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玖ノ章

サクラ散ル、サクラ咲ク

其ノ77

 周囲に立ちのぼる炎が、地面に吸い込まれるようにして消えていく。

 胸で両手を合わせたヤマどのは、満足げににんまりと笑った。対するわたしもヤマどのを視界に入れる。上目遣いに見すえつつ、珍しく思考をフル回転させた。

 寿命が倍になったってことは、いったい何歳になるんだろ。わたしの寿命が最低七十歳と想定するとその倍だから、単純計算で一四○歳? えええ……人間離れしすぎてて実感わかないんですけども! でも、いろんな技術が発達してるし、なんか脳みそだけ生かして身体をのりかえるとかいう都市伝説を見たことがあるから、あながちなくもないのか。いや、むしろ当たり前みたいなことになったりして?

 なんでもいいか。どっちにしても何歳だろうが化粧とかして、できるだけシャッキリしてないとダメだな。

 世界中から取材がくるかもしんないし!

 ふんっ、と鼻息荒く決意したとき、笑みを消したヤマどのがけげんそうに眉を寄せた。

「……妙である。そなた、短き命のほうがよいと申していたわりに、慌てぬな」

 うっ、そうだった。慌てふためく演技を忘れていた。とっさにその場にしゃがみ、両膝に顔を埋めて怯えている姿を演出してみたものの、われながら演技が大根すぎて頭をかきむしりたくなってきた。すると、こちらに近づいてくるヤマどのの足音がかすかに聞こえた。さくさくと中庭の地面を踏みしめる音が、やけに不気味だ。と、すぐそばでぴたりと音がやむ。体育座りの膝から目だけをのぞかせると、真正面にヤマどののきらびやかな衣装があった。

「おそろしいか?」

 いぶかしげな声音で、念を押してくる。

「お……おそろしっす」

 演技を意識するあまり、いつになくぎこちない返答になってしまった。

「そうか」

 勝ち誇ったような語調に変化する。ついさっきにはもう顔も見たくないと言われたわけで、おそらくこれでこの場から追放されるはず。そう思うと心底ほっとした。やれやれと息をついたとたん、強引に右腕を引っ張られ、無理矢理立たされる。ものすごい間近に顔を近づけたヤマどのは、こちらの内面を探るかのようにまじまじとわたしの目を見つめた。

「な……なんすか!」

 近い! 顔が近すぎる!

「本当に見た目にそぐわぬ根性の娘だ。横暴な素振りに口振り、ほとほと呆れるわ」

 むんずと顎をつかまれた。くそう、甘かった。いまさっきの寿命の件で終了だとばかり思っていたけれど、どうやらまだファイトは続いていたらしい。

 いいさ、こうなったらとことんファイトしてやるもんね!

 ぐぬぬとわたしもにらみ返す。すると、ヤマどのが歯ぎしりするように声を震わせた。

「そなたはすぐさま人間界へ送り返す。とはいえこのままでは、腹立たしい余の気持ちがまだまだおさまらぬ。どのみち己の世界へ戻れば、ここでの記憶はいっさい消えるのだ」

 ――えっ。

「え?……ってか、え?」

 なん、ですと? ここでの記憶が、消えてしまうですと!?

 わたしの顎をつかむヤマどのの手に、力が入る。

「生きたままこの世界に紛れ、余にたてついた人間界の者の記憶はいっさい消える。次に会うときは、そなたの裁判。余はそなたを覚えておるが、そなたは余をはじめて目にし、そして怯えるのだ。なんと楽しいことか! その前になんとしてでも、そなたを戒めなければならぬ! しょせんは記憶に残らぬことよ!」

 わたしの顎から手を離したヤマどのは、そう言うやいなやわたしの左腕をむんずとつかみ、ふたたび寝室ゾーンに向かっていった。いや、なんすか!

「ちょっ、なんなんすか。っていうか!」

 ……忘れる? ここでのことを忘れるってなにさ!?

 待て、待て待て待て。遠野さんだって生きたままこの世界に紛れたじゃん。偽物の筆を大量生産してばら撒いたとはいえ、ここで過ごしたことを忘れなかったのは、ヤマどのにたてつかなかったからってこと?

