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肆ノ章

大柳邸に潜入せよ

其ノ28

 寝返りを打とうとしたものの、身体が痛すぎて目覚めてしまった。
 ぼんやりとした視界にまず飛び込んだのは、積まれた木箱だ。そのまま見上げると、天井が斜めに傾いている。
 板床に寝転がったまま、ぐぐぐとあごを上向きに反らすと、黄金色の西日が射し込む小さな窓がある。天井は、その窓に向かって低くなっていた。どうやらここは、どこかの屋根裏部屋らしい。広さは六畳程度で、壁には木箱。屋根裏部屋かつ物置といった感じだ。
 なんとか起き上がって、後ろ手にされて縄で縛られている手首を動かしてみた。ええい……くそうっ!
「……ふんっ!」 
 気合いを入れて、力まかせに縄をほどこうとしたものの、無理だった。……まあ、だよね。
 銭湯を出てから見知らぬ男子に声をかけられ、ハンカチで鼻と口を塞がれたところまでは覚えてる。ドラマとかでしか見たことないけど、ホントにやる人いるんだな。ってか、それはどーでもいい。
 気を失っている間にここに押し込められて、どのくらい時間が経ったんだろ。西日が射しているってことは、夕方かな。ってことは、二時間くらいか。
 なんでわたしをこんな目にあわせているのか意味不明だけど、声をかけてきたあの男子って、もしかして西崎の手下だったりして。
「……まあいいや。なんでもいいから、とにかくこっから逃げないと!」
 きっと雨市が心配して、いまごろ探しまくってるかもしれないもんね。絶対自力で逃げてやる。
 窓に近づいて外を見ると、手入れの行き届いた広い庭があった。左方向には門扉があって、敷地内は門に囲まれている。反対側に視線を移したとたん、衝撃を受けたわたしはあんぐりと口を開けてしまった。うっそ、なにあれ、マジで!?
 そこには帝劇もビックリな、超豪勢な洋館が建っていたのだ。
「……うっわ、貴族?」
「違います」
 いきなり背後で声がして、ぎゃっと飛び上がってしまった。
 ドアを振り返ると、わたしを連れ去った男子が、立ったまま本を読んでいた。グレーのスーツ&かっちり七三分け&若いのか若くないのか、判断するのが難しい、生真面目そうな純日本人顔だ。
「い、い、いつから」
「ずっと見張っておりました」
 なんなんだよもう、忍者かよ!
「もうすぐ西崎さんがいらっしゃいますので、しばしお待ちを」
 男子が本を閉じて言う。わたしはうなだれた。やっぱり西崎か……。ってかさ、西崎はいったいなにがしたいんだよ……。
「それにしても、驚きましたよ。まさか人間界の者が、生きたままこんなところへ紛れ込むとは」
 純日本人顔の男子が、ゆっくりと歩み寄ってきた。
「あなたを連れ去る間、かぐわしい人間界の香りに懐かしさを覚えましてね。この際西崎さんを裏切って、いっそその肉体へ乗り移ってしまおうかと何度も思いました」
 目の前に立った男子が、にやついた顔でわたしを見た。風呂上がりのわたしは、さぞかし娑婆の匂いをまき散らしていることだろう。最悪だ。
「……まあ、なんとかその思いを、打ち消すことができましたけどね」
 わたしをのぞき込みながら、西崎の手下が言った……ってか、顔が近い!
「うっ」
 のけぞると、ゴツンと後頭部が窓にあたった。両手を縛られているから、必殺パンチでノックアウトさせることもできない。西崎が来るまでに、なんとかここから逃げないといかん。そうするには、この手下にダメージをくらわせるしかない。
 いいだろう。ダメージを……くらわせてやる!
「ぬおうっ!」
 軽くジャンプして勢いをつけ、間近にいる手下の額に向かって、思いきり頭突きをかました。ガツンという小気味よい音とともに、本を落した手下はうめいて額を手でおさえ、その場にしゃがむ。そのすきにドアへ向かって駆け出したものの、わたしの額も超痛い!
