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玖ノ章
サクラ散ル、サクラ咲ク
其ノ81

 紺青に明るみはじめた空の下、初江王は小走りで過ぎる。

 秦広王が役人に指示している光景を遠目にし、静止している鬼の彫像の股の下を通り、崩れた屋根の瓦を避けながら、わたしたちは初江王の背中をひたすら追いかけた。

 崩壊しまくった建物はどうなるのかと初江王に訊ねると、ほかの「王」と名のつく偉い方々とヤマどのが協力し、イリュージョンを発揮して元に戻すのだそうだ。

「夜が明けます。急ぎましょう」

 建物の間を通り抜けながら、急ぎ足の初江王が言った。

「あなたがこちらへ来てしまった場所へ通じる道の術を、すでにとある場所へほどこしてあります。こちらから娑婆への道は、一度開くと次は千年待たねばなりません」

「えっ、千年!?」

「そのような年月をここで過ごすとなれば、もはや死者も同然。あなたにとっては、二度と帰れないのと同じことです」

 それはマズい!

 竹蔵に見つかってすぐ、この通り道の準備をととのえたのだと初江王は言った。

「すぐにでもあなたを戻さねばと焦りましたし、この術にはかなりな刻を必要としますので、前もって用意してしまったのですが、わたくしが夜明けにこだわっているのには理由があります」

 初江王は小走りで言葉を続ける。

「闇の間であれば、通り過ぎるのはまだ容易。ですが、夜が明けてしまいますと、通り道に閉ざされた亡者どもが邪魔をしてやっかいなのです」

「亡者?」

 歩みを止めずに、初江王は振り返る。

「地獄にすらとどまれない、悪しきたましいの者たちです。人間界とこちらの世界を、永久にさまよい続けることしかできません。闇の間は縦横無尽に張り巡らされた通り道を徘徊し、人間界へ向かいます。目的は、自分たちの存在を生きている人間に知らしめ、助けを求めること。けれど、夜が明ければ光の力で、通り道は遮断されます。

 そうなるとどこへも行けず、出入り口のない道の途中で、悶えることしかできない。そこに、わたくしがあなたのために、あなたにしか通れない出口をこしらえたわけですから、おそらくあらゆる邪魔をしてくるでしょう。ただし、いまならまだ大丈夫」

「わ、わかりました。とにかく急ぎます!」

 真っ赤な石だたみの広い敷地へ出ると、前方に宮殿を取り囲む朱色の門塀があらわれた。巨大な両開き扉を中心にし、金棒を手にした鬼コスプレが左右に立っている。

「初江王さんは、ずっと宮殿の中にいたんですか?」

「ええ」

「いないかと思ってました。どこにいたんですか?」

 初江王は一目散に扉に向かいながら、照れくさそうに笑った。

「牢の番人の役目を秦広王どのに与えられてから、あなたたちとの接触を試みておりましたが、そのたびにあれやこれやと邪魔をされてしまいまして。わたくしからの忠告が遅く、あなたが書面に名前をしるして女官になったとの情報を得て、書面を盗むしかないと考えました」

 初江王が、女校長の選別した書面の束をかかげた。

「これが消えなければ、あなたを人間界へ戻すことはできませんから。けれどわたくしに盗めるはずもなく、女官のどなたかを危険な目にあわせるわけにもいきませんし」

 門扉の前にたどり着き、初江王が立ち止まる。

「方法はどうあれ、きっとみなさんなら盗んでくださるだろうと考えました」

 そう言って振り返り、微笑んだ。

「……やっぱりか。どうりで牢の出入りがゆるかったわけだ」

 腕を組んだ雨市が苦笑すると、初江王は小さくうなずいた。

「牢の出入りがなるべく自由になるよう、影ながら工作していた次第です。とはいえ、結局は秦広王どのも、乱心の大王に邪魔されないよう秘密裏に動いていただけだったのですが。なにはともあれ、わたくしもすっかり秦広王どのに騙されていたということです」

