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伍ノ章

廿日鼠と白い鷹

其ノ39

 障子窓から射す光の加減が、黄金色になりはじめた。

 結界を作るために出かけたハシさんはまだ戻らず、竹蔵は腕枕をして眠っている。ひとりでは眠れないと言っていた竹蔵も、とうとう睡魔におそわれたらしい。寝息すらたてているので、爆睡していると思われる。そしてわたしはといえば、部屋の隅にちんまりと正座して、対角線上にいる雨市をじいっと見つめているところだ。

 煙草を吸っている雨市は、大柳邸の見取り図を見下ろしていた。こうしていると、さっきのやりとりが嘘みたいに思えてくる。

 ……え。もしかして、あれってわたしの妄想?

 願望が強すぎたせいで、起きているのに見ちゃった夢とかだったらどうしよう……。だって、思いが通じたよねって感じになってうきうきでこの部屋に戻ったら、雨市はなにごともなかったみたいな顔つきで煙草に火をつけるや、いまの位置に腰を下ろしてからずっと無言なのだ。その間、わたしのことはちらりとも見てくれなかった。

 ……もしかして、本気で妄想? わたしの妄想なのか……!?

「……遅せえな」

 やっと雨市が声を発した。

「えっ」

 雨市が顔を上げる。わたしを視界に入れたその表情は、いたって普通。恋してるっぽさゼロだった。

 いかんせん彼氏とかいたことがないので、こういう感じで正しいのか判断できないんだけれども、もうちょっとラブを押す感じなんじゃないのかな。

 そこんとこどうなの。違うの? うーん、わからない!

「もう日が暮れてきちまってる。ハシさんが心配だ」

「えっ?」

 煙草を灰皿に捨てると、雨市は腰を上げて帽子をかぶった。眠っている竹蔵をしばし観察してから、眉をひそめてわたしを見る。

「竹蔵は本気で眠ってるようだから、ちっとハシさんを探して来る。すぐ戻るから、おまえはこの部屋から出るなよ」

「わ、わかった。気をつけて!」

 正座をしたまま背筋を正し、なんでか敬礼してしまった。

「なにしてんだ」

「わ、わかんない……」

 小さく吹き出した雨市は、わたしのそばまで来ると目の前でしゃがんだ。

「竹蔵は眠ってるけど、それでも近くに寄るんじゃねえぞ。いいな?」

「うん」

 小さく笑んだ雨市は、しばらくわたしを見つめていた。瞳がきらきらして、すごくきれいだな……ってか、そうそう、これこれ! こういうラブっぽいやつ、求めてたよ!

「……よかった。妄想じゃなかったんだ」

 思わず声にしてしまった。

「あ?」

 きりっとした雨市の眉が、片方上がる。

「妄想って、なんだよ」

「い、いや……まあ。あまりにもいろいろと雨市氏が普通なので、ついさっきのあれやこれやはもしかしてわたしの夢とか妄想だったのかなとか、思ってしまったと言いますか……」

 気まずくて視線を落としながら、ぼそぼそと答える。煮えきらないわたしの言葉から、察しのいい雨市は要領を得たらしい。肩を揺らしてクスクスと笑うと、

「……ホント、アホだよなあ」

 わたしの右頬を手のひらで優しくたたいて、腰を上げた。

「……俺にかまってもらえねえから、自分の妄想だと思うなんてな」

 そう言って部屋を歩き、引き戸に手をかける。と、嬉しそうにほころばせた表情でわたしを一瞥し、戸を閉める間際につぶやいた。

「妄想じゃねえよ。かわいいとこあんだな」

 うっそ。いま、かわいいって言われた?

 色気がねえ、かわいげがねえと言われ続けたわたしが、かわいいとか言われた!?

 どうしよう、ヤバい。めっちゃ嬉しい。富士山に登って叫びたいほど嬉しすぎる!

 かわいい自分をたたえるために、拳をぐっと握った瞬間、ぐうとお腹が鳴ってしまった。なんかもう、ホントがっかりだわ……。

「まあ、色気より食い気っすよね……」

 

♨ ♨ ♨

 

 ハシさんは戻らず、雨市も戻らない。竹蔵はまだ眠っている。そんな中、わたしはおにぎりを二個も平らげてしまった。

 すっかり満足したついでにお茶を淹れて、大柳邸の見取り図を眺めながら、部屋の隅に座っていただく。三階建てのご立派な屋敷は、迷路みたいに入り組んでいた。方向感覚がゼロとはいえ、自分なりに覚えておこうと必死になって記憶していると、吸って、吐いて、吸って、吐いて……という竹蔵の寝息が荒くなりはじめた。

