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捌ノ章

記憶を映す水の底

其ノ62

 書面は女校長の部屋にあると雨市たちに告げてから、鬼コスプレのハイコウのあとに続いて地下牢を出る。なにしろ女官の格好をしているので、男子しかいない役所ゾーンを速攻で突っ切らなければならない。というわけで、扉の前に立つハイコウに礼をのべ、これ以上ないほどの全速力で通路を走った。

 うろおぼえの通路を左に曲がり、いっきに外へ出ようとした直前、

「待て!」

 そう誰かに叫ばれた。待てと言われて待つ人間はいないので、気にせず一目散に庭園を駆ける。そうして部屋の窓を開けて室内に飛び下り、荒い息のまま床で四つん這いになった。

「……うっおお……めっちゃヤバかった」

 あの声はもしかすると、宋帝王だった気がする……。不安だけどしかたない。 

「ってか、まあいっか。もうなんだっていいって、知らない知らない。いちいち気にしてたらなんにもできないじゃん」

 ともかく、脱獄セットを渡すことには成功したのだ。あとは雨市たちを信じるしかない。気持ちをあらたにして立ち上がろうとしたとき、扉が叩かれた。返事をせずにいると勝手に開けられる。

「あら」

 顔を見せたのは、女校長クローンの一人だった。

「起きられたのですね。お顔の血色からするに具合もよさそうですから、さっそく湯浴みをしていただきましょう」

 くっそ、もう。こっちはこっちで、ややこしいな!

 

♨ ♨ ♨

 

 廻廊から見える空の色が、地獄色ならぬ夕焼け色に染まっていく。

 いったん外へ出ててから、別棟に足を踏み入れる。そのとたん、鼻につんとする硫黄のにおいが漂った。

 四つ角を鬼型の柱に支えられたそこは、どう見てもただのお風呂場じゃなく大浴場だ。石造りの浴槽はプールと呼べそうなほど広く、真正面の壁には巨大な鬼の顔が彫られてあり、もうもうと煙の立つお湯を口から吐き出している。まさか、このお湯ってもしかして……?

「……温泉?」

「さようでございます」

 二人の女官は同時にそう返答し、するすると慣れた手つきでわたしの服を脱がしはじめた。

「うおっ、ちょっ」

「じっとしてくださいませ」

 袖から自分制作の黒い虫たちが床に落ちてしまい、慌てて拾った。

「お、お守りです! に……人間界の!」

 苦しい言い訳に、二人の女官はけげんそうな顔をしただけでなにも言わなかった。ヤマさまを攻撃する最終手段を急いで拾うと、今度は下着を脱がされそうになる。

「じ、自分で脱ぎます!」

 わたしの訴えに、一人の女官が眉を寄せた。

「……なんですの、これは?」

 カボチャみたいなパンツにひっかかる、雨市にもらったネクタイピンを指して言う。

「お、お守りです! これも肌身離さずです!」 

 ネクタイピンを必死に死守すると、顔を見合わせた二人は「娑婆の女子は理解不能」と言わんばかりの表情を浮かべ、同時にため息をついた。そんな呆れ顔の女官たちに見守られながら湯に浸かる。

 あまりの気持ちよさに鼻歌を歌いそうになったものの、女官たちに急かされて湯から出るはめになり、身体を洗われ髪も洗われ、のんびりする間もなく純白の着物を着せられた。

 あっという間に髪を梳かされて化粧もされ、早々に準備はととのってしまった。

 どうしよう、マジで逃げたい……とか言ったところで、その逃げられる場所なんかどこにもないんだからしょうがない。袖には虫(に見えなくもない紙の固まり)を突っ込んであるし、それがダメなら雨市に言われたとおりのことをすればいいだけだ!

 建物の中をぐるぐると歩かされ、どこをどう歩いたのかもわからないうちに、見覚えのある鬼面の両開き扉の前に立たされた。と、二人の女官がうしろにしりぞく。

 巨大な鬼面が、ぎしぎしときしみながら左右に割れていく。お地蔵さんに囲まれた中庭の向こうで、ベッドに横たわっているヤマどのの姿が、わたしの視界に飛び込んだのだった。

 さあ。たったいまから、戦いがはじまる! 脳内でゴングが鳴り響く。

 扉を背にして仁王立ちになっていると、

「来い」

 左肘で上半身を支えるヤマどのが、くいと右手のひとさし指を曲げる。どうする? どういう作戦でいくのだ、わたし!

「なにをしておる。早く来い」

 聞こえてるから、ちょっと待て!

