捌ノ章
記憶を映す水の底
其ノ67
「牢屋へ連れて行かれる前に、宿泊していた建物を観察させていただきました。どの建物にも瓦葺き屋根のひさしの下に、人間ひとりがなんとか入れるすき間がございましたから、おそらく西の集合棟も同じ構造となっているでしょう」
方向を指でしめしながら、ハシさんが言った。
「風を入れるための通風口でしょうな。そこから中に入りますと、屋根と天井の間に忍び込めます。どれも一階建てですが屋根の高さに違和感がございますので、柱梁構造でしょう。ですので、屋根裏も人間の通れる広さになっていると思われます。わたくしたちが宿泊していた部屋の天井のすみに竹で編まれた通風口がございましたから、同じ構造であればそこから入れるはずですな」
手ぬぐいでほっかむりしたハシさんは、ほほほと照れくさげに片手を口に添えて笑う。
それにしても、ハシさん師匠おそるべしだよ。てっきり牢でみんなを待ってるんだと思っていたら、どうやって忍び込めばいいのかを考えていたうえに、実際に動きまわっていたなんて、なにごとも極めてる人ってのはほんとすごいよ……。盗みは褒められないけれどもね!
「椿の言ってた女校長ってやつの部屋の場所はわかったよ」
竹蔵がハシさんに言った。
「けど、そこまでどうやって行くんだい? 廊下や廻廊は梁がむき出し。鬼を象った柱は気色悪いし、たしかに梁をつたって行くこともできるだろうけどさ、隠れられる天井はないよ」
「屋根でございます」
あっさりと答えたハシさんは、にっこりしながらわたしたちを見た。
「屋根をつたって目的の場所まで向かったのち、通風口から中に入ります。書面の盗みはわたくしにお任せください。久しぶりで非常にわくわくしております。しかもここは閻魔大王の宮殿。わたくし対宮殿の対決というわけですな!」
嬉しそうだった。いや、でもですね!
「そ、それはいいけども……てか、全然よくないんだけど、見つかったらヤバいのでは……? なんかいまさらだけどもさ」
そうなのだ。なにしろ大王の宮殿で盗みを働こうとしてるんだから、誰かに見つかったら最後。裁判ナシで熱湯風呂かもしくは針山、またはそういう系のどっか行き直行でしょ!
おろおろしながらハシさんに言うと、またもやほほほと笑われた。
「里下家でお世話になっていた間、わたくしが毎夜侵入していた場所を思えば、このような見張りの手薄な宮殿、正直屁でもございません」
素晴らしい。
こんなハシさんが食い逃げで捕まったことが、いまさら心底悔やまれるよ。
「まあね。たしかに地獄の宮殿にしちゃあ、見張りのやる気がまったくないね。娑婆の看守のほうがよっぽどやっかいだったよ」
やれやれと竹蔵が苦笑する。でも雨市の表情はどことなく暗かった。
「雨市、どしたの?」
「あー……いや、鬼の柱に監視されてるような気もするし、いろいろきなくせえけど、動きまわるしかねえよなあ……ってな」
「きなくせえって、なんで?」
「なんだかまるで、わざと俺たちを自由にしてるみたいだなあと思ってよ」
さようでございますなと、ハシさんがうなずいた。
「魔術がかかっていると思われた牢の鍵も、さっくり開いてしまいましたからなあ。まあ、たいそう凝った作りではありましたが」
「じゃあ、罠だって言うのかい?」
竹蔵が腕を組む。雨市はしかめ面で答えた。
「……ああ。そうかもしれねえな」
ハシさんが女校長の部屋に侵入して書面を盗むのは、明日の裁判中と決まった。女子ゾーンをうろうろしてくれた竹蔵が、今夜中に宮殿の見取り図を作るらしい。
わたしがヤマどのを怒らせたせいで嵐が起きたため、役所内の書類があちこちに散らばり、その整理に時間がかかっているのだとハシさんが教えてくれた。
「そのおかげでどさくさに紛れ、こうして出られたわけでございます」
「今夜はそれでよかったかもだけどさ、明日はどうするの?」
「なんとかなんだろ」
あっさりと雨市が言った。罠だのなんだの言っておきながら、それはさすがにテキトーすぎだよ!
