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伍ノ章

廿日鼠と白い鷹

其ノ42

 どっくんと、鼓動が弾けた。

 次の瞬間、西崎の腕が壷の間からぬうっと伸びる。わたしはとっさに、壷を思いきり押しやった。ガッツンと腕に壷があたった西崎は、その衝撃で軽く尻餅をつく。床に倒れた壺は音をたてて割れ、もったいないことに中身の米が、ざざっと大量にこぼれてしまった。

 うおおっ、農家の皆さん、めっちゃすんません! 

 テーブルの下から這い出たわたしは、急いで裏口のドアに手を伸ばした。いや、待て。雨市はここにいろと言ったのだ。西崎から逃げるために外へ出てしまったら、三人はわたしがどこにいるのかわからなくなってしまうし、探す手間までかけてしまうことになる。

 くそう、西崎。マジ邪魔くさい……っ!

「飛んで火にいるなんとやらとは、このことだ」

 ドアに張り付いた恰好で振り返ると、西崎は壷のあたった右腕をさすりながら、幽霊みたいなぼうっとした輪郭で立っていた。この場面、暗がりのせいで超怖いんですけど!

「な、なな、なんで……ここに……っ」

「ひとりになって考えごとをしたかったのでね」

「部屋でたっぷり考えればいいじゃん」

「……この時間はここがもっとも静かですから、気に入っているんですよ。それにしても、マッチの炎で妙な影が一瞬見えましてね。こっそり誰かと逢い引きするつもりの使用人が隠れているのだとしたら、やんわりお説教をしたほうがいい。そう考えてしゃがんでみたものの、これはこれは……」

 にやついた声音でそう言った西崎は、床に転がる壷の破片を踏みつつ、近づいてくる。ってか、米! 米も踏んでるから、米に謝れ!

「かくれんぼとは……」

 パキパキと破片を押しつぶしながら、西崎は続けた。

「……なんとかわいらしいことだ」

 西崎の手が伸びてつかまれそうになった寸前、わたしはドアから離れてテーブルの奥に逃げる。勝手口側の西崎とかまど側のわたしは、テーブルを挟むかたちで対峙した。

 ここでこうしていてもしかたがないし、いったいどうすればいいのだ。脳みそを総動員させて考えろ、わたし! 

 この台所を出て邸内に入ったほうがいいんだろうか? でも、そうしたところで西崎は追ってくる。眠っている使用人だとか大柳の偉い方々が起きちゃって、おおごとになる可能性大だ。

 邸内に通じるドアは、しっかりと閉じられている。ハシさんの魔術のおかげで、ここでどんだけ大きな音をたてても漏れ聞こえることがないから、いまのところは誰も目覚めないですんでいるわけで……。

 なんとかここで踏ん張って、ハシさんたちの戻りを待ちたい。そうして一緒にここから出たい。脳内会議の結果、ここからいっさい動かないことに決めた。

 物置に監禁されていたときは両手が拘束されていたから身動きがとれなかったけれど、いまは違う。

 今夜のわたしは、違うのだ!

「あなたがここにいるということは、里下も一緒である確率が高い」

 テーブルに両手をついた西崎は、わたしを探るように身を乗り出した。

「もしや、邸内に忍び込んだ里下を、ここでけなげに待っていたとか?」

 西崎はじりじりと、テーブルをまわり込んできた。

「……わかっていますよ。閻魔の本物の筆を盗みに来たのでしょう。違いますか?」

 え、なんでわかった?

「……は?」

 困惑するわたしに向かって、西崎はなぜかはははと笑った。

「里下が己の身かわいさに、極楽へ行くため筆を探していたとは思っていません。正義の味方面した偽善者ですからね。たぶんどなたかのために、ここと人間界を行き来していたのでしょう。とはいえ、実際に手に入れたのは大柳のご子息です」

「いや、そいつからあんたが盗ったんでしょ」

 思わずつっこむと、西崎は乾いた笑い声を上げた。

「よくご存知だ。それらしきことをほんの少しにおわせただけで、あなたが里下に伝えるだろうことは私の予想の範囲内でしたよ。結果はこのとおり、里下は私の罠にかかったネズミだ!」

 そんなこと、こっちだってすでに予想の範囲内だ。だからびっくりはしないけど、なんで西崎はそうまでして、この世界に居座ろうとするのだろう。

「あんたはなにがしたくて、こんなややこしいことしてんの」

「……永遠にここに留まっていたいだけです。生きていたころとなんら変わらない日常を、ただただ過ごしていたいだけです。それに飽きたら筆を探しあてた持ち主に、さりげなく戻しておけばいいだけのこと。そしていさぎよく地獄へおもむきましょう。それまでは絶対に、誰にも邪魔はさせません。わたしがこの世界を、牛耳っているのですから!」

 ……うわ……引いた。マジで引いた、こいつ、本気でヤバい人だ!

