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漆ノ章

独占欲に勝る業なし?

其ノ59

 悪だくみの会話をこそこそと終えたあと、秦広王がわたしを迎えに来た。地下牢を出ながら、みんなに注文された品物を脳内で整理していたとき、ふいに秦広王が言った。

「たっぷり会話をなされたであろう? いずれは別れねばならぬこと。それが早まっただけのことじゃよ」

 わたしの険しい顔つきが、別れを惜しんで泣き出す寸前にでも見えたらしい。いや、違う。そうじゃない。まだまだそんなつもりはないし、ここにだって来るもんねと思いつつも、同意しておく。

「そ……うでございますですわね」

 わたしの演技にも磨きがかかってきた気がする。地獄の方々の目をくらまさないといけないので、この調子でさらに女優並みにならないとだよ!

 建物に続く扉が開いた。扉の前には、世にも恐ろしい顔つきの二体の鬼が立っていた。一瞬ぎょっとしたけど、ただのコスプレなんだと思うとまったく怖くない。

 秦広王が通路を歩く。小柄な背中を見ていて、ふと思い出す。わたしの記憶が正しければ、阿弥陀如来へのあれやこれやは秦広王に任せてあると、ヤマどのは言っていたはず。でも、女官になる書面に名前を書いてしまったわけだから、そういうのって如来さまにはなんて伝えているんだろ? っていうか、そもそも如来さまへのお手紙は、すでに届いてるの? それともまだなの?

「あのう……訊いてもいいですかね?」

「なんじゃ?」

 秦広王は振り返らず、つきあたりを左へ曲がる。そこは巨人大王が担架で運ばれ、ヤマどのに戻った空間だった。書類を手にして動きまわる制服姿の役人男子たちの、興味津々な眼差しが痛い。

「あ、阿弥陀如来さまへのお手紙って、どうなっているのかなあ……っていう?」

 建物から外へ出た秦広王は、腰に手をまわした恰好で庭園へ足を踏み入れながら、高らかに笑った。

「ほほほほ! そなた、あちらさまからの監視者を手で叩き払ったらしいではないか」

  そうだった……。虫さまのことすっかり忘れてた!

「そ、そそ、それは!」

「さらには女官になりますと、自ら書面に名前をしるしておいて、なにをいまさら。あちらさまはそなたのことを、戻るつもりのない者としてこちらに任せる所存であろう。もちろん、手紙はしたためて送りましたぞ。とはいえ、お返事はいただけないやもしれぬのう?」

 ええええ!?……って驚いたところで、たしかにいまさらだ。知らなかったとはいえ、自分で撒いた種だもんね。如来さまを頼れないとなると、やっぱり地下牢チームになんとかしていただくしかないってことだ。

 まずは、女官書面を盗んでいただかないと。そのためにも、わたしにできることをするしかない。

 一刻も早く、脱獄道具をかき集めなければ!

 鼻息荒く密かに決意したわたしに向かって、秦広王は女子ゾーンの建物を指した。

「忙しいので、わしはここで。部屋はわかるの?」

「まあ、なんとか」

「迎えをやるでの。それまでは部屋で待たれよ。着替えぬでよろし。どのみち湯浴みをしてもらうからの」

 ええっ! ってことは、入浴前に頼まれたものを集めて牢に行き、三人に渡さないとだめってことじゃん。急がないと間に合わないよ!

 わたしを庭園に置いて、秦広王が去って行く。背中が庭園に消えたところで、われに返った。

「急がないと!」

 脱獄道具セットを手に入れるには、どこに行ったらいいんだろ。庭園に立って建物につらなる窓をにらんでいると、視界のすみになにかの影が横切った気がして視線を向けた。

 木の幹の影からこちらをうかがっている、帽子にスーツ姿の紳士がいた。父さんぐらいの年齢だ。わたしを見ると目を見張り、ゆっくりと帽子を取る。どこかで見たことがある気がしたけれど、どこでだったか思い出せない。

 周囲を見まわした紳士が、おそるおそる近づいて来た。瞬間、思い出した。

 そうだ、わかった。雨市と行った洋食屋で見かけた紳士だ。この人は、雨市といい感じだったっぽい清楚女子の旦那さんだ。でも、なんで清楚女子の旦那さんがここにいるんだろ……。

 うっそ、まさか。この人が。

 ――大柳、雄一郎!?

