top of page
cider_logo.png

漆ノ章

独占欲に勝る業なし?

其ノ61

「いんですか?」

 わたしが訊くと、遠野さんはしっかりうなずいた。

「いいんです」

 眼鏡をありがたく受け取ってハシさんに渡した瞬間、誰かが階段を下りて来る足音が聞こえた。緊張で身構えたものの、地下牢にあわられたのは鬼コスプレのハイコウだった。そろそろ先輩たちが帰って来るのだという。

「使者のお方、早くお戻りください!」

 そう言い残し、速攻で去っていく。すると、竹蔵が目を見張った。

「こりゃ驚いた。あんた、あのちっさい極卒を味方につけちまったのかい?」

「あれはハイコウだよ。味方っていうか、恩返しされてるっていうか……」

「恩返し?」

 宿でのおにぎり話を伝えると、「そいつはたしかに恩返しだね」と竹蔵は笑った。

 頼まれたものは無事に渡し終えたのだし、さっさと自分の部屋に戻らないといけないものの、どうにもぐずぐずしてしまう。だってさ、なんか。

 ほんとにいいんだろうか、これで。

 雨市たちが脱獄して書面を盗めたとしても、そのあとはどうなんの? うまいこと初江王に会えたらなんとかしてもらえて、わたしは娑婆に戻れるかもしんないけど、雨市たちは?

 みんなは地獄行き決定とか言うけど(すでにここがそうだけど)、脱獄と書面奪還がヤマどのに知られたら、地獄行きよりもおそろしい目にあうんじゃないの? だったらこのままここで、じっとしていたほうがいいんじゃ……。

「あのう……ですね」

「なんだよ」

 雨市がけげんな顔をする。

「やっぱりさ、わたしが自力でなんとかしようかなとか、いまちょっと思ったっていうか」

「あ?」

「いや、だってなんかさ。このことがヤマどのにバレたら、雨市と竹蔵とハシさんがどうなるのか、わたしには想像もつかないからさ。それがめちゃくちゃ怖いっていうか」

 雨市は真剣な眼差しをわたしに向けた。

「じゃあ、そっくりそのまんま、同じ言葉をおまえに返すぜ、椿」

「え?」

「こんなところにおまえがずっと居続けてたらどうなるのか、俺にはさっぱり想像できねえ。そりゃあな。俺はおまえと離れたくねえさ。つっても、ここにいて欲しいわけでもねえ。ここにいて、毎度毎度大王に呼びつけられて、なにされてんのか考えてるほうが恐怖だぜ。それに、俺はおまえをちゃんと娑婆に送り返してえの。おまえを見送ってやりてえんだ。じゃなきゃ、ただでさえしょうもねえ俺の人生が、最後の最後までしょうもねえまんまになっちまう。要するにな、なんでもいいから黙って頼れってことだ」

 そう言って、雨市はにやりと笑った。

「俺に格好つけさせろよ。娑婆に戻ってからも、おまえには俺を思い出してもらいてえからな。いい男だったって」

 頼れ、と雨市はわたしに言う。大丈夫じゃないのに大丈夫だって強がるわたしを、簡単に見透かす。そうして雨市はいつも、わたしの欲しい言葉をくれるのだ。

「うん、わかった。頼るよ。ありがとう」

 またもや階段を下りてくる足音がする。ふたたびハイコウが姿を見せて、早く早くとわたしを急かした。

「じゃ、また来るよ! みんな気をつけて、お願いします!」

 ぺこりと頭を下げて背中を向けたときだ。

「いや、ちょっと待て」

 雨市に呼び止められた。

「はい?」

  鉄格子から指を出した雨市は、わたしのつま先から頭のてっぺんまでをしめす。

「おまえの着てるそいつを貸してくれ」

 そういえばこの役人制服って、そもそも脱獄チームが必要としてるもののひとつだったっけ。

「あ! そっか」

 風呂敷包みの中には、女官制服が二着ある。一着は玉瀾ちゃんの用意してくれたもので、もう一着はわたしのだ。灯りの届かない地下牢のすみまで行って、急いで着替えた。

 それにしてもこの役人制服、もしも雨市が着るつもりならサイズが小さいような……? 

「あのさ。これ、わたしにピッタリなサイズだったんだけど、誰が着るの?」

「俺だ」

「じゃあ、きっと小さいよ。これ」

「ここは地獄の宮殿だぜ? 櫛ですら梳くだけで髪が伸びるんだ。この衣だって着たやつにあうようになってんだろ」

 なるほどです。地獄あるあるだ。妙に感心した瞬間、三度目のハイコウが登場した。

「は、早くしてください! 先輩方が戻ってしまいます~!」

「わかったよ。ごめんごめん!」

 去ろうとした矢先、ふと思い出して雨市を見た。

「そうだ、雨市。わたし、大柳雄一郎を見たんだよ」

 ハシさんと竹蔵、雨市がわたしを見た。

「あの人ってその……あのアヤコさんとかいう清楚女子の、もしかして旦那さんとか?」

 眉を寄せた雨市は、苦い顔つきをした。

「ああ。だからなんだ?」

「前に洋食屋に行ったとき、もしかして雨市はあの女子じゃなくて、旦那さんを見てたのかなあと思って」 

 腕を組んだ雨市は、やれやれと言わんばかりな深いため息をついた。

「そうだよ。そもそも野郎の動きが知りたくて、あの女に近づいただけだ。しょっちゅう会ってたのもそのせいだし、はたから見れば執着してるようにも見えただろうけど、そうじゃねえ。だから、なんでもねえっておまえに言ったんだ。それなのにおまえときたら、こだわるこだわる」

 苦笑された。そんなことなら、はじめからそう言ってくれたらよかったのに。なんで黙ってたのかと訊ねると、雨市は照れくさそうに目を伏せる。

「……そりゃあ、あれだ。恥ずかしかったんだよ」

「はい?」

「筆ごときのために女と会ってるってのが、一本気なおまえに知られるのがなんだか無性に恥ずかしかったんだよ。だったら、惚れてると思われたほうが純粋だ。そのほうがまだマシだろうって、アホなこと考えて嘘こいちまっただけだ。あいつだってただの遊びだったんだし、頼むからもう言わせんな。なにもかも俺のくだらねえ自尊心のせいだ」

 ってことは? 雨市はあの清楚女子のことを、ホントになんとも思っていなかったってこと? だけど。

「だって、雨市は本気であの清楚女が好きなんだろうなって思ってたから。竹蔵もそう言ってたしさ」

「だからあんなにこだわってたのか」

 そう言って、雨市は竹蔵をにらんだ。

「なんで俺があの女に会ってるか、おまえも知ってただろうが」

 竹蔵はすました顔で低い天井を仰ぎ見る。

「さあて、どうだったかねえ?」

 呆れたように嘆息した雨市は、鉄格子から手を伸ばし、つんとわたしの額を指で押した。

「こいつだっておまえを気に入ってんだ。俺を蹴落とすために嘘こいただけだろ。どっちにしても昔のことだ。いい加減、もう気にすんじゃねえ。いいな?」

 ずっとのどにつっかかっていた魚の小骨が、いきなりすとんと取れたみたいな気分になる。

 なんだ。そっか。そうだったのか。

 雨市は清楚女子のこと、本気で好きなわけじゃなかったんだ。

 にやつきそうになったとき、横から鬼の面がぬっとあらわれて飛び上がる。

「おしゃべりは終わりです! ぼくが叱られてしまいます~!」

 ホントごめん、いま戻ります!

 

<< もどる 目次 続きを読む >>

bottom of page