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参ノ章

洋食、帝劇、夜の虎

其ノ20

 世界には三人、似た顔の人間がいるとか聞いたことがあるけど、まさか地獄の入り口にまで、この顔が存在するとは思わなかった。
 ていうか、似・す・ぎ・だ!
「先日、少々面白い光景を目にしましてね。私の乗っていた車の前を疾走したのち、見るからに野蛮な輩をあっという間に倒してしまった、勇気あるご婦人がおりまして。どうにも一度お話しをしてみたいという欲求に抗えなかった……といった経緯でして」
 まわりくどい! ものすごくまわりくどい表現で、自称イケメンそっくりの西崎一夫なる男子は言った。
 瓜二つのそっくりさんだけど、落ち着いてよく見れば、たしかに別人だとわかる。
 西崎の年齢は、R25ってとこだ。全体的に落ち着いた雰囲気もあるし、帽子をはずしてあらわになったヘアスタイルは、浮かれた茶髪なんかじゃなくて、きっちり撫でつけられた黒髪ショート。だけど、顔の各パーツはどこからどう見ても、衣心のクローンすぎる。
 いつもにやっとしているような、たれ目がちな二重の目。イヤミを吐くためにくっついている唇は薄く、口角は常に上がり気味。輪郭といい表情といい、あいつの先祖なんじゃないかと思うほどの激似!
「しかし、ずいぶんと印象が変わったものですね。お見かけしたとき、こちらに同居なさっている遊び人風の者と一緒でしたし、怪しげな場所へ消えていくのも確認しましたから、てっきりその道のご婦人かと思いましたが、ご存知のように私には、ある種の勘のようなものがありましてね。ご婦人に関しては、ひと目でどういった方なのか、すぐにわかってしまうのですよ。ご存知のように、ね」
 ご存知のようにって、二度言った! 西崎的に重要ポイントなのかそれ。てか、全然存じませんってハナシですから!
 西崎は、眩しがるかのように片目を細めてわたしを見た。それにしてもこの顔には、なにげに自慢話をはじめるっていう、共通した性格があるらしい。
 ああ……いやだ。なんだろうこのムカつきと苛立ちは。
 衣心とは別人だとわかっているのに、視覚的に同類だから、どうしても衣心とカブる。もう全部がカブりまくりだから!
 腰にまわされた雨市の腕の力が増したせいで、ぴったりくっつくはめになってるものの、まるで気にならない。それよりも気になるのは、こいつの顔だ。
 横顔はどうだ? 斜めから見る感じは? 気になりすぎて首を伸ばし、若干前のめり気味になっていると、雨市はさらにわたしの身体を、腰ごと強く引き寄せる。
 いや、もうちょっと腕ゆるめて欲しい。そんで西崎を間近で見せろ。どんくらい似てるのか、お願いだからわたしに確認させて!
「ほう? 私に興味をお持ちのご様子ですね」
 西崎が笑む。いや、あなたさま自身には、これっぽっちも興味はない。顔に興味があるだけです。
 そのクローンぶりは、なんの冗談なんだ!? もう、見れば見るほど同じ顔。身長も衣心と同じぐらいだから、ウザさがさらに百割増だ。
 うう……トラウマが、あの新手のイジメを受けた日のキモさが、リアルによみがえってきた。許すまじ……その顔、許すまじ!
 わたしの脳みそが高速回転で、記憶の引き出しを開けまくっていたとき、雨市が西崎に言い放った。
「西崎さん、いきさつはわかりましたが、まさかそのご婦人とやらは、いま僕の隣にいる妻のことではないでしょうね?」
 そう言われて、はっとした。そうだった。わたしは雨市の妻、なのだった。
 この西崎なる男子がどんだけしつこいかは謎だけど、この顔に追いかけられるのは絶対に避けたい。
 よし、さっさとお帰りいただこう。加勢するよ、雨市!