 本物の筆を見つけた人だ。その筆を西崎に奪われたのは、清楚女子の旦那さんだったってこと? きっとそうだ。そういうことだ。てことは、もしかして。

 あのとき、あの洋食屋で雨市が見ていたのは、清楚女子じゃなくてこの大柳雄一郎だったのかな。いや、わからない。こんがらがってきた。ただでさえ覚えること多いのに、これ以上はわたしの頭パンクして爆発するよ!

「なにかご存知であれば、教えていただきたいのですが」

 帽子を胸に添えながら、大柳雄一郎が言った。

「ここは本当に地獄なのでしょうか?」

 けげんそうに、真っ青な空を見上げた。

「さきほどあなたが一緒に歩いていらっしゃった方が、突然自宅にあらわれましてね。またたきをする間もなく一瞬のうちに、虚無のような大地の場へと景色が変わっておりました。そこから彼に連れられて炎の川を渡り、閻魔大王の前へ引き出されたのですが、あまりの恐ろしさに失神してしまいまして……。目覚めたときには大王の姿がなかったので、夢なのではないかといまも思っているのですが、自宅には帰れそうもありませんし。どなたもなにもおっしゃらないので困り果ててしまいまして」

 完全に戸惑っている様子だった。この人も、自分が死んだなんて夢にも思っていないのかな。でも。

「……残念ながら夢じゃなくて、現実です。ここは、閻魔大王の住居兼裁判所っぽいです」

 さらに目を丸くした大柳雄一郎は、息をのんだ。直後、ヒステリックな声がどこからどもなくこだまする。

「椿どの!」

 女子ゾーンの建物からこちらをにらんでいたのは、女校長だった。

 

♨ ♨ ♨

 

 男子ゾーンを指でしめした女校長は、建物内で待機するよう厳しく命じた。大柳雄一郎がその場を離れると、わたしの腕をむんずとつかんで建物へと引っ張り、

「二度と自由に動いてはなりません! よいですね!」

 わたしを部屋に押し込めて、きっちりとドアを閉めたのだった。動くなって言われても、動かないと娑婆に戻れないですから! 

「とにかく、脱獄セットをそろえないとだよ。」

 頼まれたのってなんだったっけ。役人か女官の服と、ハサミと手ぬぐいと……。

 ……マズい。忘れてる。

「と、とにかく、思い出せるものから集めよう」

 部屋から出ようとしたとき、逆にノックをされて飛び上がる。扉の外に立っていたのは、どことなくしょんぼりとしている玉瀾ちゃんだった。わたしが鬼コスプレ一式を玉瀾ちゃんに頼んだために、もしかすると玉瀾ちゃんが手配したのだと誰かにバレて叱られたのかもしれない。

「うわ、ごめん! ごめんね、玉蘭ちゃん!!」

「えっ?」

 コスプレ手配がバレたわけじゃないらしい。じゃあ、どうしたんだろ。

「椿さん。これからはわたくしではなく別の方が、椿さんのお世話をすることになってしまいました。ですので、ご挨拶にうかがったのです。とても残念です。もっとゆっくりと、人間界のお話をお聞きしたかったのに……」

 そう言うと、長いまつげを伏せてうつむいた。

「実はわたくしは、自分がどこから来たのか、わからないのです」

「え?」

「死者であることに間違いありません。裁判時に大王に気に入られますと、地獄へも極楽へも行けず、この場にとどまることになってしまうのだと聞きました。もっともこれは、女官同士の噂で耳にしただけですし、本当のところはわからないのですが……」

「わからないって、どうして?」

 玉瀾ちゃんは、消え入りそうな声で言った。

「女官たちはみな、記憶がないのです」

 ――え。

 立ち話もなんなので、廊下に誰もいないのを確認してから、玉瀾ちゃんを部屋に招いた。

 玉瀾ちゃんが言うには、この宮殿に長い間いると、記憶が少しずつなくなっていくのだそうだ。自分がどこにいた誰なのか思い出せなくなっていき、やがてここにいるのがあたり前になってしまう。だから玉瀾ちゃんは、人間界の話をわたしから聞けばなにか思い出せるかもと考えて、お世話係になれて喜んだのだと話した。

「椿さんもわたくしたちのようになってしまうのではないかと、心配なのです。もちろん、かなり長い年月を要することですので、すぐにというわけではございません。でも、確実に記憶は消えていくのです」

