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参ノ章

洋食、帝劇、夜の虎

其ノ16

 本日のわたしは、忙しいのだ。
 夕方、雨市が洋食屋に連れて行ってくれると言うので、その帰りにコクるミッションを自分に課した。
 そのミッション完了ののち、家に戻ってから速攻でジャージとTシャツに着替え、今度はハシさんの尾行を決行せねばならない。だけどこのミッションは、ハシさんを見失ったら翌日に持ち越されてしまう。
「それは避けないと。時間を無駄にできないからね!」
 部屋で帯を締めながら、鼻息を荒くした。
「よし。帯オッケー。着付け完了だ」
 手をうしろに回し、何度も帯の位置をたしかめる。今日は曲がってない、完璧だ。
 雨市にフラれるのは確実だ。それなのに、いまだ不明な存在のニシザキのために、夫婦のふりをして一緒に暮らすなんてマジでありえない。だから一刻も早く娑婆に戻るため、わたしは行動しなくてはいけないのだ。
「……よし。リングに上がるよ!」
 雨市にもらった櫛で髪を梳かし、巾着に入れて帯に突っ込む。
 今日一日、竹蔵不在の中、ハシさんと家事全般をこなしつつ、出かけたり戻ったりを忙しなく繰り返す雨市を眺めて過ごした。会話を交わした覚えはあるけど、内容はなにひとつ記憶にない。自分に課したミッションで、頭がいっぱいだったからだ。
 だけど、もうすぐ日暮れ。いよいよ、このときが来た!
「よっしゃあ! いっそ元気にフラれよう」
 決意を固めて部屋を出る。この気持ちにケリがつくのだ。ものすごくすっきりするような予感に、身震いすらしてきた。
「なんでだろ。むしろ楽しみになってきたかも」
 きっとこんな経験を、いままでしたことがないからだろう。
 一階に下りて、台所と土間と裏庭を見る。誰もいない。居間のドアを開けると、やっぱり誰もいない? 柱時計を見ると、きっかり約束の午後四時なのに、雨市はどうした?
 まさか、忘れたのか。え……なにそれ。いや、決めつけるのはまだ早い。とりあえず下駄を履いて待ってみよう。
 廊下を歩く。玄関でしゃがんだとき、いきなり引き戸が開いた。びっくりして顔を上げると、黒いショールを抱えた、帽子にスーツの雨市が立っていた。
「気が早いな。もう下駄履いてんのか」
「じ、時間だからね!」
 コクってフラれる決意はゆるがないけど、雨市のスーツ姿はやっぱりめちゃくちゃカッコいい……と思ってしまうのがいやだ。
 でも、大丈夫。フラれたらカッコいいとすら、思わなくなるはずだもんね。
 雨市は、いまだしゃがんでいるわたしを見下ろすと、「立て」と言う。そのとおりに腰を上げると、腕にかけていたショールを広げた。
「夜は冷えるからな。セツに借りてきた」
 目前に立った雨市は、広げたショールをかかげると、わたしの頭からうしろにまわして、肩にかけてくれた。さらに雨市は、手触りがよくて温かいショールを、きゅっとわたしの胸のあたりでかけあわせる。
「よし、これでいい」
 わざわざわたしのために、セツさんに借りてきただなんてすごすぎる。
 さすがだ、雨市。女子のツボを心得ているこのアクション。これを真似できる男子は、わたしの通ってる高校には間違いなくいないと思う。
 しょうがないな。こんなだから好きになってもあたりまえだし、どのみち避けられないことだったのだ。
「……ありがとう」
 雨市はわたしを見たまま、片目を細めた。
「おい、あれはどうした? 髪にくっつけてた飾りは、付けねえのか?」
「髪飾り? いやあ、なんかうまく付けられないし、いらないかなあと思ってさ」
 すると「持って来い」と雨市は言った。なんで?
「え? 欲しいの?」
「なんで俺が欲しいんだよ。いいから持って来い」
 意味不明だ。スーツの胸ポケットにでも挿したいんだろうか? すでに三角のハンカチが飛び出してるのに? 
 首を傾げながら階段を上がって、部屋にある髪飾りをつかみ、玄関に戻って渡す。そうした瞬間、雨市はわたしの頭を両手で挟み、まっすぐ前に向けさせた。あれ?
「な、なにさっ」
「どっかに出かけるときは、身を飾るもんだ」
「だ、だけどさ。地味にしてろって言ってたじゃん?」
「すでに西崎に、おまえは目をつけられてんだ、もうどうしようもねえよ。いいから、俺が付けてやる。動くなよ」
 髪飾りを、わたしの髪に付けてくれる。雨市の指が髪に触れると、ぞくぞくした。
 それにしても、手慣れてるなあ。こういうことが雨市にとって、特別なことではないと思い知らされる。どうせフラれるんだから、いまさら気にしたところでどうでもいいってハナシだけどさ。
「よし、いいな」
 髪飾りを付け終えた雨市は、そう言った次の瞬間、さらりと声にした。
「しっかし、おまえはホントに、美人だな」
 な・ん……で・す・と!?
 いま言うか! 貴様、そんなことをいま言うか——!!
 ハシさんじゃないけど、マジで〝なんですと〟だよ、まったく!
 ああ、そうですか。褒められても有頂天になんか、ならないからね。だいたい、惚れてる娘さんがほかにいるくせに、そういうことを〝なんとも思っちゃいねえ娘〟に対して、言うべきではないと思うぞ。
 だからわたしがコクる事故を起こしてるってことを、もうちょっと自覚して反省していただきたいですよ! ってか、ホントに油断も隙もないな、雨市!
 ふんっ! とわたしは外へ出た。空はもう、橙だいだい色に染まりはじめていた。

