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捌ノ章

記憶を映す水の底

其ノ69

 どーんというものすごい銅鑼の音で、飛び起きる。

 夜食を食べたかったのにいつの間にか眠ってしまった。自分の睡眠欲が食欲にまさったなんて、信じられない。どうやらそれほど疲れていたみたいだ。

「……ああ。裁判開始か」

 鳴り止まない銅鑼の音が連続でこだまする中、のっそりと起きて椅子に座る。テーブルの上には朝食が用意されてあった。クローンチームの世話っぷりが、忍者みたいでおそろしい。

 身支度をととえて朝食を平らげ、鈴を鳴らしてクローンチームを呼んだ。またもや夕方までここにいろと命じられる。素直にうなずくと、二人は朝食のトレイを手にして出て行った。

「それにしても、ここに来て何日目かな」

 指折り数えてみたものの、いろいろありすぎて記憶が吹っ飛んでる。たぶん、三日は経っているはず。ため息混じりにカーテンを開けて窓の外を見る。うん、今日も元気に地獄色の空、枯れ果てた庭園だ。

 どーん、どーんと、しつこいほど鳴る銅鑼にめまいを覚えたところで、すすすと天井の通風口が開く。顔を出したのは、手ぬぐいでほっかむりをしたハシさんだ。

「うおっ! ハシさん?」

 びっくりした。てか、早っ!

 ハシさんは風呂敷包みを背負い、肩には縄を下げていた。

「おはようございます。これからわたくし、ひと仕事させていただきますが、その前に雨市さんからの伝言をお伝えにまいりました。大王さまの寝殿へ向かうのは、わたくしの仕事が終えてからとなります。いちおう、昼前に待ち合わせをしております。雨市さんたちは遠野さんをお連れしなければなりませんので、わたくしが椿さんを迎えにまいります。それまで、しばしお待ちを」

 では、と通風口が閉じられそうになったので、引き留める。待て、待つんだ師匠!

「ちょ、ちょと待って、ハシさん!」

「はい?」

「ここにはこのあと誰も来ないだろうし、わたしも行くよ。わたしも手伝う。ってか、手伝わせてください!」

 ハシさんが目を丸くした。

「おやおや! 思い出しますなあ、役所潜入での問答を!」

「あのときも言ったけどさ、わたし運動神経だけはいいんだよ。ハシさんの邪魔はしないから、手伝わせて欲しいのだ。だって、そもそもわたしが言い出しちゃったことだしさ。それなのに当の本人がボケーッとしてるとか、それはさすがにないっていうか……!」

 それこそ、己の身だけを案ずるネズミだ。うおおお、思い返せば返すほどまだヘコめるとか、礼鈴さんからの筆情報の破壊力がすごい。

 とにかく、ネズミは卒業したいのだ。せめて、心意気だけでも!

 目を細めたハシさんが、ほほほと笑った。

「おてんばなことをおっしゃるのではないかと覚悟はしておりましたが。さようでございますか」

 ふう、と息をついて、肩から下がる縄を解く。

「わたくしもこれが最後の仕事となるでしょう。そうであれば、楽しい思い出になるのも一興ですな。ようござんす。椿さんはわたくしの、生涯でひとりきりの弟子でございます。せっかくですので、手伝っていただきましょう。雨市さんに一緒に叱られるのも、よき思い出でございます」

 にっこりと微笑み、穴から縄をするりと下ろしてくれた。ようし、盗みとはいえ、これはハシさんとの思い出づくりのラストイベントだ。失敗なんかするもんか。はりきって腕をまくり、ぐっと縄を両手でつかむ。だけど、待って。

「あれ? ハシさん、この縄どうしたの?」

「椿さんの手下の方に、用意していただきました。極楽へ行けるならばなんなりとなどと、かいがいしく動いてくださいましてな。いやあ、あの方にはお世話になっておりますよ。しかし、なぜゆえわたくしどもの世話をして極楽へ行けると思っているのかが、わたくしにはわからないのですが」

 ああ、それはわたしのハッタリのせいです。そうだよ、すっかり忘れていたけど、ハイコウすまない。たぶんわたしは使者でもなんでもない、ただの娑婆の女子高生ですから!