「ホホ……ホホホホホ! そおーなんでござーますの。わたくし、ういち……じゃなくて、タクの主人の妻ですの。ですので、あなたさまのお見かけたご婦人さまというのは、わたくしではないのでございませんでしょーかしら?」
 丁寧に言えば言うほど、日本語が崩壊していく。雨市に横目でにらまれた。
 黙ってろと命じられたことを思い出したものの、ときすでに遅し。にやけ顔の西崎は、探るように片眉をくいと上げた。
「いいえ、私の目に間違いはありません。見栄えはずいぶん変わりましたが、あなたです。とはいえ、そうでしたか。これは失礼。私はてっきり、こちらに居候なさっている学生さんかと思っておりました。女学生の妾など珍しくもありませんから、もしかすれば里下さんに囲われているのかもしれないと、当然懸念はいたしましたがね。どちらにしても実際にお会いして、たしかめようと考えたわけですが……妙ですね」
 西崎は数秒の時間をかけて、わたしと雨市を交互に見つめ、ゆっくりと口を開く。
「夫婦という雰囲気が、まったくしないのですが?」
 西崎、恐るべし。その勘の鋭さは、女子並みだ。
 よし、わかった。いまのままだと、雨市が勝手にわたしの腰に手をまわしてる、みたいな感じになってるから、もっと自発的にくっついたほうがいいのかも。もしくはこう、しなだれかかるみたいにすれば、それっぽく見えるかも?
 こいつを追い払うためなら、なんだってやるよ! わたしも雨市の腰に右手をまわし、肩に頭を寄せてまぶたを閉じてみた。
「わたくしとタクの主人は、とっても仲良しでございますですのよ? なぜゆえそのようにくっちゃべるのか、わたくしにはさっぱりわからないのでございますが?」
 娑婆に帰ったら、ちゃんと敬語の勉強をしよう。このままじゃ将来、まともな就職先が見つからない予感がしてきた。ともかく、雨市の肩に頭を寄せて、うっとり感を装うためにまぶたを閉じる、すると、静かな声で雨市は訴えた。
「し……少々個性的な妻ですが、僕たちは仲良くやっています。おかげで僕の悪い癖もおさまりまして、のんびりとした日々を過ごしているところですよ。ですから、なにを根拠に夫婦には見えないとおっしゃるのか、僕にはまったく理解できませんが、あなたを信じることにします。西崎さんは立派な紳士ですから、他人の女房に手を出すなどという、下劣な真似はしないでしょう。いかがですか?」
 わたしは細く片目を開けて、西崎の動向をうかがう。きっぱりとした口調でつっぱねた雨市に対して、その場にたたずむ西崎はにんまりと、含みのある笑みを浮かべた。
「そのとおりですよ、里下さん。しかし、あなたが妻にするほど執着するご婦人が、この世界にいるとは思いませんでした。ますます興味が惹かれます」
 うつむいた西崎は帽子をかぶる。刹那、意味ありげな視線をわたしに向けた。
「おっしゃるとおり、下劣な真似はいたしませんよ。とりあえず、お邪魔しました。本日はこれで。失礼いたします」
 西崎は背を向けると、小太り紳士を引き連れて外へ出て行く。お辞儀をした坊主頭の男子が、するすると玄関の引き戸を閉めた。
 やがて、門の前に停まっていた車が去って行く音がする。わたしは雨市の肩に頭を寄せていたことも忘れ、ほっと息をつく。直後、いきなりデコピンされた。
「イテッ!」
 額に手をあてて叫ぶと、わたしの腰から腕を離した雨市は、呆れ顔で腕を組んだ。
「なあーにが〝タクの主人〟だ。しゃべるなっつっただろうが。あれじゃあ焼け石に水じゃねえか!」
「その件に関してはごもっともだけど、まあいいじゃん。帰ったんだから」
 雨市は深く嘆息する。
「……あいつが信じたとは思えねえな。それに」
 ぐ、と眉を寄せて、わたしをにらんだ。
「おまえはなんで、あいつのツラに見入ってたんだ? あれじゃああいつが勘違いしちまっても当然だろうが。まさかおまえの好みか?」
