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陸ノ章

唯一無二の裁判官

其ノ50

 一瞬の沈黙ののち、雨市が繰り返した。
「……女官?」
「うむ」
 ええ? なんでそんなことになったんだろ。わたしがそう口にするより先に、
「妙だな。なんでそんなことになったんだよ」
 雨市が険しい声音で訊ねた。
「はて。なぜかはわしにもわからぬが、大王直々のお達しじゃからのう」
「大王直々? 阿弥陀如来から返事が届いたら、あいつは人間界に戻れるんだよな? そういう約束だっただろ」
 うん、わたしも雨市に同意する。
「もちろん、戻ってはいただきますぞ。それまでは働いていただくということでしょうな。ちなみに、ひとつ訊ねてもよろしいか?」
 なんだよと不機嫌そうな声の雨市に、秦広王はふふふと笑みをもらした。
「……そなた、大王を騙しましたな」
「騙してねえよ」
 自信満々の即答だ。
「おや、そうかのう? わしにはわかるぞ、あの娘と恋仲なのじゃろう? しょせんは添いとげられぬ間柄、かわいそうに、切ないことよ」
 同情してくれてるっぽい。もしかして、案外いい人なのかも?
 そろそろと起き上がってベッドにあぐらをかき、天井から下がったきらびやかな布をにらみつつ、うーむと腕を組んでみる。なにも言わない雨市の様子は、布に邪魔されて見えない。もちろん、秦広王の表情もわからない。
「まあよい。大王には内緒にしておこう。ともかく、わしはそなたたちの味方じゃぞ。困ったことがあれば、いつでも相談にのるからの」
「だったら、たったいま相談にのってくれ。女官にするのはやめてもらいてえな」
 おやおや、と秦広王が高らかに笑った。
「それはわしにも無理ですなあ。しかし、そなた、そんなにあの娘を女官にさせたくないということは、やはり恋仲であるな? なんであれ、そなたについての罪名はさきほど拝見しましたぞ。なるほど、大王を堂々と騙すわけじゃ」
 どういう意味だよと、雨市が訊く。すると、秦広王ははっきり返答した。
「生前は詐欺師であるな。裁判はまだ先じゃが、罪は重いぞ。覚悟せよ」
 バッタンと扉の閉まる音がたつ。そのとたん、雨市の深いためいきが聞こえた。
「……じじいめ。よさそうな人相してるくせに、けっこうなくせ者じゃねえか」
 同情してくれるいい人かと思ったのに、雨市の感想は違った。たしかに、いまのところ一番親切っぽい初江王とは仲が悪そうだったしなあ。どっちを信じるかと訊かれたら、やっぱりわたしは初江王派だよ。深い理由はべつにないし、なんとなくだけれども。
 ベッドの布が開け放たれて、般若みたいな形相の雨市が言った。
「椿。あのじじいのこと、信じるなよ」
「了解す!」
 敬礼して答えると、雨市は間髪入れずにつっこんだ。
「おまえ、ここに来る途中で誰かに会っただろ」
「へ?」
 なんでわかった?
「まあ……。でも、初江王っぽい感じの人にちょこっとだけだよ。虫に大騒ぎしててなんかヘタレっぽい感じの男子だったから、べつに言うほどの人でもないかなって思って……」
 雨市はなぜか呆れたように、あんぐりと口を開けた。
「もしかして、それが大王だったんじゃねえのか?」
 いやいやいやいや。
「まさか、ないない! 普通の人間サイズだったし、顔もあんなおっかない顔じゃなかったしさ。たしかに、大王のあの顔はお面だって役所のハイコウが言ってたけど、ちゃんと口とか動いてたから、お面じゃないよ。だからさ、大王はガチでああいう巨人なんだよ」
 というわけで、わたしが会ったのは大王じゃない。そう強く説得したのに、雨市のげんなり顔は変わらない。
「ここはなにもかもがおかしいとこなんだぞ。俺たちのいた世界とまるっきし違う。おまえが会ったのが誰かは知らねえけど、考えてもみろ。あんなにでけえヤツが、どうやってこの宮殿で寝起きすんだよ。たしかに建物は立派だぜ。けど、あいつがあのまんまで動きまわるには、どこもかしこも狭すぎだ。だとすれば、魔術かなにかであの姿になってるかもしれねえだろうが」
「え!?」
 そ、その方向も……あるか?