 マジ申し訳ない。

 落ち込みそうになってる場合じゃない。ぐっと縄を引っ張って足をかけながら、それにしてもとふと思う。だったらどこにいるんだろう。

 本物の使者的な女子は、いったいどこにいるんだろ?

 

♨ ♨ ♨

 

 梁の交差する屋根裏から、外の景色がちらつく通風口に出る。人ひとりがなんとか通れる穴に足をひっかけ、両手を思いきり伸ばして屋根のひさしに手をかけると、逆上がりのような格好になった。

 足で穴を蹴って屋根にしがみつき、よじ上る。瓦葺き屋根に立つと生ぬるい風が頬をかすめ、ぷーんとかすかに硫黄のにおいが鼻につく。

 視界いっぱいに宮殿内が見わたせた。

「うわ……すご」

 予想していたものの、やっぱりでかいし広い。

 四方に建物が集合している。左側には、現在裁判中の光明院と役所エリア。前方に男子ゾーンがあり、右手に黄金色のぎらぎらと輝く大王変身前のヤマどのの寝殿。それらの真ん中に、枯れた庭園が広がっていた。

 どの建物もわたしが想像した以上に密集しており、朱色の屋根が地獄色の空に照り返されて、さらに赤く光っていた。しかも、門を超えた先にいままで見えていなかったものを目にしてしまった。

「あ、あれは……」

 南東の門を超えた先に、枯れ木ばかりの森がある。その森の背後に、うすくもやのかかった低い尾根が望めた。ここからはかなり距離がありそうだ。もっと見たくて思いきり背伸びをしたものの、門が邪魔をしてすべては見えない。

「ほうほう」

 額に片手を添えて、ハシさんがいった。

「あそこがまさしく、世にいう地獄でございますよ」

 じ、ごく……。

「じゃあ、あそこに噂の熱湯風呂とか針の山とかがあって、鬼とかもいるってこと?」

「おそらく。それに」

 わたしを見て、ハシさんは微笑んだ。

「本物の鬼もおるでしょう」

「本物? 鬼の格好してる人じゃなくて?」

「さようでございます」

 屋根に手をつき、ハシさんは腰をかがめた。

「ささ、急ぎますぞ、椿さん」

「へ、へえ」

 本物の鬼か。

 そういえばわたしはまだ、本物の鬼を見たことがない。雨市は化けていただけだし、ここにいる極卒もみんなコスプレだ。

 でも、待てよ?

「ハシさん」

「なんでございましょう?」

「あのさ。わたし、こっちに来る前に洞窟みたいなところに入ったんだ。そのとき、うっすら影みたいのを見たんだけど、あれって本物? それとも鬼の格好してた誰かだったのかなあって。ハシさん、知ってる?」

 わたしの前を行くハシさんは、周囲を気にしながら答えてくれる。

「本物でございましょうな」

 洞窟を思い出して、はっとする。

「じゃあさ、洞窟で雨市が使った魔術っぽいやつ。あれってここじゃ使えないの?」

 立ち止まったハシさんが振り返る。

「魔術?」

「うん。洞窟に洞窟ができてうねうねして、あの家につながってたんだよ。あれが使えたらどこにでも行けるんだよね? そしたらわざわざこんなことしなくてもいいし、すごく便利だよなあって思ってさ」

 ハシさんの眉が八の字になった。

「悲しいお知らせがございまして、あれはあそこでしか使用できない術でございます。雨市さんも竹蔵さんもときおり不精になりまして。通常は役所を通って戻らなくてはならないのですが、娑婆からまっすぐ家に戻りたいときがあるらしく、それでお教えしたものなのです」

 ああ、やっぱ使えないんだ。

「そっかー。それは残念だ。でも、使えるなら最初からそうしてるもんね。了解です!」

「ささ、それでは先に参りましょう」

 わたしはうなずいた。

「はい、師匠!」

 

♨ ♨ ♨

 

