top of page
cider_logo.png

漆ノ章

独占欲に勝る業なし?

其ノ55

 ものすごい静寂の中、この場にいるすべての人の視線がわたしに集中した。

 なにこれヤバい。ゴクリとつばをのんだ直後、宋帝王がわたしのカツラ付きお面に手をかける。その邪魔をする間も与えられず、お面はあっけなくはぎ取られてしまった。

 宋帝王がぎょっとする。

「……何者か。なぜ女がこのような場所にいる?」

 周囲がいっせいにざわつく。でも、ハイコウだけは目を丸め、あんぐりと口を開けていた。迷うことなく思い出してくれて嬉しいけど、この状況で挨拶できるわけもない。それにしても初江王はどこにいるの? なんでここにいないのさ!

「……そなた、なにをしておる」

 担架の上にすっくと立っている、元閻魔大王だった男子が言う。こちらをにらみすえている視線が痛い。

 初江王さまを捜索中ですと素直に返答すべきか悩んでいると、玉蘭ちゃん言うところの「ヤマ」どのは、わたしに視線を向けたまま言った。

「……余は少し休む。明日まで余を、誰も起こしてはならぬぞ」

「はっ!」

 全員が頭を下げた。こういう場面、ドラマとか映画でしか見たことないけど、ほんとにこういうことするんだ。ってか、ヤマどのってガチで偉いんだな。

「宋帝王」

 そう言ったヤマどのは、おもむろにわたしを指差した。

「その者を、一緒に連れてまいれ」

 

♨ ♨ ♨

 

 建物を出る。さっきまでは枯れ木のにぎわいだった庭園が、昨夜見たような美しい景色に変化していて驚いた。

 雲ひとつない空は濃い青で、かぐわしい花の香りがわかるほど空気も澄みまくっている。

 前を歩くヤマどのは、無言でするすると庭園を歩く。わたしを連れた宋帝王も、これまた無言だ。居心地が悪すぎていますぐ逃げたいけど、逃げたところでどこにも行けないわけで。

 だってここ、もうガチの地獄だもんね! 苦い顔でうつむいたとき、ふいに宋帝王が口を開いた。

「そなたが人間界の娘か」

「……はい、まあ……そういう感じです」

「では昨夜、極楽世界の者を追い払った者か。大王に教えられた」

 ……ん? なにそれ。

「はい?」

 そんなことしてませんが? わたしの戸惑いが伝わったのか、宋帝王はちらりとわたしを横目で見ると、口の端を上げて苦笑した。

「虫だ。あれは極楽とつながりのある監視者であるぞ」

 虫……って、うっそ! マジで!?

 足が止まる。血の気が引いて、頭の中が真っ白になってきた。いや、だってただの虫だったし! 頭をわしづかんだ格好で固まると、宋帝王がにやりと笑った。

「そなたはなかなかの猛者であるな。知らぬ存ぜぬではとおらぬぞ。いまごろ極楽の者どもは、失礼な態度で追い払ったそなたに激怒しておろうな」

 なんと言うことでしょう……。極楽の者どもって、一番怒らせたらダメな人たちじゃん!

「す、すみません! 謝ります! マジで土下座もするんで!!」

「私に土下座しても無駄であるぞ」

 にやにやする宋帝王を見ていて、やっとわかった。

 大王は弱虫で虫が嫌いだったわけじゃないんだ。極楽とつながりのある監視者だから、嫌がってたんだよ。でも、そんな深堀りな理由、わたしにわかるわけないし!

 その場にくずおれそうになって、幹にしがみつく。

 ……ダメだ。なんか、なにもかも終わった気がする……。

「なにをしておる、早く来ぬか!」

 振り返ったヤマどのが、こちらを見て叫ぶ。それと同時に、遠くの木々のうしろにさっと隠れた人影を発見してしまった。そうして幹から顔を出し、こちらをうかがっていたのは――。