「うっ……ってえええ」
 涙目になりながらドアに背を向けて、ノブに手をかけると、床に膝をついた恰好で手下が叫んだ。
「……っつうう。なんて娘だ! 顔に似合わないじゃじゃ馬め!」
 叫びながら腰を上げ、大股で近づいてくる。ノブをまわす手をいったん止めて、手下の隙だらけのお腹をめがけて、キックボクシングの体勢で左足を蹴り上げた。
 ――ドスッ!
 手下が床に倒れたときだ。
「楽しそうだな、宮田」
 ねちっこい声が、後ろから放たれた。振り返らなくても、入って来たのが誰かはわかる。速攻でドアから離れると、宮田と呼ばれた手下はわたしを指し、涙声で訴えた。
「西崎さん! 品のいい顔をしているくせに、その娘はとんでもないじゃじゃ馬ですよ!」
 ふっと西崎が笑った。見れば見るほど衣心にそっくりすぎる。でも、衣心に対してなんだか悪い気がしてきた。あいつはいやみったらしいけど、少なくともわたしを監禁するようなことはしないもんね。
「手強いか。まあ、そうだろうな」
 楽しそうな声音を放つと、西崎は静かにドアを閉めた。
「あの里下が、妻だと嘘をついてまで自分の家に住まわせている、人間界の娘だからな」
 ……バレてた。めっちゃがんばって装ったのに、その苦労が水の泡だったとは。
 軽いショックを受けて突っ立っていると、西崎が宮田を追い払った。若干乱れ気味な黒髪をかきあげると、にやついた顔で煙草をくわえる。
「筆を探すために向かった人間界で、里下があなたを拾ってしまったぐらいのことは、私にも予想はつくのですよ」
 西崎はわたしを見ると、笑いながら煙をくゆらせた。
「責任感の強い男ですから、あなたを元の世界へ戻すまで、夫婦のふりでもしておこうと提案したのでしょう。まあ、あなたのマズい演技のせいで、はじめから私には、滑稽な喜劇にしか見えませんでしたがね」
「ううっ……」
 わたしの演技がダメだったらしい。おかしな丁寧語のせいか? 間違いなくそうだろうな。
「ほかの女性たちと手を切ったほどだ。里下はあなたに対して、よほどの責任を感じているのでしょうね。それにしても、ひっきりなしに遊び歩いていた男が、いきなり真面目な生活を強いられるとは、まさに生き地獄」
 いや、生きてないでしょ。そう突っ込もうとしたわたしより先に、西崎が続ける。
「本当の妻でもない、とくに好いてもいない娘のせいで、遊び歩くことができなくなったとは、里下に同情を覚えますよ。こんな静止した世界で楽しみといえば、女性と遊ぶことくらいしかない。あなたは里下の邪魔をしているのです。世話になっている男を悩ませるなんて、罪深いことはしたくないでしょう?」
 責任感、とくに好いてもいない、邪魔をしている。ちくちくとわたしをヘコませるような言葉をはさみつつ、西崎は煙草を吸いながら進み出た。
「ですから、あの家を出てはいかがです? 住む場所であれば、私が提供しましょう。不自由はさせませんし、そのうちに人間界のことなど、思い出すこともなくなるはずです」
 悪魔のような甘い言葉を吐きながら、西崎はわたしの目前に立った。
「あなたが生きている人間だと、帝劇で知り驚きましたよ。もともとあなたのことを奇妙に感じておりましたから、点と点が線で結びついたような、すっきりとした気持ちになりました。とはいえ、私はあなたの肉体に乗り移りたいわけではないので、ご安心を。私はあなたに、興味を持っているだけですから」
 笑みを浮かべた表情とは裏腹に、瞳は笑ってはいなかった。
 西崎の言うとおりにすれば、雨市の邪魔をしなくてもよくなるんだろうか。
 わたしは雨市が好きだ。そう、がっつり自覚してしまった。だから、好きな相手の邪魔をしていると言われると、心苦しくなってくる。そうだよなって、思ってしまう。
 でも雨市は、わたしみたいな色気のない女子に、「守る」とまで言ってくれた。心のどこかでは邪魔に感じていたとしても、そう言ってくれたのだ。
 だから、雨市はすごくいい男だと思うんだ。
 住む世界が違っていたとしても、雨市みたいな男子には、この先一生会えない予感がある。それに、だ。
 このわたしが誰かを好きになるってこと自体、よっぽどのことなんだよ。
 そうだよ。これがわたしにとって、最初で最後の恋になるかもしれないのだ。それなら、未来なんかなくてもいい。娑婆に戻ったら雨市のお墓を探し出して、おばあちゃんになってもしつこくしつこく、墓参りしてやる。
 よし。こうなったら、腹を決めるぞ。これは一生に一度の恋だ。だったら自分で、この気持ちを守るしかない。
 いずれは娑婆に戻って、二度と会えなくなるとしても、いまのこの状況でみすみす手放してなるものか!