 執着だと、直感した。死んでもなお、ひとつのところに留まっていたいという西崎の欲求は、間違いなく誰よりも強い。

「しかし、わざわざここへ乗り込んだというのに、かわいそうなことだ」

「かわいそうって、わたし?」

 どうしてこいつに、上から目線で同情されなくちゃならないのか。ムカつく!

「里下ですよ」

「……なんで?」

「里下が本物の筆を手にしたとしても、閻魔から褒美をもらえる者は変わらないからです」

「……え」

「先日訪れたおしゃべりな役人によれば、閻魔の筆は覚えているそうです。自分を探しあてた者のことを」

 役人って、絶対ハイコウな気がする……っていうか。

「は? 覚えてる?」

「閻魔の本物の筆は、己の見聞きしてきたことをすべて覚えている。ある意味、生きている筆なのです。ですから、己を探しあてたのが誰なのか、誰に盗まれたのか、すべて〝わかっている〟ということです。さすがは閻魔大王の筆、なかなかに律儀で賢い筆ではありませんか」

 ――え。じゃあ、全然意味ないじゃん!

 こいつから筆を奪って、わたしを娑婆に戻そうとしてくれてる雨市たちの苦労は、そもそも水の泡ってことじゃん。それにくわえて、雨市はセツさんのこともなんとかしたかったはずなのだ。そういうことの全部のきっかけを本物の筆に賭けていたのに、褒美をもらえるのは大柳の息子て……!!

 なんだろ、この無情感。マジ、無情過ぎる!

 ぬうっと西崎の腕が伸びて、はっとする。条件反射で避けたわたしは、体勢を斜めにしながら西崎の腰に蹴りをかました。

「……!」

 よろめいた西崎の身体が、棚にぶつかる。手袋をした両手をしっかりと握ったわたしは、低い体勢から西崎のお腹めがけて、アッパーを入れてやった。

 うっと声をもらした西崎は、お腹をおさえて床に膝をつく。とどめを刺すため、西崎の背中を蹴り上げようとした矢先、逆にその足を西崎につかまれた。

 ずるりと足を引っ張られたわたしは、背中から床に倒れた。馬乗りになった西崎の首に両手をかけたものの、その手首に短い爪をたてられて静脈が波打ってきた。

「いっ……」

 ……痛、痛いわ! 耐えられずに力を緩めると、西崎が顔を近づけてくる。不敵で不気味な笑顔が近すぎる!

「すっかり甘く見ていましたよ。そういえばあなたは、こういうことをする娘でしたね」

 そうです、わたしはこういう女子です! わたしの両手首をつかんだ西崎の、荒い息が顔にかかる。

「里下は邸内か。どこにいる?」

 答えずにいると、さらに爪をたてられた。わたしの手が冷たくなって、力がなくなっていく。でも、絶対に答えるもんか。

「言え! どこにいるかと訊いている!」

「知らないよ! 知ってても言うもんか!」

 全気力をかき集めたわたしは、「ふんっ!」と勢いをつけて西崎の額に頭突きした。

 ――ゴッ。

「――――!!」

 西崎はわたしの手首を離し、頭を抱えて一瞬のけぞった。頭蓋骨がひびいて脳みそがぐらぐらするし、めっちゃ痛いけど、そのすきになんとか上半身を起き上がらせる。

 ぐっと右肘を引き、西崎の頬に拳をめり込ませるつもりだった。それなのに、いよいよ堪忍袋の尾が切れた西崎は、わたしの腕を左手でがっしりとつかみ、右手であごを押さえ込んだ。

「……やんちゃもほどほどにしろよ、娑婆の娘。かわいさあまって憎さ百倍だ。おまえの身体を競売にかけてやるつもりだったが、いいだろう」

 いいだろうって、なにが!?……ってか、今度はあご痛い、あご! しかも口が、アヒルみたくなってるし!

「ふんぐー……!」

 にらみを利かせるわたしを尻目に、西崎はにんまりと唇を弓なりにさせた。そうして笑った西崎が視界に入った瞬間、わたしは自分の目を疑うはめになった。

 薄く口を開けた西崎ののどの奥から、ぼうっと青く光る蛇のような物体が、にょろにょろと出てきたのだ。

 ええええ、なにこれなにこれ。ホラー感がガチすぎて、さすがのわたしもついていけないから!

「……うっ!」 

 青く光ってにょろにょろしているのは、西崎の魂的な物体な気がする。きっと西崎は、わたしの身体に乗り移ろうとしているのだ。

 ヤバ……意識が遠くなってきた。

「うっ……い、ち」

 そうささやいたとき、邸内につながるドアがいきなり開いた。

「――なにしてやがる!」

 聞き覚えのある声に、ホッとして泣きそうになる。これ、夢じゃないよね?