 雨市だった。

 きっとハシさんが訳してくれた初江王からの手紙の内容を伝えるために、舞い戻ってくれたんだ。静かに部屋で待っているべきだったと、反省したところでときすでに遅し。

 雨市はなにしてんだと言わんばかりな鬼の形相で、こちらをにらんでいた。

「早く歩け」

 宋帝王がわたしの袖を引っ張る。

「うっ……へい……」

 雨市、ほんとすみません。反省してます! けど、心配しないで。自分でなんとかするからねと念を送ってみるも、届いているかは謎だ。

 ずるずると宋帝王に引きずられて歩き、やがて金ピカ屋根の豪勢な建物の前に着く。どんなにキラキラしていても、柱と両開き扉に掘られた鬼の姿がそれをまるごと台無しにしていた。

「では、これにて」

 握った両手を胸のあたりで重ねた宋帝王は、外に立ったまま頭を垂れる。

「え」

 宋帝王を外に残したまま、扉が勝手に閉じていく。左右に分かれた鬼の顔がひとつになったとき、ヤマどのが言った。

「山内椿。そなた、寺の娘であろう。調べはとうについておる」

 さすが、閻魔大王……って、この状況。あらためて考えたらありえないし、すごすぎる。

 わたし、閻魔大王と一緒にいるんだ。でも、いまいちピンとこないんだよ。この人が変身した巨人大王も見てるし、いろんなイリュージョンも見てきたけど、あまりにもいろんなことがありすぎて、きっと感覚がマヒしまくったんだ。

「さて、椿なる人間界の娘。その衣をどこで手に入れた?」

「えっ」

 ものすごいカジュアルな状態で、地獄の裁判官による取り調べがはじまってしまった。とにかく、玉蘭ちゃんの名前を出さないように答えないといけない。わたしは賢くないけどさ、そのくらいの頭はちゃんと働くもんね。

「うっ……ろうろしていて、うっかり見つけたと言いますか……」

「……ほう? それでそなたは、なぜゆえその恰好でうろついておったのだ」

「せ、せっかくなので、か、観光したかったみたいな……?」

「観光?」

「そうです!」

 大きくうなずいておく。ヤマどのが一歩前に出る。東西南北、アジア全土の国という国の、さまざまな人種の血がうまい具合にミックスされた神々しいお顔が、間近になった。

「椿なる人間界の娘」

 ヤマどのはなぜか不敵な笑みを浮かべる。

「は、はい」

 目力の圧がすごい。けど、わたしだって負けないもんね! 眼力を強めて見返したとき、ヤマどのが言った。

「光栄に思え。これより、余の相手をしてもらうぞ」

 ……はい?

 

♨ ♨ ♨

 

 この建物には階段がない。壁も床も磨き上げられた黄金で、二階分もありそうな高い天井を支えているのは、やっぱり鬼型の柱だった。ただしほかの建物と違って、その柱すらぎらぎらの黄金だった。

 窓はなく、またもや黄金で壁から突き出た片手型燭台のろうそくが、周囲を薄暗く照らしている。

 ヤマどのはまっすぐ正面に向かって歩き、鬼の顔が彫られた両開き扉の前に立った。扉の鬼の顔が半分に割れるように開いた直後、わたしはびっくりしすぎてのけぞった。

 みずみずしい地面には、色とりどりの花々が揺れていて、アジアのリゾート地みたいな寝室が、扉なんてない全開状態で中庭に面していた。

 これらの光景もヤマどのが巨人大王に変身したら瞬時に枯れるのかと思うと、奇妙すぎておそろしくなるし、もっとおそろしいのはこの中庭を囲むようにして、お地蔵さまが配されていることだ。

 ……相変わらず、すごいインテリアセンスだよ。

 中庭には、四体の鬼の彫像が支えている、炎を象ったデザインの水桶があった。中をのぞくと、透明な水がたっぷり入っていて、自分の顔がくっきりと映った。

 それにしても、中庭にこんだけ花があるんなら、夜に花とか持って来なくてもいいんじゃないのか? っていうか、初江王はいったいどこにいるんだろ。いや、それよりもなによりも、こっちを見ていた雨市がむしろ心配なんですけど!

「なにをしておる」

 寝室に足を踏み入れたヤマどのが、振り返った。

「い、いえ、なんでもないです……」

「早く来ぬか」

 寝室で仁王立ちしたヤマどのが言う。来ぬか……って、そういえばわたし、どのようなお相手をすればよろしいんだ?