「けっこうです」
 きっぱりと告げると、西崎は不機嫌そうに眉根をひそめた。
「……ほう。意外なお答えですね、そうですか」
 吸い殻を床に放ると、革靴で潰した。どうでもいいけど、ここって土足大丈夫なのか。
「では、仕方がない」
 そう言って、西崎は背中を向けた。
「あなたの肉体にいい値が付くはずですから、さっそく競売の準備に入りますよ」
 ――え。
「……はあ? きょ、競売?」
「生きた肉体を〝売る〟んですよ。しょせん、この世界はもう動かない。たんまり稼いだ者の勝ちです。それとも、しばし考えますか? 私と共に暮らすのか、その肉体を誰かに売るか」
 ……この場合の〝売る〟って、フーゾク的な意味じゃないよなあ。わたしの魂を誰かに喰わせるっていう……ホラー方向の〝売る〟なんだろうなあ……って!
 さらにそれに値段を付けるって、どんだけ鬼だよ、西崎! おまえこそ地獄行き決定だから!
 ていっても、くっそう、究極の選択すぎてマジで嫌だ。西崎と暮らすとか、ホントないから。でも、考えるふりをして時間を稼ぐのは、アリかもしれない。
 ……ってか、あれ? ちょっと待て。
 こいつ、〝この世界はもう動かない〟って、いま言ったぞ。それって、閻魔の本物の筆を持ってるからこそ、言えることなんじゃないのか。
 だとしたら、この状況ってめちゃくちゃ都合がいいかもしれない。西崎が本物の筆をどこに隠してるのか、時間稼ぎのついでに探れるかもしれない!
「とりあえず、考えさせていただきます」
 丁重に頭を下げてみた。すると、西崎は満足そうにうなずいた。
「それが賢明です。ひと晩猶予をあげましょう」
 そう言い置いて、ドアを開けたときだ。またもや宮田があらわれて、西崎に向かってささやいた。
「……役所の宦官が本邸にあらわれました。邸の皆さまはお出かけ中で、使用人の木下が、応接間に通しています。覇甲とかいう男で、筆を探している登録者の家をまわり、ニセの筆をかき集めていると言っております。例の銀座の一件で、焦っているようです」
 ハイコウって、あのかわいらしい宦官のことだ。
「どういう男だ?」
 西崎は上着の内ポケットから、懐中時計を取り出す。
「男というよりも、娘みたいな頼りないやつですよ。まあ、宦官ですから」
 懐中時計をポケットに突っ込んだ西崎は、ぐっと顔をしかめた。
「……妙だな。四十分ほど前にも来たはずだぞ。おまえがここで、その娘を見張っている間のことだ。私は邸内にいなかったから、富川が対応をしたと聞いた。色白で甲高い声で、いまにも死にそうな顔つきに丸眼鏡をかけた宦官に、集めていたニセの筆をごっそり渡したと聞いた。そいつも同じ名前の、覇甲……」
 西崎は、はっとしたようにわたしを見る。それから、宮田に顔を向けた。
「わかった、いま来てるそいつに会おう。もしかすれば、富川が対応したのは」
 クソッ、と西崎は舌打ちする。
「……なぜだ、邸内に入るためか? ……まさか――」
 鬼の形相で、苦々しげに叫んだ。
「――里下か!」

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