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陸ノ章

唯一無二の裁判官

其ノ45

 初江王の年齢は、たぶん三十歳前後。カツラ付きのお面をかぶるためか、長い黒髪をうなじのあたりできっちりとお団子にまとめている。
 面長の輪郭で、きれいに弧を描いた眉、ひと重まぶたの瞳に上品な鼻筋&小鼻という、全体的にすっきりとした印象のハンサムな大人男子だ。
 そんな品のよさげな雰囲気とは裏腹に、裸足の足に下駄、鬼の衣装と思われる衣服の丈は足首まであって、裾はほつれまくっている。もちろんボタンなんてついているわけもなく、ボロボロな灰色の布を革のベルトでなんとかおさえているという状態だった。
「しょ……こうおう、さま?」
 信じられないと言わんばかりに、ハシさんが思いきり首を傾げる。と、しんと静まった闇夜に、魑魅魍魎系の雄叫びが遠くからこだました。視線を遠くさせた初江王は、ふっと自虐的な笑みを浮かべた。
「……まあ、いろいろありましてね。左遷されてこのありさまです。わたくしだって、もとは初七日の死者の方々を審問する審問官。それがとあるお方の我がまま放題のせいで、乱れまくって大混乱。誰が味方なのかもわからないまま必死になって正そうとした結果、いまや鬼の衣装をまとった極卒のひとり、地獄の亡者の見張り番ですよ……ふふふ」
 初江王のほつれ髪が、ゆるすぎる夜風にひゅううっとなびいた。なんかめっちゃ、疲れてるっぽい。そのうえどうやらわけありらしい。
 ぽかんとしているわたしたちを尻目に、初江王は鬼のお面と金棒を地面に置くとハシさんに近寄り、閻魔の筆を丁寧な仕草で持ち上げた。
「……これのせいで、本当に苦労いたしました」
 そう言ってから、呪文を唱えるかのように口を動かす。とたんに筆は淡い光を放ち、ずんっ、と二倍の大きさになる。ぎょっとして目を丸くしたのもつかの間、ずんずんと人の背丈ほどの大きさになった。
「……たしかに。本物です」
 巨大化した筆を両手で持った初江王は、ドンッと音をたてて筆を地面に押しあてる。するとすぐに、筆は元の大きさに戻った。え、なにそのイリュージョン。すごすぎ。
「あ、あなたさまが、なぜゆえここに?」
 ハシさんが訊ねた。初江王は閻魔の筆をベルトにおさめながら、
「毎晩亡者どもを、地獄よりも一段上のこの世界へ引き連れて来るのがいまのわたくしの仕事でしてね。針山だとか熱湯風呂だとかに押し込まれ続けるのもかわいそうですから、こうして自由にさせてあげる時間を与えているのです。とはいえ、今夜はどうも奇妙だ。この辺りになぜか結界があるようで、彼らが近づきたがらない。それでふと見わたしてみたところ、あらわれるはずのない花火を目にして、もしやと思い駆けつけた次第です。この筆がどのような経緯であなたがたの手に落ちたのかは、いずれ訊ねるとして」
 言葉をきると、困惑気味に顔をしかめた。
「……人間界の娘をご存知ありませんでしょうか? 大王の筆がここにあるということは、たぶんその娘も一緒のはずなのです。年の頃は十六、七で……そうそう」
 わたしを見る。
「ちょうど、あなたのような年頃の娘です」
 スーツを着ているから、初江王はわたしを男の子だと思っているらしい。ここはこのまましらばっくれるべきなんだろうか。どうしたらいいのかわからず雨市に目を向けると、険しい表情で初江王を見すえていた。不穏な空気が黙っていろと告げている気がする。うん、黙っていよう。そう決めた直後、なぜか初江王ははっとしたように目を見開いた。
「……ああ! まさかもしや、あなたでしたか!」
 速攻でバレた。勘がいいらしい。
「……ご無事でなによりです。このたびは誠に、ご足労をおかけいたしました!」
 そう言うやいなや地面に両膝をつき、両手もつけて深々と頭を下げた。
「いっ、いやいやいやいや、わたしは全然たいしたことない人間なんで、そんなむしろ逆にめっそうもない……感じでございますから!」
 とか言いつつ、頭のすみで不安になってきた。やっぱそうなんだろーか。阿弥陀如来の使者って、ホントにわたしだったのか? まったく実感ないんだけど、偉い人っぽい初江王が平伏してるみたくなってるってことは、きっとそういうことなんだよ。でもさ、いまさらだけど、なんでわたしだったんだろ。だってさ、もっとほかにいたと思うんだよね。なんていうかさ、もっと賢い大人女子とか、女子じゃなくても男子とか。そうそう、めっちゃ修行積んだ三蔵法師みたいな偉いお坊さんとかさ! それが、なんでわたしだったんだ? わたしが首を傾げそうになった矢先、
「初江王さま、お訊きしたいことがあります」