 

♨ ♨ ♨


 はじめて路面電車に乗り、奇妙で不思議なまちの様子を車窓から眺める。
 この景色はたぶん、大正時代の終わりごろの東京だ。でも、ちゃんとした東京ではないと、雨市はほかの乗客を気にしながらささやく。まだ生きていると思っている人が、乗客にいるかもしれないからだ。
 雨市によれば、この東京はいろんな区や建物が、ごちゃ混ぜにミックスされているらしい。だけど誰も、不思議には思わない。おかしいと思っているのは、ハシさんや竹蔵、雨市みたいに、ここは閻魔の裁判を待っている場所なのだと悟っている人たちだけだ。
 広い通りを、路面電車は走る。
 立ち並ぶ建物を眺めていると、まるでこういうテーマパークにいるかのような錯覚におそわれてきた。
 やがてドーム型の屋根に、縦長の窓が並ぶ大きな建物がある交差点に着く。そこで電車を降りた。
 空はすっかり暮れて、点在する街灯がまちを彩っている。洋服姿の女性とか、ステッキ片手で着物姿の男性だとか、目一杯に着飾ったオシャレな人ばかりとすれ違う。
「ここ、どこ?」
「銀座だ」
 思えばわたし、東京にすら来たことないんだよな。テレビでしか見たことのない自分の時代の銀座と、あたりまえだけどずいぶん違う。石造りの建物が多くて、なんだか外国みたいだ。 
 すごいな。こんな時代もあったんだ。
 きょろきょろと見回していると、優雅な雰囲気の建物の一階の扉を、雨市は開けた。お店に入ったとたん、ふわりと香ばしい匂いが漂った。
 天井に下がっているのは、シャンデリア? きらびやかな広い店内は、お金持ちっぽい身なりの男女でいっぱいだ。
 ハシさんのような紳士に案内されて、窓際の席に着く。こんなところに入ったことがないから、まるで落ち着かない。
 帽子を脱いだ雨市は、煙草を吸いはじめた。と、雨市の視線が、わたしの背後にそそがれていることに気づく。
 ……ん? なんだろ。もしかして、誰かを見てる? 気になる!
 思いきり振り返りたいのを堪えて、メニューを掲げて顔を隠し、そっと顔をうしろに向けてみた。そこには、一人の女子が座っていた。
 こちらに背を向けているので、顔はわからない。長い髪を編み込んで束ね、ショートのようにまとめてある。白いうなじに白いワンピースが映えて、とても目立っていた。中年の男性と一緒だから、きっと親子だろう。
 間違いなく雨市が見ているのは、この女子だ。そんな気がする。あれ。あれれ?
 もしかしてもしかすると、もしや雨市の惚れている娘さんは、この女子だったりする的な……?
「頼むもの、決まったか」
 雨市の言葉に、飛び上がりそうになってしまった。最初からオムライスって決めていたから、メニューを見る必要はないのだ。
「あ、あなたさまは、お決まりで?」
「おまえと同じでいい。それよか、その〝あなたさま〟ってなんだよ」
 苦笑された。おそるおそるメニューから顔半分を覗かせると、雨市はもう例の女子を見ていなかった。
「いや、名前の呼び方が、まだ決まってなくてですね」
 ふっと口角を上げた雨市は、軽く手を上げて店員を呼んだ。オムライスをふたつ頼んだ雨市は、メニューを店員に戻しつつ、例の女子を一瞥する。
 やっぱ、気にしてるっぽい。いや〝っぽい〟じゃなくて、ガチで気にしてる。
 もしもあの女子が雨市の惚れている女子だったとしたら、わたしのせいで手を切ったってことになるんだよなあ……。
 どうしよう。なんだか申しわけない気持ちになってきた。だって、ニシザキうんぬんはおいておいても、わたしが雨市の恋愛劇場の邪魔をしていることに違いはないんだもの。
 ダメだ。なにがどうでも一刻も早く、娑婆に帰らないとダメだ! もちろんその前に、コクってケリはつけるけどね!