 なんか苦しそうだな。どうしたんだろ。

 顔を上げた直後、竹蔵が寝返りをうった。こっちに顔が向けられて、四帖分の距離があるというのにわたしは思わず身構える。

 竹蔵は低いうめき声をもらしながら、身体を丸めた。かと思った瞬間、突然がばりと上半身を起き上がらせた。

「わっ」

 びっくりして、わたしはのけぞる。竹蔵ははあはあと肩で息をしながら、目を見張っているわたしを視界に入れた。その顔は、幽霊のように真っ青だ。

「……た、竹蔵さん、大丈夫?」

「……水、あるかい」

「ぬるいお茶ならあるよ。それでもいい?」

 竹蔵がうなずく。わたしは湯呑み茶碗にそれをそそぎ、おそるおそる近づいて渡した。受け取った竹蔵は、いっきにそれを飲み干した。

「……いっつもおんなじ夢だ」

 ぜいぜいと息を整えながら、竹蔵はつぶやく。その額には、汗が浮いていた。

「おや?……なんだい、あんただけかい? 雨市はどうしたのさ」

「ハシさんが戻らないから、様子を見に行ったよ」

「……ふうん」

 はあ、と深く息を吐きつつ、やれやれと竹蔵はまぶたを閉じた。

「……やっと眠れたと思えばこれだよ。殺されて当然な野郎ばっかり斬ってきたのに、あいつらが山ほど夢にあらわれる。……まったく、なんだってんだ。こっちだってもう死んでるってのに」

 弱々しい苦笑を浮かべながら、強がるようにひとりごちる。いつだって裏と表がありすぎて、本性がその陰に隠れちゃってる人だけど、いまは違うとなんとなく思う。きっとこれが、竹蔵の本当の姿だ。

 いまにも泣きそうなのを必死に堪えて――孤独を生きた人。

 竹蔵は首に巻いたストールをはずし、小刻みに震えている肩にかけた。

「夕方になってなんか寒いよね……って、そうだ! ここにお布団があるよ、竹蔵さん」

 とっさにうしろを向いたわたしは、押し入れのふすまに手をかける。すると、

「椿」

 そう呼ばれて振り返る。竹蔵は視線を落として、うつむいていた。

「……布団はいいから。悪いんだけどさ。ちょいと、こっちに」

 つん、と畳を指でさす。

「はい……?」

 座ったままで、ずるりと竹蔵のそばに寄る。

「もちょっと、こっちだ」

「えーと……あんまりそばに行かないようにって、一部の人から意見があって」

「雨市だろ。なにもしやしないから、いいからおいで。頼むよ」

 その声があまりにもつらそうで、〝なにもしやしない〟という言葉を信じる気になってしまった。きっと悪夢を見たせいで、竹蔵とはいえ心許なくなってしまったのかも。

 ふたたびずるずると近寄っていくと、突然竹蔵の左腕が伸びて――。

「――わっ!」

 右腕をつかまれて、引っ張られた。

「な、なにさっ!」

 座ったままのけぞるものの、竹蔵の力のほうが強くてどんどん引っ張られる。すると、わたしの胸に顔を寄せた竹蔵は、自分の耳を押しあててきた。

「な、なにっ……!?」

「心臓の音が聞きたいだけだよ。黙ってろ」

 わたしの胸に、竹蔵のさらっとした黒髪が広がる。ぴったりと耳を押し付けた竹蔵は、長いまつげを伏せていた。

「……ああ、落ち着く。生きてる音だ」

 生きてる音。その言葉に、なんでか泣きたくなってしまった。

 この音でよければ、いくらでも聴いていいよと、思ってしまった。

 だって、わたしが竹蔵にしてあげられることは、これくらいしかないもんね。

「……あんた。この先、雨市とどうすんのさ」

「えっ……え?」

「アタシにはわかってんだよ。どうせ雨市とうまくいったんだろ。先もないのに、どうすんのかって訊いてんだ」

「どうするって……べつにどうもしないよ」

 ゆっくりと耳を離した竹蔵は、顔を上げてわたしを見た。

「どうもしない?」

「う、うん。わたしが全部、覚えていたらそれでいいかな、と」

 びっくりしたように、竹蔵は目を見開いた。

「だからさ、竹蔵さんのこともハシさんのことも、ずっとずっと忘れないからね」

 押し黙った竹蔵は、なぜかいまにも泣きそうな顔をした。それを悟られまいとするかのように、わたしから離れると立ち上がって背中を向ける。

「……あーあ……そうまで言われちゃ、あんたに嫌われるようなこと、なんにもできなくなっっちまった」

「え?」

「あんたには、覚えていてもらいたいからね。こんな人間もいたってことをさ」

 そう言った竹蔵は、さみしさを押し隠すように小さく笑んだ。

「わたしよりもめっちゃ強い人、そんなに会ったことないもんね。だから、きっちり覚えてるよ」

「なんだいそりゃ、色気がないねえ」

 わたしは笑ってしまった。

「だよね、知ってる」

「……あんたはホントに、おかしな娘だ」

 竹蔵が苦笑をもらした直後、引き戸が開いた。ハシさんと雨市だった。

「おい、その距離近えぞ。大丈夫か、椿?」

「大丈夫もなにも、見りゃわかんだろ。ふたりで仲良く世間話してただけだよ」

「ホントか?」

 雨市が不安げにわたしを見る。胸に耳を押し付けられたことを除けば、ほぼそのとおりだ。

「うん、ホントだよ……ってか、ハシさんはどこにいたの?」

 ハシさんは恥ずかしそうに、ぽっと頬を赤くした。

「おにぎりがありますのに、どうにも我慢できずに蕎麦屋に入ってしまいました。ご心配をおかけしてしてしまい、なんとも恥ずかしいことです」

 のん気に蕎麦を食べていたらしい。さすがは師匠。経験による自信からなのか、緊迫感ゼロだ。

 もちろん結界は作り終わっていると、ハシさんは言った。日差しが大きく傾いて、部屋の暗さが増したとき、雨市が告げた。

「そろそろ、準備だ」

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