 青いにょろにょろが、西崎ののどの奥に戻って消えていく。と、西崎の胸ぐらがつかみ上げられて、雨市の拳がその頬に飛んだ。

 西崎の身体が傾く。そのすきに床を這ったわたしは、西崎から離れた。

「う、いち!」

 助かった感激で、思わず呼び捨ててしまった。お、と短い声を発した雨市は、西崎の胸ぐらをつかんだまま振り返ってニヤッとした。だけどそれも一瞬のことで、雨市は西崎に向きなおった。

「……こういうことを避けるために、わざわざ貴様の寝室に忍び込んだんだぞ」

 静かなのに、怒気を含んだ声音だった。

「そのおかげで右手が痛てえ。どうしてくれる」

 そう続けてから、もう一度殴る。西崎はとうとう床にのびた。

 雨市は西崎をあお向けにし、シャツをまくり上げた。サラシを巻いた胸の脇に、細長いモノを挿していた。

 ――ハシさんの予想が、的中した。

 でも、無駄なのだ。西崎から筆を盗っても、褒美は大柳の息子に与えられるんだから。

 そのことを雨市に告げようとしたけど、どうしても声にできなかった。

 閻魔の本物の筆を手にした雨市は、それを腰のベルトに挿した。立つ気力がなくて床に足を投げ出しているわたしを見てから、ゆっくりと近づいてくる。

「……けっこうさ、やっつけたんだよ。わたしも」

 安心させるために、笑顔をつくって言う。目の前にしゃがんだ雨市は、わたしを引き寄せるとそっと抱きしめた。

「……そういやおまえは、そういうヤツだったなあ」

 くしゃっと頭を撫でてくれ、「もう大丈夫だ」とわたしの腕をさすってくれる。

「雨市〝氏〟じゃなく、雨市ってやっと言ったな」

 雨市の肩に額をくっつけたら、なんだか無性に泣きたくなる。

「……うん」

 なんで泣きたくなったのかは、自分でもよくわからない。安心したからか、それとも、筆を盗っても無駄だと言えないからか。

 たぶん両方だ。

 哀しいけど、泣くもんか。泣いたら雨市が心配する。必死に涙を我慢していると、またドアが開いた。あらわれたのは、ハシさんだ。

 横たわる西崎とわたしと雨市を交互に見て、ハシさんは目を丸くした。

「おっと! なんとまあ、たいそうな場面ですなあ。無声映画もびっくりでございます」

 無声映画がなんなのかはわからないけれども、びっくりな場面だってことは伝わった。

「……あれ? 竹蔵さんは?」

「西崎氏の部屋に入ったものの、重要な西崎氏がおられない。ひとまず金庫は開けたものの、不在の西崎氏を待っていても無駄と判断しまして、三人でべつべつに部屋をあとにしたのですが、園谷氏やら安田氏やらが、なぜかわらわらと屋敷を歩きまわっておりましてなあ。まあ、竹蔵さんもいまに来られるでしょう。して、筆は?」

「俺が持ってる。ハシさんの言うとおりだったぜ」

「それはようござんした。わたくしの予想もまだまだ使えますなあ!」

 ハシさんがそう言った直後、床に倒れていたはずの西崎が、のっそりと動く。あっ、と思う間もなく上半身を起き上がらせた西崎は、おもむろに右手をうしろにまわした。

 雨市が近づくより早く、西崎はなにかを握った右手をこちらに向ける。

 それは、黒光りする拳銃だった。

 西崎が狙っているのは、ハシさんでも雨市でもない。なぜか、生きているわたしだ。

「――椿!」

 わたしを抱えた雨市が、床に伏せる。直後、ドアが開いた。

 はっと息をのんだ西崎は、拳銃の向きをとっさに変えた。でも、その動きは一歩遅い。

 シュッと音をたてて、なにかが空中を横切った。そのなにかが、西崎の指先を傷つける。手から拳銃が離れて落ち、ナイフがざっくりと床に突き刺さった。

 ドアを閉めるなり西崎めがけて駆け、その身体を馬乗りで羽交い締めにしたのは竹蔵だった。

 西崎の首に左手をかけ、ぐっと床に押し付けると、帯から短剣を出してちらつかせる。

「……このツラを忘れたわけじゃないだろうねえ、西崎」

 西崎は答えない。

「ようく見な。暗くて見えないか? それとも忘れたかい?」

 やっぱり西崎は無言だ。すると、西崎の顔に短剣を近づけた竹蔵が、笑みを含んだ声音で、いった。

「これが、娑婆でてめえを殺した、男のツラだよ」

 ――え。

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