「で、でもさ。虫が嫌だとか言って怯えてたし、やっぱ大王じゃないと思うよ。おっかないはずの大王が、そんなヘタれとかありえないじゃん」
 あの男子が大王とかだったら、地獄の威厳なんかなくなるもんね。絶対大王じゃない。
 いぶかしげに目を細めた雨市は、冷静になろうとするかのように息をつく。そうして煙草に火をつけると、どことなくうなだれた様子で煙をくゆらせた。
「なあんでおまえには、自覚がねえんだろうなあ」
「自覚って、なんのさ?」
「自分のツラが普通以上の出来映えだっつうことに、自覚がねえって言ってんの。黙ってりゃ美人なんだよ。しゃべって動くと間抜けになるけどな」
 苦笑された。美人とかきれいだとかカガミちゃんに言われたことがあるし、竹蔵やハシさんにもそう言ってもらったことはあるけど、ただのお世辞じゃなかったのか?
「そういうのさ、よくわかんないんだよ。ずっとブサイクだと思ってたから、そういうふうに言われてもお世辞とかなのかなあ……みたいなさ」
「ブサイク?」
 雨市が目を丸くする。
「子どものころ、男子にブサイクだって言われてたから、そうなんだろうなあってなんとなく思ってるとこあるんだよ。だからあんまし、身なりとかオシャレとか気にしたことなかったんだ。ブサイクなのにかわいいことしてもアレかなって……」
 だから、雨市に櫛をもらって、すごく嬉しかった。竹蔵が用意してくれた着物も、嬉しかった。あぐらの恰好でうつむいたら、ふいに雨市の手が、あごに添えられる。わたしの顔を軽く上向きにすると、雨市が顔を寄せてきた。
「気を惹きたくて、ブサイクつったんだろ。ガキの言葉を気にしてるなんて、かわいいとこあんなあ。いや、おまえはちゃあんと美人だ。澄んだ目は大きくてきれいだし、鼻筋もすっとしてて、唇も」
 雨市の親指が、わたしの口に触れる。
「いい形だ」
 にやっとした雨市は、指ごと手を離して煙草を挟むと、ベッドから腰を上げる。テーブルの上の灰皿に吸い殻を捨て、わしわしと自分の髪を手でかき、腕を組んだ恰好で振り向くと、椅子の背もたれに腰を押し付けた。
「どういう経緯か知らねえし、おまえが会ったっていう野郎も気になるが、なんにせよおまえがそういうツラしてるって、大王にまともにバレちまったんだろ。俺の苦労が水の泡だ」
「よくわかんないけど……すみませんでした」
「しゃあねえよ。怒ったところでもうどうにもできねえし。それに」
 言葉をきると、自嘲気味な笑みを浮かべてうつむく。
「……ここが人生の最終地点だ。逃げるわけにもいかねえし、たとえそうできたとしても行く場所もねえ」
 人生の最終地点。秦広王の言葉がふと過る。
 詐欺師の雨市の罪は重いらしい。それはそうだろうと思うけど、だとしたら竹蔵とハシさんは? 娑婆でなにをしてきたのかはおいておいても、三人ともわたしにとっては悪い人じゃない。
 地獄は怖くはないと竹蔵は言っていた。ハシさんだって、きっと覚悟はしているんだろう。でも、わたしとしては三人とも、地獄に留まってほしい人たちじゃない。
 もちろん、罪は罪だ。だから、極楽に直行できないのもわかる。だけど、そういうのってどうにもできないことなんだろうか。ここのことはまるっきりわかんないけど、たとえばさ、ちょっとの間地獄にもまれて、そのあとで極楽浄土に行けるとか。そういう、蜘蛛の糸的なシステムはないのかな。
「険しいツラで黙りこくって、どうした」
「しっ! いまなんか悟りそうな感じだから、黙って!」
 あ? と腑に落ちない表情の雨市を尻目に、わたしはあごに手を添えて考える。そうして、大王とはじめて対面したときのことを思い出した。

───使者であったならば、それなりの褒美を持たせなければならぬ。

 はっとする。そうだよ、そうそう! もしもわたしが阿弥陀如来の使者だとしたら、大王は褒美をつかわすって言ってたんだった。
 だったらその褒美を、わたしを助けてくれた人たちの極楽行きにすればいいんだよ!