「そ、それは嫌です!」

 思わず両手で髪をわしづかんだとき、はたと考えた。

「それさ、役人みたいな男子もそうなの?」

「いえ。あの方々はみな、大王さまのご子息です」

「え」

「わたくしたちとの間に生まれたご子息です。あっ、わたくしは違います!」

 頬を赤らめてまたうつむく。お気に入り女子の間にってことだ。

「ご子息らはお仕事のできる年齢になりますと、試験をおこなうのです。そうして、さまざまな場所に行かされます。ごくたまに、極楽へも。けれども、極楽に行ける方はほんのひと握りです」

 そういえばハイコウが、試験がどうのとか言っていた覚えがある。それにしてもすごいな。まさかあのハイコウまでもが、大王のご子息だなんて。

 冷静に考えると、めっちゃ怖い。だってさ、このままわたしがここにいたら記憶がなくなっていって、ほかの女官のみなさんともども大王の子孫を残し続ける……かもしれないってことだもんね。

 なんてホラー展開なんだ。顔面が蒼白してきた。それは避けたい。絶対に避けたいし、玉瀾ちゃんたちのこともなんとかしたくなってきた。でも?

「女官のみなさまって、みんなずっとここにいたいって思ってるのかな」

「……お一人おひとりのお考えは違うと思います。でも、みなさん心のどこかでは、自分はいったい何者で、どうしてずっとここにいるのだろうと、疑問を抱いている方はいらっしゃる気がいたします」

 わたくしのように。玉蘭ちゃんはささやき声で、そう付け加えた。

「そっか……」

 それってもしかして、例のあの女校長の書面と関係あるんだろうか。わかんないけど、どっちにしても。

「ここを出たいって人も、いるのかな。もしもいるんだったら、なんとかできなくないかもしれない」

「え?」

 わたしは思いきって、すべてを玉蘭ちゃんに急いで話した。どうしてこの世界へ来るはめになったのか、筆のことも雨市のことも、ハシさんや竹蔵のことも。地下牢にいる遠野さんのことも、女校長が持っているであろう書面のことも。話し終えたとき、わたしの袖を両手で握る玉蘭ちゃんは、真剣な顔つきをしていた。

「わたくしは、自分が何者か知りたいです。もしもここを出られるのであれば、そうしたいと思います」

 そう言って、わたしを見つめる。

「わたくしも協力いたします。どうぞ、必要な品物をおっしゃってください。わたくしがすべて、かき集めます!」

「え! それはありがたいけど、でも、さすがに玉蘭ちゃん、危なくない?」

「宮殿内のことは心得ております。さすがに書面を盗むなどということはできませんが、必要なお品物を用意することは簡単です。お任せください!」

 ぎゅっとわたしの両手を握った。その手をわたしも握り返す。ありがたいよ!

「ありがとう! 恩にきます!」

「早々にご用意いたしますので、しばしお待ちください。それで、お品物は?」

 そうだな、まずは、最初に必要なものといえば……。

「あの、イリュージョンの櫛! あと、折り紙的なものをお願いします!」

「え?」

 

♨ ♨ ♨

 

 櫛を置き、いったん部屋をあとにした玉瀾ちゃんは、すぐに筆と墨と半紙の束を手にして姿を見せた。折り紙がなにかわからなかったらしく、代わりになりそうなものを持って来たのだと言う。

「ありがとう。すごく助かるよ!」

「ほかのものは、またのちほど持ってまいりますね」

 そう言って帰って行く玉瀾ちゃんを見送ってから、テーブルを前にして座った。もともと半紙と筆、墨は必要なものだったし、この半紙で虫っぽいものを作って、墨を塗ればいけるかも?

 四角く手で切って、虫っぽく見えそうになるよう折ってみる……って、これは鶴だ。

「む、虫にならない……」

 もっと小さく折れば、いけそうな気がする。羽あるし、首がもっと短くなるっぽく折れば……イケる!

 原型は鶴でなんだかよくわからないものを、二十個ほど折って墨をざざっと塗ったら、指先が真っ黒になる。かまわずに続けていたとき、扉が叩かれた。

「玉瀾ちゃん、めっちゃ早い」

 感心して扉を開ける。そこには見知らぬ中年女子が二人いた。

「あれ?」

「湯浴みの刻でございます」

 

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