 無言のにらみあいを続けながら、雨市たちがどうなっているのかを考えた。うまいこと牢から出られたとして、そのあとで女校長の部屋に侵入するとなると、ここで妙な騒ぎを起こさないほうがいいような気がしてきた。だって、もしも騒ぎが起きてしまったら、面倒くさい秦広王だとか宋帝王なんかが、わらわらと役人男子&極卒を引き連れて宮殿を歩きまわるだろうし、そうしたらさすがのハシさん師匠ですら動きづらくなるだろう。それに、たとえ雨市が役人男子の格好をしていたとしても、秦広王には顔バレするかもしれない。とにかく三人の邪魔になることくらい、さすがにわたしにだって想像できた。ってことは、だ。

 この状況をなるべく長~く引っ張るしかない……みたいな?

 ……残念だけど、それ正解。

 心の中でつぶやいた直後、のっそりとヤマどのが起き上がった。

「椿なる、人間界の娘」

 ヤマどのが中庭に降り立つ。

「さきほどの無礼、余はたいそう憤っておるのだ」

「さ、さようでございますか……」

 一歩、また一歩と近づいて来る。わたしはその距離が縮まないように、そろそろと中庭を逃げまわった。すると、庭を囲んでいるお地蔵さまの頭がうっかり横っ腹にあ立ってしまう。

「うっ」

 思わず短くうめいた直後、庭の真ん中にある大きな水桶を挟んで、ヤマどのが立ち止まった。

「なんなのだ。余はそなたと鬼ごっこをするつもりはないぞ」

 へえ、鬼ごっことか知ってるんだ……って、感心してる場合じゃないし!

 お地蔵さまの頭を両手で抱きかかえ、ごっくんとつばを飲む。国籍不明な神々しいお顔をにんまりとさせたヤマどのは、ゆっくりと腕を組みながら水桶のそばに立った。

「そうじゃ、よいことを思いついたぞ」

「へ?」

 弓なりになった形のよい唇に指を這わせて、ヤマどのは続ける。

「椿なる娘よ。そなたが余のモノとなったあかつきには、牢に入れている者どもを極楽へ行かせてやろう」

 う・そ・だ・ね! 

 わたしがそれにのっかって、実際そうなっちゃったあとで「なにそれ知~らない」って言われるのが、いまリアルで目に浮かんだし!

「いっ、いえいえいえいえ、それはない方向だってことは、わたしもさすがにわかるんで!」

 ムッとされた。やっぱり嘘じゃん。

「なるほど、なかなかにひねくれた娘じゃな。まあよい」

 ため息をつくと、ふたたびこちらに近づく。もちろんわたしは逃げるものの、その距離は縮まっていく。たしかにこれじゃ鬼ごっこだ。しかも相手は閻魔大王だしなんか笑える……いや、全然笑えない!

「い、いっそむしろ鬼ごっこをするっていうのも、楽しそうでいいかもですね!」

 無駄と知りつつ提案すると、なにを言うかと却下された。時間を稼ぎたい一心でヤマどのからしりぞいていると、やがて履き慣れない靴のかかとが草花に引っかかる。うしろに転びそうになって踏ん張り、その勢いでずるりと前のめりによろけてしまった。なんとか片膝をつけた格好でことなきを得たものの、その数秒の間に目の前にヤマどのの靴の爪先が視界に飛び込んだ。

 近い。この距離はめっちゃ近い。

 ここで虫作戦? それともまだ早い? 悩みながら、袖の中にそっと手を入れようとしたときだ。

「……そなたは、余が嫌いなのか?」

 ヤマどのが静かにしゃがんだ。

「え? 嫌い……ってか、いろいろわけがわからないと言うか……」

「わけがわからないとは、なぜじゃ?」

 しんみりとした声で突っ込まれた。

「だって、あなたさまは閻魔大王さまじゃないですか。生きてたら絶対に会わない人に対して、嫌いとかそういう感情なんかないですよ。存在がめっちゃ遠すぎて」

 不気味な静寂が流れて居心地が悪くなり、おそるおそるヤマどのを盗み見る。瞬間、びっくりして目を丸くした。

「え」

 長身の身体を小さくさせてしゃがみ、膝を抱えたヤマどのは、さみしげに視線を落していたのだ。

「……余は孤独なのじゃ。ずっと一人であった。はじめてこの世へあらわれたとき、ここは光のいっさいない闇の世界であったのじゃ。ずいぶん長いこと一人きりであてどもなくさまよった。そうしているうちにいつからか、己の思い描く世界をあらわすことができるようになった」

 ヤマどのがわたしを見る。その表情はまるで捨てられた仔犬のようで、あまりの意外さに呆気にとられる。

「やがてこの闇の世が、余の創るべき世界なのだと悟った。もうずいぶん遠い過去のことじゃ。記憶も薄れてしまったが、いまではこのような立派な宮殿もでき、仲間も増えた。しかしそれでも、得も言われぬさみしさは消えぬ」