「そっか!」
 鼻息を荒くさせながら、立ち上がる。わたしが阿弥陀如来の使者かどうかはまだわかんないけど、それが判明するのを指をくわえて待ってるわけにはいかないもんね。ダメもとでも、その方向で動いておいて損はない。そうとなれば、女官になるのは具合がいいかも。だって、女官の恰好で堂々と宮殿内をうろうろできるじゃん。そんで初江王を見つけて、ご褒美をみんなの極楽行きにするにはどうしたらいいのか聞いておいたりできるじゃん?
 すっごい興奮してきた。わたし、めっちゃついてない!?
「ついてる!」
 突然の叫びに、雨市がビクリとする。
「なにがだよ」
 興奮のあまり、雨市の両腕をがっしりと握った。
「大丈夫、オールオッケーだよ。わたしに任せて!」
「なにがどうなって、〝わたしに任せて!〟になんだよ」
 詐欺師にもこの素晴らしいアイデアを、見透かすことはできないみたいだ。まあ、そうだろうね。でも、いましゃべっちゃったら叶わないような予感もする。それに、嬉しいサプライズは最後までとっておきたい。
「ごめん。いまはまだ内緒ってことで」
「なんなんだよ」
 もちろん、セツさんにも極楽に行っていただくから、心配無用だよ!……って、そうだった。セツさんのこと、まだちゃんと訊いてなかった。
 まさか心中してただなんて、なんかショックだ……。しょんぼりとうつむいたとき、
「今度は暗いツラかよ。わけわかんねえぞ」
 雨市が苦笑する。
「いや、そのさ。セツさんのことを……ちょっと考えてしまいまして」
 ああ、と雨市が嘆息する。
「……相手は玩具屋の客で来てた、家族持ちの絵描きだ。詳しくセツに訊いたことはねえけど、惚れてることなんて見てりゃわかる。絵描きのくせにそこそこ裕福な男で、二人して宿で薬を飲んで、男のほうだけ助かっちまった」
「え」
 なにそれ。辛すぎる。
「そのあと、俺は牢に入れられて、男がどうなったのかは知らねえよ。あの世界で暮らすようになっても、そいつに会ったこともねえ。自分が死んでると思ってないセツは、野郎のことをまだ想ってるらしかったけど、向こうはセツを避けてたのか、一度も玩具屋にあらわれねえ。しょうもねえ野郎だ。つっても、しょうもねえ野郎に惚れたセツも、しょうもねえってこった。そいつもどうせ地獄行きだ。けど、セツだけはなんとかしてやりたかった」
 その男子にもやもやするし、三発ぐらいストレートで殴りたい感じだけど、そんな相手でもセツさんはきっとすごく好きだったんだ。一緒に死んでもいいって、思うぐらいに。
 純粋に、一途に。
「そっか……。教えてくれてどうもです」
 生まれ変わって、次は本当に幸せになれる人と恋人同士になってもらいたいな。そのためにも、やっぱりなんとしてでも極楽に行ってもらわないと!
 女官になってうろうろ情報集め作戦、決行だ。
「雨市。わたしが女官になっても、心配しなくていいからね。わたし強いから!」
「それは知ってる。俺が心配してるのはそういうことじゃねえよ。大王がおまえに目をつけたんじゃねえかって言ってんの」
「それも大丈夫。大王にはお気に入りの女子がすでに何人かいるっぽいのだ。だから、大王に食べ物持って行ったりとかのお世話するのは、そういう女子だけだよ」
「じゃあ、なんでおまえを女官にしたんだよ」
「わたしが使者かどうかわかるまで、タダ飯食べさせるのはいかがなものかってなったんだって。ついでにトイレ……じゃなくて、お便所掃除でもさせとけみたいな」
「お便所掃除?」
「わたしなんか下っ端中の下っ端スタートなんだから、どうせお便所掃除担当だよ。宮殿中のお便所掃除するかもだからうろうろできるし、ついでにいろんな情報仕入れるからね。ちょいちょいここにも来られると思うし、いいことずくめだよ!」
 うおお……武者震いだよこれ。マジでなにもかもがうまくいく予感がしてきた!
 そうとなったら、まずは自分の部屋に戻って、どうやって初江王と接触したらいいのか、作戦を練らないとだよね。
 急がねば!