 雨市が問いかける。初江王はゆっくりと立ち上がった。
「なんでしょうか」
「そもそも、どうして大王さまの筆は、このようなことになったのですか? わたしも彼も」
 自分の背後に立っている竹蔵を、険しい顔でちらっと振り返る。
「賞金稼ぎに名乗りを上げ、いままでさんざん探しまわってきました。ですが、本物とともにニセモノの筆が人間界に出まわった理由は、知らされていないのです」
 初江王は同意をしめすかのように、ゆっくりとうなずいた。
「……大事な筆を無くすなどあってはならぬ恥ですから、民には詳しい理由が知られないよう役所には気を配っていただきました。ともかく筆はこうして、いまはわたくしの元にある。如来さまの使者と一緒ということは、あなた方はこの方を守ってくださったのでしょう。そのお礼を込めまして、そもそもの発端をお教えいたしましょう」
 ふう、と息をついてから、初江王は語りはじめた。
「生きているというのに、人間界とこちらを行き来できる摩訶不思議な人間が、ときおり存在いたします。日本国の平安の世にも、かつての印度にも、そして中国にも修行を積んだ僧侶でそのようなお方がおりました。そんな中、これまた日本国の無名な木彫り師で、ちょくちょくこちらにあらわれる男がいたのです。この男が地獄をうろついていたところ極卒に見つかり、閻魔大王の前へ引き出されたわけです。腕のいい木彫り師ということがわかり、大王が気に入りましてね。それからというもの、女官たちの櫛やら髪飾りやらを作るようになったのです。作ってはこちらにあらわれ、また注文を受けて人間界へ戻る。そのようなことを繰り返しているうちに、その男の妻が天寿をまっとうしたわけです」
 初江王によれば、亡くなった奥さんを追いかけてその生きたまま男もやって来た。閻魔の筆の存在を知っていた男は、それが無ければ裁判が滞ることも知っていたから、裁判の順番待ちをしている奥さんに会いたいがために、それまでなんの飾りもついていなかった筆に、ひとつ立派な彫り物を入れましょうと、閻魔に提案したのだった。
 気をよくした閻魔は、信頼して筆を男に渡す。渡された男は人間界へは戻らずに、閻魔の王宮に滞在しながらひと晩で彫りを仕上げる。その間、閻魔は女官と遊んでいて、目覚めたら男は一本の筆を部屋に残し、宮殿から姿を消していたという。
 その筆が。
「……すでに、ニセモノだったのです。彼は人間界で彫った筆をすでに所有しており、本物の筆とそれを入れ替えてしまったのです」
 激怒した閻魔大王は、役人を人間界へ派遣する。男はすぐに見つかって……まあ、拷問をかけられる、みたいなことになっちゃったわけだけども、時すでに遅し。本物の筆がどこにあるのか、当の男も知らないというのだった。なぜならば。
「彼はもう、自分の妻が床に伏していた頃より、百七本もの筆に彫り物を仕上げてあったのです。そしてそれらをさまざまな行商に売りさばき、質に入れ済み……だったのです」
 ニセモノは全国各地へ流れ流れて、本物もそれにまぎれてどっかにいってしまったあとだったのだ。
 ってことは、あの日本酒の製造会社は、日本全国をめぐり巡ったその筆を購入して持っていたってことになる。そうしてさらにわたしが景品として、手にするにいたってしまったんだ。
「刻の観念は、こちらと人間界とは違いましてね。こちらの一日があちらの十年に匹敵する時もあれば、その逆もまたしかり。とてもあいまいなものなのです。ですから、木彫り師の生きた時代と同じ、この区域に属する方々に筆を探していただきました。そのような方が多岐にわたりすぎましても、役人が把握しきれませんから」
 ん? ちょっと待て。
「あれ? じゃあ、こっちの一日が向こうの十年ってことは、わたしが戻ったらどうなるんすか」
 十年後? それともまさかの五十年後とかになったりして!?
「あ、いえいえ、大丈夫です。刻の齟齬なくわたくしが責任を持ってあなたさまを戻させていただきますので」
 ああ、よかった。本気で焦った!
「で? その木彫り師は?」
 竹蔵が訊く。
「はい。男は大王さまによって寿命を半分にさせられ他界いたしました。というわけで、こちらに来てから裁判が滞っているいまも、王宮の牢に入れられております。そして男の妻はいままさに、この区域で普通に生活しておられます。なにしろ裁判がおこなわれておりませんから。しかしそれも本日まで。これよりは即座に裁判に入らせていただきます。ですから」
 姿勢を正した初江王は、わたしに向かって右手を差し出す。
「あなたのお役目は無事に終了いたしました。いますぐに、いっこくも早く、わたくしはあなたを人間界へ戻さなければなりません」
「……え?」