「ええ!? そりゃ変装とかもあるしどうにでもなるかもだけど、なんないかもしんないじゃん」
しかも、ハシさんにいたっては変装にすらなってないし。不安だ……。
「やる気のねえ見張りがなにかの罠なら上等だっつーことだよ。こっちも利用してやるだけだ。それによ、俺たちはのんべんだらりと生きてきた人間じゃねんだ。なんにも怖いもんなんかねえの。だからおまえは心配すんな」
たしかに、詐欺師に殺し屋に泥棒トリオを心配したところで、気苦労の無駄使いかもしれないけれども。
「わ、わかったよ。でも、ほんとにほんとにみんな気をつけて!」
「そっくりそのまま返してやるよ」
あ、はい。わたしも気をつけます。むしろみんなよりも気をつけないとだよね!
「さてと。そろそろ役所の方々の整理も終わるでしょうから、わたくしは戻ります。ちなみに夜の見張りは、椿さんの手下の方らしいですよ。極卒姿の二人組に、面倒だから代わってくれと押し付けられている場面を目にいたしましたので」
なんで? なんでみんなハイコウを、わたしの手下にしたがるのだ?
「うかうかしてもいられないね。そろそろ戻るとするかい」
そう言った竹蔵が背を向けると、雨市がそれに続いた。と、ふいに振り返る。
「夜の見張りがおまえの手下なら、礼鈴を呼んでもらえるな。さっさと訊き出してやるから待ってろ」
うっかり忘れてたけど、そうだった。水桶の底に会いたい人を映すための情報を、礼鈴さんから仕入れなくちゃいけないんだった!
「なんだい、そりゃ」
竹蔵が立ち止まる。
「話せば長げえよ、戻ってからだ」
そう言って、雨市は歩き出した。立ち去る背中を見つめていたら、ものすごい嫌な妄想が脳内に浮かんでしまった。呼びつけるのは牢屋だし、ハシさんと竹蔵と遠野さんもいるわけで、あのお色気満載な女子と雨市は二人きりじゃない。そうわかっているのに、あの女子がなんやかんや言い出したりなんかして、雨市と二人きりっぽい感じになったとしたら……?
なくはない。むしろあるかもしれない。雨市にそんなつまりなんてなかったとしても、うっかりいい感じとかになったりとかしたらどうしよう。
ダメだ。それはダメだよ、許されないからね!
「ちょおーっと待った!」
遠野さんを奥さんに会わせてあげよう作戦は、そもそもわたしが提案したことなのだ。だったらそのお役目はぜひとも!
「それさ、わたしがやるよ!」
♨ ♨ ♨
庭園で三人を見送ったあと、部屋に戻る。それにしても、無事に礼鈴さんを呼ぶ役目になれてよかった。
「マジ危なかった」
ハシさんの言葉を思い出して天井を観察すると、たしかに扉の真上に、花柄を模して竹を編んだような箇所があった。いままで気づけなかったのは、天井にほどこされた装飾の一部みたいに馴染んでいたからだ。
「これに気づける師匠がすごいよ」
感心しつつ、テーブルの上の鈴を手にする。
礼鈴さんを呼び出す作戦として、雨市がレクチャーしてくれたとおり、まずは女校長クローンの二人に来てもらわなければならない。ということで、鈴を鳴らす。すると、待ってましたとばかりにすぐノックされた。そっと扉を開けると、二人はぐったりとした顔つきで立っていた。
「ずっと探しておりましたのに、いったいいままでどちらへいらしたのですか……!」
案の定叱られる。
「す、すんません」
うなだれた素振りを見せて、雨市に教えてもらったセリフをいっきで告げる。
「じ、実はですね、宋帝王さまに怒られるのが恐ろしくて、逃げたり隠れたりしておりまして……」
すみませんと何度も頭を下げる。部屋に入った二人は腰に手をあて、しょんぼりするわたしをじっと見すえた。
「……まったく、困った方ですこと。なんにせよ、本日はすっかり夜も更けてしまいましたので、明日の裁判後、宋帝王さまか養斎さまに会っていただきます」
明日の日暮れまで部屋から出るなと、二人が念を押してきた。そのときふと、雨市の言うとおりたしかにおかしなことに思いあたってしまった。
だってこの部屋、扉にも窓にも鍵がないのだ。
だからいままで、わたしも自由にうろうろできたんだけれど、なんでだろ。
「では、のちほどお夜食をお持ちいたします」
部屋を出て行こうとする二人を、慌てて呼び止めた。
「あの! ほ、本当にすみませんでした」
二人が振り返る。わたしは雨市に教えられたセリフをいっきにぶちまけた。
「すまない気持ちでいっぱいなので、なんとか挽回したいなあと思いまして! なので、ヤマさまに褒めていただけるよう、どなたかにその……ご指導ご鞭撻していただけたらありがたいかなと思っておりまして!」
目を見張って顔を見合わせた二人は、こそこそとしゃべりはじめた。
「なにやら心を入れ替えたようですわ」
「そのようですわね。大変よい心がけです」
探るようにわたしを見た二人は、やがてこちらに向きなおる。
「いいでしょう。どなたかに頼んでみます」
どなたか? いや、指名させてください!