 

♨ ♨ ♨


 オムライスは、卵でくるまれたチャーハンみたいだった。
 全体的に薄味だったけど、逆に新鮮な感じでおいしかった。正直、もう一皿くらいは食べられたけど、満腹になって睡魔におそわれでもしたら、深夜出かけるハシさんを逃してしまうため我慢した。
 雨市が煙草をくわえる。わたしは食後の紅茶を口に運ぶ。そのとき、テーブルの横に、白いワンピースが立った。
 はっとして、見上げる。真っ白な肌をした、清楚で可憐な女子は言った。
「まあ、雨市さんじゃございませんの。昨日の今日とは、偶然ね」
 すっきりとした顔立ちで、長いまつげに涼しげな一重の瞳。化粧のせいか年上に見えるけれど、わたしと同じぐらいの年齢かもしれない。
 一緒だった男性はどこだと見回すと、入り口で会計をしていた。直後、煙草の煙を吐きながら、雨市はにやりと笑った。
「そのようですね。ですが、あなたを追いかけているわけではありませんよ。ここは僕の好きなお店ですから、どうか誤解しないでいただきたい」
 ものすごくさらっと、別人みたいに口調を変える。あまりのことにびっくりしすぎて、目の前の雨市をまじまじと凝視してしまった。おまえは……誰だ!?
「あら、わたくしも好きなお店ですもの。会っても当然というわけですわ」
 そう言って笑んだ大人風女子は、艶めいた眼差しをわたしに向けた。意味深に目を細め、無言のまま雨市の肩に軽く手を添える。
「夫が手を振って呼んでおりますから、わたくしはこれで。またどこかでお会いいたしましょう」
 白い指先が、雨市の肩から離れた。ってか、え……ええ!? 会計したあの人、お父さんぐらい年が離れてるのに、夫なの? マジで!?
「うっ……い、いいの!?」
 衝撃のあまり、思わず訊いてしまった。あ? と雨市は眉根を寄せる。
「いいって、なにがだ?」
「い、いろいろ、全部だよ。てかさ、あの女子結婚してるの? それに、いまのしゃべり方なに?」
 雨市は呆れたように笑むと、灰皿に煙草を押し付けた。
「格好つけて遊んでた名残だ。あれは手を切った女その一。身分にあった結婚してんだ、珍しくねえよ。おい、もう飲んだか?」
 冷めた紅茶をいっきにのどへ流し、椅子を引いて腰を上げる。
「う、うん、飲んだよ! だから早く追いかけよう!」
「追いかけるって、誰をだよ」
「いや、なんかわっかんないけど。あの女子を追いかけたほうが、いいような気がして」
 雨市は椅子に座ったまま、慌てるでもなく腕を組んで笑った。
「なんで追いかけなくちゃいけねえんだ?」
「わかんないけど! だけどさ、あの女子ともっとしゃべりたくない?」
 しゃべってどうすんだ、と雨市は言う。会ったときにはもう結婚してたんだと、ため息まじりでつぶやいた声を、わたしは聞き逃さなかった。