 

 

 立ってくださいと、初江王はわたしの腕をつかんだ。てか、え? いますぐにって、これで終了? いや、本物の筆は見つかったんだからもっともだけども。でも、もっとややこしい感じで、あともう少しぐらい長引くかと思ってたのに。
 長引いて、雨市ともちょっとだけ、一緒にいられると思ってたのに?
「えっ、いやいや、早すぎ。ちょっと落ち着こう!」
「わたくしは落ち着いておりますが?」
 そうじゃない。
「せ、せめてあと一日! ってか、そうそう! 家にですね。お世話になった家の部屋に大事なモノがありまして!」
 雨市に貰った櫛も、それにジャージとTシャツも部屋に置きっぱなしなのだ! まあさ、あんなぐだってる寝巻き代わりはどうでもいいけど、櫛だけはなんとしても取り戻して持ち帰りたいんだよ。こんなことなら肌身離さず持ち歩いておけばよかった。落して無くすかもと思って部屋に置いて来た自分の首を絞めてやりたい!
「さまざまな理由はあるでしょうし、離れがたい事情もあるやもしれませんが」
 初江王は眼差しを険しくさせながら、わたしに顔を近づけた。
「正直なところ、急ぎたいのには理由があるのです。なんと申しましょうか、あなたのお姿はたいそう女官向き……」
 にょかんむき?
「あ?」
 片眉を上げた雨市が、濁った声で語尾を上げた。その直後、どんよりと空気がよどみ、世界のすべてが一瞬だけ静止した感覚に包まれる。同時に瓦屋根の家々が、いっせいに海のさざなみのようにぐわんと大きく揺らめいて見えた。目の錯覚かと思った刹那すぐに戻るも、一軒の壁から小柄な人影が突き抜けてあらわれた。
「やれやれじゃ」
 両手をうしろにした小柄な老人が、のん気な様子で近づいてきた。白髪を頭のてっぺんできっちりとまとめていて、光沢のある紫色の衣服を身に付けている。着物に似ている上着は膝丈で、帯は金色。裾がしぼんでいるズボンを履いており、炎をあらわすような刺繍がほどこされてあった。
 そんな衣装やたたずまいもさることながら、なにしろ胸にとどくほどの顎髭のせいで、仙人みたいに見えなくもない。
 老人を見下ろした初江王の横顔が曇る。
「……またですか。また、わたくしを尾行しておりましたね」
「おやおや、物騒なことを申すのう、初江王どのは」
「物騒なことではございませんよ、事実を申したまでのことです、秦広王(しんこうおう)どの」 
 シンコウオウって、いつだったか耳にした覚えがあるぞ。なんにしても、「王」がつくぐらいだから初江王の仲間ぽい?
 ぐぐぐと秦広王はつま先立ちになる。初江王は腰を曲げて、秦広王を見下ろす。そんな二人の額は、いまにもくっつきそうだ。
「……よくもわたくしを左遷させましたね」と初江王。
「おまえさまが、大王に内緒で如来を頼ったからじゃ、わかっておろう? 左遷させたのはわしじゃない。わしも辛いのじゃよ? とはいえ……」
 秦広王のつぶらな視線が、つつつと初江王の帯へ動く。筆を目にするや「ほう!」と声を上げ、おもむろにわたしを見た。
「……おや? 紳士の格好をした娘がおるわい。ほほう、これはこれは、困りましたなあ」
 なにが? 首を傾げるわたしをよそに、初江王は眉をひそめた。
「わたくしの邪魔はさせませんよ、秦広王どの! これからわたくしは、この方を人間界へ戻さなければなりません。大王にはどうかどうかご内密に!」
「なにを申す、初江王どの。ご内密もなにも、わしは大王に命じられてここにおるのじゃ。これ、人間界の生きた娘」
 わたしを思いきり見上げて、秦広王はにっこりした。
「大王が会いたがっておる。その者らも一緒に、わしと共に来ていただくぞ」
 つま先立っていた秦広王は、ぺったりと地面に靴底をつけた。
「もちろん、初江王どのもじゃよ」
 お待ちくださいと叫ぶ初江王をスルーし、秦広王は腰にまわしていた両手をかかげると、パンッときれいな音をたてて叩く。その音が闇夜にひびきわたった瞬間、それまで目にしていた光景が、ごうっとうねる砂塵のように視界から散って消えていった。
 そうして散って、ほんの一瞬のうちに、周囲は荒廃した大地と化す。
 血のような色の空、乾ききってひび割れた大地、その大地は三百六十度山はおろか木々もなにもなく、地平線はきれいに一直線だ。
 ただし。
「……なに、あれ……!?」
 朱色と金で彩られた門塀が見える。しかもそれは、ありえないほど左右にのびていた。地平線にとどくほどで、超巨大な建築物だとわかる。しかも金棒を手にした鬼が、そんな門を囲むように点在して立っている有り様だった。
 炎を象って彫られた金色の、ビルでいえば十階建てはありそうな門扉に腰が抜けそうになってきた。
 なにこれ、リアルホラーだよ。めっちゃ怖い。
「うおおう……う、うう、雨市っ」
「落ち着け、ここにいるから」
 震えながら雨市の腕を両手でつかむ。自分の帽子を取った雨市は、わたしの頭にかぶせると、つばをぐっと深く下げた。
「……おまえが心配で死にそうだぜ。もう死んでんのによ。こいつで顔隠しとけ。ずっとうつむいて、なんにもしゃべんじゃねえぞ。いいな?」
「い、いいけど、なんで?」
「なんでもいいから、そうしとけ!」 
 秦広王にうながされて、門扉の前に立つ。ぎりぎりと不気味な音を鳴らしながら、扉は内側へ、放たれた。

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