 初江王は書面の束を小脇にし、扉に向き直った。

「さて。いざ――」

 左右の鬼コスプレに告げる。

「――開けよ!」

 両開き扉の外は、左右にずらりとお地蔵さまが並ぶ吊り橋だ。なんだかものすごく懐かしい。

「……それで? 娑婆への通り道ってのは、どこが入り口なんだい?」

 竹蔵の問いかけに、初江王はまっすぐ正面を指す。

「あそこです」

 しめされた場所は、城門の扉だった

「この橋まではわたくしがお伴しますが、扉の向こうからは椿どの、あなたひとりの道程です」

 空の明るさが増していく。吊り橋の下は断崖絶壁で、なぜかものすごい流水音が反響していた。おそるおそる見下ろすと、視界に入ったのは燃えさかる炎ではなく、しぶきを上げて流れる川だった。

「あれ?」

 炎じゃない!?

「ああ、これは三途の川です」

 初江王は吊り橋のたもとに立ち、眼下を指した。

「閻魔大王の姿になりましたら、ここは知ってのとおり炎となります。その前のこの状態で、死者を乗せた船を川岸につけるのです。宮殿に続く扉が岸壁にあらわれ、そこから地下の階段を通って光明院に向かうのです」

 初江王が空を見上げた。黄金色の光がいまにも射しそうだ。

 とうとう、戻るときがきた。いよいよガチで戻るとなると、なにを言ったらいいのかわからなくなる。雨市と竹蔵とハシさんに向きなおり、ぐずぐずとうつむくことしかできずにいると、

「わたくしはとっても楽しかったですよ」

 ハシさんが言った。

「えっ」

 顔を上げると、ハシさんはいつものようににっこりした。

「わたくしは生涯独身でしたから、かわいらしい孫ができたようで、年甲斐もなくはしゃぐ日々でございました」

 そう言って一歩前に出、口元を手で隠しながらひそひそと耳打ちした。

「実現しませんでしたが、役所へ潜入するなどという悪だくみもいたしましたしね」

 そうだった。思わず笑うと、ハシさんがはぴんと背筋を伸ばした。

「お元気でお過ごしください。椿さんの人生に幸あれ! でございます!」

 ああ、いやだ。どうしよう。忘れてしまう。

 ハシさんのこの言葉も姿も、娑婆に戻ったらなにもかもすべて忘れてしまう。でも、そうであっても、わたしは絶対に思い出す。大丈夫、きっと絶対に、思い出せる。だから!

「ハ、ハシさん! な、なんかちょうだい!」

 手のひらを差し出すと、ハシさんは驚いて目を丸くした。

「なにかと申しましても……はて、困りましたな……」

 いまだほっかむりしている手ぬぐいの結び目をつまむ。

「これはこの宮殿の物ですし……あ!」

 おもむろにネクタイをはずす。それは、雨市と行ったデパートでわたしが買った物だった。くるくるとネクタイを器用に丸めたハシさんは、わたしの手にそれを置いて微笑んだ。

「いただいた物をお返しするのは失礼かもしれませんが、これにはわたくしの嬉しい気持ちが込められております。ですから、椿さんにさしあげましょう」

 ネクタイを握るわたしの右手を、ハシさんの両手で包んだ。

「椿さんが素晴らしい人生を、歩みますように!」

 いまにも泣きそうだけど、泣くのはあとにしておこう。これが最後なのだ、どうせなら満面の笑顔で別れたい。

「はい!」

 ザ・体育会系みたいな元気さで応えると、ハシさんも顔いっぱいに破顔した。

 わたしも楽しかった。それになにより、ハシさんの料理は最高においしかったです!

「……あーあ、あんたに会って疲れることばっかりだったよ」

 ハシさんの隣で腕を組み、着物の袖に手を入れた竹蔵は、やれやれといいたげな顔で首をまわした。

「じめじめしたやりとりは嫌いなんだよ。戻るんならさっさと戻りな」

 つんとそっぽを向く。それは竹蔵なりの強がりだ。

「団子はみたらしだよね? お墓つくっておいしいやつあげるからね!」

 竹蔵はわたしに流し目を送り、にやりとした。

 そしてわたしは、雨市をまっすぐ見つめる。言いたいことがありすぎて、どうしても言葉につまる。

 出会いは最悪だった。わたしを小娘扱いするから、腹の立つこともいっぱいあったけれど、気づいたら好きになってた。

 わたしにとって、雨市は世界で一番のイケメンだ。お顔も素晴らしいうえ、男気もあって思いやりもある。そんな男子にわたしはもう二度と出会えないかもしれない。いや、たぶん間違いなく出会えない。だから、ずっと一緒にいたいと思う。思うけれど、まだ踏み切れずにいる。