「はあ? そんなわけないから! あいつの顔、娑婆でわたしの知ってる男子とめちゃくちゃそっくりだったんだよ。衣心って言って、横顔も斜めな角度もどっから見てもおんなじ、超おんなじ!」
「誰だそりゃ」
「金持ち寺の息子だよ。イヤミくさいことばっか言って、子どものときからわたしをイジめて楽しんでた、イジメ界のボスなんだ。ちょうどあんたが筆を盗みに、鬼の恰好であらわれた日あるじゃん? あの日、最強にキモいイジメされたんだよ!」
 思い出してうおおおと身震いすると、雨市はけげんそうに顔をしかめた。
「……キモいイジメってな、なんだ?」
 説明するのもキモいけど、いっそぶっちゃけて気持ちを軽くしたい衝動に、かられてしまった。
「バス停でバス待ってたら……ってか、バスってのは乗り物の名前だからね。そんでさ、ともかく待ってたら、いきなりこうやって腕引っ張られて、このあたりにぶちゅうーて」
 自分の手のひらを、左の頬と唇の間に押し付けて見せる。
「口つけられて、ほんと凍った。あれはないわー、マジでないわー。うげえええ、リアルに思い出しちゃったよ、本気でキモい!」
 吐きそうな顔つきで首を左右に振っていると、雨市はあ然としたように口を開いた。
「……そりゃ、おまえをいじめてるってことじゃ、ねえだろ?」
「は? いや、イジメだよ。昔からそうなんだよ。スカートめくったり、ほっぺたつねってきたり、虫つかまえて追いかけて来たりさ」
 がっくりと肩を落とした雨市は、これみよがしに息をつく。
「……さすが鉄壁だな。さすがとしか言いようがねえ。見たこともねえイシンとかいう不器用な野郎に同情するぜ。まあいい、とにかくすぐに塩持って来い」 
「お塩? なんで?」
「いいから、持って来いって」
「はいはい、わっかりましたよ」
 雨市のシャツとボタンを抱えたまま、台所に急ぐ。棚にある壷を手にして戻り、雨市に渡す。すると雨市は壷に右手をつっこみ、握った塩を玄関にまき散らしはじめた。
「わっ! 掃除したのに、なにしてくれちゃってんの!」
 雨市は壷を、わたしに突っ返した。
「しばらくこのままにしとけ。清めてんだよ、知らねえのか? おまえとしゃべってると、おんなじ日本人て気がしねえよ」
 ぶうぶうと文句を言いつつ、雨市は廊下を歩いて居間のドアを引く。
「ハシさんが戻ってしばらくしたら、出かけるからな。西崎の野郎を気にして家にこもっちまったら、もっと怪しまれるのがオチだ。ついでにおまえは、ちっとばかし自覚しろ」
「自覚って、なにをさ」
 げんなりした顔つきでうなだれた雨市は、ドアノブに手をかけながら声を荒らげた。
「しゃべりも動きもおかしいけどな、それを補ってあまりある容姿だっつうことを、ちっとは自覚しろって言ってんだ!」
 激しい音をたてて、雨市はドアを閉めた。ピリピリピリピリして、カルシウム不足?
 いっぱい魚食べてるくせに、なにが気に入らないんだか。
「いや、たぶんなにもかもが気に入らないんだよ。やっぱりわたしが、ウザいんだろうなあ」
 そうだ、わたしはわかってるよ、雨市。だからハシさん師匠との潜入ミッションは、必ず成功させるからね!
 もちろん、娑婆への帰り方がしるされた書物を、すぐに入手できるとは思っていない。でも、わたしの働きがハシさん師匠に認められれば、そのうちにひとりでも自由に、役所へ出入りさせてくれるようになるかもしれないじゃん?
 そうしたら、いままでの二倍のスピードで、探れるってことになるじゃん!
「うおおー、こういうのって、ホント燃える!」
 ロッキーのテーマソング・スイッチが入った。その直後、玄関の引き戸が開いた。風呂敷包みを抱えた師匠は、わたしを見ると深くうなずいた。
「必要なモノを、入手いたしました」