 屋根をつたっていて、わかったことがある。

 女子ゾーンもこじんまりとした庭を囲むように、東西南北にわかれて建物が密集していたのだ。わたしが寝泊まりしていた部屋の建物は、庭園側の東に位置していた。南の方角から、煙がもうもうと立ちこめているので、あそこが台所的な場所なのだろう。西と北にある建物が、おそらく女官たちの生活ゾーンだ。

 建物はすべて、鬼型の柱が支える迷路のように入り組んだ廻廊でつながっていた。それにところどころ、お地蔵さまの配された小さな中庭がある。

「お地蔵さまには注意ですぞ。お地蔵さまは大王さまの分身ですからな」

 そうだった。

 姿勢を低く保って、ひたすら屋根をそろそろと歩く。やがて、とある建物の上で止まったハシさんは、内ポケットから折りたたまれた見取り図を出す。

「ここでございます」 

 女校長の部屋がある建物の周りに、地蔵のある中庭はない。ハシさんは屋根のひさしに手をかけてから、するりと通風口の中に入った。

 それにしても、なにもかも見事です。マジで見事と言うしかないです、師匠!

 ハシさんに続いて、わたしも忍び込む。ここまでは順調だ。足音をたてないように天井を歩き、通風口から下をのぞいた。女校長の姿はない。

「裁判がはじまっておりますから、大勢の女官にさまざまな指示をして動きまわっておられるのでしょう。さ、いまのうちに」

 ハシさんが通風口に手をかけた。器用にくるりとそれを回転させ、すぽんと抜く。

「――では。いざ、書面を盗りますぞ」

 了解です。

 ハシさんんは背負っていた風呂敷から、墨を塗ったような半紙を取り出した。小瓶も出すと中に指を入れ、半紙の四隅に塗っていく。

「しばしお待ちを」

 それをくわえたハシさんが、梁に結んだ縄をつたって床に着地する。と、すぐさま扉の鬼顔の両目に、半紙をぺたぺたと貼り付けた。

「半紙に塗ったのって、糊?」

「さようでございます。昨夜竹蔵さんが、どこぞより拝借して来てくださったものですよ」

 経験値のなせる技なのか、みんなの悪知恵が働きまくってて、たのもしいことこのうえない。

 この部屋には窓がない。壁から突き出た例の燭台のろうそくが、ゆらゆらと不気味に揺れていた。

 扉の反対側に女校長の巨大机があり、引き出しのつらなる棚が壁際に並ぶ。ぐるりと周囲を見まわしたハシさんは、やがて机の上に風呂敷を広げ、針金を手に取った。

「ふうむ。やはり鍵がかかっておりますな」

 机の引き出しに手をかけながら、嬉しそうに微笑む。

 ハシさんが鍵穴に針金を差し込んでいる間、わたしは扉のそばに立ち、廊下から聞こえる声や音に耳をすました。そうしていたとき、両開き扉で閉じられた小さな窓を発見した。

「ハシさん、窓があるよ」

 窓に近づきながら言うと、ハシさんが笑う。

「それは観音開きの鏡でございましょう」

「そうなの? 小さい窓かと思った」

 なんだ鏡かと顔をそむけたとたん、その向こうからぼそぼそと声が聞こえてきた。空耳? いや、聞こえてる!

「ハ、ハシさん。お仕事の邪魔をして申し訳ないんだけど、この鏡から声がするよ」

「なんですと?」

 手を止めたハシさんが近づき、鏡に耳を寄せた。

「……ほう、たしかに」

「ですよね。なにこれ」

「ふうむ……」

 そうつぶやいたハシさんは、おもむろに扉に指をかけた。

「旅の恥はかき捨てと申しまして」

 いや、それはなにか違う! そう突っ込む間もなく、ハシさんは鏡の扉を開けてしまった。

 たしかに鏡だった。でも。

「こ、これって……?」

 わたしはごくんとつばを飲む。ハシさんは興味深げに鏡をのぞいた。

「なんとまあ、これはこれは。たいそう摩訶不思議な鏡ですな!」

 鏡に映っていたのは、わたしとハシさんの姿ではなかった。

 そこには裁判中の大王の前でひれ伏した、大柳雄一郎の姿があったのだ。

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