「じゃ、そういうことで!」 
 雨市に背中を向けて、窓のカーテンをつかもうとした矢先。
「おい、待て」
「はい?」
「おまえ、そもそもなにしにここへ来た?」
 なにしに……って、そうだった。
「いやあ……それ言うのめっちゃ気まずいんだけど、くねくね女子といい感じになってたらやだなあって思って、見張るために来たっていうか……」
 しゃべりながら窓を開けて、窓枠に足をかける。
「でも、わたしのお世話してくれる玉瀾ちゃんが、あの女子は大王のお気に入りの一人だって言ってたんだ。それでもなんかもやもやして来ちゃったんだけど、全然心配することなかったぽくて、なんか疑ってごめんなさいでした」 
 ってことで、じゃ! 窓から外に出ようとした矢先。
「おい、待て」
 背中のシャツを引っ張られてしまった。
「うおっと、なに?」
「あの女、大王のお気に入りなのか?」
「そうみたいだよ」
 いったん床におりる。雨市は考え込むかのように、眉根を寄せた。
「頼むから、気をつけてくれ。俺もなんとか動きまわってみるけど、おまえのそばにいてやれねんだ」
「わかってる。大丈夫だよ。でもさ、ここにいられてちょっと嬉しいよ。もうちょっと一緒にいられるもんね」
 デヘヘと笑って見せると、雨市も険しい表情をゆるませた。
「……おまえを育てた親は、いい親なんだろうなあ」
「なんで?」
「まっすぐで素直だなあと、感心するぜ。はじめは男まさりでどうしようもねえ娘だと思ったけど、ひねくれてるわけじゃねえもんな。思ってることをちゃんと相手に伝えられるってのは、おまえの宝だ。だから、おまえを育てた親は、いい親なんだろうと思ってな」
 お金には縁がなさそうだけどね。
 わたしの前の前に立った雨市は、のぞき込むみたいにしてにやっと笑った。
「……そんなに、俺のことが好きか?」
「うん。くねくね女子を無視してるの見て、さらに尊敬した。雨市、マジでい――」
 い男子だ、と告げる前に、わたしの唇に雨市の唇が重なる。
 ふいうちすぎてびっくりしたけど、まぶたを閉じると頬が雨市の両手に包まれた。その手に自分の手を重ねると、雨市の唇が静かに離れる。
「……さっきの続きをしたくなるから、ここでやめとく」
「う……うん、それがいいと思う」
 いまのわたしには、あの続きはハードルが高すぎる。でも、会えなくなるときが必ずくるわけで、そしたらあの続きも……しといたほうがいいんだろうか?
 考えても、いまのわたしにはわかんないや。
「……くっそ、あのじじい」 
 チッと、雨市が舌打ちした。
「あいつが来なけりゃ、おまえを部屋に戻すつもりもなかったのによ。ったく」
 ってことは、朝までここに? いや、深く考えるのはよそう。
「と、とにかくさ。なんとしてでも、明日も来るからね!」
 雨市に背を向けようとしたとき。
「椿」
 振り返ると、雨市はわたしのあげたネクタイピンをつまんでいた。
「手、出せ」
 言われるがままに右手を出すと、手のひらにそれをのせた。
「おまえにやる」
「え? でもこれ、雨市にあげたやつだよ」
「わかってるよ。でも、これはおまえにやる。実はけっこう気に入ってたんだぜ。これはおまえにもらって、俺のものになったもんだ。だから――」
 そう言って、わたしの手をぎゅっと包み込む。
「娑婆に持ってけ」
 思い出を持って行けと、言われた気がした。
 きっとこれは、櫛の代わりだ。今度は肌身離さず持ち歩こう。
「うん、わかった。もらっとく」
 ズボンのポケットに入れる。
「帰り道、わかんのか? 部屋まで送ってやりてえけど、二人でいるのを誰かに見られたら、おまえの立場が悪くなる気がすんだよ。なんせ女官になっちまったんだからな」
 心配そうな眼差しで、見つめられてしまった。
「わかるから、大丈夫だよ」
 窓枠に足をかけて、地面に着地する。と、また名前を呼ばれた。肩越しに窓を見上げると、雨市が身を乗り出して見下ろしていた。
「なあ、椿。俺は筆を盗るために、おまえの部屋に入ってよかったと思ってんだ。最悪な出会い方したけどよ、おまえに会えてよかった」
「え」
 すごく優しい笑顔で、雨市は言った。
「俺の人生の最後の最後に、会えた女がおまえでよかったとつくづく思うぜ」
 ぐっと胸が詰まる。なにも言えなくなって、照れ隠しの笑みを浮かべ、わたしはその場をあとにした。庭園を駆けながら、嬉しいのか切ないのか、わけがわからなくなってちょっと泣いてしまったけど、泣いてなんていられないのだ。
 絶対に絶対に、みんなを極楽に行かせてやるからね!

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