「はあ」

 大股で中庭を突っ切り、寝室の前に立つ。もしやなにか芸的なものを披露しないといけないんだろーか。それとも歌とか? 自慢じゃないけどわたしは音痴だ。

「……それでその……わたしはなにをすれば? と言いますか、ちなみに夜も花を持って来ないといけないみたいだったんですけども、中庭にこんなにあるんだし、正直いらなくないですか?」

 素朴な疑問をぶつけてみた。どでかいベッドに横たわったヤマどのは、一瞬沈黙したあとで、大声をたてて笑い出す。

「え?」

 え、なんで? いま笑えるところあった?

「ははははは、愉快、愉快! なんと間抜けな娘じゃ。養斎がそなたに手を焼いておるのが目に浮かぶわ。教えてやろう、人間界の娘。花とは」

 やった。やっとそのポイントが判明する!

「はい!」

 意気込んで先をうながすと、ヤマどのが言った。

「そなた自身のことじゃ」

 ……は?

 どういうことだろ。すみませんね、ちょっと時間ください。花=わたしってことは、それが夜ここに届けられる的なことってなると、なんだろうな。つまりさ、ここで過ごすってことになるわけで、そんでなにをして過ごす感じになるんだろうな……。

 あれ。すごく考えたくない方向のことが、高速で脳裏を過った気がするけど、気のせいってことにして無視したい。よし、わかった。わたしは娑婆の娘なんだから、たぶんこうだ。

「……もしや現代の娑婆世界について、情報を仕入れたいっていう?」

 ですよね!?

「なにを申しておる。そのようなもの、役人が仕入れておるわ」

 ですよね。じゃあ、もしかしてこういうこと?

「ではですね、わたくしとなにかこう、スポーツ……と言いますか、運動的なことをする方向ですかね?」

「……ほう。なかなか近いぞ」

 答えるヤマどの顔は、あきらかににやにやしていた。なにかからかわれている気がしなくもないけれど、スポーツの線で当たりそうだ。でも待てよ。この部屋でできるスポーツって卓球ぐらいじゃない? あ、それだ!

「卓球なら得意ですよ!」

「なんじゃそれは」

 くっそ、違った! っていうか、知ってる! ほんとはもうわかってるんだよ!

 一瞬過ったおそろしい考えがガチで当たってるって、さすがのわたしにもわかってる。なにしろこれでも、彼氏がいるんで!

 そうとなれば、相手が閻魔大王だとか関係ない。速攻でお断り申し上げさせていただくし。

「すんません、さすがにそれは――」

 嫌ですと、言おうとした。

 それなのに口だけが動いて、のどの奥が詰まったみたいになり、まったく声が出なくなる。なんだこれ。どうしたのこれ。「あー」とか「うー」なんて声は出る。だけど、「嫌だ」というその一声が全然出ない。両手でのどを包みながら焦っていると、ヤマどのが言った。

「そなた、女官になる書面に名前をしるしたであろう? 以後、余にいっさい逆らうことはできぬのだぞ」

 な・ん……で・す・と!?

 彫像になったかのように動けずにいると、ヤマどのが近づいてきた。目前に立つと、崩れまくったわたしの髪に手を伸ばし、団子状の固まりをさらりと破壊する。髪がばっさりと背中や胸まで垂れ下がる。こんな長くてぼさぼさの髪、おばけみたいだと思うわたしを尻目に、ヤマどのはどことなくうっとりした眼差しでつぶやいた。

「まさに、原石」

 原石?

「余がたっぷり、磨いてやろう」 

 いや、いいです。ほんと遠慮しますんで!!

 っていうか、名前を書かされたことに腹が立つ。だったら最初にそう言ってよ! 絶対書かないからさ!……って、書かせるために黙ってたのか。わかる。それもわかるよ、わかるけども!

 完全に頭に血がのぼった。のぼりついでに、目の前にいるのが閻魔大王だという事実すら吹っ飛ぶ。そんなもん知るか。もうなるようになってしまえ。だけど、これだけはいわせてもらう。

 ヤマどのの顔が近づく。その顔の額にひとさし指を押し付けたわたしは、

「……ってかさ、そんな元気なら、いますぐ仕事しろ!」

 激高のあまりあと先考えずに、思いきり叫んでしまったのだった。

<< もどる 目次 続きを読む >>

bottom of page