 なんで「大王さまのお悩み相談」みたいなことになっちゃってるのかはわかんないけど、このままいけば「おしゃべりで終了コース」でいけるかもしれない。誰も傷つかない優しい世界はわたしも望むところだし、たっぷりしゃべっていただこう。

 それにしても、理解不能なお方かと思ったけど、どうやらそうでもないらしい。まあ、さみしい人ほど偉ぶりたがるって、いつだったか父さんも言ってたしなあ。

「そうですか。さみしい感じなんですね」

 そういう気持ちは、わからなくはない。なんだかわたしもしょんぼりしてきた。

「そうじゃ。さみしい感じ……」

 しゃがんでいた両膝を、なぜかヤマどのは地面につける。どうした?……と思ったときには遅かった。

「……じゃ」

 両腕をがっしりとつかまれた衝撃で、ぺったりと地面に正座するはめになる。あまりのとっさのことでその体勢で固まると、にんまりとしたヤマどのはわたしをまっすぐに見下ろし、高らかな声音で笑い出した。

「ははははは、愉快じゃ、愉快! 余に同情をしてくれたのだな? しょせんは小娘じゃなあ、かわいいことよ」

 マジか、やられた!!

 いまのは全部嘘? だとしたら、地獄に落ちるがいい(ってか、まさにここだけど)!

「ちょっ、嘘っすか! 全部嘘っすか!」

 ヤマどのはふてぶてしいすまし顔で、片眉を上げた。

「そうでもないぞ。だが、たいがいの女官はこれで余に優しくしてくれるのじゃ。二度は使えぬがな。そなたの腹痛のように」

 うっそ……バレとる。どこまでバレてる!?

「そっ、そそそそれは!」

「くだらぬ時間稼ぎであろう。ともあれ、そなたはすでにここにおり、余に腕をつかまれておる。もう逃げることはできぬぞ」

 雨市たちのことはバレてはいないみたいだ。それだけでもよかった……いや、よくない!

 いいだろう、ときは来た。虫作戦はまさにいまだ! 袖の中に突っ込んだ虫をばらまいてやれ……って、腕をつかまれてるからばらまけないんだった! 足蹴りで反撃したいけど、正座しているために足を動かせない。最悪だ。

 動けない。どうする? どうすればいいのだ……って、まだ動く部分があるじゃん!

「ふんっ!」

 鼻息を荒くして、ゴツンとヤマどのの顔に後頭部を激突させた。閻魔大王に頭突きをした勇者は、間違いなくわたしだけだろう。誰か神話に追加して!

 ヤマどのがよろめいたすきに足を伸ばし、とっさにその場から離れる。

「おぬし……いったいなんなのじゃ!」

 両手で顔を包んだヤマどのが、水桶にしがみついて息を整えるわたしを見上げた。

「……まったく! 甘くすればつけあがる、人間界の娘は、いつからそなたのように凶暴になったのじゃ」

「じょ、女子高生ナメんな!」

 ……ああ、さようなら、父さん。あなたの娘はたぶん二度とここから出られない気がします。そんでそのうちに自分が誰だったのかわかんなくなってくんです……って、そんなんなってたまるか!

 ヤマどのが立ち上がった。わたしはボクシングのかまえで迎え撃つ体勢をとる。すると、息をついたヤマどのは眉を下げ、なぜか静かな眼差しをわたしに向けた。

「椿なる娘。まあ、落ち着け。本当はそなたも、さみしいのであろう?」

「……は?」

「苦労の多い人生を歩んでおるではないか。愛情のある父ではあるが、金銭感覚は欠如しておる。欲のないことは悟りへ近づくために必要な性質ではあるが、そのしわ寄せを受け止めておるのはそなたじゃ。そうであろう?」

 まあ、そうだけど。

「でも、べつにそれは」

 わたしの声が、ヤマどのにさえぎられる。

「母がおればと、思っておろう?」

 相手は閻魔大王なのだ。娑婆でのわたしの生活が、まるごと知られていても驚かない。だけど、握ったこぶしの力はどうしてもゆるむ。

「どうじゃ?」

 同意もしめさず返事もせず口をつぐんでいると、ヤマどのが言った。

「会わせてやってもよいのだぞ。そなたの母に」

 ……え。まさか、そんな。騙されてはいけない。

「ど……どうせ、それだって、う」

「嘘ではない」

 ヤマどのがにやりと笑う。ゆっくりと水桶を指し、遊びに興じる子どものように目を輝かせた。

「そなたの会いたい者の姿が、その水桶の底に映るぞ。会いたければ叶えてやろう。だからいますぐに、余のもとへ来るがいい」

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