 

♨ ♨ ♨

 きっちりと戸を閉めた台所の床に、二人して正座する。
「手袋は必須でございます。なにがあってもはずさぬよう。闇に紛れるための黒い手ぬぐい、これはほっかむりいたします。椿さんが履かれていらっしゃる、破天荒な形状のスボンはあのままでよろしいですから、上にはこれを。黒い作務衣でございます」
 ハシさんは包みを開けながら、ひそひそと説明した。
「承知でございます」
 わたしがそう言うと、ハシさんは包みをまとめてすっくと腰を上げた。
「これらはわたくしが所有しておきますゆえ、詳しくは今夜。これから見取り図をしたためますから、わたくしは部屋にこもらせていただきます」
 わたしも立ち上がって、深くうなずいて見せる。
「全部まるごと、了解です」
「それはそれといたしまして……玄関に塩が撒かれておりましたが、なにやらよろしくない客人でも?」
 西崎が来たと伝えたら、なんですと! とハシさんの背筋が伸びた。
「そ、それで、いかようなことに……?」
「無事に帰られましたでございます。あの西崎って何者なんですか? 大柳の息子的な?」
「いえいえ。大柳財閥の所有する、不動産会社の重役でございますよ。たいそう汚い手を使って、土地などを搾取する役割を担っておりまして、そういった経緯もあって、あの若さで異例の出世を果たした野心家でございます」
 なるほど。納得してうなずくと、ハシさんは眉を下げてわたしを見た。
「しかし、困りましたなあ。椿さんは大変な方に、好まれてしまったものですなあ」
 好まれたのか? わからない。でも、とにかく帰ったんだから、たぶんもう来ないだろう。
 万が一しつこくされるようなことがあったとしても、その前にわたしが娑婆に戻ってしまえば一件落着だ。もっとも、娑婆には娑婆の西崎……じゃなくて、同じ顔がいることにはいるんだけれども。
 それにしてもこの世界には、けっこう若い人が多くて驚く。時代的に昔だから、若くても死んでしまうことがあったのは理解できるけど、なんか不思議だ。
 ハシさんにそう訊ねると、たしかに、とうなずいた。
「流行病などもありましたし、大きな地震もあったようですからなあ。わたくしたちは地震以前にこちらに来てしまっておりましたが、役所でそのような記述を目にいたしましたので」
 あ……そっか。たしか、大正の終わり頃にあったんだっけ、大震災。それでなのか。
 風呂敷を持ったハシさんは、戸を開けたまま台所を出て行った。わたしは壁に背中を寄せて、床に足を投げ出し、雨市のシャツのボタンを縫いはじめる。
 雨市のシャツからは、ほんのり煙草の香りがした。好きな匂いじゃないけど、雨市が煙草を吸う感じはなんとなく嫌いじゃない。 
 わたし以外はみんな死んでる。そんな世界にいるというのに、全然怖くないのはなんでだろ。
 それはきっと、雨市も竹蔵もハシさんも、わたしに親切にしてくれるからだ。まあ、雨市はいきなりピリピリしたりして、わけがわからないときもあるけどさ。
「生きてるときにどうだったのかは知らないけど、わたしが閻魔大王なら、みんな極楽行きにしたいとこだよなあ」
 光に満ちた、仏さまのいる極楽浄土。
 ここに住んでいる三人が地獄に行ってしまったら、極楽の仏さまが、蜘蛛の糸を垂らしてくれたらいいのにな。きっと雨市も竹蔵もハシさんも、糸に群がるほかの人を、蹴落としてまで上ろうとはしない気がする。
 そういう心を持っていても、やっぱ地獄行き決定なんだろうか。
「……地獄に行っても三人仲良く、鬼から逃げまわって、うまいこと暮らしてそうだけどね」
 絵図らを想像したら、そんなに深刻な感じでもなくて、なんだかちょっと面白かった。
 ふふふと笑いながらボタンを付け終えて、床に寝そべる。背中の帯が邪魔だから、壁を向いて寝そべってるうちに、いつの間にかそのまますっかり、眠りに落ちてしまったのだった。

 

♨ ♨ ♨

 

 身体を揺すられて目覚めると、ハシさんがそばにしゃがんでいた。はっとして起き上がると、台所に煙草の残り香がある。あれ?
「厠かわやへ行こうとしましたら、雨市さんがここの戸の前に立って、身動きもせず煙草をのんでおいででしたよ。声をかけましたら、椿さんを起こしてくれと言われましたので、わたくしがそうさせていただいた次第です。お出かけのお時間だそうです」
 わたし、どんだけ寝てたんだ? てか、雨市に寝てるところを見られてたって、わたしを起こすなら自分で起こせばいいのに。
「……謎だ。ホント謎」
 つぶやきながら起き上がる。シャツがなくなっているから、雨市が持って行ったんだろう。両手を上に伸ばしてあくびをすると、ハシさんは優しく微笑んだ。
「椿さんがかわいらしい顔で眠っておりましたから、雨市さんは起こせなかったんでしょうなあ。いじましいことでございます」
 ほほほほと笑い声をたてつつ、ハシさんはトイレに入った。わたしは居間のドアを見る。そして、首を傾げる。
 雨市はなんで寝てるわたしを、見てたんだろ。

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