 そうだよ。たぶんそういうことだ。

 遠野さんは、ヤマどのにたてつかなかった。そして人間界と地獄を何度も行き来した。でも、わたしは言うことをきかず、むしろ思いきり文句言いまくって暴れている問題女子。だから、ヤマどの的ルールに従うとすれば、娑婆に戻ったらここでのことはきれいさっぱり忘れてしまうんだ。

 じゃあ、雨市のことも? 竹蔵とハシさんのことも、あの家で過ごしたことも、全部脳内から消えてなくなるってこと?

 ――なんだよそれ、絶対許さん!

「うそだ!」

 許せん。それだけはなにがどうでも絶対に嫌だ。だからって、いまさら媚を売るみたいなことをするのはもっとごめんだし。こんな自分、もうどうすればいいのかわかんなくなってきた!

 寝室まであと数歩という間際、右手をきつく握りしめたわたしは、ヤマどのの脇腹に重たいパンチをおみまいした。ヤマどのがよろめく。そのすきに間髪入れずに、ヤマどのの頬にフックしようとしたけど避けられた。素早くあとじさったヤマどのは、自信満々の笑顔を浮かべる。

「娘だと甘く見ていたが、いいだろう。今宵こそはなんとしてでも、そなたを戒めねばならぬ! 同じ手が何度も通用すると思うでないぞ、人間界の娘!」

 そう声を荒らげてたヤマどのは、組んだ両手を袖に入れるや、その場で地面をドンッと踏みしめた。

「――余は唯一無二の閻魔大王である。思い知るがいい!」

 直後、鬼を象った巨大な火柱が地面から立った。口を開けたそれが、ごうっと炎を吐き出す。熱くないただのイリュージョンだってわかっていても、めちゃくちゃ恐ろしい。すごすぎる光景に愕然としていると、吐き出された炎が小さな竜巻となって押し寄せてきて、わたしは身体ごと吹き飛ばされた。

 中庭を囲む壁に背中があたっり、地面に倒れる。めっちゃ痛いけどなんとか四つん這いになって起き上がり、じりじりと近寄るヤマどのを見上げた。すると、炎の鬼がヤマどのの背後で消えた。

 あんな映画みたいなイリュージョンを繰り広げるヤマどのにリアルパンチで対抗するとか、不公平な戦いすぎる。せめて素手で来いと叫びたい。

「……こっちの武器は素手だけなのに、そんなん卑怯じゃないすか。マジもう閻魔大王とか関係ないですから。一緒に睡眠とか、永遠に永久に全力でありえないってハナシっすから!」

 いったいなんだって言うのさ。わたしがなにをしたっていうのさ(いや、いろいろしてるけどもさ)!

 勝手に気に入ってくれちゃったのはそっちじゃん。そりゃあ、気に入られてありがたいとは思うさ。思うけど、こっちにはこっちの言い分があるわけで、もうなんなんだろうかこの常識の通じなさは!……って、そうだった。

 地獄の頂点に君臨しているのだから、誰かに叱られたことがないのだ。もちろん、思いどおりにならなかったこともない。だから、叱られたり反抗されると腹を立てるんだ……って、それじゃまるきりキッズじゃないすか!?

 ああ、そうですか。それならばこっちにだって、それなりに考えってもんがあるんですよ。

 そうであればこのわたしが思う存分、叱ってさしあげようじゃありませんか!……っていっても、イリュージョンに対抗できる術がわたしにはない。どうする? どうすればいいのだ?

「ええい、許すまじ! ですよ!!」

 ヤマどのをやり込める方法も思いつかないまま、とりあえず叫んでみた。ヤマどのとの距離は約二メートル。と、ヤマどのの帯にあるとある物体が視界に飛び込む。てらてらと光る漆塗りの――あれは筆軸。その筆軸には、見覚えがありすぎた。

 イリュージョンに対抗するには、イリュージョンしかない。そうだよ。ヤマどのを降参させるには、めっちゃ威圧的なイリュージョンが必要なのだ!

