閻魔大王兼ヤマどのを激高させたために、牢の用意をしろと叫ばれるはめになったわたしと雨市は、役人が連れて来た秦広王と二体のコスプレ鬼に連れられて、役所的な男子ゾーンの地下に押し込められた。

　片手型燭台の炎が揺れる天井の低いそこは、暗いうえにやたら細長い。狭い通路の右側一面に、ずらりと鉄格子で仕切られた空間が並んでいた。

　一度はわたしも牢に入れられたものの、その場からいなくなった秦広王とコスプレの鬼どもが舞い戻ったとき、あろうことか竹蔵とハシさんも一緒だった。

　再会を喜ぶ間もなく、竹蔵とハシさんが同じ牢に入れられるやいなや、なぜかわたしだけが外へ出された。二人までこんなことになったいきさつの理由は、秦広王いわく、大王さまを騙した男の仲間だからということらしい。

「今後は見張りを付けますからな、これは最初で最後の面会になりますぞ。わしにも温情はある。しばし時間を与えるでの、好きにするがよろし」

　鬼を連れて、秦広王が去った。残されたわたしが鉄格子にしがみつくと、雨市はぐったりした様子で、湿っぽい石造りの壁に頭を寄せた。

「……なんだろうなあ、この感じはよ。遠い昔にも似たような目にあってた気がするぜ」

　不憫すぎる。あんなにお洒落さんだったのに、いまやシャツの襟元はぐったりで、ネクタイはかろうじて首にかかってるみたいな状態。なおかつ、ベストのボタンすら止められていない。片膝を立てた雨市は、ズボンのポケットをまさぐって煙草をつかみ、とたんに苦い顔をした。

「……あと一本しかねえ」

　最後の一本をくわえると、マッチをすって火をつけた。なんとか元気づけたい！

「ど、どっかにあるかも。手に入れるよ！」

「いらねえよ。無理すんな」

　そう言われても、そんな眩しい笑顔を向けられたら、無理をしたくなるってもんだ。

　最初で最後の面会とか言われたけど、見張りなんてどうせ鬼コスプレをした役人男子だもの。わたしのほうが強いに決まってるし、きっとどうにでもなる。そんなことよりも、三人が極楽どころか地獄の宮殿の牢に押し込められるはめになるなんて、信じたくない。

「なんか、すみません」

　うなだれる。すると、竹蔵があくびをした。

「あんたが謝ることはないだろ。裁判の順番を待ってるだけだし、アタシは寝床がどこでもかまやしないしね。ただ、女が抱けないのがなにしろ辛いよ」

　そう言う竹蔵の目は真っ赤だった。誰かがそばにいないと眠れないから、きっと満足に眠っていないんだ。雨市が即座につっこむ。

「世話する女官がいただろうが。こっそりちちくりあうのは、おまえの十八番じゃねえか」

　竹蔵はあくび交じりに、さもだるそうに首をまわして見せる。

「誰だっていいわけじゃない。アタシにだって好みってもんがあるんだよ」

　そう言うと雨市を見て、にやりとした。

「それはそうと、どうして大王にあんたの嘘がバレたんだい？」

　雨市は煙草を吸いながら、そっぽを向く。それにもかまわず、竹蔵は続けた。

「あんたこそ、こっそり椿とちちくりあってたんじゃないのかい？　おそらくそれを、誰かに見られてたんだ。で、バレた。どうせそんなとこだろうさ」

　ちちくりあうって……すごい表現だ。いや、感心してる場合じゃない。

「そらそうするだろ。椿は俺の女だからな」

　こっちもすごいことさらりと言うね！　ぎょっとするわたしを尻目に、雨市は続けた。

「つっても、なんでかいっつもいいところで邪魔が入っちまうんだよ。なあ？」

　なあ？　その問いかけはわたしに対して？　鉄格子をつかんだまま固まっていると、竹蔵はなぜか晴れ晴れとした笑みを浮かべた。

「おやまあ、それはそれは！　のろけやがって、いますぐあんたを殺したいよ」

　笑顔で言う言葉じゃないのでは……？　雨市はどうでもいいと言わんばかりにあくびをして、

「もう死んでんぞ」

　ざっくり返答した。紫煙をくゆらせつつ息をつくと、どことなく呆れたような眼差しを向けてくる。

「しっかし、椿。よくも俺に嘘こきやがったな。なーにが便所係だよ。おまえ、大王の夜伽の相手になっちまってんじゃねーか」

「はあ？」

　竹蔵が目をむいた。……ん？

「はい？」

　ヨトギってなんですか？

「一緒におやすみするってことだよ、バーカ」

　竹蔵が半眼になる。一緒におやすみって、隣で眠るだけなわけないもんね。わかりたくないけどわかる。そういう方向のやつだったんだ！

「なんでそんなことになっちまったのさ？」

　わ、わからない……。

「あんた、相手が天下の閻魔大王じゃ、こっちはどうすることもできないじゃないか。なに気に入られちまってんだい、アホだねえ」

　竹蔵にバカ呼ばわりされても文句は言えない。たしかにわたしも自分のことをバカだと思う。思うんだけれども、なんで気に入られたのかが本気でわからない。

「き、気に入られるようなことなんかしてないし。逆に失礼なことしてたはずだから、嫌われるはずなんだけど……」

　なんで、そうなった？

「どうせおまえの失礼が、向こうにとっては面白いってことになっちまったんだろ。正直、俺もそうだったからな」

　雨市が言うと、竹蔵が同意した。

「アタシもだよ」

　な、なるほどですか……。だったら、そっか！　逆なことをすればいいのかも？

「じゃあさ、失礼なことしないでおとなしくしとくことにするよ。そしたら「なんじゃ、つまらんのう」とかってなるかもだし！」

「それはダメだぞ、絶対にダメだ。むしろさらに気に入られちまう」

　なんで!?　わたしは頭をわしづかむ。じゃあ、どうしたらいいのさ！

「ど、どっちにしてもなんか考えるよ。とにかく、ヨトギ？　的なこととかしない方向になるように、なんか考えるから心配しないで！　マジ、全力で拒否るから！」

　まさか花を届けるだけの簡単なお仕事が、一緒に睡眠する困難なお仕事だったなんて、まるでブラック企業の求人情報みたいだ。さすが地獄の宮殿……。がっつりうなだれると、ため息まじりで雨市が言った。