「あの! 一度お見かけしたことのあるお美しい礼鈴さまに、ぜひともお願いしたいです!」
二人はまたもや顔を見合わせた。
「なるほど……ですが、なぜ礼鈴さまの名前をご存知なのです?」
「わたしが根掘り葉掘り、玉瀾ちゃ……さんに訊いてしまったからです。その、興味津々だったので」
ある意味、嘘ではない。
「礼鈴さまがどのような女官かも、知っていたということですか?」
「えーと、はい。まあ……」
ふむ、と二人は同時に考え込む。
「いいでしょう。明日、あなたのご提案を養斎さまと相談いたしますので、それからということで。では」
背中を向けられた。いや、待って。明日じゃ遅いんです!
「あのっ わたしはのみこみがいろいろと悪いので、できれば今夜知りたいんです!」
わたしの必死さに気圧されたのか、呆気にとられた二人はこそこそと扉の前で相談をはじめた。しばらく待っていると答えが出たのか、一人がわたしに向かって言う。
「わかりました。その姿勢、あなたも反省したようですね。本当はまだ半人前であるあなたと会っていただきたくはないのですが、どのみちいずれはお仲間となるのですから、いいでしょう。養斎さまにはわたくしどもが、のちほど報告しておきます。これから礼鈴さまをお呼びいたします」
そう言い残すと、部屋から立ち去った。
「よっしゃあー! うまくいった!」
万歳をしながらベッドに飛び込み、喜びに浸った。でも、ちょっと待って?
「あの女子、来るかな」
そもそも礼鈴さんは、大王のお気に入り女子だ。そんな女子からするとわたしは邪魔な新入りなわけで、そんな新入りにいろいろ教えたり親切にする筋合いはないもんね。
「そうだよ。なんで気づけなかったんだろ」
礼鈴さんからすれば、わたしはヤマどのをめぐるライバル……?
「えええ……それは面倒くさっ!」
もっとも避けたいややこしさだよ。息をついてベッドから起き上がった直後、ゴトンと天井で物音がした。
ん? なんだろ。
天井を見まわしていると、例の竹で編まれた箇所がぱっくりと持ち上げられた。と、そこからぬっとあらわれたのは雨市の頭だ。
「ええ!」
「しっ!」
ひとさし指を口に添えた雨市の頭が引っ込むと、竹蔵が顔を見せた。さらにはハシさんまでもがその場にいた。
「いやあ、やはりなかなかに広い造りですなあ」
「ど、どしたのっ? てっきり戻ったと思ったのに」
「興味本位でございます」
にっこりしたハシさんの次に、ふたたび雨市が顔をのぞかせた。
「うまくやれんのか、やっぱり心配でな」
「ヘタうつんじゃないよ」
竹蔵の声が重なったとき、扉がいきなりノックされた。ひっと飛び上がったのと同時に、通風口が閉じられる。
もう一度ノックされたので、息を整えながらゆっくりと扉を開けた。
「わたくしに、用事とか?」
クローンチームを従えた礼鈴さんが、笑みを浮かべて立っていた。
美人の笑顔は美しいけど、目が笑っていない。
すんなり訊き出せる気がしないけど、やるしかない。ってか、天井ガタゴトいってない?
もう全方位に気を使いすぎていまにも倒れそうだから、やめてー!