 雨市にとっての幸せは、魔物になることなんだろうか。なにか違う気がする。そうじゃなくて、里下雨市という人生を、どこまでもまっとうすることなんじゃないのかな。

 雨市を見つめていて、そんなふうに思う。すると、心がすとんと軽くなったような気がした。

 やっぱり普通に別れよう。大丈夫、わたしは忘れない。絶対に忘れたりするもんか!

「雨市、いっぱいありがとう!」

 最終的に告げた言葉がこれかと思うと、われながら残念すぎる。でも、雨市はクッと笑ってくれた、

「おう、小娘。あとはてめえの好きにやれ」

 はじめて会ったときのことが脳裏を過ぎった。そういえば雨市、やたらいろんな物を袖から出してたよなあ。そんなどうでもいいことを思い出したら、ちょっと笑えた。

 さよならは言わないさ。いつかどこかで縁があれば、必ず会えると信じたいから!

「そろそろ行きましょう。空が明けます」

 初江王が言った。そのとたん、もうもうと朱色の霧が空をおおい、やがて赤く染まっていく。流れていた川の表面のあちらこちらから泡が吹き出し、やがて炎に包まれる。ヤマどのが閻魔大王に変身したのだ。

 硫黄のにおいがただよう中、初江王は書面の束を握りしめた手を伸ばしつつ、言った。

「この橋より、わたくしの術ははじまっております。これよりは、わたくしと人間界の方しか通れません」

 初江王が歩き出す。十歩ほど行った先で立ち止まり、お地蔵さまの間に立つ。そうして、大きく腕を振りかぶった初江王は、手にした書面を炎めがけて放り投げた。ひらひらと舞い落ちて行く書面の束に炎がつき、燃えて灰と化していく。奇妙なことに、なぜかそのとき、わたしの身体も少しだけ軽くなった感覚があった。

「では、行きます!」

 初江王が叫んだ。

 三人を目にしながら、一歩、二歩とわたしもしりぞく。すると、苦笑した雨市が背中を向けた。

「じゃあな。早く行け!」

 でも、これでいいのだろうか。わたし、ほんとに後悔しない!?

「早く、こちらへ!」

 初江王が叫ぶ。わたしは息をついて意を決し、きびすを返して初江王の背中を視界に入れる。その背中に向かって駆け出したものの、そうじゃない――とはたと思う。

 違う、そうじゃない。こんなんじゃない。こんなきれいごとじゃない!

「ち、ちょっと待ってください! あとちょっとだけ!」

 初江王に告げて振り返る。三人はまだ、吊り橋のたもとにいた。

 ヤマどのの言葉を思い出す。わたしの寿命の半分をどうするのかは、雨市にまかせればいいのだ。ものわかりのいい女子になりきって、なんでも納得した気になって、わたしが勝手に決めることじゃない。雨市の人生は雨市が決めることで、わたしが決めることじゃない。

 だから、後悔してはダメなのだ。この一瞬一瞬の選択を間違えたら、取り返しがつかなくなる。

 こんなチャンスは二度とないんだよ。二度と、絶対に、ないんだよ!

「――雨市!」

 全速力で走った。肩越しに振り返った雨市は、なにごとかと眉を寄せる。もはやテンパりすぎて、頭の中は真っ白だ。

「……どうした。なんだよ、おい」

 わたしは困惑する雨市に近寄り、その右手を両手でつかみ、強く強く握りしめた。

「雨市と一緒なら、地獄でもどこでも行くよ。こういうの、若気のいたりとかそういうのかもだけど、それでもわたしは後悔したくない。したくないから、わたしはこうするよ! このあとどうするかは雨市が決めていいから! でも、わたしはこうするし、言わせて欲しい!」

 雨市の手を、自分の心臓めがけて力いっぱいに引き寄せながら、叫んだ。

「けっ――結婚、してください!」

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