 ふと、寝室ゾーンの棚を横目に見る。そこには、さきほどまでヤマどのと女官女子たちが遊んでいた筆と墨が放置されてあった。

 ――墨と、ヤマどのの帯にある筆。

 考えろ、山内椿。一生分の脳みそをいま使い果たしたっていいから、考えるのだ、わたし!

「どうじゃ。まだ余にたてつくか?」

 ヤマどのが言った。

 あの筆をわたしが使ったとしても、あらわれるのはまたもやネズミかもしれない。でも、あの筆は使った人間の内面をあらわすわけで、そうだとしたらヤマどのにキレまくっているいまのわたしが使ったら?

 もしかしてもしかすると、腹黒い西崎が筆を使って銀座をにぎわせたときみたいな、巨大な虎を出せるかも!?

 いまヤマどのに対抗できそうな作戦は、それしかない。やってみるしかなさそうだ。

 覚悟を決め、大きく深呼吸をして立ち上がる。そうしていっきに疾走し、ヤマどのに体当たりした。

「うおりゃー!」

「なんじゃっ!」

 帯から筆を抜いた瞬間、ヤマどのに背中をどつかれる。前のめりによろめいて地面に倒れそうになった矢先。

「遅れてすまねえ、椿!」

 どこからともなく、雨市の声がこだました。ヤマどのが立ち止まる。わたしは筆を握りしめたまま、墨に向かって突進しながら雨市を探した。

「ここだ!」

 頭上から声がそそがれ、立ち止まって見上げる。中庭を囲むひさしの上に、鬼コスプレが立っていた。

「それよこせ!」 

 鬼の面を取った雨市が叫ぶ。

「いかん!」

 ヤマどのが声を荒らげた。背後にヤマどのの気配を感じながら、わたしはすぐさま筆を雨市に投げる。

「す、墨はそこの棚!」

「おう!」

 受け取った雨市は、わたしに近づくヤマどのに向かって鬼の面を投げつけた。鬼の面にガツンと頬を打たれたヤマどのが、地鳴りのような怒号をあげた。

「おのれ……貴様ら、おのれ!」

 ざわざわと中庭の草花が、激しく揺れはじめる。経験者にはわかる。これはとんでもない嵐の兆候だ。思わず空を見上げた一瞬、ヤマどのにすきをつかれて羽交い締めにされる。

「う、雨市、早く!」

「まかせろ!」

 雨市がひさしを走る。直後、空に閃光が走った。

「おのれ!」

 すさまじい雷の音がとどろく。もうすぐ激しい雨になる――というところで、筆をくわえた雨市がひさしに手をかけて地面に降り立った。筆軸を右手にするや、棚の上にある墨の瓶をわしづかむ。

「娘一人に手こずってるとは、情けねえなあ、天下の大王よ。つっても、悪りいな。そいつは俺の女だ。手込めにすんじゃねえよ!」

 ふたたび筆をくわえ、瓶の蓋を放った。筆を手に持った雨市の髪が、強風にあおられる。

「許さぬ! ようくわかった。裁判など無意味。牢にいる者、貴様らまとめてすぐさま無間地獄へ送ってやろう!」

 針のような雨が、空から斜めに落ちてきた。にやりと笑んだ雨市は、瓶の中に筆を浸した。

「ああ、そうかい。どうせ死んでんだ、怖かねえよ。さっさとやりやがれ。けどな、あんたはちっと横暴がすぎる」

 墨の滴をまき散らし、筆軸を瓶から抜く。

「こいつはどうせ幻だ。けど――」

 また空が光る。

「俺の鷹に喰われちまえ!」

 雨市の手にした筆が、宙を切った。雨の降りしきる強風をもろともせず、宙に墨絵のような筋がくっきりと伸びる。筆は勝手に動きはじめ、輪郭はやがて立体となっていく。

 雨市は大柳の屋敷で、筆から巨大な白い鷹をあらわしていた。でも、筆を持った雨市の動きは、あきらかに前とは違った。

 雨市の足元からぐんぐんと枝葉を伸ばし、中庭をおおう大木の、それは。

「あ」

 ――桜。

 

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