 

♨ ♨ ♨


「なんでおまえが、しょんぼりするんだ」
 店を出たとたん、横を歩く雨市に言われた。しょんぼりもするさ。雨市の惚れてる女子が結婚してるなんて思わなかったし、そのうえ相手はすっごい年上なのだ。
 ありえない。なんだろうこの、全方向的に納得のいかない感じは!
「いや、なんていうかさ。あの女子、あんなお父さんみたいな人と結婚してて、幸せなのかな……とか考えてしまいまして」
「さあな。どっちにしろどうせ死んでんだ。なにもかも夢みてえなもんだ。俺もあいつも、この場所も」
 歩きながら、雨市は煙草をくわえた。
「そうかもしんないけど。だけど、その……あなたさまは」
 雨市が吹き出す。
「それやめろ。もう雨市〝氏〟でいいから、あなたさまはやめてくれ」
 やっとお許しが出た。よかった。〝雨市氏〟ってわたし的にベストだったから。
「で、なんだ?」
 雨市がわたしを、横目にする。
「ああ、いや、だからさ。雨市氏は、あの女子が好きなんじゃないかなと思って。だったらその相手がさ、好きになったときに結婚してたとかって、すごいガッカリ感あるじゃん? なんか、そういうのって、どうにもなんないのかなあ……とかさ」
 立ち止まった雨市は、一瞬わたしを上目遣いにする。それから自嘲気味に笑むと、煙草に火をつけた。
「……こっちもホントの自分を見せてたわけじゃねえからな。駆け引きが一番面白い相手だったことに違いはねえけど、惚れてるうんぬんってのとは、別もんだ」
「え。好きじゃないの?」
 雨市はわたしを見すえると、鼻で笑った。
「そんな単純じゃねえのさ。おまえみたいな小娘には、わからねえだろうなあ」
 そう言ってから、ゆっくり歩きはじめた。同時にわたしは、自分に課したミッションその一を思い出す。
 この会話の流れ……恋バナ的なこの感じ。タイミングとしては最高なのでは?
 そうだ、いまだ。コクるなら、いましかない! 
 脳内でゴングが鳴り響いた。さあ、リングに上がるときだ、山内椿!
「待った!」
 手を上げて呼び止める。雨市と同じく、通りすがりの人たちも振り返った。けれども、すぐに立ち去る。
「なんだ?」
 雨市はくわえ煙草で振り返り、わたしに向きなおった。
 わたしは雨市のそばまで大股で近づき、大きく深呼吸する。そのとき、いきなり高校での出来事が、頭の中に蘇った。
 グラウンドだとかトイレの前だとかに、男子に呼ばれたことがあったけど、あれってもしかしてイジメじゃなくて、いまわたしがしようとしてるのと、同じことだったんじゃないのかな。
 もしもそうだとすれば、わたしはひどいことをしたのかもしれない。いまさらだけど、自分で経験してみないとわからないことって、人生にはたくさんあるんだな。
「どうした?」
 雨市にのぞきこまれる。反省してる場合じゃなかった。
 ドキドキがヤバい。吐きそうなほど胸が高鳴ってる。背筋を伸ばして、雨市を視界のど真ん中にロックオンさせる。興奮と緊張に倒れそうになりながら、わたしは大きく息を吸い込み、舌を噛まないよういっきに告げた。
「雨市氏、のことが——好きでした!」
 あ、過去形で言っちゃった。

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