて、目が合ってしまった。鷹水さんはすぐに目を伏せ、薄く唇を開く。頭が傾き、ゆっくりと顔が近づく。その唇が、わたしの唇をかすめそうになった直前、鷹水さんはなぜか苦しげに眉をひそめて横を向いた。
手を伸ばして、味噌をつかむ。わたしから離れて、鷹水さんは腰を上げた。
「助かりました。ありがとうございます」
い、いまの、なんだ?
なんか、キスされそうだった気がする。いや、まさか。絶対気のせいだ。
「い、いえ。ほ、ほかにも見あたらないものとかあったら、言ってください」
自分の顔が赤いのがわかる。うつむきながら伝えると、ありがとうございますと鷹水さんは言った。
「そういえば、今朝あなたのお友達に会いました。写真? を撮られましたよ」
写真? と語尾をかすかに上げて、鷹水さんが言う。
「あっ……と、カガミちゃんって言う友達です。明日、彼女の家に泊まりに行きます」
「そうですか」
じゃあこれでと会釈して廊下に向かおうとしたとき、
「坂の上にも、お寺があるんですね」
鷹水さんは味噌を抱えたまま、まっすぐにわたしを見つめていた。
「あ、はい。光竜寺です」
「今朝の少年は、そこの息子さんですか?」
責めるような強い口調だった。そうですとうなずくと、鷹水さんは苛立ちを押さえるかのように目を細め、ささやいた。
「……なるほど」