「なんにしろ、心配してたことになっちまった。なあ、椿。そもそも俺とおまえにムカッ腹立ててるはずの大王が、おまえだけは牢から出したんだ。つうことは、俺をここに押し込めといて、その間におまえを手込めにするつもりだぞ。間違いねえ」

　……テ・ゴメ？　言語の時代ギャップが激しすぎるけど、言わんとしている意味は、なんとなく想像がつく。

「なんとかしてえし、ムカッ腹立ててるのはこっちだけどよ。ここに入れられちまったんだ、俺はもうどうにもできねえ。だったらもうなんでもいいから、絶対に我慢だけはすんじゃねえぞ。俺やみんなのこととかいろいろ考えて、我慢する必要はねえから殴れ。それにおまえは、間違いなく如来の使者だ。とりあえず初江王を探して頼れ。あの野郎は信じていい」

「りょ、了解す」

　とにかく、初江王の捜索は続行しよう。

「あと先考えんなよ。いざって場面になって、殴ってもやべえことになったらな」

　雨市は真剣にわたしを見つめた。

「野郎の急所を、やれ」

「……わ、わかった」

　そうは言っても、なるべくなら雨市たちに負担をかけない方法を選びたいんだよなあ。なんかこう、弱みとかなかったっけ……？　

　いや、あるよ、ある！　虫だよ!!

　そうだよ、折り紙かなんかで虫っぽいものをいっぱい作って、ヤマどのの目の前でばらまいてやればいい。そんで、虫に好かれてる女子アピールをすればいい。そうすればヤマどのは、もう二度とわたしの顔を見たくもなくなるはずだ！

　ほんと冴えてる。わたしこっちに来てから、めっちゃ冴えてるよ！

　鼻息を荒くした直後、それまで無言だったハシさんが言った。

「いやはや、さすがでございます。さすがは閻魔大王さまの宮殿内の牢の鍵。このようなからくりの南京錠ははじめて見ました」

　鉄格子の扉に下がる立派な南京錠に手を伸ばし、まじまじと観察している。

「もしや魔術も少々、ほどこされているやもしれません。これは腕がなりますなあ」

　嬉しそうだ。っていうか、もしかして？

「ハシさん、それはずせんのか？」

　雨市が目を輝かせる。

「わたくしの道具があれば、はずせる可能性はございます。ただし……」

　そっか。その道具はここにはないんだもんね。全員がうなだれると、雨市はげっそりした顔つきで、短くなった煙草の煙を吐いた。

「そういや、椿。初江王からの手紙の内容は、女官になるっつう書面に、絶対に名前を書くなって意味だったってよ。書いちまったら、娑婆には戻れねえんだと」

　神妙な面持ちのハシさんが、こっくりとうなずいた。

「さようでございます。お気をつけあそばせ」

「え」

　娑婆には戻れない……？

「うっそ」

　もっと早く口頭で注意していただきたかった。そういうチャンスはあったはず。いや、もうしかたない。なにもかもしかたないよ！　鉄格子をぎゅうと握ると、竹蔵が目を丸くした。

「あんた、もしや書いちまったのかい？」

「はい……書いちまいました」

「なんだって？」

　雨市の顔が般若になったとき、暗がりの奥から、

「……それはそれは。なんとかわいそうに。大変ですね」

　不気味な声が放たれて、地下牢にこだました。はっとしてそちらを見ると、いくつもの鉄格子の先に、闇の中でうずくまる影のような固まりがあった。暗くて全然気づかなかったけど、まだ人がいたらしい。

「ほかにもいたのかい？　アタシにも気づけないなんて、気配がなさすぎだよ」

　竹蔵が困惑した。目を凝らすと、仙人みたいな風貌の輪郭がぼんやり見えてくる。

「さきほどから、会話を楽しく聞かせていただいておりました」

　のっそりと輪郭が動き、鉄格子の前までくると正座する。うっすらとした灯りに照らされて、ひげも髪も床にとどくほど長い人物の姿が視界に入った。

「事情はなんとなくわかりました。書面など簡単です。それを盗めばよいのです。盗んで地獄の炎に焼けば、効力はなくなります」

　丸眼鏡をかけている男子だ。ひげと髪に顔が埋もれていてよく見えないけど、声で察するに若そうだ。

「それは興味深いですな！」

　ハシさんが目を見張った。

「もしやあなたは……木彫り師の？」

　男子が眼鏡をくいと上げる。

「本当は彫刻家になりたかったのですが、貧しさで奉公に出されましてね。結果、そのようなことを生業とする男になりました。はじめは苦労をしましたが、手先が器用なこともあって、好きな仕事となりました」

　いまだに牢に入れられている木彫り師の男子……ってことは？

「そうか。てめえがニセの筆をばらまいた野郎か？」

　雨市の言葉に、丸眼鏡男子はうつむくと、両手で顔をおおってさめざめと泣いた。

「さようです。ああ……妻に会いたい！」

 

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