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玖ノ章

サクラ散ル、サクラ咲ク

其ノ76

 うろたえるよりも、なぜだか妙に腹がすわる。

 この感じは、ボクシングのリングにあがるときに似てる気がした。

 このままわたしがヤマどのを激怒させ、娑婆に戻れなくなったとしたら、もうどうしようもない。っていうか、しかたない。それもまた運命だ。

 みんなには、心の底から極楽へ行って欲しかった。だけど、わたしは阿弥陀如来の使者でもなんでもなくて、例の筆からネズミを出すようなしょーもない女子なのだ。そんなわたしには、もうどうすることもできないわけで。

 だったら、もういっそのこと。

 雨市も竹蔵もハシさんも地獄なら、いっそのことここで暴れて、生きたまま一緒に地獄に行ってやる!

 長い間のストレスを発散すべく、あらん限りの力を腕に込めて、ヤマどのに引っ張られている左手を逆に引き寄せる。その反撃が予想外だったのか「ぬおっ!」とヤマどのが前のめりにつんのめった。そのすきに、ヤマどのの脇腹をキックする。無惨にも尻もちをついたヤマどのは、長いことそのままの体勢で動かなかった。しかし、油断はできない。ちなみにこの戦いがどんな決着になるのかは、たぶん仏さまにもわからないだろう。

 それにしても、まさか閻魔大王とファイトするはめになるとは、想像も妄想もしたことなかった。もしかしてここでファイトするために、ずっとボクシングを習ってきたのかもとすら思えてきた。だって、習っていなかったら、いまごろヤマどのと一緒に睡眠コース直行だったはずだもんね。

 まあいい。覚悟を決めたのだ。もはや、やるか、やられるか。それだけのこと。

 どちらかが動けなくなるまでの戦いなら、それでもいいさ。とことんまで、やってやる!

 地面に尻もちをついたまま、うなだれて動かないヤマどのを見下ろしていたときだ。突如、ふふふふふと、ヤマどのは不気味な笑い声をもらしはじめた。

「……ふふふ。なるほど。そなたは本当に、余がどういう存在なのかわかっておらぬようだ」

 いや、痛いほどわかってます。わかっててのコレですから。

 とはいえ、なぜかいつものような嵐は起こらず、風は不自然なほど凪いでいた。そんな中、ヤマどのはゆったりと落ち着いた様子で立ち上がった。

 服についた草花をはらい、わたしを静かににらみすえる。反撃か!? と身構えたものの、すっと両手を大きく広げたヤマどのは、そうしてからおもむろに胸の前で重ね合わせた――瞬間。

 わたしの周囲、直径一メートルほどの範囲で、ごうっと炎が燃え上がった!

「うおおっ!」

 ひるんだものの、熱くはない。これはイリュージョンの一種、幻だ。安堵しそうになった矢先、

「余を腹の底から怒らせたな、人間界の娘! あまり使いたくはないが、いいだろう!」

 ヤマどのの怒号がとどろいた。

「山内椿なる娘。大往生の貴様の寿命――半減とする!」

 ……なん、ですと!?

「えっ」

 幻の炎の向こうで、勝ち誇ったヤマどのの美しいお顔が、ゆらゆらと揺らめいていた。

 さすが閻魔大王。そんなこともできるって、そういえば遠野さんが言ってたんだった。忘れてた。

 ってことは、そうか。この炎は、わたしの寿命を半分にするための魔術だったんだ!

「早々に人間界に戻り、山ほどの欲におぼれて過ごすがよい。しかし、幸せな日々は長くは続かぬぞ。どうじゃ、恐ろしいであろう!? そうして貴様は、あらためてここに舞い戻るのだ。再会できるそのときを、せいぜい楽しみにしておこう。なに、どうせあっという間のすぐのことじゃ!」

 ヤバい、マズい、それってどーなん?

 長生きしたいわけじゃないし、自分が何歳まで生きるのかも知らないけど、半分にされた寿命のせいであと数年でここに戻るなんてことになったら、父さんを一人ぼっちにしちゃうじゃん。

 それはいかん! 絶対にいかん!!

 魔術の炎が小さくなっていく。背を向けたヤマどのが、立ち去る素振りを見せた。その瞬間わたしの脳裏をよぎったのは、雨市ならどうやってこの場をくつがえすんだろうってことだった。

 どうする? どうする!?

「……なるほどですか。そうですか」

 きっと雨市は、一か八かの賭けをする。それはおそらく、こんな感じだ。

「それはむしろ……願ったりです。ありがとうございます!」

 喜んでいるふうをよそおって、体育会系のおじぎをする。案の定、動きを止めたヤマどのが振り向いた。

「……なん、じゃと?」

 よし、山内。もうどうにでもなれだ。いっきに突っ込め!

「ありがとうございますって言ったんです! 正直、自分がいくつまで生きるかとか考えたことなかったですけども、ぶっちゃけ娑婆って面倒くさいことだらけじゃないですか。じゃあまあ、いっそそれでいいかなって感じなんで! めっちゃ嬉しいです!!」

 みるみるヤマどののお顔が、変身抜きで閻魔大王の形相になりはじめた。

「……貴様、なにを言う。半減なのだぞ?」

「どーぞ、どーぞ、いいですよ。全然、アリです!」

「半減なのだぞ!?」

 念を押された。

「はい、それでいいんです! むしろよかったです!!」

 うふっ、とかわいらしく微笑んでみる。それがヤマどのにはイラッときたらしい。

 地面へ吸い込まれていくイリュージョンの炎越しに、じっとりとした半眼でわたしをにらみすえた。

「……ほう?……己の寿命が半減でよいと、申すのじゃな?」

 よくはないけど、そう答えるよりほかになにも思いつかなかったんだから、しょうがない。

「そうでっす!」

 長い長い沈黙の間があった。と、なにやら妙案が浮かんだらしく、ヤマどのはにんまりと口元を弓なりにさせた。

「よし、いいだろう――」

 すっくと背筋を伸ばすや、さっきと同じように手を合わせる。

「――さきほどの半減、却下!」

 消えかかっていた炎が、ふたたびごうごうとうなりながら息を吹き返す。

「長く長く老いる苦しみを、貴様に与えてやろう。山内椿なる娘の寿命――」

 ヤマどのが叫んだ。

「――倍とする!」

 よっしゃ、長生ききたー!

 ってか、わたしの寿命の倍って、いったいいくつになるんだ? もしかして世界一の長寿……って、ギネスにのれるか!?

 

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